携帯メールと孤独 『松山大学論集』14巻6号 中村功
1.はじめに
書店のハウツー本のコーナーに行くと、現代人のさまざまな心の悩みを垣間見ることができる。その多くは恋愛や結婚に関するものだが、最近では孤独に関する本も並んでいる。いわく『もう「ひとり」は怖くない』『29歳からの「一人時間」の楽しみ方』『おひとりさま』『豊かなひとりぼっちの楽しみ方』など。そして、これらのハウツー本は総じて「一人だってよいではないか」と開き直る態度を説いている。いつの世でも若者に孤独はつきものだが、これらの本をみると、「孤独は悪で、恐怖の対象である。なんとしても孤独は避けたい」という感覚が、若者の間で広がっていることが推察できる。
こうした意識の背景には、携帯メディアを多用しながら孤独を回避している、若者たちの実態があるのではないだろうか。ある雑誌は次のように述べる。「いつも、誰かに必要とされたい。一人で過ごす夜中が寂しい。誰かとつながっていたい。アポのない時間を、メールや携帯でつい埋めてしまう。そんな「孤独力」のない若者が、こんなにもいる」(「若者よ孤独力をつけよう」『AERA』2002.7.22,p8-11)この記事によると、最近の若者は孤独に耐える力が弱まっており、そうした人が携帯メールに走っているという。あるいは、社会学者の藤竹暁は、携帯型メディアの急激な普及は「現代の、特に若い人たちの寂しさみたいなもの、あるいは孤立、孤立をおそれているのかもしれないが、そんな心理と非常に関係のあるような感じがする。」(藤竹他2001,p14)という。
携帯メディアを頻繁に使って活発な対人関係を取り結び、孤独とは無縁と見える、軽やかな若者たち。しかしその裏側には、孤独を極度に恐れ、孤独に耐える力のない現代の若者がいるのかもしれない。本論では、孤独を中心に、若者の対人心理と携帯メディア利用の関係について、著者が2002年に行った学生調査をもとに検討していく。
2.携帯メディアと若者の人間関係
@人間関係希薄化論
携帯メディア上の人間関係と若者の心理についてはこれまで様々な議論がなされてきた。若者の人間関係が希薄化し、携帯メディアを通じたつながりがそれを助長しているのではないかという議論はその一つである。たとえば大平(1995)によると、現代若者の「やさしさ」とは、相手の気持ちに立ち入らないようにしながら、なめらかで暖かい関係をつくることだが、ポケットベルは、電話と違って強制性がないので「やさしい」若者にぴったりのメディアである、という。あるいは岩間(1995)は、団塊の世代ジュニアと位置づけられる現代の若者の対人関係は、淡泊で人に多くを期待しない傾向がある、としたうえで、彼らがポケットベルを使うのは広く浅い人間関係を維持するためである、と指摘する。
こうした議論についてはじめて実証的な検討したのは中村(1997a,b)であった。すなわち1996年に松山市内の学生469名に調査したところ、表層的人間関係の態度をとろうとする者は、ポケットベル非常用者で38.5%、常用者では23.5%と、議論とは逆に、ポケットベル利用者で少なかったのである。これは、ポケットベル利用者の対面関係が活発なためである。すなわち彼らは、人と会っておしゃべりをすることが多く、社交的な集まりによく出かけ、昼食を誰かと一緒に食べることが多い傾向があった。携帯メディア利用と表層的人間関係の関連性は、すでにポケットベルの段階で否定的なものだった。
次に携帯電話(通話)との関連だが、橋元(1998)が97年の「第三回情報化と青少年に関する調査」を再分析したところ、携帯電話を利用する人は使わない人より深い友人関係を好む傾向が見られた。すなわち、「同性の一番の親友とは何も言わないでもわかりあえる」「同性の一番の友人であってもあまり深刻な相談をしない」などから「友人関係の深さ」スケールを作り、携帯電話利用との関連をみたところ、利用者の平均が1.33であったのに対し、非利用者は0.71と、利用者より友人関係が浅い傾向がみられた。
