―地震情報との比較―
中 村 功
1.はじめに
茨城県東海村にあるJCO東海事業所のウラン燃料加工工場で、1999年9月30日午前10時35分頃、加工中の燃料が臨界に達する事故が発生し、被ばくした2人の作業員が死亡した。放射線は施設周辺にも漏えいし、東海村では15時に施設から半径350メートル以内の住民に避難所への避難を要請、また茨城県は22時30分に10キロ以内の住民に屋内待避を要請した。一般に放射線から身を守るためには距離、時間、遮蔽が肝要であり、より早い時期に、適切な避難を行うことが求められている。しかし住民避難は事故発生から5時間後、屋内待避は12時間も後のことで、避難(および屋内待避)は大幅に遅れてしまった。幸いにも今回の事故では、住民は健康被害が出るような被ばくを受けることがなかったが、より深刻な事故では避難の遅れは致命的である。なぜ避難は遅れたのだろうか、本論では情報伝達の観点からこれを検討する。
2.情報伝達の遅れ
アンケートにみる情報伝達の遅れ
情報伝達の上でどのような問題があったのか、これらを明らかにするために、われわれの研究グループ(1)では、関係資料を整理するとともに、半径10キロ以内の住民(ただし350メートル以内の住民をのぞく)473人(東海村156, 那珂町162, 常陸太田市79, ひたちなか市76)に対してアンケート調査を行った。サンプリングは選挙人名簿に基づく割り当て法である。
図1 行政に対する不満(東海村・那珂町)N=318
その結果、第一に指摘できるのは情報伝達が遅かったことである。今回の事故において、住民が国や自治体に対して不満に思ったことをたずねたところ、もっとも多くの人があげたのは「JCOの作業がずさんだったこと」(東海村、那珂町で80.2%)であったが、それについで多かったのが「地元市町村の情報伝達が遅かったこと」(東海村、那珂町で75.2%)であった。
また実際に事故の発生を知った時刻についても、半数を越える人が知ったのが13時ごろで、9割とほぼ大半に知らせが行き渡ったのは事故後6時間以上たった17時頃になってからであった(いずれも東海村・那珂町)。
図2 事故発生を知った時刻
情報伝達の実態
すでに述べたように事故の発生は10時35分であった。しかし事故発生は、監督官庁の科学技術庁核燃料規制課へ11時19分にファックス経由で送ったのが第一報であり、すでに事故発生から40分あまりがたっていた。内容は、2人被ばく、臨界事故の可能性あり、というものであった。同様の内容は11時22分に茨城県原子力安全対策課に、11時33分に東海村に伝えられた。そして東海村では12時30に防災無線で次のような第一報を住民に伝えている。「東海村役場よりお知らせいたします。本日10時35分ごろ、(株)JCOで事故が発生し、放射性物質が漏れたようです。付近の方は外に出ないで次の放送お待ちください。」一方県では12時半ころ県庁記者クラブに事故の発生を伝え、NHKでは12時46分に「茨城県東海村のウラン加工工場で放射能漏れ、作業員二人が被ばく」という第一報を流した。いずれにしても事故発生から住民への第一報まで2時間もかかっているのである。
今回の事故では臨界により主に中性子線が放射された。中性子線は放射線の中でもコンクリートの遮蔽なども効果のない、浸透力の強いものである。放射線の影響は被ばく時間に比例し、距離の二乗に反比例する。一方で放射線を発する放射性物資(放射能)の排出はほとんどなかった。従って今回の場合、住民の被害をさけるもっとも有効な方法は、どのような形であれ、とにかく一刻も早く工場付近の住民を遠ざけることであった。しかしこのように事故第一報の伝達が2時間を要したというのは、いかにも遅すぎることであった。なぜ情報伝達はこれほど遅れたのか、またそのスピードアップにはどのような方法が考えられるのか。ここでは地震に関する値情報を引き合いに出しながら考えてみよう。
我が国は地震国であり、これまで数々の被害を経験してきた。地震に関する情報伝達もいくつもの失敗を繰り返しながら次第に整備されてきた。特に津波に関する情報は一刻を争うもので、その欠如から多くの人命が失われてきた。しかし1993年の北海道南西沖地震を契機に自動化が推し進められた。まだ震度情報も1995年の兵庫県南部地震をきっかけに相当の進化が見られた。その結果、現在では震度情報では地震後2,3分、津波警報についても地震後およそ5,6分で住民に伝達されるシステムとなっている。
FAX
TEL
FAX
2時間 遠隔
2-3分(震度)
(11:19)
(11:22)
(11:33)
モニタリング 5-6分( 津波警報)
気象庁 東海村 茨城県 科技庁
県.
