携帯通信メディアの発達


 近年、電気通信メディアをめぐって2つの変化が見られる。第一は前節で取り上げたマルチメディア化への動きで、もう一つは携帯型の通信メディアの発達である。コードレス電話はもうすっかりおなじみになったし、ポケットベルや携帯電話を持ち歩く人も増えてきた。あるいはコンピュータ通信を移動しながら行うという動きも出てきた。では具体的にはどのような変化がどのような背景の下で起こり、それはどのような意味を持っているのだろうか。
1 通信の自由化
 電話の発明は1876年。日本での創業は1890年と1世紀以上の歴史を持っているが、実はそのほとんどが現在のようなユニバーサル・サービス建設への格闘の歴史でもあった。1960年代までは一般家庭には電話はほとんど普及していなかったが、それは料金が高くて加入できなかったり、申し込んでも供給不足からなかなか加入できなかったからである。あるいは電話をかけようとしても相手につながるまで何時間も待たなければならないこともざらであった。申し込めば「すぐつき」(積滞解消)ダイヤルすれば「すぐかかる」(全国即時ダイヤル化の完成)という今日では当たり前の電話システムが全国的に完成したのは創業から90年近くも経った1970年代末のことであった。ここから通信基盤の整備がいかに大変だったかがわかる。もともと電気通新事業は莫大な設備投資を必要とし、誰でも生活必需品として利用するという公共性を持つために、国や公社といった公的事業体が独占して運営してきた。しかし普遍的電話システムが完成し、データ通信や移動体通信など通信サービスが多様化するにつれて独占の必然性が明白でなくなってきた。1985年の電気通信の自由化もこうした流れの中で起こったと理解できる。
 通信の自由化とは通信サービスや通信端末への政府の規制が緩和され競争原理が導入されることを意味している。その具体的な動きとして@電電公社が民営化されNTTが誕生したA通信事業の解放により新たな電話会社が設立されたB電話機の解放により各メーカーが多様な電話機を製造販売しはじめたC回線の解放により借りている回線を自由に使える(例えば専用線の又貸し)ようになったD回線を借りての情報付加サービス(第二種通信事業)が自由化されVAN、電子メール、ボイスメールなどのサービスが自由に行えるようになった、などの変化が起きた。一般に通信の自由化は各社の競争から、サービスの多様化と料金の値下げをもたらすと考えられており(1)、実際図1のように競争が激しい長距離電話や移動電話の分野では料金が急激に下がっている。今までは公社に提供が独占されていた電話機も自由化によってデザインや機能が多様化し、価格も下がった。こうした通信の自由化は携帯通信メディアの発達に対してもよい刺激となったと考えられる。
2 携帯通信メディアの発達
 例えばコードレス電話はすでに電電公社時代の1980年に登場しているが、はじめは単に普通の電話機を持ち運べるというものに過ぎなかったし、料金も高かったためにほとんど普及しなかった。無線電波を使うということで普通の電話機の解放より2年遅れたが、1987年に自由化される。自由化後、各メーカー間の激しい競争が起こり、同時に信頼性は劣るが価格の安い微弱型のコードレス電話が登場したこともあり価格が急速に低下する。NTT専売時代の1978年3月の利用台数はわずか2万4千台に過ぎなかったが、翌88年度には302万台が生産され、91年度以降は電話機生産においてコードレス電話が半数を越えるまでになった(生産台数は通産省『生産動態統計』による)。ある調査(2)では1993年の段階で世帯普及率が40%にも達し、すっかり生活に定着してきた。
 コードレス電話についで普及している携帯通信メディアはポケットベルであるが、日本では1968年にサービスを開始し1994年には加入者は800万を越えるまでに普及した。かつては業務で使うことが専らであったが、最近では女子高校生を中心に若者に利用されるようになってきた。実際、例えば東京テレメッセージが1993年の新規申込者を調べたところ、同社の個人加入申込者のうち約8割が10代・20代の若者であったという。彼らは数字表示タイプのポケットベルを利用して、例えば49-51で「至急来い」などというように、数字による語呂合わせによるメッセージ伝達を行っている。
 いっぽう移動電話の加入者も増加している。移動電話は正式には「自動車・携帯電話」と呼ばれるが、現行のセルラー式(3)の移動電話は日本が世界に先駆けて1979年にサービスを開始した。初めは自動車電話だけだったが、1987年に携帯電話が登場する。携帯電話の登場、1987年から1988年にかけての新電電会社の参入、そして当時のバブル景気などによってその後急速に加入者が伸び、1993年末には200万を越えた(図2)。しかし普及率が7ー8%の北欧諸国やアメリカなどと比べるとまだわが国では1%台であり、世界で初めてサービスを開始したわりには伸びが遅れている。Pye(1993)によれば各国の携帯電話の普及率は@その国の国民所得水準とAサービス開始からの年数及びB料金水準によってほぼ決定されるというが、前二者がトップクラスであることを考えると普及の遅れは料金の高さによるものと思われる。しかし1994年4月に移動電話端末の自由化が行われ携帯電話機の切り売り制が始まり、同時に新たな通信事業者2社が参入した。これをきっかけに端末機器及び通信サービスの両面で競争が生じ、携帯電話の料金が下がればさらに普及すると考えられる。
