3章 電話と人間関係 『情報通信と社会心理』北樹出版 中村功
はじめに
電話は声による電気的コミュニケーション・メディアである。手紙や電子メールなどと異なり、電話は声を使うことで対面に近い、あるいはそれ以上に親密なコミュニケーションを可能にする。またその電気的性質のために距離を越えた即時的コミュニケーションができる。かつて1960年代ぐらいまでは、電話は電報の代わりとして主に緊急時の用件連絡に使われていたが、家庭への普及が進み、より身近なものになるにつれて、おしゃべりの電話利用もすっかり一般的になった。こうしたメディアの性質や利用実態を背景として、電話による親密な人間関係が生まれてきた。
では電話上の人間関係はどのような社会的意味を持っているのであろうか。たとえば電話は今までにないコミュニケーション回路を開くことにより、従来の人間関係にはなかった地理的に拡散した電話だけによる親密な人間関係を現出しているのであろうか。あるいは電話上の人間関係は、従来からあった、対面的場を基盤とした親密な人間関係と裏腹のものにすぎないのであろうか。本論ではこうした電話による親密な人間関係について、社会心理学的に考察していく。なお本論では一般の固定電話を中心に扱う。断りなく「電話」と言う場合、ここでは固定電話を意味している。
1節 電話メディアの特徴
電話で行われるコミュニケーションはどのような特徴を持っているのであろうか。電話のメディアとしての特徴については、実験を利用した社会心理学の分野で参考になる研究が比較的豊富にある。
第一の研究分野としては、声によるコミュニケーションに関する研究がある。電話は声を伝達するメディアなので、声のコミュニケーションがどのような性質を持っているかを知ることは電話メディアの性質を知る上で役に立つ。そもそも人の話し方の特徴は、「話し方のパターン」と「声の調子」の2つの要素でとらえられるが、それらは話す人の感情によって大きく変化する。例えば話し方のパターンとしては、人は不安や困難を感じるときには話すスピードが速くなり、言葉数が多くなり、繰り返しや言葉を抜かすことも多くなる。あるいは人は自信のあるときは声が大きく、話の休止が短く、早口になるが、それを聞く人も話し方から自信のあるなしをかなりの程度判断できるという。あるいは声の調子では、様々な感情を込めてアルファベットを発音すると、それを聞いた側は声に込められた感情をかなり正確に言い当てることができる。怒りや恐れの感情では高い声になり、冷淡の感情では低くなる等の特徴がある(Kleine,1975参照)。人は内容ばかりでなく、話し方によっても感情をかなり正確に伝えているのである。電話は人の音声を伝達するメディアであり、手紙や電子メールなどに比べて、声による微妙な感情伝達が可能になるという、メディア的特徴を持っているのである。
第二の研究群としては、1970年代にイギリスを中心に行われた、メディアのコミュニケーション効果に関する実験的研究がある。ここでは主にビジネス場面を念頭に置き、電話やテレビ電話のコミュニケーションが対面コミュニケーションとどう異なるのか、が研究された。ここで研究者たちは主に電話が業務にどこまで活かせるかに関心があり、電話では対面のコミュニケーションに比べて何が欠如しているか、を検出しようとした。しかし結果の多くは当初の予想に反したものであった。
たとえば説得に際しては、対面しての説得よりも電話での方が相手の意見の変化量が多かった(Short,1976)。また説得の結果は対面による説得より電話による方が持続する傾向があった(Muson,1982)。あるいは交渉ごとでは、優位な立場の者は、対面より電話の方が有利な結果を引き出す傾向があった(Morley
&
Stephanson,1970)。このようなビジネスライクな場では、電話は必ずしも欠如したメディアであるというわけではなかったのである。こうした現象が起こるのは、電話では表情や態度などによる感情伝達が減少するために、むしろ合理的な判断が行われるためと考えられる。(従って逆に、対面では合理的判断以外の要素が活用できるため、交渉ごとでは、対面の方が合意に達しやすい等という側面はある。Short,1976)また対面の方が電話でよりも嘘を見抜きやすいか、という問題においては、そのようなことはない、という結果がある。例えばリード(Reid,1977)の実験では対面と電話で嘘を見抜く割合に違いは見られなかったし、ゲラー(Geller:in
Muson,1982)の実験では被験者に相手の性格を評価させたが、対面での方が誤った印象形成が起こりやすいことが明らかになった。これは対面では外観を装うことで相手を欺きやすくなることや、電話では注意が声に集中するので、嘘をついたときに声のレベルが高くなる現象に気がつきやすいためと考えられている。
さらに、コミュニケーションのスタイル面で、電話はそれほど不自由なメディアではないことが明らかにされている。例えばD.R.ラター(Rutter,1987)によると、音声のみの会話(電話条件)では同時発話は対面時よりも少なく、電話の会話は対面よりもむしろスムーズであった。これは、電話では視覚的チャンネルによる会話の制御ができないために、話の割り込みを無意識的に少なくしているためと考えられる。また川浦(1990)によれば、ある実験場面において、対面では全体の21.3%の無発話時間があったのに対して、電話では14.3%と有意に少なかったという。電話だからといって、沈黙時間が増えたり、話がぎこちなくなったりはしないのである。これは、頷きの代わりに電話ではより頻繁に相づちを打つというように、視覚によるコミュニケーションを声で代替しているためと考えられる。
以上のことは電話が親密なコミュニケーションを可能とするメディアであることを裏づけているが、親密性の点ではさらに次のようなことが挙げられる。第一に電話機では口許の送話マイクで拾われた音声が耳に押し当てられた受話スピーカーを通じて伝達される。そうするとあたかも耳元でささやくような形になり、相手の息づかいが聞こえ、独特の親密感が生まれる。たとえば、「いのちの電話」で相談員の電話をスピーカーホンにしたところ、親密感が消えてうまく相談にのれなくなってしまったという(誉田,1986)。あるいは普通の電話機とスピーカーホンを比較すると、普通の電話機の方が、相手がそこにいるという感覚を得やすい、「存在感」の高いメディアであると認識されているという、ショート(Short,1976)の実験結果もある。(「存在感」は具体的には、各メディアを通して議論させた後に各メディアに対する印象をたずね、それを分析したものである。ここでは「敏感な」「社交的な」「暖かい」「パーソナルな」等の評価が存在感に結びつくものとされた。)
第二に、面と向かっては話しにくいことでも電話なら話しやすい、ということがある。実験では電話ではなく、対面条件とついたて越しなどの非対面条件を比較しているが、このことを裏づける結果がいくつかある。たとえばジークマン(Siegman,1978)の実験では、話題があたりさわりのないものだと対面条件の方が発話量が多いが、個人的内容の時には非対面条件の方が発話量が多くなる。あるいは飯塚ら(1985)によると、性に関するような当惑的話題では、対面より非対面条件の方が発話量が多くなるという。顔が見えないと恥ずかしさが薄れるために、個人的な話題や話しにくいことも話しやすいのであろう。
電話はこのように親密な会話にとって、必ずしも都合の悪いメディアではなく、所有や料金面での制約がなくなれば、おしゃべり電話が一般化するのはむしろ当然のことであった(おしゃべり電話の歴史については中村,1997を参照)。
2節 電話コミュニティーへの注目
