2.電子メディアのパーソナル化 −その過程と利用変化の特質−
2.1.はじめに
コンピュータや通信技術の発展および両者の融合によって特徴づけられる「情報化社会」が語られるようになってかなりの月日が流れた。たしかに銀行のオンラインや、コンピュータ管理の物流システム、コンピュータによるOA化などを見ると情報化は急速に進展している。しかしその一方非業務的分野での情報化はまだその入り口に立ったばかりである。例えば主に非業務的情報活動が行われている家庭を考えると、ホームビデオ、ワープロ、テレビゲーム、衛星放送などの普及が目立つ程度で、特に新しい通信メディアの利用は進んでいない。業務ではオンラインやファクシミリを使いこなしている人でも、友人、家族、親戚などへの連絡に使うのは未だに電話と郵便だけだ、というのが普通の状況である。
電子メディアの業務分野での先行にはそれなりの理由が考えられる。第一に企業・官庁などの業務主体は初期メディアにありがちな高いコストを払う経済力があること。第二に業務には特殊で強いコミュニケーションニーズが存在する場合が多いこと。第三に通信相手にも同一のメディアが必要な場合、組織では同一主体が、例えば本社と支店などというように、複数箇所の導入を決定するので、通信相手をはじめから確保しやすいこと。そして第四にたとえ操作が面倒であるなどの不都合があっても業務では強制もあり使わざるをえないこと、などが考えられる。
しかし情報化の進展を振り返ると、こうしたメディアにおいてもしだいに非業務的あるいは私的利用が広がっていくという流れがある。たとえば、現在ではすっかり私的利用が定着している電話もかつては業務利用が中心だったし、現在年賀状印刷など私的に利用されるようになったワープロも初期の頃は値段も高く業務利用が中心だった。またかつてはもっぱら業務用だったポケットベルも最近では女子高校生らが遊びに利用するようになった。このように業務メディアが私的メディアとなる現象をここではパーソナル化という言葉で考える(4)。「パーソナル・コンピュータ」「パーソナル・ワープロ」「パーソナル・ファクス」「パーソナル・ハンディー・ホン・システム」など「パーソナル」という言葉が頭につくメディアはいろいろある。しかしそれらも実態として専ら業務目的で利用されているようであれば真にパーソナル化しているとは言えない。ここでは、メディアのパーソナル化とは@今まで主に業務目的で利用されていたメディアが私的目的に利用されることが多くなり、A同時に家庭への普及とか、若者への普及といったように所有あるいは利用権が私的主体へ広がることだと考える。私的利用の増加が家庭への普及につながったり、逆に家庭への普及が私的利用の増加につながることもある。完全なパーソナル化には私的主体への普及と利用変化の2つの要素が必要である。
メディアのパーソナル化はメディアの大衆化と密接な関係を持っている。メディアの大衆化とは職業、性別、年齢、収入などあらゆる社会階層を乗り越えて幅広い人々にメディアが利用されるようになることを意味し、その結果として利用率なり普及率が高まるわけだが、この大衆化にとってメディアのパーソナル化は必要不可欠である。メディアによってはパーソナル化と大衆化が同時進行したり、若者など一部の人たちの間でパーソナル化してもそれが大衆化にまでいたらないものもある。しかし一般的に言ってパーソナル化は大衆化の第一歩と考えられる。そしてメディアがパーソナル化し大衆化していくことは生活の情報化につながる。したがってメディアのパーソナル化はメディアの大衆化や家庭の情報化の基礎となる現象であり、その具体的様態を明らかにすることが必要となってくる。
本論では電話、ポケットベル、ワープロ、ファクシミリといったすでにパーソナル化した、あるいはしつつある電子メディアを取り上げ、第一に各メディアはどのような過程をとりながらパーソナル化していくのか、第二にパーソナル化によって具体的にはどのような利用変化が起きるのか、を考察する。
2.2パーソナル化の理論的位置づけ
はじめにメディアのパーソナル化に関連する先行研究を検討し、パーソナル化は各研究にどう位置づけられるのか、そしてパーソナル化を見ていく際にどのような点に注目すべきなのかを考える。
(1)普及研究
通信メディアに限らず、広く革新技術の普及に関して多くの実証的な研究をしている研究系譜にロジャースらのイノベーション普及過程の研究がある。イノベーションとは社会的に新しいと認識された概念や物質的要素のことであるが、電子メディアもイノベーションのひとつである。普及研究では第一に、あるイノベーションを採用する際に採用者は@知識A態度形成B意志決定C導入実行D評価と確立という段階的な採用決定過程をとると考える。第二に、あるイノベーションの採用時期によって革新的採用者から採用遅滞者まで採用者を5つのカテゴリーに分類し、それぞれの特徴を分析している。最近ではパソコン通信など新通信技術の研究も行われるようになった(Rogers,1983)。
電子メディアのパーソナル化の考察にあたって普及研究のつぎの指摘が重要である。まずパーソナル化の過程については、第一にイノベーションの採用者数を時間の経過に従ってプロットしていくと釣り鐘型の正規分布を描くという指摘がある。採用者数を累積して描くとS字曲線を描き、その曲線は採用率が10%から20ないし25%のあたりで急激に上昇する。この時点になると普及はもう後戻りせず「離陸」するという(Rogers,1983,邦訳pp351-353.)。第二に、しかしロジャースは双方向コミュニケーション技術には臨界量(critical mass)の基準がよりはっきりと作用すると指摘する(Rogers,1986,邦訳pp127-129.)。つまり採用数が一定の水準に達するまでは通信相手が確保できないために普及が抑制される。これが本当なら、特に電話やファクシミリなどで臨界量の制約が強く働くと考えられる。
さらにパーソナル化による利用変化に関連しては、次のような指摘がある。新コミュニケーション技術は様々な状況に応じて様々な形態で利用される典型的な「道具技術」である。だから、普及機関が考える「主要な使い方」とは異なって利用され、イノベーションが採用と実行の段階で利用者によって修正される「再革新」(re-invention)の程度が高いという。普及研究においては1970年代以降になって初めて気づかれた「再革新」だが、利用者の主体性と利用のされ方に注目した意義は大きい。電話番号を表示し、そこに折り返し電話するために開発された数字表示タイプのポケットベルが、数字による語呂合わせを使ったメッセージ伝達に使われる例などはこの再革新にあたる。あるいは要件伝達メディアとして考えられてきた電話がパーソナル化し、おしゃべりに利用されるようになったり、文書作成のためのワープロが子供のおもちゃとして利用されるようになった場合、それも一種の再革新といえるかもしれない。パーソナル化がすべてイノベーションの再革新であるというわけではないが、パーソナル化にともなって再革新が起こる可能性は高い。各メディアのパーソナル化を見ていく場合、どのような再革新が起こったのかに注意する必要がある。
(2)「利用と満足」研究
「利用と満足」研究では、人々がマスメディアを日常生活の中でどう利用し、そこからどのような満足を得ているかを探ってきた。古典的な研究例としては、人々は昼間の連続ラジオドラマから情緒的解放や代理参加の楽しみを得ているだけでなく、日常生活の様々な問題の解決のための助言や忠告を得ていたというHerzog(1944)らの研究がある。この「利用と満足」研究はパーソナル化による利用の変化と深い関係をもっている。利用者がメディアをどのように利用しているのかという問題設定が両者に共通しているからだ。パーソナル化による利用変化を捉える上で「利用と満足」研究の次のような点は参考になる。第一に「利用と満足」研究では利用者が主体的存在として捉えられている。メディア利用者はメディア供給側によって左右されるだけの存在ではなく、時には供給側がまったく意図しなかったような利用の仕方をするのである。第二に利用者の主体性は利用者のニーズによって支えられているという点がある。そしてそのニーズは生活状況の中で生まれてくる。とくに初期の研究を見ると、人間関係の中で生まれてきたニーズがマスメディア利用につながる様子が注目されている(Riley and Riley,1951)。したがって、パーソナル化を考える場合にもどのような状況でどのようなニーズがどのようなメディア利用につながるかを考えなければならないだろう。第三に「利用と満足」研究自体はパーソナル化にともなう利用変化については扱っていない。しかし「利用と満足」研究の考え方をもとにすると、業務的状況でのニーズと私的状況でのニーズは異なるので、利用状況が私的状況に変化すると利用法も変化する、と考えることができる。こう考えるとパーソナル化で利用が変化するのも当然のことであると理解できる。問題はその変化が具体的にどのようなものかという点だ。第四にパーソナル利用によってどのような満足が得られたかにも注目する必要がある。同じメディアでも利用から得られる満足が異なればその社会的ありかたもずいぶん違ったものになるからだ。