投げ込み
L-ADESS
(12:30)
networ k
マスコミ
マスコミ
市町村
防災無線
NHK TV
TV
(12:46) (12:30)
住 民
住民
図4 事故第一報の流れ(左)と震度・津波警報の流れ(左)
地震が発生すると全国数千カ所に設置された計測震度計が震度を計測する。この情報は専用線で気象台・気象庁へと瞬時に送られる。気象庁は全国の震度情報を遠隔監視しているわけである。収集された震度情報は即座にL−ADESS(LocaI Automated Data Editing and Switching System)という気象情報ネットワークに流される。端末は気象台のほか、気象情報会社や放送局にも設置されている。放送局はL−ADESSの震度情報から自動的にテロップを作成するソフトを備えており、一定の震度以上の地震情報については即時にテロップが作成される。このように地震情報が入ると放送局のメイン調整室ではテロップ放送のスイッチをいれ、震度情報が住民に放送されるのである。
一方津波情報は、各種観測データをもとに、全国の管区気象台にてスーパーコンピュータを利用して津波の規模や範囲が計算され、発令される。そのスピードは技術進歩に伴って次第に早くなってきている。発令された津波警報は様々な方法で住民に伝達される。津波警報は人命に直結するきわめて重要な上であるだけに、あらゆる手段を使って迅速かつ確実に伝達しようと言う思想がそこにはある。そのなかでもっとも早いルートはやはりL−ADESSを経由した放送局からの放送である。地震情報と同様のルートで発令から自動的に放送される。現状ではこのルートで地震発生から5−6分以内に住民に伝達されている。また管区気象台から県庁―市町村という行政ルートもある。使われるメディアは同報ファックスや防災行政無線である。市町村からの情報は防災行政無線や広報車から流れるために、放送を聞いていない人にまで伝わる利点がある。しかし経由点が多く、人的要素も入るために伝達速度は遅く市町村に至るまでに1時間程度かかることも珍しくない。そうした場合、市町村は放送によって発令の第一報を知るのが通例である。そのほか、地域防災計画には地元気象台経由で市町村に伝達するルート、電話局経由で市町村に伝達するルートなども規定されている。
さてここで、こうした地震・津波情報に比べて、JCO事故情報の伝達がなぜ遅れたのか、その理由について考えてみよう。第一に情報の伝達を判断するポイントが多いことがあげられる。すなわち、JCO、県、マスコミと3カ所(村の場合は2カ所)でそれぞれ情報の内容の確認とそれを伝達すべきかの実質的な判断が行われているのである。これに対して地震の場合(震度情報や津波警報)は実質的には気象庁の1カ所である。内容、及び伝達先はマニュアルに従って自動的に流されるし、マスコミは時間のロスをさけるために、情報の再確認作業をとらずにそのまま放送する。第二に、住民への情報伝達に国が全く役に立っていなかったこどある。国(JCOのケースでは科学技術庁)は他の組織(県や村)よりも専門家を抱えており、高度な判断が期待される。しかし今回は住民への配慮より、事故の処理に集中したために、十分な働きができなかったようだ。もっとも早く事故が伝えられたのが科学技術庁であったのに、住民への伝達はそこでとぎれてしまっているのである。第三に伝達手段の自動化が全く行われていなかった。東海村こそ防災無線を利用したが、主に伝達に使われたのは、FAX、電話、書類手渡しなどの原始的な方法であった。それに対して地震の場合は各地の震度計の遠隔管理、L−ADESSシステム、放送局の自動テロップ制作など自動化が進んでいる。これらのことがJCO事故の情報伝達を大幅に遅らせていると考えられる。
3.情報内容の問題
住民の求めた情報とは
第二の問題は、伝達された情報の内容が十分でなかったことである。当日住民
図3 当日もっとも知りたかった情報(東海村・那珂町)
が知りたかった情報をたずねたところ、77.0%と、もっとも多くの人があげたのが「今住んでいる場所がどのくらい安全かということについて」であった。ついで67.9%があげた「放射線や放射能が健康に与える被害について」 や63.8%が答えた「放射線(放射能)漏れの状況と今後の見通しについて」となっている(いずれも東海村・那珂町の数字)。これらは身の回りの危険度や被害の予測に関する情報だが、これらは住民の身に直接関わる情報であり、情報ニーズが高いのも当然なことである。しかし、この点は後で詳しく述べるが、当日これらの情報はほとんど流されなかったのである。たとえばNHKが12時50分に流した情報は「茨城県東海村のウラン加工工場で放射能漏れ、作業員二人が被ばく、風下で通常の7〜10倍の放射能、周辺200メートルは立入禁止に」というものだった。初期の報道ではあくまで放射能漏れ事故であり、臨界という言葉すら入っていなかった。こうした情報では実際どのくらい危険なのか、その程度が実感しにくい。