1節で見たように、電話は親密なコミュニケーションを可能にし、またそのコミュニケーションは物理的距離を超越して行うことができる。こうしたメディアの一般化は、今までの人間関係を変化させる可能性がある。電話コミュニティとも言うべき、電話上の親密な人間関係の出現に研究者たちは注目してきた。
たとえばアメリカの社会学者アロンソンは「サイコロジカル・ネイバーフッド(心理的近隣)」という用語を使い、電話で維持されるコミュニティについて次のように述べている。
電話の普及とともに、人々の社会関係のネットワークは住居による物理的範囲(オリ ジナルな意味の近隣)には制限されなくなった。すなわち、人々は人間的魅力や共有さ れた関心に基づいて、住んでいる地域を越えた親密な社会ネットワークを発達させるこ とができる。拡散した社会ネットワークについては、多くの都市住民が大都市圏に拡散 して住んでいる人々と第一次集団を形成していることが、よく言われる。そうした集団 は対面の会合と同様に電話を通じても相互作用している。こうした第一次集団は、人々 の「サイコロジカル・ネイバーフッド」(psychological
neighborhood)を形成している。 もちろん、近代交通が寄り集まることを可能にしているが、電話による結合なしに、そ れが長い間続くかはおおいに疑問である。(Aronson,1971)
彼がここで提出した「サイコロジカル・ネイバーフッド」とは、一言で言えば「電話を通じて相互作用する、地域を越えた親密なネットワーク」のことである。例としては、健康を確認し合って毎日電話する1人住まいの高齢未亡人のネットワークが挙げられている。
しかし、地域を越えた電話の親密なネットワークについて指摘したのは何もアロンソンが初めてではない。たとえば社会学者のリンド(Lynd)は1929年に著書『ミドルタウン』で20世紀初頭のアメリカの都市生活を分析しているが、その中でリンドは電話についても触れている。彼らは当時近隣に住む親友の割合が減少していることを指摘した後で、「私は滅多に訪問をしません。たいていは友達と電話で接触を保っているのです」という住民の声を取り上げる。そして「訪問の電話訪問への希薄化は1890年以来の現象の一つである」(原著275頁:ただし邦訳では省略)と述べている。リンドはアメリカではすでに1900年前後から対面の近隣関係が衰退し、それが電話による、弱い人間関係にかわりつつあったことを指摘しているのである。
またボール(Ball,1968)はアロンソンに先立つ数年前「電話の社会学へ向けて」という論文を記した。そこで彼は、リンドの著作を引用しながら、電話は空間が人間関係を分離する作用を減少させ、社会的遠心作用を持っているという。また電話は従来のピラッド型の組織では接触できなかった人同士をつなぎ、情報のバイパスを作るために、トップの中心性が失われるといった脱中心化作用があると言う。
一方ガンパート(Gumpert,1987)は「メディア・コミュニティー」(media community)という概念を提唱し次のように述べる。
2人以上の人間が、同じ場所で面と向かって、お互いに様々な事柄を話し合うこと、 これこそがコミュニティー成立の基礎である。しかしながら様々なメディアが空間的な 制約を取り除いて、対人コミュニケーションの範囲を拡大・拡散した今日、人間同士の 話し合いに「同じ場所にいる」という条件が不要になった。(Gumpert,1987,邦訳247頁)
彼は、物理的近接性のない、電話・テレビ・ラジオなどのエレクトロニクス・メディアによって結ばれているコミュニティーを「メディア・コミュニティー」と呼んでいる。それは共通の利害関係や価値観に基づいて選択的に構成されるコミュニティーである。メディア・コミュニティーもサイコロジカル・ネイバーフッドに似ているが、マスメディアを通じて単に情報を共有する人々までもコミュニティーに含んでいる点が異なっている。
また、A.ヴルツェルら(Wurzel,1977)は電話の主要な心理的機能に「象徴的近接性」(symbolic
proximity)の維持があるという。彼らによると、人間の社会的現実の境界は接触する空間には基づかず、象徴的近接性に基づいている。象徴的近接性は距離をダイヤルする時間に置き換え、日々の相互作用の援助的部分を即座の接触に対する電話の可能性に置き換えているという。たしかに自宅から同じように10キロ離れたところでも、電話がつながる場所とそうでない場所では、電話がつながる場所の方がより近く感じるであろう。象徴的近接性とは具体的にはそのようなことを指している。ヴルツェルらは、アロンソンやボールの「サイコロジカル・ネイバーフッド」は電話が即座の相互行為と緊急のつながりを維持する点を強調するが、これは象徴的近接性の維持という電話の心理的な機能に付随したものであるという。彼らはサイコロジカル・ネイバーフッドを、人間の社会的接触の次元という、より広い概念の中で位置づけようとしているのである。
社会的接触が、電話を含む電気的メディアによって、物理的場所の次元から引き離されるという議論はしばしばなされてきた。例えばマクルーハン(McLuhan,1964)は電子メディア時代にあっては聴覚が重要になり、あらゆることが同時に起こり、空間的な距離が無化し、世界は「地球村」のようになるという。あるいはメイロウイッツ(Meyrowitz,1985)は「電話、ラジオ、テレビ、コンピュータなどを通じてコミュニケートするとき、我々が物理的にどこにいるかは、もはや我々が社会的にどこにいて誰であるか、ということを決定しなくなっている」と述べ、電子メディアが物理的「場」と社会的「場」をほぼ完全に分離するという。例えば2人の友だちが電話でしゃべっているとき、彼らが「居る」状況はそれぞれの物理的位置とはほとんど関係がない。あるいは、ティーンエイジャー同士が電話で話すとき、彼らは物理的距離を飛び越え、同居している大人たちから離れた「背後領域」を作り出す、という。
以上のような議論を背景として、日本でも様々な議論がされてきた。たとえば藤竹の『電話コミュニケーションの世界』(1980)は我が国における電話の社会学的研究の先駆けとなる本である。ここではいち早くアロンソンの「サイコロジカル・ネイバーフッド」の概念が紹介されているが、藤竹は「長電話は、実際に出会って話をする面談関係とは次元の異なる別種の人間関係が電話によって成立していることを示している」と述べている。
あるいは吉見(1992)は「電話の偏在化が、家庭、地域、都市のそれぞれの領域で対面的な空間と非対面的な空間の二重化という事態を起こさせていく」(吉見ほか1992,p19)という。例えば親子電話やコードレス電話は家族の成員を直接外部社会に媒介するようになり、個室が広域的なネットワークの一部となり、家庭がコミュニケーション空間としては分解するという。あるいは電話は横断的で、コミュニティの境界を越えたネットワークを形成するために、閉鎖的でヒエラルキー的な地域社会の秩序を揺り動かすという。さらに携帯電話については、都市において人間をその場のリアリティーから乖離させ、都市空間のあり方に変容をもたらす、と言っている。
また川崎(1994)も「サイコロジカル・ネイバーフッド」「メディアコ・ミュニティー」「地球電子村」(elctric gloval
village)などの言葉を紹介しながら、今までの地理的に限定された隣人(関係・社会)が電話を媒介にして、きわめて大きな広がりを持つようになった、と述べている。