(3)メディアの社会構成主義
最後に取り上げるメディアの「社会構成主義 (Social Constructivism)」(5)は前2者に対して歴史性を重視している。ここでは、メディアのありかたは決してその技術的性格からアプリオリに決定されるのではなく、社会的関係の中で生成されるのだと考える。発明家、投資家、競争相手、組織的顧客、政府などが技術の発展をめぐり葛藤し、その結果として技術がメディアとして社会的に定義づけられる、というわけだ。19世紀の電話と電灯を例に取りそれらが専門家たちによってどのようにイメージされ、どのように社会的に生成されたかを分析したMarvin(1989)や、無線技術がスポンサーシステムを伴ったラジオとして生成していく過程を明らかにした水越(1993)などがこうした考え方をとっている。
この流れの中で吉見(1993,pp.81-82)はメディアの社会的成立平面として3つのレベルを挙げている。第一のレベルは「基体的」レベルで活字、電気的複製音、電気光など情報の基礎単位を担うレベルである。第二にこうした基礎単位が秩序づけられた装置としてのレベルがある。つまり本や新聞、電話機、テレビ受像機のレベルだ。そして第三に産業・社会的なシステムのレベルがある。新聞社、テレビ局、電気通新事業体などシステムのレベルがここに入る。ある技術は各レベルでそれぞれ社会的影響を受けながらメディアとして生成されるという。たとえば電話の場合、ベルの発明した技術は基体的レベルでは単に音声が有線で伝達されるというものだった。この時点では彼の技術は音楽などを放送的に流す一方向メディアとして生成される可能性もあった。実際、19世紀のハンガリーやアメリカではこうした「放送」がいち早く行われていた。ベルの発明した技術は技術者、投資家、競争相手、顧客、政府、などの間の交渉を通じて、今日のような双方向のパーソナルメディアとしての電話に、装置レベル・システムレベルで社会的に生成されたのである(6)。
吉見(1994,p.94)によると、このようにメディアを社会的に構成されるものと考えたとき、少なくとも二つの観点から研究を進める必要があるという。第一に情報技術が「どのような社会的文脈の中で、いかなる技術が結びつきながら形成され、発明として認知されていったのか」という観点だ。ここでは発明家や資本家たちが問題となる。第二は「そうして登場したメディアを、受け手がどのように受容し、使いこなしていったのかという点である。」これは受け手の日常的実践がメディアの社会的様態を方向づける側面を指している。ここで注目されるのは第二の点だ。これまで第一の側面に重点がおかれがちであった社会構成主義だが、ここでメディア構成における利用の重要性が指摘されているからである。もしパーソナル化の過程で利用者が新たな利用法を生みだしてそのメディアの社会的あり方が変化したとすると、パーソナル化によってメディアが社会的に「再構成」されたと捉えられないだろうか。メディアのパーソナル化はメディアの社会的構成を考える上でも重要な意味を持っているようだ。
2.3.電話のパーソナル化
(1)電話のパーソナル化過程
1876年にベルによって発明された電話は日本では1890年に創業し、以来1世紀以上の歴史をもつ。しかしほとんどの家庭にまで普及するのは比較的最近のことである。例えば現在は電話の七割近くが住宅用だが、1952年には日本の電話のほとんど(93.8%)は事務用として加入された電話であった。従ってこの頃までは電話は基本的には業務用のメディアであったといえる。住宅用電話の世帯普及率を見ると1965年には10%にも達していないが1974年には50%を超える。その推移はロジャースらの普及研究が示唆するように普及曲線はS字カ
図3 電話加入者と世帯普及率の推移 (7)
ーブを描き、しかも普及率が10%を超えた1960年代後半から急激に「離陸」していることがわかる。家庭での電話利用の大部分は私的利用であり、家庭への普及は私的利用の拡大につながる。したって本格的な電話のパーソナル化は家庭への家庭への普及が「離陸」した1960年代の後半から起こったと考えられる。(図3)。
ところでなぜこの時期に家庭に電話が普及したのか。その理由は、第一に1960年代には業務用電話の普及にともない電話をもたない人の間でも電話の私的利用が広まっていたことがある。戦前期には電話はもっぱら業務用だったが、昭和13年には加入者は100万を超え、一般の商店レベルへも普及し始める。戦争による停滞の後、1960年代になると業務用電話や公衆電話が急速に発展し、職場の私用電話、公衆電話、商店の電話、そしてこれらを組み合わせた「呼び出し電話」により私的利用が一般化した。例えば1972年に電電公社が松山市の主婦456人にアンケート調査したところ(富永ほか,1973)、電話をもたない主婦のコミュニケーション行動のうち公衆電話と近所の電話を利用した電話コミュニケーションが18.7%も占めていた(のこり78.0%は外出、3.3%が郵便であった)。普及原因の第二には1960年代後半の電話料金の相対的低下がある。これは高度成長で所得が急増したことと、公社債の発行により架設費用が加入者だけにかかることがなくなったこと、さらに1960年代後半に入り債権市場が好調になり、加入者引き受けの電電債を高価で売れるようになったことによる。第三に電話供給力の増大がある。日本では創業間もなくから常に需要が供給を上回り、申し込んでから電話がつくまでに何年も待たされた。1953年に国営から公社制度になったことで、電信電話債権の発行および電話料金の値上げが可能となり、建設資金が確保され電話架設能力が高まった。第四に電話を必要とする背景的な要因もある。家庭の電話の主な通話相手は親族や友人だが、1960年代から70年代にかけて社会構造が変化し、人々のテレコミュニケーション・ニーズが増大したことが考えられる。その原因は第一に、かつて家庭内で行われていた生産、教育、医療などの諸機能を家庭外の組織に依存するようなり(家族機能の縮小)8、家族外との人間関係が強化されたことがある。たとえば雇用労働者が増えることで職場と家庭の間のテレコミュニケーションが必要になるし、消費や娯楽機能が家庭の外でおこなわれるに従って友人など家庭外とのコミュニケーションがより必要になってくる。アメリカでは1920年代に起こったこうした変化は、日本では産業化の進展に伴って1960年代になって本格化する(9)。第二に、工業化の進展にともなう人口移動の激化は親族組織を地理的に分散させ、テレコミュニケーションの必要性を高めたことがある。市町村間の人口移動率の推移を見ると1960年代中ごろには毎年7-8%もの人々が移住し(10)、明治以来2度目の人口移動のピークがあったことがわかる。第三に、都市化の進展と都市の拡大は家庭の外に存在する人間関係を遠距離化することによってテレコミユニケーションの必要性が増大した。都市に住む人口が急増して全人口の半分を超えるのは1960年代である(11)が、それにともない都市の規模が拡大した。例えば東京の場合、1960年代には都市圏は多摩地区及び隣接県まで拡大している。1960年代から1970年代のこうした状況も電話の家庭への普及にはプラスに働いたと考えられる。
(2)家庭普及に伴う利用変化