 携帯電話と似たものに現在実験を勧めているPHS(パーソナル・ハンディー・ホン・システム)がある。これはコードレス電話をデジタル化し屋外でも利用できるようにしようというもので、電話ボックスや待ち合わせ場所など人が集まる場所に設置されたアンテナの周囲でしか通話できず、また高速移動中の通話もできないが、そのかわりに料金が安いという簡易型の携帯電話だ。携帯電話との競争もあって価格が低く押さえられれば相当の普及が期待できるだろう。
 いっぽう近年注目されている新携帯メディアに携帯情報端末がある。これは超小型のコンピュータ端末と一般電話回線・携帯電話・PHSなどの通信手段とを結び付けて、移動しながら文書やデータのやりとりをしようというものだ。端末として代表的なのがPDA(Personal Degital Assistant)とよばれる機器だ。PDAはシステム手帳と同じぐらいの大きさで表面には液晶の入出力画面があり、その表面を付属のペンで押したり文字や図形を書いたりする事ですべての入力操作ができる。メモ、スケジュール管理、住所録、備忘録、世界時計、電子辞書、電卓など従来の電子手帳と同様の機能を持っており、通信機能を持ちより大きなシステムとの接続ができ電子メールやファクスへの送信などができる。1993年からアメリカで発売され次世代の情報機器として期待されている(4)。
3 利用ニーズと普及
 たしかに自由化を契機に携帯通信メディアが発達しつつあるが、メディアの普及には製品の様態、価格、供給体制といった供給側の条件だけでなく、そのメディアに対する利用者のニーズが必要である。そこで利用者への注目が必要となってくる。例えばポケットベルは新電電会社の参入後、急速に加入者が伸びてきたが、競争による価格低下やマーケット活動の活発化という供給側の変化だけでは加入の増加は説明できない。というのは、もともとポケットベルの料金は安かったので値下げ幅は小さかったし、新規参入でマーケティング活動は活発化したが当初のターゲットはOLや女子大生であり実際に多く加入した女子高校生とはズレていたからである。むしろ若い利用者が自らの生活状況にあわせて供給側が考えもしなかったような利用法を開発し、新たなニーズが生まれたという利用者側の変化が加入者を急増させたのである。
 報道を振り返ってみるとポケットベルは1990年ごろから暴走族やチーマーなどの不良少年の間に広まり、1992年頃から女子高校生などへ広がったようだ。ポケットベル利用について1993年に高校生・大学生を対象にアンケートを行ったところ次のような利用の特徴が明らかになった。第一に数字による語呂合わせやコード表などによるメッセージ伝達がごく一般的に行われていた。第二に若者の利用目的には@外出者と連絡を取るためA在宅者に電話をする前にポケットベルで知らせるなど電話を使うための補助B会うための道具とC挨拶・暇つぶしD感情伝達などがあったが、CDはマイナーな利用法で道具的に使うことが多かった。第三にポケットベル利用者は遊びやアルバイトなどで夜外出しがちな若者であった。一見単なる遊びと思われがちな若者のポケットベル利用だが、彼らには彼らなりの必要性があり、それが新たな利用法を生んだことで普及していったのである(5)。
 しかし供給側の論理ばかりが先行し利用者のニーズが忘れられてしまうことがある。先に挙げた携帯情報端末への動きがそれだ。PDAが登場した要因の第一にはパソコン・メーカーなどが業務と家電の中間分野という新たなマーケット開拓し、OSなど新たな規格が決まっていない分野で主導権を握りたいという産業界の論理がある。第二に手書文字認識技術により可能になった高性能の小型コンピュータとデジタル化やセルラー技術などで発達した無線通信技術とを結びつけて何か作れないかという技術の論理がある。そこには「こんな場合にこんなメディアが欲しい」という利用者の論理が欠如している。売れ行き不振からアメリカではPDAから撤退する事業者も出てきたが、このままではPDAは「利用者のニーズを無視してはメディアの発展はできない」ということを示す例になりかねない。
4.携帯通信メディアの社会的インパクト
 携帯通信メディアはまだ普及し始めたばかりなのでそのインパクトもまだ未知数だ。そこでここでは携帯電話を例に、起こりうる変化の可能性とそれに対する考え方を示しておこう。
 電話の携帯化により起こりうる変化には次のようなものがある。第一に携帯化によって電話が個人化する可能性がある。いままで家族共用だった電話が自分だけのものになり、個人と個人とを直接的に結ぶので電話で結ばれた人間関係が今までより強化される可能性がある。第二に携帯化によって「いつでもどこでも利用できる」ようになり利用が常態化し、利用頻度や利用時間が増えるかもしれない。第三に「ながら電話」が増大し、メディア利用の重要度が相対的に減少したり逆に現実場面の意味も低下するかもしれない。第四に公共の場で携帯電話を使ったとき周囲の人が不快に感じるということは従来の電話でも見られた現象だが、携帯化により現実場面との葛藤をより頻繁に引き起こすかもしれない。