また渡辺(1989)によると、電話は物理的・社会的距離をゼロにし、物理的・社会的距離を一様なものとして感じ、振る舞う。これは地縁・血縁関係が薄れ、広い範囲から選択的に人とのつながりを求める傾向や、あまり親しくない人とも部分的・一時的なら親しさを演技しようとする現代人の傾向と符号しているという。すなわち、「私と相手が、たとえどれほどの物理的・社会的距離を持とうとも、それを超越して、親しい、対等の人間として同時に存在するという虚構を作り出せること。これは何より電話的な関係を象徴するものであるが同時にきわめて現代的な人間関係の特徴である」(渡辺1989,p56)という。
一方吉井(1993)は、アロンソンをはじめとして、メディアの発達が人々のコミュニケーション構造を変え、新しいコミュニティを作るという議論がこれまでも多くなされてきたとした上で、しかし、電話で結びつけられた社会集団には親密度の異なるものが含まれており、親密度による分類が必要である、という。すなわちそれは、@よく電話をかけ、かつ普段会っている相手Aよく電話をかけるが普段会っていない相手Bときどき電話するだけでほとんど会わない相手の3つである。@は心理的には家族ととれるほど親密度が高く(心理的家族)、逆にBはメディアにより弱く結合した社会集団(心理的コミュニティー)である。そしてアロンソンの心理的近隣はAにぴったりあてはまるという。そして電話はこの3層構造を持ったメディア・コミュニティーを形成するのに寄与しているという。
またこれは固定電話についてではないが、吉井ら(1999)は移動電話を利用した人間関係について「フルタイム・インティメート・コミュニティ」という概念を提出している。これは、普段からよく会っている少数の仲間と携帯電話によって頻繁に話すことによって、心理的に24時間一緒にいるような気持ちになるような関係性を指している。
このように電話上の人間関係を表す議論や概念は様々あるが、それらを@日常的に会うか会わないか、Aおしゃべり電話をする(親密)か用件電話のみの関係か、といった2つの軸で整理すると、図3−1のようになる。すなわち、仕事上の関係を除いた「私的電話ネットワーク」は日常的に電話をやりとりする人間関係を指す広い概念である(本論では「電話上の人間関係」と同意)。その中には次の4種類の関係が含まれている。すなわち、日常的に会いおしゃべり電話をする関係(T)には心理的家族(吉井)が該当する。またフルタイム・インティメート・コミュニティは本来携帯電話を使った人間関係をいうが、それもここに入るだろう。一方、「心理的近隣」(アロンソン)や「メディア・コミュニティ」(ガンパート)は、日常的に会わないがおしゃべり電話をする関係(U)といえるだろう。そして以上の関係性(TとU)には日常的に会う場合と会わない場合があるが、いずれも電話上の親密な関係が存在している。ここではそうした電話上の親密な関係性を「電話コミュニティー」とする。また、日常的に会うが用件電話のみの関係(V)は、「対面中心のコミュニティ」といえるだろう。そして最後に、日常的に会わず用件電話のみの関係(W)は電話による注文先や親しくない姻戚などの「家事の相手」が該当している。
図3-1 私的電話ネットワーク(電話上の人間関係)
|
日常的に会う |
日常的に会わない |
おしゃべり電話 をする(親密) |
T
心理的家族 (フルタイム・インティメート・コミュニティ) |
U 心理的近隣 メディア・コミュニティ |
用件電話のみ |
V 対面中心の コミュニティ |
W 家事の相手
| |
|
一方これまでの諸議論が共通して指摘するのは、電話というメディアはおしゃべり電話を通して物理的接触から解放された新しい親密なコミュニケーションを可能にする。このように電話が従来のコミュニケーションの構造を変えることによって、従来にない、地理的に拡散した、新しいコミュニティーが作られる、という点である。そして多くの論者が、そうしたコミュニティはこれまでの地縁・血縁から分離した、きわめて現代的なものである、と考えているようである。
こうしたサイコロジカル・ネイバーフッド、あるいはその類似概念は、おしゃべり電話の普及とともに内外でよく論じられ、社会学的に注目される現象となってきた。しかし、その性質・構造・機能などは明確ではなく、その実態もこれまでほとんど解明されてこなかった。
3節おしゃべり電話の実態
電話における親密な人間関係の実態を調べる前に、まず電話利用の実態からみてみよう。1 インスツルメンタルとコンサマトリー
一口に電話をすると言っても、そこには、119番通報から、チケットの予約、飲み会の連絡、近況報告、あるいは悩みの相談等々、さまざまな種類の通話がある。研究者によってその表現は違うものの、それらは大きくいって2つの種類に分けられる。例えばケラー(Keller,1977)は道具的(instrumental)利用と本質的(intrinsic)利用に分けている。ここで道具的利用には病気や事故の際の緊急連絡、売買の電話、テレホンサービスや医療相談などが含まれる。一方、本質的利用は友人や親戚との社会的接触を意味し、人々を結びつける基本的な道具としての電話の利用法を意味する。あるいはクライス(Claisse,1989)は目的志向(Sachorientiert)の通話と人間志向(personenorientiert)の通話に分ける。前者はその効果により価値が決まる通話で、後者は直接的接触を目指す通話である。またフイッシャー(Fischer,1992,p75)は電話の実用的な利用法に対して、電話の社交性(sociability)あるいは社交的(social)通話という言葉を使う。これは電話で非道具的な個人的な関係を遂行することで、具体的には個人的な会話を意味している。社会心理学ではコミュニケーションをインスツルメンタル(道具的)とコンサマトリー(自己充足的)に分けることがよくなされる。依頼のような何か別の目的のために行われるコミュニケーションは道具的とされ、挨拶やおしゃべりなどコミュニケーションをすること自体に意味があるのがコンサマトリーなコミュニケーションである。前出の藤竹(1980)にもこの分類は見られ、我が国でもよく通話の分類に応用されている。
これらはいずれも大変類似した分類法である。しかし厳密にいえばある通話を完全にどちらかに分けることはできない。ある1つの会話が両方の意味を持つこともあるし(例:予定を聞くという行為)、一つの通話に近況報告と会合の連絡なと両方の会話が含まれることも多いからである。しかし電話による親しい人間関係、ないしコミュニティーを考える場合おしゃべりなどコンサマトリーな会話はどうしても不可欠であり、その点でこうした分類は一定の意味を持っている。
ところで、これらの電話利用は通話時間と関連していると考えられる。例えば、吉井(1993)は電話の利用形態を通話時間と目的から4つに分類している。すなわち、第一が「安否」段階である。これは安全に関する緊急連絡を目的とし、通話時間は1分以内である。第二は「用件」段階で通常の用件のための電話で通話時間は1分から3−5分以内である。第三は「おしゃべり」の段階で、精神的効用を得るための「おしゃべり電話」に代表される。通話時間は3−5分以上1,2時間以内の電話である。そして第四は「疑似環境」段階で、別のことをしながら電話をする「ながら電話」など、あたかも同じ場所にいるような雰囲気を作るための通話で、1,2時間以上の通話時間となる。ここで、通話時間の短い前2者は道具的な利用、通話時間の長い後2者はコンサマトリーな利用ということになる。
2 利用者特性