では、電話の家庭への普及によってどのような「利用」のしかたが開発され、メディアとして「再生成」されてきたのだろうか。1960年代以前の業務シーンで電話がどのように使われていたかのデータは乏しいが、受発注や業務上の指示、依頼、問い合わせやスケジュール調整といった業務に必要な用件を伝達する「用件電話」が中心だったと考えられる。そこでは電話による業務の効率化や商圏の拡大などがはかられる。必要な用件を正確に手短に伝達することが要請され、通話時間も短くなる。最近のデータだが、NTTが1年間のあらゆる通話の通話時間等をモニターした「トラヒック調査」(1992年度)によれば、会社や商店などに設置された「事務用」電話の平均通話時間は110秒で、「住宅用」電話の267秒の半分以下となっている(12)。一方、家庭の電話の使われ方だが、われわれが1991年に東京都民を664人を対象におこなった調査(13)でいちばん最近した通話について尋ねたところ、通話相手は友人・知人(41.6%)親族(31.1%)仕事関係(21.5%)企業・団体(2.4%)で、その中心は友人・知人と親族であった。そして主な通話内容では「近況報告」(26.1%)「雑談・暇つぶし」(5.9%)「相談」(4.2%)といった「おしゃべり電話」が全体の約3割強(36.2%)を占めていた。ここから、電話が家庭という私的空間に普及したことで、「おしゃべり電話」という利用法がより広く行われるようになったと考えられる。しかしその一方で、「一般的な連絡・通知」(32.2%)「約束」(10.1%)」「指示・依頼」(5.6%)「問い合わせ」(4.8%)「相談」「緊急の連絡・通報」(3.9%)「予約・注文」(2.0)「勧誘」(0.6%)といった要件連絡が目的の電話が、おしゃべり目的の電話より多くなっている点も重要だ。パーソナル化によっておしゃべり電話の利用法が広まっていったが、現在でも利用の中心には私的な要件伝達がしっかりと根を下ろしている。
用件電話では、居ながらにして用件が片づき電話は便利だ、というのが満足であろう。実際「都民調査」では、もっとも最近した電話で「日常のちょっとした問題が片づいた」と回答した人が66.4%に及んでいる。一方おしゃべり電話からは情緒的満足が得られる。「都民調査」でも、もっとも最近した電話で「楽しい気分になった」とする人は69.0%にも及んでいる。パーソナル化によるおしゃべり電話の普及で電話から得られる満足も変化した。
ところで、電話が家庭に普及してまもなくの1971年に、電電公社は家庭の電話の利用調査を行っている(14)。その結果、最も多い通話内容は仕事(25%)であった。それでも雑談(10.5%)近況報告(9.5%)とおしゃべり電話が約2割を占めていた。また、電電公社の1973年の調査では、最近1週間の発信中最も多かった通話内容を調べたが、それによると市内通話では15%、同一県内向けでは27%、県外向けでは38%の世帯が近況報告が最も多いと答えた(15)。こうしたことから家庭普及直後からおしゃべり電話がかなり行われているたことがわかる。もともと家庭の電話にはおしゃべりはつきもので、おしゃべり電話が広まったのは電話が家庭に普及したからだと考えられる。
パーソナル化進展の現れとして次のようなことが1960年代の後半に起こっている。第一に電話が家庭風景にとけ込むように設置の仕方が変化した。すでに1970年代から、多くの家庭では電話は現在と同様に居間という家庭の中心的場所におかれていたが(16)、業務シーンに合うように作られた黒くて無骨なデザインは家庭のくつろぎの場では異質な雰囲気をもっていた。そこで人々は電話にカバーをかけたり、電話台を作ってそこに置くようになった。新聞の家庭欄に電話カバーや電話台の作り方が登場するのが1960年代後半のことであった(17)。第二に夜間電話の急増がある。業務用の電話は昼間の業務時間に使われるので、ほとんどの電話が業務用に使われる場合、通話のピークは昼間になる。実際1960年代の中ごろまでは通話の最大のピークは始業時刻の午前9時から10時の間にあった。ところが電話の私的利用が増えてきた1965年頃になると夜間の通話が急増し、1967年4月以降、市外通話(特に百番台)で最大のピークが夜の時間帯に移行した(18)。通信量の面からも、家庭への普及によって、電話が私的通信のためのメディアとしての性格を強めたことがわかる。
一方、家庭への普及は電話イメージの変化につながった。第一に、戦前期、電話加入には多大な費用がかかったし、また加入権を担保に金を借りることもできた。だから家庭の電話は長い間、贅沢品であり、また財産でもあった。ところが電話が家庭に普及するにつれて必需品のイメージが固まってくる。とかく社会の動きを後追いしがちな役所だが、1960年代後半になると電話を生活必需品として認めるようになる。生活保護世帯で電話の所有が認められたのもその現れだ。1968年版までの『生活保護手帳』には厚生省社会局保護課長の通知という形で「電話、カラーテレビ及び自動車については、保有を認めないものとして取り扱うこと」(p92)という記述があった。しかし1969年版になるとこの記述は削除され、電話も「一般世帯との均衡を失することにならないとみとめられるものは、保有を認めること。」という一般原則に従うようになった。ここから1960年代の後半には公的にも電話から贅沢品のイメージが無くなったといえる。第二に、おしゃべり電話の普及も電話のイメージをかえた。例えば、電電公社は1972年に松山市の主婦を対象に、電話という言葉で何をイメージするかを自由連想法で調べた。便利(43%)はやい(23%)といった用件伝達メディアとしてのイメージを連想する人が多いなかで、友達(17%)楽しい(8%)明るい(7%)長電話(7%)親しみ(3%)などの楽しみの電話をイメージする人も少なくなかった(富永他,1974,p.41)。
このように1960年代後半から電話が家庭に普及しパーソナル化が進むと、おしゃべり電話という利用法が行われるようになり、その一方で人々の電話のイメージも贅沢品から必需品へ、さらに楽しみのメディアへと変化していった。電話のパーソナル化が業務利用とは異なる利用法を広めることで利用法の変化をもたらし、メディアの社会的あり方を変化させたのである。
2.4.ポケットベルのパーソナル化
(1)若者への普及過程
「ポケットベル」はもともとはNTT製品の愛称名で、アメリカでは"pager"、日本では正式には「無線呼び出し」という(森島,1990)。電話機からベル番号を入力すると無線によってベルを鳴らし相手を呼び出すというサービスで、1958年にアメリカで最初に始まり、日本では1968年からサービスが始まった。ポケットベルは長い間おもに外回りの営業マンや報道関係者によって専ら業務用のメディアとして使われてきたが、最近は若い世代が私的目的で使うようになってきた。たとえば1991年の『朝日新聞』(10月17日奈良版)では「ポケベル新事情 修学旅行やデート、防犯にとヤングに大もて」と言う見出しでポケットベルが若者の間で私的に利用され始めたことを紹介している。あるいは『読売新聞』(1993年4月3日夕刊)によると、92年から93年にかけて中学生や高校生の間でポケットベルが急激に広まり、名刺・口紅と並んでポケットベルは今や女子高生の「三種の神器」の1つだという。
ポケットベル加入者数の推移を見ると1980年代末頃から急激に増加し、1995年には加入者は1000万を越えているが(図4参照)、急増する加入者の中には若者が相当数含まれている。例えば首都圏でポケットベルサービスを行っている東京テレメッセージによれば、
図4 ポケットベル加入者数の推移 (NTT及び郵政省資料より)
1993年の同社の個人の新規申込者のうち約8割が10代・20代の若者であったという。
では実際にはどの程度普及しているのか。まず全体の普及率からみると、1993年に20才以上の東京都民を対象に行ったわれわれの調査(19)では11.7%の世帯にポケットベルがあった。しかしポケットベルは自ら所有していなくても電話から呼び出すことで利用する。だから所有率と同時に利用率も重要である。1991年に郵政省が行った「通信利用動向調査」(郵政省,1992)によるとポケットベルを利用する者は20才以上の回答者全体の9.6%であった。
