愛媛論争


 愛媛とはいったいどんなところでしょう。社会学科の同僚である市川氏が、「愛媛新聞」(96年7月15日) に次のような記事を書きました。

「愛媛の肖像」考
       7月1日から、「愛媛新聞」の目玉企画「愛媛の肖像」の連載が1面で再開された。 以前、これで一遍上人がとりあげられた。この時の連載によって私は、一遍上人を介し て愛媛県とわが故郷信州佐久とにつながりがあったという、おぞましくも衝撃的な事実 をしってしまったのだ。なぜ、私のうまれ故郷と愛媛なんぞとに縁があったのか。私は、 出生の秘密をしってしまった「“赤い”シリーズ」の山口百恵(フルい!)のように苦悩 に身をおののかせた。
 このように罪つくりな企画である「愛媛の肖像」で、今回は、夏目漱石とその代表 作『坊っちゃん』にまつわる話題がとりあげられていた。百年前に漱石は、愛媛県人 の真の姿をこの小説に描きだし、あますことなく愛媛県人の醜さと陰険さと俗物根性と 排他性を文学作品として定着させた。さすが、文豪の名にはじない名作であった。この 小説をよんでいた私は、ある程度覚悟して愛媛に赴任してきた。が、まさしくこの小説 どおりの人間たちが百年の時をへだてて現代に息づいているので、ジュラシック・パ ークをみたかのような感動をおぼえた。
 だが、みあたらないのはマドンナである。むしろこれは、全国屈指の美人不毛地帯 である愛媛で期待する方がまちがいというもの。美人不毛には形質人類学的根拠があ って、新モンゴロイド系の人々(ひらべったい丸顔)が大陸からこの地にやってきて 以来、人的交流による改良がおこなわれないまま(島の哀しさ)、現代にいたってい るからである。
それにしても、今回の「愛媛の肖像」は『坊っちゃん』をとりあげたから、痛烈な愛媛批判になるかとおもいきや、「それでも愛媛はいいところだ」という自己満足・自己憐憫・自己弁護に終始していた。それ自体、いかにも「愛媛的」な紙面であった。
 この連載に反論するなら、こちらも連載が必要なほど、この2年半、私は愛媛県人からの攻撃にさらされてきた。愛媛のイナカモノたちにとって、私のように長身の美形の高学歴の都会的な自由浮動的人間は、存在するだけで目ざわりなのだろう。早瀬記者よ、連載1回目にあった「批判も笑って聞けるおうようさ」などまったくないのが愛媛県人だと、私は実体験から断言できる(具体的事実に関しては、保身のため自主規制)。
 最終回の愛大から東工大へご栄転なされた上田紀行氏の言葉にちょっとだけ溜飲がさがる思いがしたが、いかんいかん、これが新聞社得意の「免罪符」作戦なのだ。すなわち、全体の論調に反対の意見をほんの少しだけまぜることによって、あたかも公平中立な紙面をつくっていますという体裁をとりつくろう手練手管があるのである。
 この連載中、まともな意見はこの上田氏と4回目の牛山真貴子氏のものだけであった。上田氏のいうとおり「坊っちゃん」待望論など、大ウソである。異質なものを排除し、仲間うちだけでヌクヌクしていたいのが愛媛の人間たちだ。  愛媛に唯一よいところがあるとしたら、県外者に小説の材料を豊富にあたえるというところだろう。私も、だいぶ材料がたまった。
(松山大学人文学部社会学科・市川虎彦)




当然、このような記事を読んで愛媛の人たちは激怒します。学校には多くの投書が来たようですし、あまりの怒りから この記事を店の壁に貼り付けてさらしものにした飲み屋もあったようです。ただ、面と向かって市川氏に文句を 言った人はいないようで、これも「愛媛的」なのかもしれません。そして7月26日の「愛媛新聞」には次のような 反論がのりました。








愛媛県人批判一方的過ぎる
西条市 永井紀之
本誌15日付マスコミ時評、市川虎彦氏の「『愛媛の肖像』考」と題する論稿は、愛媛県人に対する悪罵(あくば) に満ちており、不愉快極まりないものであった。市川氏が指摘する愛媛県人の排他性や保守性については、私は 少なからず正鵠(せいこく)を得てあり、愛媛県人に自己改革が必要であると考えている。
したがって「愛媛の肖像」に登場された上田紀行氏の耳の痛い批判も、前向きに受け止めたい。特に、高校の 教師である私には、上田氏や牛山真紀子氏のいわれるような大学生を生み出した責任の一端がある。受験指導に 携わる中でも、何とか暗記主義を打破し、「物言える生徒」をつくりたいと考えている。
しかし、市川氏の愛媛県人批判は、県人に対する論証抜きの一方的人格否定である。そこには、上田氏や牛山 氏のような、「愛情と熱意」のかけらも感じられず、従って、われわれ愛媛県人に自省を迫る迫力もない。さらに 、荒唐無稽(けい)なマドンナ不在の根拠?とか、極端な自己肯定の羅列に至っては、市川氏の品格を疑わしめる に十分であり、鼻白む思いを強くするばかりである。
市川氏の意図するところを最大限好意的に解釈すれば、「こうした毒のある文章を受け止めるだけの鷹揚(おうよう) さを身につけよ」ということかもしれない。しかし、自らに真摯(しんし)な態度がないままに、聞き手に自省を 求めることはできないはずである。また、われわれ愛媛県人も、「都会的な自由浮動的人間」ごときに好き放題 をいわれるすきを与えないよう、せいぜい努力しようではないか。
(高校教諭・33才)