おしゃべり電話と最も関連の深い通話の特徴は、一回あたりの平均通話時間である。これが長い人ほどおしゃべり電話をしていると考えることができる。ここでは筆者らの研究グループが首都圏在住者を対象にした調査('99首都圏調査)(詳細は橋元ほか,2000)を中心に電話利用の実態をとらえる。それによれば、一回あたりの平均通話時間は、女性性、若年性、未婚性の3要素が長さの原因となっていた。すなわち、男性の平均通話時間が8.4分なのに対し女性は18.1分と、女性が2倍以上の長電話であった。また年齢では、10代が23.7分、20代が16.2分、30代が9.0分、40代が8.7分と10代20代がとくに長い。そしてこれは年齢と相関する部分も大きいが、結婚別では既婚者が9.6分なのに対し未婚者は17.8分であった。これら三要素を組み合わせてより細かくみると、図3-1のようになる。すなわち性別はどの層でも女性が長電話であるが、年齢では30代以降になると減り方は少なくなる。また既婚か未婚かは20代の男女で影響があるものの、30代・40代ではほとんど影響がなかった。これは、30代以降では未婚者の相手に既婚者が多くなり、未婚者も既婚者と類似してくるためと考えられる。吉見(1992)は、ある電話会社が行った調査から、単身性と女性性がおしゃべり電話につながっていると述べたが、今回の調査では若干の限定はあるものの、ほぼ同様の傾向がみられた。
一方通話頻度は平均通話時間とは別の傾向を持っている。すなわち週あたりの通話頻度では、男性5.5回女性8.3回と女性の方がよく電話する。しかし年齢別では、10代7.4回、20代7.2回、30代6.4回、40代6.4回とほとんど差がなく、また既婚者が6.6回、未婚者が7.0回とこれもほとんど同じであった(いずれも分散分析の有意差なし)。しかし性別・年齢・結婚別を組み合わせてみると、もっとも電話回数が多いのは30代の既婚女性(9.1回)で、ついで20代既婚女性(8.5回)、40代既婚女性(8.4回)など、既婚女性の通話回数が多くなっている。これは、既婚女性が、家庭の用事や親族とのコンタクトなど、家庭の中で秘書的な役割をしているためと考えられる。
図3-2 性・年齢・結婚別平均通話時間(分) '99首都圏調査
(数字はカテゴリカル・データを数値に変換したもの。その際中間値を採用したが、1時間以上は1時間などとした。)
|
年齢 性別 結婚 |
10代 |
20代 |
30代 |
40代 |
男 未 |
女 未 |
男 |
女 |
男 |
女 |
男 |
女 |
未 |
既 |
未 |
既 |
未 |
既 |
未 |
既 |
未 |
既 |
未 |
既 |
|
7.3 |
7.5 |
6.5 |
5.7 |
8.1 |
8.5 |
5.5 |
4.6 |
7.4 |
9.1 |
5.0 |
4.5 |
3.6 |
8.4 | |
|
表3-1 性・年齢・結婚別平均通話回数(/週) '99首都圏調査
電話利用を左右するその他の要因としては、交友関係、社交性、在宅時間などがある。川崎(1994)は、総務庁による青年層対象のある調査を分析した結果、親密な友人関係を持つ人ほど一回あたりの電話時間が長いことを見出している。我々の調査でも似たような結果が見られる。すなわち親友の数が多い人(3人以上)は平均通話時間が15.0分なのに対して、親友の少ない人(2人以下)は11.1分であった。また週あたりの通話頻度にしても、親友の多い人は7.4回、少ない人は6.2回であった。親友が多い人は通話時間、通話頻度ともにハイレベルで、電話利用が活発なのである。
次に社交的な性格との関連だが、社交性と平均通話時間とは、首都圏調査ではとくに関連は見られなかった。しかし、社交的な人ほど通話回数は多かった。すなわち「知らない人と話すのが苦にならない方だ」という質問で社交性の高、中、低を測定したところ、社交性の高い人は週あたりの通話頻度が7.9回と多く、ついで中の人が6.9回、社交性が低い人は5.7回にとどまった。
また在宅時間の長い人は通話時間、回数両面で電話行動が活発である。すなわち在宅時間が長い(12時間以上)人の通話時間が14.2分に対して短い人(11時間以下)は11.2分、回数は在宅時間が長い人が7.4回なのに対して短い人は6.0回であった(いずれの差も分散分析で有意)。
以上のように女性、若者、独身者、親しい友人が多い人、在宅時間が長い人などは1回あたりの平均通話時間が長く、おしゃべり電話をよくする層である。電話上の親密な人間関係は、とくにそのような人たちにとって、重要な意味を持っていると考えられる。
4節 私的電話ネットワークの実態
1 距離の超越
電話コミュニティに関する議論の多くは、電話が距離を超越するメディアであることから、電話上の人間関係もまた距離を超越する、という観点を持っていた。では実際の電話上の人間関係はその点どうなっているのであろうか。
各通話がどこからどこにかけられたかのデータはすべてコンピュータでモニタリングされており、一般に「トラヒック・データ」と呼ばれる。それによると、1997年度には我が国では合計約828億回の通話がなされたが、そのうち59.5%が市内通話であり、15.3%が隣接区域内通話で、それ以遠との通話は25.2%であった(郵政省,1999)。日本の電話の3/4は市内および隣接区域といった比較的近距離にかけられているのである。また、これは世論調査の結果だか、1991年に東京都民に行った調査('91東京調査;橋元ほか,1992)では、最も最近電話した相手のうち49.4%が都内、34.2%が首都圏内、そして15.5%がそれ以遠の地域にいた人であった。このように、電話は基本的には、比較的近距離のコミュニケーションをすることが多いメディアなのである。
この傾向は我が国に限ったことではなく、欧米各国でもみられる。例えばメイヤー(Mayer,1977)によれば、アメリカの大都市圏では住宅からの電話の約70%が半径5マイル以内の通話であった。そしてアメリカのいくつかの電話局のデータを見ても約40-50%の通話が2マイル以内の通話であったという。あるいはランゲ(Lange,1989)によると1986年の西ドイツの通話の62.3%は市内通話であり、またベルリン市民への調査によると遠距離通話は全体の9%にすぎなかった。ここでランゲは電話が長距離をつなぐメディアであるというのは一つの偏見であると主張している。さらにクライス(Claisse,1989)は、フランス・リオンにおける調査では家庭の80%の通話が都市圏内で行われているとし、電話が距離を克服するという考えは神話にすぎない、と述べている。
ところで、著者は私的電話ネットワークの構造を知るために、似たような形式の調査を何度か行ってきた。それは、日頃私的な電話をよくする相手について、その相手との間柄、相手との距離、対面接触頻度、親密度などについて、相手ごとに答えてもらう調査である。調査票には10〜15人分の記入欄が用意され、思い浮かぶ限り何人でも記入してもらった。本論では松山市民を対象とした調査('97松山調査)と首都圏住民に対する調査('99首都圏調査;中村他,1999)について紹介する。
'97松山調査では全通話相手のうち68.8%が市内通話圏内に住む相手であった。ここから通話量だけでなく、通話相手も近距離が多いことがわかる。一方'99首都圏調査では、通常の交通機関で1時間以内の場所に住む相手が58.3%であった。やはり過半数が比較的近距離に住んでいるといえるが、首都圏ではそうした相手が他地域よりは若干少なめである。これは、首都圏の市域が広大なことが主な原因であろう。あるいは、人口流動が他地域より激しいために、物理的に広い対人ネットワークを持っている人が多いのかもしれない。しかしこのように日常的な通話相手についてみると、通話量や最後にした通話の相手をみるのに比べて、遠距離の相手が多い傾向がある。これは、遠距離の相手には、通話頻度は少ないものの、継続的に電話をするような相手が存在するためであろう。しかしいずれにしても6〜7割の通話相手は日常の生活圏内にいる人であった。このように、トラヒック・データや通話相手の地理的配置を調べると、現実の電話ネットワークは近距離が多く、距離を完全には超越していないようにみえる。しかし、その一方で、少なからぬ相手が遠距離に存在していることもまた事実である。このことは、一口に電話コミュニティーといっても、そこには多様性が存在していることを物語っている。