携帯メールについても同様の結果がみられる。辻、三上(2001)の調査によると、友人への携帯メールの送信数が多い学生ほど、友人数が多く、ふだん友達と行動することが多いなど、友人関係が活発であった。また、「仲のいい友達でも、ずっといっしょにいると、別の友達と話したくなる」という人が少なく、「自分の本音を話すことが友達づきあいで重要」と考える人が多いなど、携帯メールを利用する人ほど友人と密につきあうことを好む傾向があった。さらに社会心理傾向としても、携帯メール多用者は自己開示性(親しい人には何でも相談できる)が高く、対人不安(1)が少なく、孤独感(周りの人たちと興味や考え方が合わない)が低い傾向が見られた。同様に松田(2001)が2001年に関東と関西の二大学の学生586名を対象に行った調査でも、携帯メールのヘビーユーザーには、友人数が多く、恋人がおり、社交性が高い傾向がみられた。
さらにモバイルコミュニケーション研究会(2002)が2001年に全国の12〜69歳に対して行った調査でも、携帯メール利用者は友人と深いつきあいを志向していることがわかった。すなわち「友人であっても、互いのプライベートには深入りしたくない」と答えた割合は、携帯メール+携帯通話利用者で58.4%、携帯通話利用者が79.9%、携帯電話非利用者が80.3%と、携帯メール利用者で最も低かった。そして、この傾向は、年齢層ごとにみても同じであった。
このように、調査データによると、携帯メディアの利用者が表層的人間関係を好むという議論は、一貫して否定されてきた。
他方、若者の友人関係が表層化してきたという議論について、橋元(1998)が各種調査を検討したところ、そのデータ的裏付けは見いだせなかったという。たとえば総務庁の「青少年の連帯感調査」では「心をうち明けて話せる友人の数」は80年2.8人、85年2.9人90年3.1人と増加している。NHK放送文化研究所の調査によると、1982年から92年にかけて若者の友人数は増加しているし、友人とのつきあいかたも「心の深いところは出さないでつきあう」という人の割合はこの間ほとんど変化していなかった(2)。
さらに、モバイルコミュニケーション研究会(2002)の調査によると、友人関係は10代から60代と、年齢が上るほど希薄化していた。すなわち、「友人であっても、互いのプライベートには深入りしたくない」「友人とは互いを傷つけないようにできるだけ気を使う」は年齢が高いほど選択率が高くなり、「親友であっても自分をさらけ出すわけではない」も10代をのぞいて年齢が高いほど選択率が高かった(3)。これは若者の人間関係が表層的で希薄なものになっているという議論とは、全く逆の結果である。
携帯メディアの影響という前に、若者の人間関係が表層化しているという議論そのものが、データに基づかない、思いこみの議論だったのである。
A選択的人間関係
一方、辻(1999)は、近年若者の友人関係が選択的になっているのではないかとのべている。彼はこれをフリッパー志向と呼び、「何をどこに何をしに遊びに行くかによって、一緒に行く友達を選ぶ」という質問で測定している。首都圏の学生250人に調査したところ、この傾向が強い若者は携帯電話の所有率が高く、「電話は話したくないときは切ってしまえるので気楽だ」と答える割合が高かった。しかし辻、三上(2001)の調査では、こうした「人間関係の切り替え志向」は、携帯電話通話数とは関係があったものの、携帯メール利用とは関係性がなかった。
松田ら(1998)は若者に対するインタビュー調査から、携帯電話の番号通知サービスを利用し、人間関係を峻別、選択していくコミュニケーション、「選択縁」が成熟しつつある、という。しかし松田(2000)では、若者の携帯電話利用から見いだせた『選択的な友人関係』は,大都市における『接触可能な人の増大』に起因するもので、携帯電話利用が原因ではないのではないか、という。