 しかし携帯電話の実際のインパクトはこのように一義的に決まるのではなく、利用者の置かれた状況や使い方によって大きく変わる。Roos(1993)によれば、携帯電話はその技術的性質から@移動性AアクセスのしやすさB同時性CプライバシーD私的利用などの要素を兼ね備えているものと考えられがちであるが、このような決めつけは間違っているという。利用者がコンタクトしたいときだけ携帯電話を利用したり、ごく親しい人とだけ通話することによって、固定電話と同様にアクセスされやすさを避けることができるし、公共の場で携帯電話を使えば他人が会話を聞く可能性があるために公衆電話で話すときのように公的でインパーソナルな会話になったりすることもある。このように携帯電話のインパクトは特定の方向性を持っておらず、その方向性は利用の状況に依存しているのである。 その例は移動電話がアメリカ女性に与えたインパクトの研究にも見られる。Rakow(1993)は19人の移動電話利用女性に詳しいインタビューをしたが、その結果次のようなことが分かった。@多くの場合、妻の安全を気遣う夫が加入を決定していた。A男性は主に仕事のために利用するのに対して女性の利用目的は、安全の確保と、自宅から離れていても子供の世話をできる「リモート・マザリング(remote mothering)」であった。つまり男女の利用の利用の違いは、「女性はか弱く保護しなければならない」とか「女性は家事の責任者だ」というジェンダー・イデオロギーによって生まれている。そして移動電話は女性の直面する安全と家事の責任を果たすという二つの問題を解決しているように見えるがそれは本質的な解決にはならない、というわけだ。たとえば移動電話が女性に対する暴力そのものを無くすわけではないし、女性が外で働いて帰ってきた後も家事をするという労働の「二段シフト」が外で仕事をしながら同時に子供の世話をするという「並行シフト」に変わっただけで、女性の労働負荷が軽減されるわけでもないし、経済的地位が向上するわけでもない。ここからRakowは移動電話という新たな技術は古い社会的・政治的慣習を破壊しヒエラルキーを再構築する可能性も持っているが、実際の移動電話の利用法は女性の従属的地位に原因し、同時にそうした関係を保存することを助けていると結論づけている。
 このように携帯化の社会的インパクトは利用状況・利用方法により規定され、まさに「メディアは使いよう」といえる。従って携帯通信メディアの社会的インパクトを知るには個々の利用状況の中でどのような変化が起きるのかを検証していく必要があるだろう。

(1)ただどんな場合でも通信の自由化・規制緩和=サービスの多様化・価格低下という図式が成立するわけではない。競争は2重の投資となりムダが生まれたり、技術や資金のある対抗勢力が少なく競争が活発化しないなどの可能性がある一方、逆に政府主導により独占下でも通信の多様化が行われている国もある。
(2)橋元良明他「1993年東京都民情報行動の実態」『東京大学社会情報研究所 調査紀要』4 印刷中.より
(3)セルラー式とは、一基地局でカバーする範囲を狭くして、サービスエリアを細かい細胞(cell)状に構成することによって限られた周波数で多くの加入者を収容する方式のこと。
(4)情報携帯端末については中村功「携帯端末の現状と課題」『情報通信学会誌』43 1994. 5.参照。
(5)ポケットベル調査については中村功「電子メディアのパーソナル化 −その過程と利用変化の特質」橋元良明他編『情報行動と地域情報システム』東京大学出版会,1996.参照
引用文献
Pye,Roger,"Monopolies and mobile:thin evidence in Finland" Telecommunications Policy, Vol.17 Iss.6 1993 p470.
Rakow,Lana F. and Navarro,Vija,"Remote Mothering and the Parallel Shift:Woman Meet the Cellular Telephone",Critical Studies in Mass Communication,10.1993, pp114-157.
Roos,J.P.,"300 000 yuppies? Mobile telephones in Finland",Telecommunications Policy,Vol.17 Iss 6,1993. pp446-58
関連文献
川浦康至編『現代のエスプリ(306)メディアコミュニケーション』至文堂,1993.
吉見俊哉・若林幹夫・水越伸『メディアとしての電話』弘文堂,1992.
田村紀雄『電話の政治学』悠思社1994.
林敏彦・松浦克己編『テレコミュニケーションの経済学−寡占と規制の世界』 東洋経済 新報社,1993.
Pool,Ithiel de Sola,The Social Impact of the Telephone,The MIT Press,1977.
Fischer,Claude S.,Ameria Calling-A History of the Telephone to 1940, University of Califrnia Press,1992.
Rutter,Derek R.,Communicating by Telephone,Pergamon Press,1987.