一方、われわれは1993年12月に高校大学生を対象にポケットベルやファクスの利用や満足の状況を知るためにアンケート調査を行った(以下「93年学生調査」と略す)。調査対象は都内の高校生と大学生あわせて539人。(共学大2・女子大1・男子高1・女子高1、及び都内学習塾に通う高校生及・アルバイト学生)方法は教室での自記式である。それによると、ポケットベル所有経験者は4.7%で、ポケットベルで呼び出された経験のある人が6.8%であった(20)。この数字から、実際は若者のポケットベル所有者はマスコミで取りざたされているほど多くはないといえる。その一方ポケットベルで呼びだしたことのある人は30.0%にも達している。自らポケットベルを持ち歩いている若者は多くはないが、呼び出すことでポケットベルを利用したことのある若者はかなりいる。
表7 ポケットベル利用の広がり N=528 93年学生調査
呼び出され経験あり 呼びだし経験あり 加入経験あり
大学生 4.9 31.6 3.0
高校生 8.7 29.2 6.0
男 5.0 22.9 2.2
女 9.1 37.6 ** 7.1 **
全体 6.8 30.0 4.7 (**:P<0.01)
次に若者がポケットベルを私的利用するようになった過程を、新聞・雑誌記事の検索および利用者へのインタビュー(17)を手がかりに検討する。第一に、暴力団の世界ではポケットベル利用はすでに1980年代には一般化していた。たとえば『朝日新聞』(1989年8月25日)では神奈川県の場合、暴力団がポケットベルを利用し始めたのはサービス開始当初の1970年頃からであったと言う。街を徘徊している組員に連絡をつけるにはポケットベルが便利だったのである。これはちょうど営業中のセールスマンにポケベルを持たせるのと同じことで、いわば「業務用」として暴力団に普及していったのである。暴力団の「業務」の中には覚醒剤やシンナーの密売、売春あっせんなどがあるが、こうした場合にもポケットベルが利用されていた(『朝日新聞』1988年5月30日夕刊)。
第二に、1990年に入るとポケットベルは暴力団から「チーマー」とよばれる不良少年たち間に広がっていった。例えば『朝日新聞』(1990年7月7日名古屋版)ではシンナー売人の持っていたポケベルが買い手の少年たちの間で広まっていることを報じ、雑誌『宝島』90年5月9日号でもチーマーや暴走族が暴力団が持っているのをステイタス的にまねてポケットベルを使っていることを報じている。暴走族やチーマーはシンナーの売買や活動の中心が夜の繁華街であることなどで暴力団と接点を持っているが、アウトローの世界では暴力団は彼らより「エリート」といえる。つまり上層から下層への模倣のなかでポケットベルが彼らに普及した解釈できる。これは普及学でいう「トリクル・ダウン・モデル」(22)にあてはまる。暴走族は数字を使った暗号で警察の取締状況を伝えたり、走りながら集合場所を伝え合うために利用し、チーマーは集合したり、数字による暗号を発達させ遊び感覚で利用したようだ。もともと彼らは移動しながら群れるという行動形態をとっており、ポケットベルの必要性も高かったと考えられる。
第三に、ポケットベルは1992年ころからチーマーから女子高校生や大学生の間に広まった。その理由として第一に92年からマスコミが突如彼らの利用を取り上げだしたことがある。例えば『チェックメイト』92年6月号、や『DIME』1992年12月3日号などでは語呂合わせメッセージを含めた様々な利用例が紹介されている。第二に私が1993年12月にインタビューしたポケットベルを持っている女子高校生もポケベルがはやりだしたのは1992年の春頃からで、そのころ学校で禁止になったと述べている。学校での禁止は生徒の利用の裏返しと考えられる。また彼女は女子高にポケットベルが伝わったのは、広告やドラマといったマスコミからではなくチームから人づてでやって来たと発言していた。またインタビューした別の女子大学生も同様の発言をしている。第三にポケットベル利用全体でも91年から92年の間に大きな構造変化が起こっている。東京テレメッセージによると、1990年まではビジネスアワーと同じで朝10時と午後2−3時がピークの時間帯だったが、1993年には午後10時ごろに最大の利用のピークが来るようになったという。夜間利用が多くなったこの時期に私的利用が急増したと言える。これは若者への普及時期と一致している。
このように1990年代初頭に若者に普及した背景として次のようなことが考えられる。第一にポケットベルの新機種の導入がある。かつては単にベルが鳴るだけであったが1987年から数字も送れるポケットベルが登場し、語呂合わせを使ったメッセージ伝達が可能になった。第二に1987年の新電信電話会社の参入以降の料金値下げがある。利用料金(数字表示タイプ月額)は1987年に3200円から2900円に、さらに1990年には2600円に値下げされた。ただ、もともとポケットベルの使用料はそれほど高くないので値下げ率はそれほど劇的ではない。第三にポケットベル会社の販売戦略の変化がある。1989年頃から新規事業者の参入によるシェア獲得競争の中でOLや女子大生を中心としたパーソナル・ユーザーを新たに販売のターゲットにし始めたことがある。89年にはOLや女子大生のモニター調査や女性誌への広告掲載が行われた。しかし営業ターゲットは実際に普及したチーマーや女子高生とはずれているためこの影響は大きくないだろう。第四に修学旅行が若者の利用を促進したと言う人もいる。近年の修学旅行ではグループによる自主見学が盛んで、5,6人のグループに1台ポケットベルをもたせて生徒を管理するようになってきた。日本修学旅行協会の調査(23)では1988年の中学校の修学旅行のうち48.2%が自主見学を行い、その内7.0%の学校で班の代表生徒にポケットベルをもたせていた。だだこの数字を見る限り修学旅行でポケットベルを体験した生徒はそれほど多くないように思えるし、93年学生調査でも修学旅行の時に使ったのをきっかけにポケットベルのことを知った者は2.6%しか居なかった。従って修学旅行の影響は少ないといえる。最後に、これは非常に背景的な要因だが、高校生・大学生が夜、家に居ないことが普通になってきたということがある。近年、深夜営業のコンビニエンスストア、ファミリーレストラン、カラオケボックスなどが増加し、客やアルバイトとして高校生や大学生が集まるようになった。夜、家に居ない若者が増加すれば若者のポケットベルのニーズも増えると考えられる。
(2)若者による利用変化
長い間ポケットベルは業務用に利用されてきたが、その利用方法とは、用件のある場合に、事務所などからポケットベルを持っている営業マンや作業員や医者など外にいる人を呼びだし、事務所に折り返し電話させるというものだった。では若者が私的領域でポケットベルを使う場合、どのように使い方が変化するのだろうか。
第一に挙げられるのは、若者は数字による語呂合わせやコード表などによりメッセージ伝達を行うという利用形式面の変化だ。93年学生調査によると語呂合わせによるメッセージ伝達を「一つもやりとりしたことがない」と答えたのはわずか35.1%にすぎず、語呂合わせによるメッセージ伝達はかなり一般的に行われていた。メッセージは大きく4つに分られる。最も頻繁に使われるのは51「来い」(31.0%)、49「至急」(31.0)、0906「遅れる」(13.8%)など「待ち合わせ」のためのメッセージだ。2番目に多いのは0840「おはよう」(21.6%)、0833731「おやすみなさい」(18.1%)、8686「ハローハロー」(11.2%)といった「挨拶」である。これらは単独で使われることも多く、その場合コンサマトリーな利用法となる。三番目は39「サンキュー」(15.5%)、33414「さみしいよ」(11.2%)、14106「愛してる」(8.6%)など「感情伝達」のためのメッセージ群だ。第四が428「渋谷」(18.1%)、85「ハチ公」(14.0%)など地名を表すメッセージだ。これは待ち合わせに付随するカテゴリーだ。ここから待ち合わせに関する語呂合わせが良く使われていること。そしてその一方で道具的利用とは異なる「挨拶」や「感情伝達」もかなり行われていることがわかる。語呂合わせは従来の業務用の利用には無く、ポケットベ
表8 ポケットベルコード表(一部)
メッセージコード(3ケタ) メッセージコード(3ケタ) メッセージコード(3ケタ)
001 ポケベル鳴らす 036 何時に行く? 071 見て!