しかしそもそも、モバイルコミュニケーション研究会(2002)の調査によれば、年齢が高くなるほど人間関係が選択的になる傾向がみられる。すなわち若年層ほど「たいていの場合、同じ友人と行動をともにすることが多い」を選択する割合が高くなっている。これは最近の若者が選択的な人間関係を持つとの議論とは逆の結果である。しかも「たいていの場合、同じ友人と行動をともにすることが多い」という友人を選択する傾向は、回答者全体でも、年齢別でも、携帯メール利用とは関係がみられなかった。
このように選択的人間関係についても、最近の若者に限ってそのような傾向が増大したというわけではなく、携帯メールがそれを助長した形跡もない。携帯電話では関連が見られたが、これは電話が携帯化して固定電話時代よりアクセスされやすくなった分、その煩わしさを番号表示機能を使って低減・相殺しようとしているだけなのではないか。したがって携帯電話によって人間関係そのもの選択性が高まったわけではないと考えられる。人間関係選択論は、人間関係をトータルにとらえず、携帯電話における通話選択という現象のみに注目し、そこから類推した議論であったといえる。
3.携帯メール利用と孤独感
以上のように、携帯メディア利用は、表層的人間関係や選択的人間関係にはつながらず、むしろ深い人間関係とつながりがあった。利用者の対面関係は活発で、外向的性格を帯びている。こうした利用者の傾向からいえば、携帯メールの利用も孤独とは逆の方向性を持っているように見える。
そもそも孤独感とは、社会的関係の達成水準と願望水準の差がある時に生ずる不快感である(たとえば諸井, 2000, Harre & Lamb eds.1983)。一般に、老人に比べて若者の孤独感は高いが、社会的関係に対する若者の過剰な期待が、その原因の一つではないかと考えられている(Pelau
& Perlman eds.,1982,p210)。
これまでの研究では孤独感が低いほど携帯メールの利用頻度が高い傾向を示している。たとえば辻(2001)は「周りの人たちと興味や考え方が合わない」という1項目で孤独感をはかり、他の心理変数とともに重回帰分析にかけたところ、携帯メールの利用頻度と有意な負の相関関係があった。
著者は携帯メールと孤独感の関係をより詳しく調べるために2002年に松山と東京の大学生494人を対象にアンケート調査を行った(以下「2002松東調査」)(4)。ここでは、「改訂版UCLA孤独尺度」(加藤監訳,1988)という、孤独感の測定によく使われる尺度を使って孤独感と携帯メール利用の関係を調べた。(この尺度は内的整合性が高いとされているが、達成された社会関係の水準や社交性など、孤独感以外の要素も含まれているように思われる。)ここで4段階で測定した回答を「はい(Y)−いいえ(N)」の2段階にし、携帯メール利用頻度を「高」(1日10回以上)、「中」(1日5-9回)、「低」(1日4回以下)の3段階に分け、クロス集計し、カイ二乗分析をしたところ、20項目中13項目で、孤独感が少ない人は携帯メール利用が有意に多い、という結果が得られた(図1)。逆に、携帯メールをよくする人ほど孤独感が増すという傾向は、1つの項目においてもみられなかった。
(図中Yは各項目に対する選択肢「よくある」+「たまにある」を合わせたカテゴリー。()内の数字はその数値。Nは「決してない」+「ほとんどない」を合わせたカテゴリー。*:p<.05, **:p<.01, ***:p<.001 χ2)
図1 孤独感と携帯メール利用頻度 (2002松東調査)
また20の質問項目全部を使って、携帯メール利用頻度との関連を見ても同様であった。すなわち、1から4の4段階で測定された孤独感を20項目足し上げ孤独指数(20-80)とし、携帯メール利用頻度(3段階)ごとに平均値を出したところ、メール頻度が高いほど孤独感が低かった(分散分析で有意水準p<.01:表1)
このように、携帯メールの利用頻度が高い者の孤独感が少ないのは、彼らの社会的関係の水準が高いためである。たとえば「2002松東調査」で1週間に何回くらい友達と会っ
表1 孤独感と携帯メール利用頻度 (2002松東調査)
メール頻度 孤独指数
低(1日〜4回)