2 対面接触との関係
以上のように現実の電話ネットワークが物理的距離に拘束されがちな傾向は、電話相手との対面関係に由来している。というのは、電話相手の多くは電話だけでつきあっているのではなく、現実の社会でも物理的に会っているからである。例えば先の'91東京調査では最も最近電話した相手とどの程度会っているかをたずねたところ、「毎日のように会う」13.7%、「月に数回会う」47.3%、「年に数回会う」29.8%、「ほとんど会わない」6.6%、「会ったことはない」1.8%など、月に数回以上会う人が6割に達しており、日常的に対面接触する相手が多かった。また親戚などがそこに含まれるのだろうが、年に数回会う相手が3割おり、それを加えるとほとんどの電話相手と対面接触をしている。電話は基本的には、対面接触をする人とのコミュニケーション・メディアなのである。
同様の傾向は、通話相手一人一人についてたずねた松山調査・首都圏調査でもみられる。すなわち松山調査では私的電話相手の51.3%、首都圏調査では56.7%が日常的に対面している人であった。
このように対面接触と電話が密接な関係を持っていることは、通話内容とも関わりがある。もっとも最後にした通話について主な通話目的を尋ねたところ、一般的な連絡通知、約束、指示・依頼、問い合わせ、緊急連絡、予約注文、勧誘などといった道具的な内容が59.2%を占め、近況報告、雑談、暇つぶし、相談、情報の交換といったコンサマトリーな内容は36.2%にとどまった('91東京調査)。この傾向は長電話をよくする若者でも同様である。例えば著者が90年に首都圏の大学で行った同様の調査では道具的な内容が69.9%、コンサマトリーな利用が23.3%であった。もちろんここでは主な内容を聞いただけなので、用件の前後におしゃべりが行われることも多いだろう。しかし、とにかく用件に絡んだ通話が多いのは事実である。よほど親しい人を除けば、電話をするときに何らかの用件がないと、しにくいのかもしれない。そしてこの用件は、会う約束などに代表されるように、対面関係を基礎とした人間関係の中で生じることが多い。だとすれば、通話の多くが道具的内容を含み、対面接触する人との通話が多いがゆえに、比較的近距離の通話が多くなるということになる。
3 サイコロジカル・ネイバーフッドの実態
では、電話は基本的には比較的近距離に住み、日常的に会う人たちの間でするもので、アロンソンがイメージしたような、日常的に会わない人同士の親密な電話関係は全く存在しないのであろうか。調査から通話相手との距離、対面接触、主な通話内容などをみると、そのようなことはなく、少なからぬ割合でそのような関係がたしかに存在しているようである。
例えば'97年の松山調査では、日頃よく電話をする相手の中で、「日常的に会うことがなく」かつ「親しい」電話相手との関係をサイコロジカル・ネイバーフッドと考え、その特徴を分析した。その結果、そのような相手(サイコロジカル・ネイバー)は日頃電話する相手の38.2%を占めた。間柄では友人が50.1%を占めるが、親族が32.2%とその他の人と比べるとかなり多くなっている。
|
電話相手 |
間柄 家族 友人 親族 その他 |
相手の住居 市外 |
親しい+日常会わない それ以外 |
15.5 50.1 32.2 2.2 14.3
57.3 17.4 11.0 |
63.2
11.6 | |
|
表3-2 サイコロジカル・ネイバーの特徴('97松山調査)
またサイコロジカル・ネイバー間の距離をみると、市外に住む人の割合が63.2%もおり、そうでない人の11.6%に比べ著しく多くなっている。距離が物理的接触を阻み、電話に依存した関係を作り上げている傾向が読み取れる。
|
性別** 男 女 |
年齢* 20代 30代 40代 50代 60代 |
なし あり |
39.3 28.0 60.3 72.0 |
27.9 34.7 25.0 42.2 40.2 72.1 65.3 75.0 57.8 59.8 | |
|
表3-3 サイコロジカル・ネイバーの有無と性別・年齢の関係('97松山調査)
では、どのような人がサイコロジカル・ネイバーを持っているのか。サイコロジカル・ネイバーを1人でも持つ人は男性が60.3%であるのに対し、女性は72.0%と、女性の方が多くなっている。女性は電話好きと言われるが、そのような女性の特徴がここに現れているのであろう。年齢では40代が最も多く、ついで20代が多かった。逆に50代・60代といった高年齢層で若干少なかった。しかしサイコロジカル・ネイバーフッドを持つ人が若い人に限られているという傾向はなく、高齢層でも半数以上の人がサイコロジカル・ネイバーを持っていた。
こうしてみると、サイコロジカル・ネイバーには、若者の電話友達といった、メディア時代にふさわしい新しい人間関係がある一方、とくに中高年の場合などは、離れて住む親族や古い友人など、旧来の関係性を基礎として成立しているものも多いのではないか、と考えられるのである。
4 利用者とネットワーク特性
アメリカのディミックら(Dimmick,J.,Patterson,S. and
Sikand,J.,1996)は私的電話ネットワークの実体を知るために、どのような人がどのような電話ネットワークを持っているかを検討した。彼らによると、ある人の持つ私的電話ネットワークはその成員間の親密性と距離によって4タイプに分類できるという。すなわち、親密な相手と近距離の相手の割合がともに高いAタイプ、親密な相手の割合は低いが近距離の相手の割合が高いBタイプ、親密な相手は多いが近距離の相手の割合が低いCタイプ、親密・近距離ともにその割合が低いDタイプの4つである。その上で、2回にわたる電話調査(コロンバス調査、オハイオ調査)で、私的な電話をする相手一人一人について、相手のイニシャル、間柄、親密度、相手との距離をたずね、他方回答者の属性など(移動性;5年間の引っ越し回数、教育:院卒5〜高卒1、収入:1〜11)についてたずねた。その結果、Aタイプのネットワークを持つ人はCおよびDタイプを持つ人より居住年数が長く、A、Dタイプの人よりも教育水準が低かった。Cタイプの人はAやBタイプよりも長距離電話をよくかけていた。そしてDタイプの人はAタイプやBタイプの人よりも移動性型が高かった。これは次のようなことを意味する。すなわち、これはCタイプの人に典型的に見られるが、教育水準が高い人は高収入で、おそらく仕事のために引っ越しが多くなる。そういう人は結果として広い範囲に親しい人が存在しており、遠距離通話をかけることでそのネットワークを維持している。これは現代的なコミュニティのスタイルである。その一方、Aタイプに代表されるのが伝統的なコミュニティ・スタイルである。低学歴低収入の人はあまり地理的移動がなく、比較的狭い範囲で親密なネットワークを持っている。そうした人は電話ネットワークも近距離が多くなるというわけである。この結果自体はそれほど驚くべきものではないが、電話ネットワークを実証的に明らかにしようとする試みとして評価できる。
ネットワークタイプ |
居住年数 |
移動性 |
教育 |
収入 |
遠距離通話数 |
A
(親密/近い) B
(疎遠/近い) C
(親密/遠い) D
(疎遠/遠い) |
21.22 16.44 12.44 11.31 |
1.05 1.01 1.27 1.63 |
2.76 2.91 3.51 3.72 |
3.68 3.87 4.47 4.20 |
4.13 3.04 7.77 6.37 | |
|
表3-4 ネットワークタイプと社会属性 コロンバス調査 Dimmick,1996