002 ポケベル鳴らして 037 何時に来れる? 072 見に行こう!
ルが私的領域で利用されるようになって新たに開発されたものだ。若者の一部にはこうした語呂合わせを使ったメッセージ伝達をさらに高度化させた使い方をするものもいる。私がインタビューしたある大学生は数字3桁による500以上のメッセージコードを記した表をもち、それにもとづいてメッセージのやりとりをしていた。彼女によればこの方法でほとんど電話と同じように「話せる」という。
第二に利用目的の変化がある。93年学生調査によると、最も多かったのは「折り返し電話をしてもらうため」(63.0%)であった。しかしここには2つの利用法が入り交じっている。ひとつは外出中のポケットベル所持者を呼び出す場合で、もう一つは在宅中のポケットベル所持者を呼び出す場合である。深夜など同居の家族に電話をとられると気まずいので直接本人を呼び出し折り返し電話をしてもらうという利用法だ。業務上では行われなかったであろうこうした使い方は『読売新聞』(1993年4月3日)でも紹介されていたが、インタビューした先の女子学生も、在宅中に家族の迷惑にならないようにするためにポケベルを使うことがほとんどだ、と話していた。ついで「自宅外で連絡をとるため」(58.6%)が多い。業務用では事務所という固定した場所から移動中の人を呼び出すのが一般的だが、利用者の話では若者の場合、語呂合わせを使ったり喫茶店などの番号を入れることで移動する者同士が集まるために利用することが多いようだ。こうした利用は「待ち合わせの時間や場所を連絡すること」(44.0%)につながっている。さらに業務的利用とかけ離れている「ちょっとした気持ちを伝える」(13.8%)とか「単なるひまつぶし」(12.1%)というコンサマトリーな利用目的も確認された。語呂合わせの内容と以上のアンケート結果を総合すると、利用目的には、@外出者に連絡を取るためA在宅者が電話を使うための補助B会うための道具C挨拶D感情伝達などがあるといえる。そこにはACDといった業務利用にはないものがあり、ここに利用目的の変化が見られる。
第三に利用ニーズの特徴がある。93年調査で加入の動機で最も多かったのは「なかなか連絡がつかず困ったことがあって」(66.7%)であった。若者が連絡がつかない状況とは何か。インタビューによるとポケットベル所有者には、第一に遊びやアルバイトなどで夜間家にいない、第二に仲間が昼間も日常的に対面接触をする固定的な場を持っていという特徴があるようだった。彼らの置かれたこうした状況が対面および電話という従来のコミュニケーション手段による連絡を困難にし、そのためにポケットベルが必要とされるのだと考えられる。若者は若者なりの必要性に従ってポケットベルを利用しているようだ。
第四にポケットベルに対する態度面の特徴がある。業務上の利用ではポケットベルは便利だがとかく煙たがれる存在でもあった。93年学生調査でポケットベルを利用することでどんなことを感じるかを尋ねたところ、「行動が自由になった」(27.6%)や「いつでも誰かとつながっているという安心感がある」(19.8%)といった肯定的な感想を持つ人が多かった。若者の利用は相手が友達や恋人で、目的も遊びに関するものだ。こうした利用状況が肯定的態度につながっているのだろう。ポケットベルはパーソナル化することによって束縛のメディアから連帯のメディアへとその社会的意味を変えつつある。その一方で「誘いを断るときとか言いにくいことを言うときなど、電話だと直接しゃべらなくてはいけないが、ポケットベルだと一方通行なので気楽だ」(8.6%)という意見もある。またインタビューによると、気の進まないときには呼びだしを無視することもよくあるという。若者のポケットベルによるつながりは業務用とは異なり非強制的かつゆるやかで独白的ですらある。
おそらく数字表示式のポケットベルの開発者もポケットベル会社もこうした使い方がなされるとは考えもしなかったに違いない。ここにパーソナル化によって利用法が変化する例を見ることができる。
2.5.ワープロのパーソナル化
(1)パーソナル化の過程
電子的装置を使った文書の作成にはパソコンのワープロソフトを使うものと、ワープロ専用機によるものがある。ここではワープロ専用機を扱い、これを単にワープロとよぶ。ワープロ・メーカーの業界団体である日本事務機械工業会ではワープロを「文章の入力、記憶、編集及び印刷の基本的機能を有し、文書作成の効率化を主目的とする装置(ただし汎用電子計算機と接続して使用するものを除く)」と定義している。日本ではいまだにワープロが文書作成機として主要な位置を占めているが、外国ではパソコンが主流である。その意味でワープロは極めて日本的な情報機器だといえる。
図5 ワープロ・パソコンの世帯普及率
(経済企画庁,1995)
経済企画庁の調査(24)では、95年3月のワープロの世帯普及率は全国で39.4%に達しているが、パソコンは15.6%、ファクシミリは10.0%にとどまった。このように家庭の情報化の中ではワープロは主要な地位を占めているといえる。ところでワープロの前身とも言えるタイプライタは電話が発明されたのと同じ1976年にレミントン社から発売された。その後電動式ができるなどタイプライタの改良は進んだが、直に紙に打ち込むタイプライタは訂正や編集ができず利用にはかなりのストレスがつきまとった。これを改善するために1969年頃にアメリカではじめてワープロが作られた。日本では、日本語処理の難しさから1978年になってようやく初の日本語ワープロが発売されるが、「ワードプロセッサ」はそのときの商品名である。当時の発売価格は690万円で、あくまで業務用の事務機械であった。この頃はまだ「日本語電子タイプライタ」という言い方もなされていたが、1982年に放送された力士がワープロを片手に乗せて踊るというあるメーカーのCM以降「ワープロ」という語が一般化したと言われている(阿辻,1991)。
ワープロの歴史の中で最大の転機は1985年に訪れる。この年に初めて10万円を切る低価格ワープロが登場し、パーソナル化が始まった。同年夏には5万円を切る機種も登場しこの1年で価格は1/3から1/4に下がっている。この値下がりは技術の進歩ばかりでなく、利益を度外視しても大衆市場を確保したいというメーカー間の過当競争によるところが大きかったが、いずれにしても低価格ワープロの登場で急速に普及していった。出荷台数を見ると1985年には前年比5倍以上の伸びを示し年産100万台を突破し、翌86年には年産200万台を越え、それ以降、年産200万代の水準を維持している(25)。生産台数の増加にともなって家庭での普及率も高まる。家庭では90年に20%、92年に30%を越え急速に普及してきた。
一方、職場でのワープロ利用が家庭普及を促進し、それがパーソナル化につながったたという面も大きい。日本事務機械工業会が1992年に行った調査(26)によると、パーソナルワープロの購入目的で最も多かったのは「仕事関係の文書作成」(49.7%)だった。しかも実際に自宅で仕事のためにワープロを利用する人も半数以上いた。ここから、ワープロのパーソナル化はまず職場でワープロを利用していて仕事を家庭で行うために個人でワープロを購入するというパターンで進んだものと考えられる。
(2)パーソナル化にともなう利用変化
家庭にワープロが普及した原因の一つには家庭での仕事があるが、しかし家庭に入ったワープロは単に仕事だけに利用されているわけではなく次第に私的な目的に利用されるようになる。業務では主にビジネス文書の作成に利用されていたワープロは家庭では仕事以外にどのように利用されるようになったのか。