実際、アンケートで事故の知らせを聞いたときどのくらい危険を感じたかをきいたとろ、東海村・那珂町で「非常に危険を感じた」人が24.5%、「かなり危険を感じた」人が28.0%だったのに対して、「あまり危険を感じなかった」人が41.5%、「全く危険を感じなかった」人が5.7%と、約半数の人あまり危険性を感じていなかったのである。伝達された情報はスピードが遅れたばかりでなく、状況の危険度を伝える情報が不十分であった。こうしたことが避難を遅らせる原因となった可能性がある。
情報タイプ
|
地震
|
噴火
|
JCO事故
|
A.災害因
|
震度・震源・マグニチュード (by 気象庁) |
噴火の発生・各種観測データ (by 気象庁)
|
事故発生・放射線レベル (by 県、村)
|
B.危険度・警報
|
津波警報 余震情報 (by 気象庁)
|
火山情報(緊急/臨時)
(by 気象庁 ) |
▲ (by 東海村)
|
C.避難指示
|
― |
避難指示・避難勧告(by 市町村)
|
避難要請・屋内待避要請
(by 県、村) |
D.行動指示
|
身を守る、海岸に近づかない等 (by
マスコミ) |
― |
▲ (by マスコミ)
|
情報の発信主体
適切な情報が伝達されなかった最大の理由は、その任にふさわしい組織が、そうした情報を発信することができなかったからである。そもそも「A.災害因」や「B.災害の危険度」の判断は、充実した観測体制と高度な専門的知識を必要としている。こうした体制をとれるのはなんといっても国の組織である。実際、地震や噴火など自然災害については気象庁等の国の組織がこれらの情報を発信し、それをマスコミや自治体が中継しているのである。しかし今回、事故の発生や放射線量をまず発信したのは当該の事業者(JCO)と茨城県や東海村といった地方自治体であった。国(科学技術庁)は住民への情報伝達の発信元としては全く機能していないのである。国は住民を避難させるなど第一に住民の安全を考えた措置ではなく、災害因(事故)そのものを収束させるための措置を優先させていたようである。これは国が事業者の監督官庁として性格を持っているからであろう。しかし今後、国は災害因や危険度に関する情報の発信主体としても重要な役割を果たさなくてはならないだろう。
一方「C.避難」に関する情報は、自然災害の場合は市町村が発信主体となることが多い。今回は市町村と県が主体となってこうした情報を発信したが、とくに県の屋内待避要請は時間がかかってしまった。これには県が国の判断を重視したこと、設定範囲が広く避難地域設定に時間がかかったことなどが考えられる。さらに避難の実施のことを考えると、避難勧告は国の情報を受けながら従来どおり市町村レベルで行った方が効率的なのかもしれない。
最後に「D.行動指示」だが、これは自然災害の場合は実質的にはマスコミが自らマニュアルを設定して行ってきた。もちろん普段からの啓蒙活動は行政が力を発揮すべきだが、事故発生時の行動指示はやはりマスコミがマニュアルを整備して積極的に行うべきものであろう。
5.おわりに
以上のように、JCO臨界事故における情報伝達の問題は、住民への情報伝達が遅れたこと、危険度や行動指示に関する情報が不足するなど、伝達された情報の質が不十分だったことの2点にあった。
今回の事故をふまえ、国会では新たに「原子力災害対策措置法」を成立させた。ここでは、原子力事業者による異常値の通報義務、測定放射線量の公開義務、災害対策本部の設置や原子力緊急事態宣言発令等の首相権限の強化、現地対策拠点(オフサイトセンター)の設置などが盛り込まれている。しかし今回の事故における情報伝達の問題点が上記の2点だとすれば、こうした法整備だけでは不十分である。というのは、国には指示権限の強化ではなく、情報の迅速な収集・伝達と、警報を含めた危険度の専門的判断こそが求められているからである。
そのためには国は、原子力災害用に、気象庁のような組織とシステムを整備する必要があるのではないだろうか。すなわち24時間体制で原子力専門家が活動する原子力防災センターのような組織である。ここでは全国の原子力施設にある計測機器(放射線測定装置、放射能測定装置、雨量計など)を常時遠隔監視し、異常時にはホットラインで事業者に状況を確認する。深刻な事故時には、津波警報のように、原子力防災警報のような情報を発令する。そして観測された異常値や警報は、L−ADESのような装置で、即時的に自治体やマスコミに伝達され、放送される、といったシステムである。すでに自然災害ではこうしたシステムが確立しているのであるから、原子力災害でも決して不可能なことではないのではないだろうか。
注
(1)代表は廣井脩。メンバーに田中淳、中村功、中森広道、関谷直也、八木絵香、森岡千穂、三上俊治がおり、今論はその研究成果の一部である。
文献
廣井脩「市民はメディアをどう評価したか」『新聞研究』No.585,2000,4.pp31-35
「読売新聞」「毎日新聞」「朝日新聞」1999年10月1日、10月2日、10月7日
(本稿は平成10年度松山大学特別研究助成による研究成果の一部である。)