ところで著者は97年松山調査で、ディミック調査を参考にしながら、似たような内容を質問紙調査の形式で行った。その結果、所有する電話ネットワークタイプと最も関係が深いのは引っ越し回数(移動性)で、A、B両タイプの人は引っ越し回数が少なく、D、C両タイプの人は引っ越しが多かった。またA、Cタイプの人は男性が多く、B、Dタイプを持つ人には女性が多かった。これはおそらく女性(特に主婦)が家庭では秘書的な役割をしているために、あまり親しくない電話相手が多くいるのであろう。またディミック調
査と同様にAタイプの人とCタイプの人は対照的な性質を持っていた。すなわち、Aタイプの人は学歴や収入が低く、引っ越し回数も少ない。逆にCタイプは学歴が高く、収入が多く、引っ越し回数も多かった。その一方居住年数や、年齢、平均通話時間などは電話ネットワークタイプと有意な関係はみられなかった。
x2検定:*p<.05 **p<.01 分散分析:+p<.05 +++ p<.001
|
タイプ / 構成比 |
性別** 学歴* 職業* 引越回数+++ 世帯収入+
|
A
(親密/近い)29.4% B
(疎遠/近い)16.9% C
(親密/遠い)30.4% D
(疎遠/遠い)23.3% |
男 低め フルタイム 3.3
544.2 女 主婦 3.2 572.4 男 高い 4.6
634.0 女 主婦 4.5
566.4 | |
|
表3-5 ネットワークタイプと社会属性 '97松山調査
そのほかこの種の調査で特に興味深いのは、遠距離通話の相手の方が市内通話の相手より、親密な人の割合が高いということである。すなわち親密な人の割合は、ディミックのコロンバス調査では、遠距離で73.7%、市内で62.5%、オハイオ調査では遠距離で79.1%、市内は62.9%であった。また日本の松山調査でも同様の傾向があり、親密な人の割合は市内通話圏の相手で80.0%なのに対し、それ以遠の相手では87.4%であった(カイ二乗検定の有意水準は1%)。一見遠くの相手とは縁遠くなると思われるので、この結果は若干の意外性を持っている。これは遠距離通話ではちょっとした用件の通話が減るので、あまり親しくない人との通話が相対的に減るためと考えられる。逆に言えば、遠距離通話ではしっかりした親しい関係性だけが生き残るのである。そこにはおそらく肉親や、引っ越しや長い時間を経ても変わらない親友などが含まれるのであろう。なお、トラヒック・データによると、遠距離通話では一回あたりの通話時間が長くなっており(市内258秒、100キロ以上333秒;NTT,1999)、ことことは遠距離で短い用件電話が少ないことを裏づけている。
5 移動電話電子メールなどとの関係
電話は単独で使われるのではなく、対面接触やその他の通信メディアと組み合わされて使われることが多い。したがって電話コミュニティの意味を知るためには、他メディアでのつながりを含めた、総合的な関係性の中でそれをとらえる必要がある。
そこで、先に取り上げた99年首都圏調査では、電話をはじめとして、移動電話(携帯電話・PHS)、FAX、電子メールを使って、仕事以外で月1回以上やりとりする相手
について質問した。最高10人までについて、相手との間柄、利用するメディアの種類、日常的に会うかどうか、住居までは1時間以内の距離かどうか、などをたずねた。その結果、合計3077人の通信相手について、データが収集された。このデータを元に、各メディアの利用のされ方の違い、そしてメディア利用の重層性についてみてみよう(表3-6)。
まずメディアごとの違いだが、電話と比べて移動電話は友人に特化した使われ方をしている。また日常的に会う相手も67.1%と電話の56.7%に比べて高く、同時に住居が1時間
以内と近い人の割合も63.6%と電話より高くなっている。ちなみにトラヒック・データによると、携帯電話からの通話はほとんど(対固定電話の96%)が営業区域内およびその隣接県という、中・近距離にかけられている(郵政省,1999)。移動電話は固定電話より、近隣の、日常的によく会う、友人と利用される傾向があるのである。すでに固定電話が用件電話を原因として、対面接触との関係性が強いことを述べたが、移動電話では友人との関係性が強くなることによって、その傾向がいっそう顕著になっているようだ。この傾向は、移動電話が「フルタイム・インティメート・コミュニティ」の創出に貢献していることを示唆している。
利用メディア |
家族
友人 親族 恋人 他 |
電話
移動 FAX Eメール |
会う |
住居近 |
N= |
全体 |
13.0 64.0 12.9 3.2 6.9 |
73.7 44.4 6.5 13.5 |
55.8 |
57.4 |
3077 |
電話 |
14.7 61.0 16.0 2.7 5.7 |
100 - - - |
56.7 |
58.3 |
2268 |
移動電話 |
10.0 73.3 5.3 6.4 5.1 |
- 100 - - |
67.1 |
63.6 |
1366 |
FAX |
13.1 60.1 13.6 1.0 11.6 |
-
- 100 - |
50.0 |
49.8 |
199 |
電子メール |
4.4
73.4 5.6 2.9 13.8 |
-
- - 100 |
34.7 |
36.2 |
413 |
表3-6 各メディアの通信相手の特徴 ('99首都圏調査)
他方、電子メールの相手は、電話に比べて、遠くに住み、日常的にあまり会わず、「その他」といった不明確な間柄が多い傾向があった。電子メールの利用は対面接触とのつながりが薄く、希薄な「周縁的」人間関係を創出しているようにみえる。
このようにみると、固定電話を中心として、移動電話と電子メールは対照的な使われ方をしているメディアであるといえる。その原因としては次のようなことが考えられる。第一に遠距離コミュニケーションのしやすさがある。電子メールに対して固定電話・移動電話は遠距離料金が高いのでコスト面で遠距離が抑制される。また移動電話は固定電話よりも音質が悪く長電話に向かないので遠距離通話が抑制される(あまり会わない相手との通話は長電話になりがち)。第二にアクセスの随時性・直接性がある。移動電話ではいつでも直接相手にかかるが、そうしたコミュニケーションは日常的に会う親しい関係の中で行われやすい。一方電子メールではタイムラグがあり間接的なので、心理的にも気楽で、あ
まり会わない遠距離の相手とのコミュニケーションに適しているのではないだろうか。
づぎにメディアの複合的使用の実態を見てみよう。通信メディア利用の相手ごとに、どのようなメディアを組み合わせて利用しているのか、対面接触も一メディアとして集計してみた(表3-7)。
まず電話だが、最も多いのは「電話+対面接触」の組み合わせの相手で、743人であっ
た。ついで電話だけの相手が698人で、「電話+移動電話+対面」の組み合わせが460人であった。「電話+対面接触」はすべての組み合わせの中で最も多い。第三位の「電話+移動電話+対面」をあわせて考えると電話が基本的には日常的に対面接触する人間関係の中で利用されていることがわかる。「電話+対面」の相手は近くに住む人が83.4%、「電話
+移動電話+対面」では80.0%と、近くに住む割合が高いことも注目される。一方電話のみの相手もかなり多かったが、それらはきわめて特徴的な関係性を示している。すなわち間柄では親族が30.7%、家族が19.7%と家族・親戚関係が半数を占める。逆に友人は44.6%と全組み合わせ中、唯一50%を切っている。また住居の近い人は28.9%と低水準である。おそらく、電話だけのつながりとは、遠くに住む親族(例えば実家)や、遠くに住む古くからの友人(例えば学校時代の友だち)が多いのであろう。私的電話ネットワークは対面接触との組み合わせを基本とし、親族や遠くの友人といった間柄では電話のみのネットワークもかなり行われている、ということなのであろう。