1994年の正月に一家4人のわが家に届いた年賀状は257通だったが、試みにそれを調べてみるとワープロを利用して書かれた賀状が全体の28.0%、ワープロで宛名書きされたもものが全体の12.1%だった。もちろんこれは単なる一つの事例に過ぎないが、家庭のワープロと年賀状は深い関係がありそうだ。ワープロの広告を見ても「年末、わが家の主役は”ペン集長”です」とか「買ったその日にハガキができる。かんたんプロフェッショナル」など年賀状作成を最大のアピールポイントとしている。先の日本事務機械工業会の購入目的調査でも仕事に続いて「年賀状や暑中見舞等のハガキの文面」が33.5%、「年賀状や暑中見舞のハガキの宛名」が32.3%と主要な購入目的となっている。こうしたことからワープロのパーソナル利用の中で年賀状の作成は最も代表的なものといえるだろう。
ワープロの年賀状作成への利用には5つほどの特徴がある。第一に、送られた年賀状を見るとコピーやプリントゴッコなどの簡易印刷機との併用が一般化していることが分かる。ワープロを版下制作機として利用しているのである。ここではワープロを一対多のコミュニケーションに使っている。第二に年賀状では郵便という通信手段と合わせて利用されることによって、ワープロがテレコミュニケーション過程の一部に組み入れられている。第三にワープロによる年賀状作成は従来の日本人の慣習の変化に沿ったものである。年賀状の習慣は飛脚の時代から行われていたが一般に広がるのは明治32年に年賀郵便の制度ができてからだ。昭和24年にはお年玉付き年賀ハガキもできてさらに盛んになるが、ハガキの文面も手書きや版画からしだいに印刷が利用されるようになっていった(高橋善七,1986)。最近では簡易印刷機が人気だが、ワープロはこうした「手書き」→「印刷」→「簡易印刷機」という年賀状制作の変化の過程に取り込まれていったのである。欧米では年賀状に似たものにクリスマスカードがあるが、クリスマスカードは二つ折だし形状も官製ハガキのように揃ってはいないので、仮にワープロが普及したとしてもクリスマスカード作成に応用されるかどうかは分からない。第四に、文面作成に比べてワープロによる宛名書きはより革新的な要素がある。今まで年賀状の宛名には印刷の習慣がなかったので文面への応用より心理的抵抗が大きいと考えられるからだ。また宛名機能を利用するためには住所録の機能も使いこなす必要がある。第五に利用法と並行してワープロのハード面も年賀状作成に特化してきている。これは他の通信メディアやコンピュータと違って一般利用者のニーズをすばやく吸い上げ製品化していくという家電的な作り方をワープロが取っていることが影響している。ハガキ用の書式設定や連続給紙機、干支などのイラストやレディーメイドのサンプルはもちろん、スキャナー読みとり装置やペン入力装置までが次々に開発された。あるいはワープロで作成した原稿を直接プリントゴッコの版下にするための鏡像印刷機能を備えたものもある。宛名書きの機能も標準でついていることが多く、毛筆書体もさまざまな字体が用意されている。
年賀状ほど頻繁ではないが同様の利用法として転居など各種案内状やお知らせの作成があり、ワープロには各種文面のサンプルが用意されている。かつては印刷によっていたこれらの作業がワープロと複写機の組み合わせで手軽にできるようになった。
住所録の作成もパーソナル利用の特徴である。今ではほとんどのパーソナル・ワープロにこの機能が装備されており、一覧表の印刷やシステム手帳への印字、ハガキの宛名書きなどに利用できる。あるいはビデオテープやオーディオテープのラベル作りもパーソナル利用に特徴的なものである。小学校の子供の持ち物に名前を書く作業にもこの機能が利用できる。ラベル作りに便利なソフトが装備されているのはもちろん、印刷シールやラベルテープをインクテープのかわりに装着して使用するラベルカートリッジなども開発され印刷面も進化してきた。ラベル作りの需要は高いらしくラベル作り専用のワープロも発売され、売上が100万台以上のヒット商品まで現れている。
こうした日常生活の効率化とは別にワープロには楽しみの要素もある。年賀状やお知らせの作成にも楽しみの要素が入っている。イメージスキャナーやペン入力などの機能が次々に出てくるのは、メーカーが人々のワープロに対する楽しみの欲求に答えているためでもある。楽しみのためのワープロ利用が最も極端な形で現れているのが子供の玩具としてのワープロである。現在数機種の子供用のワープロが玩具店で売られている。ゲーム機メーカーや玩具メーカーがワープロメーカーと共同開発した製品で、1992年の夏に一斉に発売された。幼稚園児から小学校高学年向きの商品で、パステルカラーのカラフルなデザインで、人気マンガのキャラクターやさまざまな絵記号が組み込まれている。ラベルやハガキを作ることがセールス・ポイントだが、一般のワープロを改造したものなので文章も作成できる。あるメーカーに尋ねたところ1993年末の推定では子供用ワープロは年間2ー3万台の市場規模であるという。子供用といってもワープロは高価で4ー5万円はする。にもかかわらずこれだけ売れているというのはワープロを欲しがる子供達が相当いることを示している。子供用のワープロで注目すべきは点もうひとつある。それは子供用のワープロがすべて女の子向きのものであるという点だ。それはデザインや組み込まれているキャラクターにあらわれている。メーカーによると女の子はデザイン重視でキャラクターや絵記号やカラフル印刷を好み、おもちゃ感覚でワープロに接しており、実際にこまめにハガキやカードを作るという。それに対して男の子はメカ重視で、さまざまな機能を使ってみることに関心があり、したがって大人用の本格的ワープロのほうが好みであるという。
楽しみのための利用と関連してワープロにはもう一つの側面がある。それは稽古ごととしてのワープロ修得だ。ワープロを専門に教えるワープロ・スクールや、カルチャー・センターにもワープロ教室があり主婦、OL、学生を中心に基礎から覚えようという人たちが通っている。コンピュータ教室は男女同数なのに対してあるワープロ教室では受講生の約9割が女性あるという(実業之日本社,1993:116)。ワープロを覚えれば就職に有利であるという目的が基本にはあるとしても、その一方で英会話のように練習によって今までできなかったことができるようになるという自己実現の手段の一面もあるようだ。現在ワープロには日本商工会議所ワープロ検定、労働省検定、JBS検定の3つの資格がありその修得が励みにもなる。一回1時間半から2時間の講習を週2−3回行うと初心者でも数カ月で日商3級に合格できるという。ワープロ修得には就職に有利という実利や自己実現の充足とともにワープロ特有の楽しみもある。実際あるスクールでは「ワープロは一度覚えてしまえばおもしろくなってくるので、英会話などに比べると挫折する人は少ない」(27)といい、稽古ごととして優れた要件を備えている。
ワープロはパーソナル化によって一方では年賀状作りやラベル作りといった生活状況に適合した道具的利用法が定着し、その一方で楽しみやお稽古ごとの対象としても利用されるようになってきている。
2.6.ファクシミリのパーソナル化
(1)パーソナル化の過程