42.1
中(1日5〜9回)
39.9
高(1日10回〜) 37.7
p<.01
て一緒の活動(食事や遊び)をするかを訪ねたところ、携帯メールの利用が低い群では3回以下が61.7%なのに対し、「中」では48.9%、「高」では49.4%にとどまった。友人との対面行動は、特に携帯メール利用の低い群で頻度が低い。あるいはデートの頻度しても、毎週している人の割合は、携帯メールの利用「低」群では13.7%、「中」では24.1%、「高」では42.4%と、携帯メールの利用頻度が高いほどデート活動が頻繁であった(図3)。
図2 携帯メール利用頻度と友人との活動(食事・遊び)頻度
χ2: p<.01
(2002松東調査)
図3 携帯メールの利用頻度とデート頻度 χ2: p<.001 (2002松東調査)
同様に友人の数をみても、携帯メール利用頻度の低い群では平均20.0人の友人がいたのに対して、「中」では22.3人、「高」では30.2人と、携帯メールの利用頻度が多くなるに従って、友人数も増えていく。
図4 携帯メールの利用頻度と友人数 p<.001 (2002松東調査)
このように携帯メールの活発な利用者は対面関係や対人関係が活発である。携帯メールの相手はたいていはよく会う友人で、そうした間でこそ話題ももりあがるのである。電話もそうだが、一般に通信メディアのやりとりは現実の人間関係の裏に寄り添い、あたかも動脈と静脈の関係のように、その消長に合わせて活発化したり停滞化する。友達があまりおらず、会うことも少ない、対面関係が不活発な人は、携帯メールのやりとりも不活発なのである。たしかに現実の対面関係を伴わない「メル友」も存在するが、それはマイナーな存在であったり、不安定なものであったりすることが多い。
以上のように、携帯メールの利用が多い若者は、外向的で、対面関係が活発で、友人も多く、深い人間関係を好み、孤独感も少ない。街中で携帯メールに夢中になっている若者を見ただけで、現実の人間関係から逃避しているとか、バーチャル・リアリティの中にどっぷり浸かり、暗くて不健全である、などど考えるのは、大きな間違いである。
では逆に、携帯メールは、人間関係が良好な、明るい若者たちが利用するメディアで、孤独とは何の関係もないのであろうか。
4.携帯メールと孤独恐怖
携帯メール多用者は人間関係が活発で、孤独でもない。しかしはじめに紹介した本や雑誌記事にある、孤独忌避の傾向を考えると、孤独を過度に恐れる若者が、人間関係の空白を埋めるため、携帯電話を頻繁に使って活発な対人関係を取り結び、その結果として孤独を回避しているだけなのかもしれない。
そこで、「2002松東調査」では孤独を恐れる傾向を測定し、携帯メールの利用頻度との関係を調べた。孤独恐怖に関する項目を14設定し、「全くそう思わない」から「全くそう思う」までの4点尺度で聞いた。その結果を因子分析にかけたところ、4つの因子が抽出された(表2)。第一因子は「私は寂しがりな方だ」「1人で夕食を食べるのはたえられない」「いつも誰かとつながっていたい」「週末に何か計画が入っていないと落ち着かない」「メールがあまり来ないと、いらいらしたり、落ち込むことがある」から構成される。これは片時も孤独に耐えられず常につながりを求める「孤独耐性欠如」の因子といえる。第二因子は「私はまわりに合わせる方だ」「まわりのみんなから「いい人」と思われたい」「仲間はずれになるのが怖い」「私は1人では絶対にやっていけない
」からなる。これは友達の輪から疎外されることを恐れる「疎外恐怖」の因子である。第三因子は「自分にとって、友達ほど大事なものはない」「友達とはプライベートなことも含め、深く関わり合いたい
」からなり、友人と深くつきあいたいという「深い交際志向」の因子である。第四因子は「少数でも親しい友達がいれば十分だ」「分かりあえない人とは分かりあえないままでいい」「友達の人数は多ければ多いほどよい」など、広く多くの友人がほしいという「広い交際志向」の因子である。孤独を恐れる心理にはこのように4つの側面がある。