つづいて、8月2日の「愛媛新聞」には次のような反論がよせられました。

愛媛の人は素朴で温かい
宇和島市 竹本由紀子
7月1日からの連載「愛媛の肖像」を興味深く読んだ。そして、同15日付マスコミ時評、市川虎彦氏の文も、 そして同26日付「門」欄に掲載された永井紀之氏の反論も読んだ。
私は三年前、東京から嫁いできた。県外者の私を、この地の人は優しく迎え入れてくれた。愛媛の人は、素朴で 温かいんだなという印象をもった。この地に嫁いできた人間と、何年かだけ赴任してきた人間とは、風当たりが 違うのかもしれない。
 都会を思って泣いた日々、周囲の人は真心で私を励まし続けてくれた。長井氏の反論は、もっともだと思う、 私も、ここまで書いていいのだろうかと思った。しかし市川氏は、よほどいやな思いをされたのだろう。自分が 周囲の人から受けた印象が、県全体の印象につながっていく。
人の心だけでなく、愛媛は星が美しい。宇宙そのもののようなこんな星空、見たことがなかった。都会はそれだけ 空気が汚れていたのであろう。先日、うまれてはじめてはっきりと流れ星を見た。「ようこそ、愛媛へ」といってれているようで、 うれしかった。
(主婦・36才)


なるほど、宇和島市には素朴で温かい人がたくさんいるようですね。わたしは宇和島には1度だけ行ったことが ありますが、鯛めしという郷土料理がおいしかったなあ。
 で、よせばいいのに市川さん、8月19日付「愛媛新聞」に次のような再反論を書きました。


愛媛的体質
 「マスコミ時評」などという地味な欄をよむ人がさしているとはおもえないが、前回、愛媛のことを正面からと りあげたせいか、読者からわずかながらお便りを頂戴した。その中で傑作だったのは、「南予人と松山人を一緒に しないでくれ(つまりわるいのは松山人)」というものであった。これにはわらってしまったが、たしかに一理あ る(とおもう )。
 それにしても、なぜ愛媛県人は、ちょっと愛媛の文句をいわれるとすぐに「いやなら、でていけ」という類の ことをいうのか。今まで何度この言葉をきいたことやら。こういった人間ばかりのところにすんでいると、「い やなら、かえれ」といわれてきた在日韓国・朝鮮人の人たちの気持ちが、わずかながらもわかったような気にな る。
 在日朝鮮人といえば、朝鮮学校に対して都道府県段階の自治体がなんの補助金も支給していないのは、全国で も愛媛県だけである。この「愛媛県だけ」という点を強調したい。在日朝鮮人の方々にはすんだところがわるす ぎたとしかいいようがないが、私にとっては愛媛がどんなところか東京の友人知人に説明する際の格好の事例と して便利ではある。この愛媛の後進性と不寛容と排他性を象徴する処遇をぜひとも継続なされて、千代に八千代 に恥をさらしつづけることを県知事閣下におねがいしたい。
 この種の「愛媛だけ」ということがらは他にもある。そして、私のような県外者にわざわざこの愛媛のダメさ 加減を「論証」してもらわなければ自覚できない自己認識能力にご不自由な人間が、愛媛にはすくなからずいる ということもわかった。まぁ、それがイナカモノのイナカモノたる所以といえるのだが。
.  さて、この欄は「愛媛時評」ではなくて「マスコミ時評」なので、本来の役割もすこしはたしておこう。8月 4日、新潟県巻町で原発立地をめぐる住民投票がおこなわれ、「原発反対」の住民の意志がしめされた。愛媛県 も伊方に原発をかかえ、しかもそれが事故をおこし、さらにこの問題を県議会で追及された県知事閣下が「事故」 ではなくて「事象」だといいくるめてとおるという愛媛的状況が進行中の、県民としても看過できない問題が原 発問題である。
 翌日の「愛媛新聞」でも、この結果に関して四国電力、伊方町民、県内の反原発団体の反応をのせ、とりあえ ず自分たちの問題でもあるというところをしめした。しかし、「社説(原発政策の再考を迫る巻町の選択)」は 住民自治をめぐる一般論を展開し、伊方の「い」の字もでずに、まるで他人事のようであった。
 個人的には、県予選から膨大な量の紙面をさいて報道される高校野球のせめて数十分の一を伊方原発問題にあ てれば「愛媛新聞」の評価もたかまるのだが、などとおもってみたがやっぱりムリだろうな。営業的にみれば、 へたに原発をつついて県内有力者の不興をかうよりも、高校野球をこまごま報道して「ウチの息子の名前がでて いる」というレベルでよろこぶおおくの愛媛県人相手に販売部数をのばした方がよいのだからなあ。
 それになんといっても、お上が一新聞社に対して「取材拒否」を宣言する(これって、ほんとに「戦後の日本」 でおこったことなの)と県全体が右にならえして協力する全体主義的・権威主義的・ながいものにはまかれろ的 体質の愛媛である。戦前もかくやとおもわせる暗黒世界・愛媛において、「愛媛新聞」にだけ「社会の木鐸」た ることを要求しても荷がおもそうだ。たしかに、愛媛的な「微温的」紙面になるのもしかたなかろう。つまると ころ、どんな新聞をもつか(またどんな県政か)というのも、県民全体の民度の問題でしょう。
(松山大学人文学部社会学科 市川 虎彦)

それにしても、たとえば、私の故郷である東京の人たちは、東京人についてこれほど熱く語りあえるでしょうか。