ファクシミリは電話の発明に先立つ30年余り前の1843年にスコットランド人アレクサンダー・ベイによってその原理が発明された。1862年にフランス人カセリが実用になるものを開発したが、完全な実用化を果たすのは1925年に真空管が発明されてからになる。翌1926年にはアメリカ大陸横断の有線写真電信業務が始まるが、日本におけるファクシミリの実用化は1928年の天皇即位の大典においてである。1930年には逓信省が東京−大阪間の公衆写真電報業務を開始したが、1972年に電話回線が解放されるまではその利用は新聞社、警察、気象庁や一部の企業に限られていた。それまでファクシミリは専ら専用線でのみ行われており、特定の相手と常時接続されているホットライン的性格と、高額な定額料金制がユーザーを限定していた。ファクシミリに一般電話回線が解放されてから従量制料金による不特定多数との通信が可能になり、一般企業にもファクシミリが普及するようになった。
日本におけるファクシミリの生産台数は回線解放後の73年には年産1万台、80年には10万台を越え(28)、生産台数をもとに算出した国内稼働台数(29)は88年に220万台93年には530万台に達した。普及率も5人以上の事業所では、83年に13.2%、87年に49.4%、92年には77.6%と大半の事業所にはファクシミリがあるという状態にまでなった(30)。
しかし普及が進んでいるのは業務分野だけで家庭への普及は遅れている。中央調査社の調査(31)では家庭用ファクシミリの利用率は86年で1%、90年でも3.3%にすぎなかった。86年に15万円を切る家庭向けファクスの先駆け的な機種が発売され、90年には8万円を切る本格的な家庭向けファクシミリが発売され業界ではパーソナル市場への期待が高まった。その流れの中でファクシミリを使った情報提供サービスやファクシミリで添削指導を行うファクス学習塾などファクシミリを使った個人向けのサービスも次々と開始された。しかし業界の期待とうらはらに家庭普及率(経済企画庁,1995)は92年5.5%、93年6.7%と伸び悩み、利用の低さからサービスを停止する業者も出た(例えば90年12月に始まったヤマト運輸の伝言ファクスは93年2月にサービス停止)。その後は94年に7.6%、95年に10.0%と徐々にだが普及率は伸びつつある。
ワープロの場合は価格が10万円を切った頃から順調に家庭に普及していったのに対してファクスの場合は10万円を切っても停滞した。その原因は第一に楽しみにせよ要件にせよ日常生活に適合した利用法が利用者によってまだ十分見いだされていないことが考えられる。第二に、ワープロとの違いで考えると、ファクシミリは通信メディアであり通信相手にファクスが無くては意味がないと言うことで、臨界量(critical mass)の問題が考えられる。双方向メディアであるファクシミリの場合より厳しくその臨界量が作用しているのでははないだろうか。
(2)パーソナル利用の実態
今の所一般家庭への普及が遅れ、パーソナル化も遅れているファクシミリではあるが、聴覚障害者といった強力なニーズの存在するところでは早くからパーソナル化が進んでいた。情報化が進み一般にテレコミュニケーションの必要が高まるなかで、電話という音声メディアを利用しにくい聴覚障害者にとってファクシミリは重要なメディアである。星名ら(1991)は三重県と長野県で聴覚障害者の電話とファクシミリ利用を調査しているが、それによると、第一に聴覚障害者も3割程度の人が電話を利用していた。その利用法とは一方的に要件をしゃべるだけのもので相手はごく親しい人に限られている。公衆電話ではカードの残り度数を見て話し始めるタイミングをとる。一方すでに1988年の段階で5-7割の聴覚障害者の家庭にファクシミリが導入されていた。聴覚障害者のファクシミリ購入には早くから各自治体の補助金が整備され現在ではほとんどの聴覚障害者の家庭にファクシミリがあると考えられる。そういえば私が1993年の釧路沖地震の際の通信利用を調査した時にも、揺れでファクシミリが故障し大変困ったと言う聴覚障害者のケースに出あったことがあった。人によってはファクシミリが唯一の外部との接触手段である場合もあり、聴覚障害者の生活の中ではファクシミリは必需品となっている。
一方、93年学生調査では家にファクシミリがある若者は全体の25.1%に達したものの、週1回以上利用するものが21.5%で残りの約8割は月に数回以下と利用頻度は低かった。導入の主なきっかけは「家で商売をしているから」「家で商売はしていないが仕事の関係で」
表9 ファクシミリ導入のきっかけ (SA) 93年学生調査
家が商売をしているから 31.7
家で商売はしていないが仕事の関係で 38.5
電話を買うときファクスもついていた方が便利かと思って 4.8
なんとなく家にあると便利だということで 4.8
友人とテスト情報などをやりとりしようとして 2.9
友人や親戚が持っていて勧められて 1.9
銀行のホームバンキングをしようとして 1.9
手紙のかわりになると考えて 1.9
通信販売を利用しようとして 0
テレビ番組などへリクエスト・意見などを送ろうとして 0
その他 11.5
など仕事をきっかけとした導入が多かった。この点はワープロの導入と似ている。
高校生・大学生のファクシミリ利用目的でもっも多いのは「テストなど学校に関する情報のやりとり」(56.1%)だった。現代のテスト勉強には友人との情報の交換が重要になっており、しかも緊急を要する場合も多い。ファクシミリはこうしたすでにあるコミュニケーションニーズに適合する形で若者の生活に取り入れられつつある。ついで「コピーとしてファクシミリ機を使う」(31.7%)や「手紙を送るかわりとして」(25.9%)も使われていた。
まだ始まったばかりのファクシミリのパーソナル化だが、電話になぞらえるとファクシミリのパーソナル化が進めば次のようなことが起きると予想される。第一に電話では友人や親戚などとの通信に利用されたがファクシミリも日常的な人間関係の中で利用されるはずだ。第二に電話利用の基本には要件伝達という道具としての必要性があるが、ファクシミリも日常生活上のニーズに基づいた利用が見つけられるはずだ。第三にしかしそればかりではなく電話ではおしゃべり電話という楽しみの利用がなされるようになった。ファクスの場合もパーソナル化が進展すれば楽しみのための利用もなされるだろう。
2.7.まとめ
今まで様々な電子メディアのパーソナル化の過程とそれにともなう利用の変化の様態を見てきた。それらを通じてパーソナル化の特質がある程度明らかになったと思われるが最後にその性質をまとめることで結論としたい。
まずパーソナル化の過程をながめると、いずれのケースでも先行する業務普及がパーソナル化を促進する作用を持っていることが明らかになった。その様態はメディアによって様々であるが促進のメカニズムをまとめると次の5つがあるようだ。第一に私用電話のように業務用のメディアを職場でパーソナルに利用し始め、その便利さを体験した人が個人購入するケース。電話やファクスなどでこのメカニズムがみられた。第二に家庭に仕事を持ち込むために職場と同様のメディアが家庭に必要になり購入する。そしていったん家庭に入ったメディアが次第にパーソナル目的に利用されるパターン。これはワープロやファクシミリで見られた。第三にメディアの業務利用を周りの人が模倣し私的目的に応用するパターン。これはポケットベルのケースでみられた。第四に業務用のメディアを客や近所の人が借用して私的に利用するパターン。呼びだし電話・借り電話がその例である。そして第五に業務メディアが大量に普及することで導入コストが低下し個人購入がしやすくなるメカニズム。どのメディアのパーソナル化においてもこれら5つのメカニズムのそれぞれが多かれ少なかれ作用していると考えられる。
第二にパーソナル化のきっかけとしては確かに価格の低下が重要な意味を持っていた。電話は所得の上昇による相対価格の低下が家庭普及を促進したし、ワープロも10万円を切った時点で急速に普及した。しかしポケットベルは若者の間でパーソナル化した時期にはそれほど劇的に安くなっていないし、ファクシミリは価格が10万円をきっても普及は伸び悩んだ。従ってパーソナル化にとって価格低下は必要だがそれだけでは十分条件ではないと言えるだろう。