表2 孤独恐怖の構造(因子分析)
平均 T U V W 共通性
私は寂しがりな方だ 2.82 .699 .189 .073 .067 .535
1人で夕食を食べるのはたえられない 1.93 .694 -.026 .021 -.233 .538
いつも誰かとつながっていたい 2.50 .644 .313 .334 -.103 .635
週末に何か計画が入っていないと落ち着かない 1.96 .601 .064 .294 -.211 .496
メールがあまり来ないといらいらしたり落ち込む 1.99 .573 .288 -.040 .061 .417
私はまわりに合わせる方だ 2.83 -.051 .724 .052 -.106 .541
まわりのみんなからいい人と思われたい 2.78 .204 .717 .086 -.077 .569
仲間はずれになるのが怖い 2.85 .278 .680 .164 -.058 .569
私は1人では絶対にやっていけない 2.79 .337 .448 .028 .018 .316
自分にとって、友達ほど大事なものはない 2.81 .033 .046 .834 .053 .699
友達とはプライベートなことも含め深く関わり合いたい 3.01 .207 .164 .687 -.062 .545
少数でも親しい友達がいれば十分だ 1.79 -.035 -.034 .133 .788 .641
分かりあえない人とは分かりあえないままでいい 2.12 -.068 -.051 -.023 .616 .387
友達の人数は多ければ多いほどよい 2.39 -.088 .113 .311 -.600 .478
固有値 3.733 1.358 1.165 1.108 7.364
寄与率 26.7 9.7 8.3 7.9 52.6
(主成分分析、Kaiserの正規化を伴うバリマックス回転)
この14項目と携帯メールの利用頻度との関係をみると、7項目で有意差が現れたが、いずれも孤独に対する恐怖感がある人ほど、携帯メールを頻繁に利用している傾向があった(図5)。孤独恐怖の4因子のうち最も関連があるのは「孤独耐性欠如」に属する項目で、合計5項目で有意な関連がみられた。たとえば「一人で夕食を食べるのはたえられない」という人は50.0%が携帯メール利用頻度が高い群だが、そうでない人は30.9%に過ぎない。あるいは「いつも誰かとつながっていたい」とした人は42.0%が携帯メール利用「高」群であったのに対し、そうではない人は28.4%に過ぎなかった。ついで携帯メール頻度と関連がみられたのは「疎外恐怖」の因子を構成する2項目であった。すなわち
『まわりのみんなから「いい人」と思われたい』とする人は37.5%が携帯メール利用「高」群であるのに対し、そうでない人は28.9%であった。あるいは「仲間はずれになるのが怖い」という人の37.7%が利用「高」群であるのに対し、そうでない人は28.0%である。一方、「深い交際志向」や「広い交際志向」を構成する各項目は、携帯メール利用頻度と有意な関連はなかった。
さらに諸変数間の関係を調整するために、携帯メール頻度を従属変数に、孤独耐性欠如、疎外恐怖、孤独感及びその他の変数を独立変数として重回帰分析にかけた。ただし独立変数については、カイ二乗検定で携帯メール頻度と有意な関係があった変数(変量は1または2)のみを合計して各尺度を構成した(すなわち孤独耐性欠如×5, 疎外恐怖×2, 孤独感
(図中Yは各項目に対する選択肢「全くそう思う」+「ややそう思う」を合わせたカテゴリー。()内の数字はその割合(%)。Nは「全くそう思わない」+「あまりそう思わない」を合わせたカテゴリー。*:p<.05, **:p<.01,
***:p<.001 χ2)
図5 孤独恐怖と携帯メール利用頻度 (2002松東調査)