利用メディア 電話 移動 Eメール 対面 |
N |
相手 家族 友人 親族 恋人 他 |
住居 近接 |
● ● ● |
698 173 140 |
19.7 44.6 30.7 0.3 4.9 5.7
74.6 5.7 5.2 8.7 2.1 71.4 7.9 0 18.6 |
28.9 45.1 18.6 |
● ● ● ● ● ●
● ● ● ● ● ● |
190 743 39 45 31 358 |
11.6 65.3 17.3 3.2 2.7 16.6 63.7
11.7 1.1 7.9 5.1 76.9 2.6 5.1 10.3 8.9 73.3 11.1 0 6.7 0
58.1 6.5 0 35.5 13.1 73.5 1.7 6.2 5.6 |
34.7 83.4 33.3 26.7 45.1 75.4 |
● ● ● ● ● ● ●
● ● ● ● ● ● ● ● |
36 16 46 460 60 |
8.3 75.0 2.7 8.3 5.6 6.3 75.0
0 0 17.8 8.7 76.1 4.4 0 10.9 10.0 74.6 3.9 8.0 3.5 1.7
80.0 1.7 11.7 5.0 |
63.9 70.6 37.0 80.0 55.0 | |
|
表3-7 対面を含むメディア利用の組み合わせ('99首都圏調査)
移動電話で最も多い組み合わせは、460あった「移動電話+電話+対面」である。次に多いのは358人の相手にみられた「移動電話+対面」の組み合わせであった。移動電話の使い方としてはこの2つが最もメジャーな使い方のパターンといえる。移動電話も対面接触の中で利用される点では電話と共通点がある。しかし電話と異なり移動電話だけでやりとりされる相手は173人と、対面が組み合わされた場合より、かなり少ない。移動電話は電話よりヨリ強力に日常的対面接触と結びついているのである。移動電話利用で最も多い組み合わせの「移動電話+電話+対面」の関係とは、外出中は移動電話で連絡をとりながら、日常的に会い、自宅に帰れば今度は自宅の電話でも話すという関係である。これはまさに「フルタイム・コミュニケーション」である。このようにメディア利用の組み合わせをみると、移動電話を介した「フルタイム・インテメート・コミュニケーション」がここに成立している模様がわかる。
一方電子メールで最も多いパターンは、電子メール単独でのつきあいである。これは、電話や移動電話が、対面や他の通信メディアと組み合わされて使われることが多いことと、対照的である。電子メール単独の相手との間柄を見ると、他の組み合わせ同様「友人」が最も多いものの、「その他」が18.6%もいる。ここにはメーリングリストなどで交流のある「知り合い」といった感じの「周縁的」な相手が含まれているのであろう。
つぎに電話について29歳以下の青年層と30歳以上の成人層に分けて分析すると興味深い結果があらわれた(表3-8)。すなわち、電話相手に日常的に会う人が占める割合は青年層(61.3%)の方が成人層(53.2%)より高かったのである。言い換えるとこれはより高年齢層の方が日常的に対面せず電話に頼るコミュニティの割合が高いことを意味している。メディアに依存したコミュニティーは若者に特有のものではなかったのである。また成人層では親族の割合が高まり友人の割合が減少している。
|
利用メディア |
家族 友人 親族 恋人 他 |
会う |
住居近 |
N= |
青年層 (〜29才) |
12.1 70.4 7.8 5.5 4.2 |
61.3 |
57.1 |
973 |
成人層 (30才〜) |
16.6 53.9 22.1 0.6 6.9 |
53.2 |
60.2 |
1296 | |
|
表3-8 年齢別電話相手の特徴 ('99首都圏調査)
さらに電話のみでつながる関係を年齢別に見ると(表3-9)、組み合わせ全体の中で電話のみのつながりが占める割合が、青年層が14.2%なのに対し成人層では31.4%と2倍以上も高くなっており、全組み合わせの1/3近くを占めていた。若者より成人層の方が電話のみのつながりが大きな部分を占め、重要となっているのである。これは先のサイコロジカル・ネイバーフッドの分析の結果とも符合している。これは若者の人間関係が友人や恋人など日常的に対面する関係に偏っているのに対して、成人層では親族や昔の友人など日常的に会わない関係がより重要になっているためだと思われる。
|
N % |
家族 友人 親族 恋人 他 |
住居近 |
青年層 (〜29才) 成人層 (30才〜) |
209 14.2 489 31.4 |
23.9 56.5 16.8 0.5 2.4 17.8 39.5
36.6 0.2 5.9 |
26.6 29.9 | |
|
表3-9 年齢別電話のみの相手の特徴('99首都圏調査)
5節 結論
多くの論者たちは電話上の親密な人間関係に注目し、電話上では地縁・血縁関係を越え、物理的制約から解放された、新たなコミュニティが誕生している、と述べた。電話が普及し、おしゃべり電話が一般化して、電話が人間関係にこうした大きな変革をもたらすという議論はより説得力を持つようになった。しかし人々の電話ネットワークを詳しくみると、現実はこうしたイメージとは微妙に異なっているようである。
第一に電話は物理的距離を超越しないことが多かった。全通話の75%は隣接市域までの近距離の通話だし、東京では最も最近に電話した相手の8割以上が首都圏内にいた。日常的通話相手をみても6〜7割が近・中距離の相手であった。第二に電話は多くの場合対面接触と対になっていた。通話相手のほとんどは年に数回以上は会う人だし、さらに日常的電話相手の半数以上は日常的に対面する相手であった。このようにみると電話の人間関係は基本的には対面接触によって作られた人間関係に沿って発生し、それを補完することが多いように思われる。対面の人間ネットワークを動脈にたとえるならば、ここにおける電話ネットワークは静脈のような関係にある、といえるかもしれない。
また、若者は長電話ではあるが、同時に電話相手との対面接触も盛んである。彼らの間では、携帯電話の普及に伴い対面、携帯電話、固定電話を駆使して1日中コンタクトをとる「フルタイム・インティメート・コミュニティ」が特徴的である。これは電話を中心としたサイコロジカル・ネイバーフッドとは趣の異なるものである。
しかしその一方で、サイコロジカル・ネイバーフッドのような、電話を中心とした人間関係が確かに存在していることも事実である。というのは、日常的な電話相手の4割近くが親しいが日常的には会わない人たち(サイコロジカル・ネイバー)だからである。ただそれらは、地縁・血縁を超越した、きわめて現代的な人間関係という、しばしば議論されてきたイメージとは、若干異なっている。すでにみたように日常的に対面しない親しい相手では親族や家族の割合が高くなるし、電話だけの相手は若者よりも成人層でより多いからである。サイコロジカル・ネイバーフッドのメンバーの多くは、実は離れて住む親族や、昔の友人等なのではないだろうか。だとすればそれは、地縁・血縁を完全に超越したコミュニティーと単純にはいえないであろう。
サイコロジカル・ネイバーフッドは電話がなければ存在しないという意味では新しい人間関係である。しかし実態をみると、多くの場合、それは従来の人間関係をもとに成立している。ここにおける、サイコロジカル・ネイバーフッドの主要な意味は、全く新しい人間関係を創出することではなく、既存の関係に新たなコミュニケーション空間を重層化し、人間関係の質を変化させる、という点にあるのではないだろうか。