第三に普及研究では普及者数の伸びは正規分布に従うというが、電話やワープロなど普及率が高くなっているメディアについてはこれが当てはまっているようだ。そして普及率が10-25%程度の間に臨界点がありそれを過ぎると急速に普及していくという指摘も当てはまるようだ。電話ではそれが1960年代後半にありワープロでは1980年代中ごろにあった。またファクシミリなどは通信相手も同様のメディアを必要とするためにロジャースの言うように臨界点を越えるまでは特に普及が制限されるようだ。
第四に一般的な普及の臨界点とは異なるがパーソナル化においては興味深い現象がある。偶然の一致かもしれないが、電話もポケットベルも普及台数が500万を越えた頃からパーソナル化が始まっているのである。電話の家庭への普及が始まるのが1965年頃からで、電話加入者数が500万を越えるのが1963年である。一方ポケットベルが一般の若者に普及し始めるのが1992年頃からで、加入者が500万を越えるのが1990年である。それぞれパーソナル化がはじまる数年前に500万を越えているのである。これだけの数が普及するということは大組織のオフィスばかりでなく町の小規模事業体にまで普及していることになり、こうしたことが一般人がそのメディアに触れる機会を提供するのかもしれない。電話の場合には借り電話という習慣になって表れ、ポケットベルの場合は暴力団から若者へという流れに現れている。業務用の500万はパーソナル化の臨界点と言えるのかもしれない。
つぎにパーソナル化によって具体的にはどのような利用変化が起きるのかをみると、第一にパーソナル化したどんなメディアを見てもその利用法の第一には必要性を満たすための道具的利用があることが分かった。ワープロは年賀状制作に必要だったし、ポケットベルは夜家にいない若者が連絡を取るために必要だったし、ファクシミリは聴覚障害者やテスト直前に情報交換をする若者に必要だった。従って今後パーソナル化するであろう携帯電話などもそうした生活上の必要性に基づいた道具的利用法が見いだされなくてはならないだろう。第二にパーソナル化初期においてその利用法は利用者のおかれた特殊な生活状況に適合し、さらにそのメディアの特徴にぴったりのものだった。今後パーソナル化するメディアにもまずはそのような利用法が広がるかもしれない。第三にそうした道具的利用法を主にしながらパーソナル化が進展していくと、コンサマトリーあるいは遊び的利用が出てくる。電話ではおしゃべり電話、ポケベルでは語呂合わせを利用した感情伝達、ワープロではイラストを使った楽しい印刷などがそれである。そして第四に業務とは違った利用法が定着するにつれてそのメディアに対する社会的イメージも変化してくる。かつては贅沢品であった電話も必需品となりさらにはおしゃべりの道具として楽しいイメージが広がる。ポケットベルも忙しい営業マンの持つ拘束的イメージから進んだ女子高校生の象徴へと変わっていった。
各メディアのパーソナル化と利用の変化をながめてきて言えるのは発明者やサービスの供給者側が考えもつかなかった様々な利用法が利用者によって生みださてきたということだ。それは一般の人々の生活の中でメディアが消化され「再生成」される過程であると言える。従ってパーソナル化の重要性を認識し、今後進展するパーソナル化の行方を見守る必要があるだろう。そしてさらにパーソナル化やその後に続く大衆化を通してメディアは人々の生活にどのような影響を与えるのかを明らかにしていくことも今後の課題として重要である。
注
(4)「パーソナル化」とは英語ではpersonalizationであり、「私人のものとする」と「個人専用にすること」の2つの意味がある。今回は前者に注目したが、一般には後者の意味で使われることが多い。
(5)この命名はFischer(1992,pp6-21)に従った。
(6)こうした観点については吉見俊哉(1993)を参照
(7)加入者数は日本電信電話公社編『電信電話事業史』別巻1960年 とNTT資料『NTTデータブック92』。世帯普及率は昭和51年までは『日本電信電話公社二十年史』別巻pp74-75 52年以降は住宅用電話数を世帯数で割って算出。世帯数は自治省行政局『住民基本台帳に基づく全国人口・世帯数表・人口動態表』
(8)家族機能の縮小とは様々な家族の機能が工業化によって愛情以外の機能が相対的に低下すること。松村祥子他(1988,p51)
(9)雇用労働者数が家族労働者と事業主の合計数を越えるのも(国勢調査)、生涯核家族化が本格化するのも(中鉢正美,1975:p151)1960年頃である。
(10)市町村間人口移動率は1955年=5.8%,1960年=6.1%,1965年=7.6%,1970年=8.0%,1975年=6.8%,1980=6.1%であった。厚生省『人口の動向・日本と世界』1986年より
(11)「人口集中地域」(DID)に住む人口比。各年の『国勢調査報告別巻』による
(12)日本電信電話株式会社広報部(1993)より。数字は後述する各アンケート調査の結果より短いが、それは間違い電話や相手不在も含めたあらゆる通話の平均値だからである。
(13)調査の詳細については、橋元良明ほか(1992:45-156)を参照。
(14)東京50キロ圏の住宅用電話加入世帯1861世帯に調査。方法は1週間の通話を日記式に記録してその内容を調査した。福田伸ほか(1972:17-30)より
(15)全国の住宅用電話加入世帯6302世帯を対象に調査。数字は全て全世帯に対する比率。日本電信電話公社営業局市場課調査担当(1974:52-58)より。
(16)1973年の調査では電話設置場所は、居間(40.3%)、玄関(30.4%)、食堂(9.5%)、台所(7.1%)、廊下(6.4%)、応接間(6.0%)寝室(2.4%)、子供部屋(1.5%)であった。日本電信電話公社営業局市場課調査担当(1974.10:52-58)より
(17)『朝日新聞』1968年10月11日および12月1日
(18)「夜間通話にみる夜間呼の現状と問題点−電話運用白書をめぐって−」『電信電話業務研究』 1968年10月号 p6
(19)調査の詳細は橋元良明ほか(1994)参照
(20)なお高校と大学では教室で全数調査をしたが、塾ではポケットベル利用者のみを対象にしたため、普及程度を調べる場合にはその11名を除外して計算している。
(21)1993年12月から94年4月にポケットベル所有の高校・大学生4人に対してインタビューをした
(22)トリクル・ダウン・モデルについては例えば宇野善康(1990:113-118)参照
(23)1988年の修学旅行について全国697校にアンケート調査。日本修学旅行協会(1991)より
(24)経済企画庁調査局,1995,『消費動向調査平成7年実施調査結果』
(25)通産省『生産動態統計』による
(26)社団法人日本事務機械工業会 資料『「ワープロ市場調査」結果について』より
(27)実業之日本社(1993:118)より。なおワープロ・スクールについては、同書p115-120参照
(28)通産省『機械統計年報』各年
(29)数字は日本通信機器工業会の推計値。日本通信機器工業会資料より。
(30)中央調査社『中央調査報』1992.9.10.p7
(31)『テレコミュニケーション』1994.5.p118.
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