×13項目)。その結果、孤独耐性欠如の傾向が高いほど、孤独感が低いほど、デート回数が多いほど、友人数が多いほど、携帯メールの利用頻度が高くなることが確認された。疎外恐怖については他変数との関係を調整すると、有意差はなくなってしまった。しかしいずれにせよ、孤独に対する耐性の欠如といった、孤立を恐れる心理が、携帯メールの利用頻度を増大させているのは間違いない。
表3 携帯メールの利用頻度(1〜3)と心理傾向・行動特性との関係
標準偏回帰係数
孤独耐性欠如(5「小」〜10「大」)
.156 **
疎外恐怖(2「小」〜4「大」) .028
孤独感(13「小」〜26「大」)
-.152**
友人との交遊頻度 (1「週0回」〜5「週11回−」) .062
デート回数(1「毎週」〜5「しない」) -.326***
友人数 .119**
性別(1「男」〜2「女」)
.063
*** p<.001 ** p<.01 * p<.05の有意水準
ところで孤独を恐れる若者にとって、孤独を回避するために重要な要素は何だろうか。孤独感(20変数を足したもの)を従属変数に、対面行動、友人数、携帯メール頻度などを独立変数に重回帰分析を行った(表4)。その結果、友人との交遊頻度が多いほど、デートの頻度が多いほど、友人数が多いほど孤独感は少なかった。これらはすべて孤独感と有意な関連性があったが、携帯メール頻度は、多いほうが孤独感が少ない傾向はみられるものの、統計的に有意なほどの影響力は持っていなかった。すなわち、孤独感の低減には、やはり対面的接触が重要で、携帯メールだけでは効果的ではないといえるのである。
表4 孤独感(20変数)と行動特性
標準化偏回帰係数
携帯メール頻度(1「低」〜3「高」)
-.075
夕食を一人で食べる(1「週0回」〜5「週7回」) .013
友人との交遊頻度 (1「週0回」〜5「週11回−」) -.187***
デート回数(1「毎週」〜5「しない」) .216**
友人数 -.241***
恋人(1「いる」〜2「いない」)
-.127
性別(1「男」〜2「女」)
-.241***
*** p<.001 ** p<.01 * p<.05の有意水準
5.まとめ
携帯メールをよく使う若者は、友達が多く、友達や恋人とよく会い、孤独感も低い。明るく見える彼らだが、その背景には、いつでも人とコンタクトをとっていなくては不安であるといった、孤独に対する恐怖感や、孤独に耐える力の欠如が存在している。逆に言えば、携帯メールは若者の孤独恐怖と共存しているが故に、これだけ受け入れられたともいえる。
たしかに、携帯メールは、いつでも気軽にコンタクトをとれるメディアとして、これまでにない優れた特徴を持っている。孤独を恐れる心理を背景にこうしたメディアを使いこなし、また友人や恋人ともよく会い、その結果として孤独感が少ないのであるから、携帯メール自体にはなんら問題はないようにもみえる。
しかし、携帯メールにおけるコンビニ的人間関係(相手の事情を気にせずに、24時間、好きなときにコンタクトをとれる)に慣れてしまうと、孤独に耐えたり、自己を見つめたりする機会が奪われる危険性はないだろうか。
現代の若者にしても、いつまでも携帯メールにふけり、友人と頻繁に会い続けられるわけではない。中村(2002)が明らかにしたように、学生も就職すると大幅に携帯メールの利用頻度が落ちる。仕事で常時返信できる環境でなくなるためである。彼らがやがて結婚や子育てで友人ともあまり会わなくなり、さらに子離れ、配偶者の死といったライフステージをたどるとき、これまでの世代のように、うまく孤独とつきあっていけるだろうか。冒頭に紹介したハウツー本の中に『29歳からの「一人時間」の楽しみ方』というのがあったが、これは29歳頃に孤独を持て余している人が少なくないことを暗示している。ライフステージ的に、これまでのような濃密な友人関係ができなくなったとき、孤独に対する耐性がないために、深い孤独感に悩まされる人が多くなるのかもしれない。
もちろん従来から、人は孤独に直面したとき、飲酒や各種娯楽に逃避したりして、常に建設的な対処をしてきたわけではない。したがって、携帯メールの悪影響がどこまであるか定かではないが、今後、以上のような問題点について、注意深く見守っていく必要があるのではないだろうか。