このように私的電話ネットワークには、対面接触と対になった電話ネットワークがある一方、電話だけのサイコロジカル・ネイバーフッドがあり、またサイコロジカル・ネイバーフッドには親族ベースのコミュニティも少なくない。一口に電話コミュニティと言っても、その実態を調べると様々な多様性が存在している。電話は距離を超越するメディアなので、地縁・血縁から離れた新たなコミュニティーを形成する、という議論は、こうした多様性の一面だけをとらえているにすぎないのではないだろうか。電話コミュニティには多様性があり、その社会的意味も一様ではないことを忘れてはならない。
文献
Aronson,S.D.(1971) The Sociology of the Telephone,International Journal
of Comparative Sociology,XU,154-158
Ball,W.D.(1968) Toward a Sociology of Telephone and Telephoners,
in Marcello Truzzi ed.,Sociology and Everyday Life, 59-74
Claisse,G.(1989)Telefon,Kommunikation und Gesellschaft - Daten gegen
Mythen, in Forschungsgruppe Telefonkommunikation eds.,Telefon und
Gesellschaft,Hauke Sturm
Dimmick,J.,Patterson,S. and Sikland J.(1996) Personal Telephone Networks :
A Typology and Two Empirical Studies,Journal of Broadcasting &
Electronic Media 40, 45-59
Fischer,C.(1992) America Calling : A Social History of the
Telephone to 1940, Univ. California Press
藤竹暁(1980)『電話コミュニケーションの世界』ダイヤル社
Gumpert,G. (1987) Talking Tombstones and Other Tales of the Media
Age, Oxford Univ. Press,(石丸正訳『メディアの時代』新潮社、1990年)
橋元良明、三上俊治、石井健一、若林直樹、平林紀子、中村功、是永論、見城武秀(1992) 「1991年東京都民情報行動の実態」『東京大学社会情報研究所調査研究紀要2号』 45-157
誉田俊郎(1986)「電話相談の諸特性」 日本いのちの電話連盟編『電話による援助活動』 学事出版、
飯塚雄一、三島勝正、松本卓三(1985)「面接状況と話題が被面接者の発話の流暢性に及ぼ す影響」『実験社会心理学研究』25、53-63
川浦康至(1990)「コミュニケーション・メディアの効果」『社会心理学パースペクティブ 2』67-87.誠信書房
Keller,S.(1977) The Telephone in New(and Old) Communities, in Pool I.S.
ed., Social Impact of Telephone, MIT Press,281-298
Kleine,C.L.(1975) First Impression: The Psychology of Encountering
Others, Prentice Hall,(福屋武人訳『ファースト・インプレッション−好感を演出する』有 斐閣、1984年)
川崎賢一(1994)『情報社会と現代日本文化』東京大学出版会
Lange,U.(1989) Telefon und Gesellscaft - Eine Einfuhrung in Soziologie
der Telefon- kommunikation,in Forschungsgruppe Telefonkommunikation
eds.op.cit.
Lynd,R.S. & Lynd, H.M.(1929) Middle Town : a Story in Contemporary
American Culture,(中村八朗訳『ミドゥルタウン』青木書店、1990年)
Mayer,M.(1977) The Telephone and the Uses of Time, in Pool,I.S. ed.,
Social Impact of Telephone, The MIT Press, 386-414
McLuhan,M.(1964) Understanding Media: The Extensions of Man,McGraw-Hill
Book, (後藤和彦・高儀進訳『人間拡張の原理』竹内書店新社、1967年)
Meyerowitz, J.(1985) No Sence of Place; The Impact of Electric Media on
Social Behavior,Oxford Univ. Press.
Morley & Stephenson (1970) Formality in Experimental Negotiations,
British Journal of Psychology 61, 383-384
Muson,H.,(1982) Getting the Phones Number, Psychology Today 16(4)
42-49,(「電 話の効果的な利用方法」『海外電気通信』15(5), 23-32,1982年)
中島一朗、姫野桂一、吉井博明 (1999年)「移動電話の普及とその社会的意味」『情報通 信学会誌』59号, 79-92
中村功(1997)「生活状況と通信メディアの利用」水野博介・中村功・是永論・清原慶子著 『情報生活とメディア』北樹出版 81-115頁
橋元良明、石井健一、中村功、是永論、辻大介、森泰俊(2000)「携帯電話を中心とする通 信メディア利用に関する調査研究」 『東京大学社会情報研究所調査研究紀要14号』83 -192頁
NTT(1999)「電気通信役務通信量等状況報告」
Reid L.(1977) Comparing Telephone With Face to Face Contact,in Pool
ed.op.cit.
Rutter,D.R.(1987) Communicating by Telephone, Pergamon Press
Siegman,A.W.(1978) The Tell-Tell Voice, in Siegman & Feldstein eds.,
Nonverval Bihavior and Communication, Lawrence
Erlbaum,川浦(1990)より引用
Short,J.(1976) Social Phychology of Telecommunication, John Willy
& Sons
吉見俊也、若林幹夫、水越伸(1992)『メディアとしての電話』弘文堂
吉井博明(1993)「電話利用の新しい形態と電話ネットワークの社会的意味」川浦康至編 現代のエスプリ306『メディア・コミュニケーション』至文堂
郵政省(1999)『平成11年度通信白書』
渡辺潤(1989)『メディアのミクロ社会学』筑摩書房
Wurtzel,A. & Turner,C.(1977) Latent Functions of the Telephone;What
Missing the Extension Means, in
Pool,I.S.ed.op.cit.pp.246-261.