注
(1)対人不安は「ひとまえで話すときには落ち着かない」「初対面の人でも平気で話ができる」「初めての場面では、うちとけるまで時間がかかる」「人に見られていると、うまく仕事ができなくなる」という設問から尺度を構成された。
(2)たとえば高校生の場合、親友に対して当てはまるとしたのは82年20.3%、87年22.5%、92年20.3%。友人に対しては82年51.0%、87年45.4%、92年46.6%であった。
(3)具体的数字は以下の通り。
|
10代 20代 30代 40代
50代 60代- |
友人であっても互いのプライベートは深入りしたくない |
53.3 50.4 64.7
79.5 85.0 88.4 |
モバイルコミュニケーション研究会(2002)
(4)回答者は松山大学309人、日本大学185人、計494人。男女比は男42.1%女57.5%。学年は1年生22.5%、2年生45.5%、3年生20.9%、4年生10.7%。調査は2002年9月〜10月の授業時間内に行われた。
文献
藤竹暁,水越伸,松田美佐,川浦康至「座談会 携帯電話と社会生活」『現代のエスプリ405 携帯電話と社会生活』2001年pp.5-33
Harre R. &
Lamb R. eds., The Encyclopedic Dictionary of Psychology, The MIT Press 1983.
p358
橋元良明「パーソナル・メディアとコミュニケーション行動」竹内郁郎・児島平人・橋元 良明編・著『メディアコミュニケーション論』北樹出版、1998年pp117-138.
伊藤守『豊かなひとりぼっちの楽しみ方』ディスカバー・トゥエンティワン、2001年
岩間夏樹『戦後若者文化の光芒』日本経済新聞社、1995年
岩下久美子『おひとりさま』中央公論新社、2001年
松田美佐、富田英典、藤本憲一、羽渕一代 、岡田朋之「移動体メディアの普及と変容」 『東京大学社会情報研究所紀要』第56号 1998年
松田美佐「若者の友人関係と携帯電話利用−関係気はクロンから選択的関係論へ−」日本 社会情報学会『社会情報学研究』4号2000年
松田美佐「大学生の携帯電話・電子メール利用状況2001」『情報研究』26号、文教大学情 報学部、2001年、pp.167-179
モバイルコミュニケーション研究会(代表:吉井博明)『携帯電話利用の進化とその影響』 科研費:携帯電話利用の進化とその社会的影響に関する国際比較研究初年度報告書、2002 年
中村功「移動体通信メディアが若者の人間関係および生活行動に与える影響−ポケットベ ル・PHS利用に関するパネル調査の試み」『平成8年度情報通信学会年報』1997年a
中村功「生活状況と通信メディアの利用」水野博介・中村功・是永論・清原慶子著『情報 生活とメディア』北樹出版、1997年b
中村功「学生の電話・社会人の電話−電話利用の状況依存性−」『日本語学』21巻第3号 3月号、2002年、pp28-35
中谷彰宏『29歳からの「一人時間」の楽しみ方』三笠書房、2002年
大平健『やさしさの精神病理』岩波新書、1995年
Pelau L.A.&
Perlman D. eds,, Lonliness: A Source book of Current Theory, Research and
Therapy, 1982. John Wiley and Sons(加藤義明監訳『子鈍感の心理学』誠信書房1988年)
津田和壽澄『もう「ひとり」は怖くない』祥伝社、2001年
辻大介「若者のコミュニケーション変容と新しいメディア」橋元良明・船津衛編『子供・ 青少年とコミュニケーション』北樹出版、1999年
辻大介、三上俊治「大学生における携帯メール利用と友人関係〜大学生アンケート調査の
結果から〜」平成13年度(第18回)情報通信学会大会個人研究発表配付資料、2001年
(本稿は2002年度松山大学特別研究助成金による研究成果の一部である)