携帯電話の普及過程と社会的意味 『現代のエスプリ 特集 携帯電話と社会生活』

中村功(なかむらいさお)松山大学人文学部助教授

1.はじめに

 世紀の変わり目である今日、日本は携帯電話ブームである。街には携帯電話を片手にした人たちがあふれ、最新機種を店先に並べる販売店が増殖した。携帯電話会社は日本屈指の有力企業となり、政府はインターネットや携帯電話を「IT」と称して、国の発展の中心に位置づけようとしている。一方では、公共の場での使用制限についてキャンペーンが張られ、新聞紙上では携帯電話の影響につしてのさまざまな議論が紹介されている。しかしごく最近まで、このような事態を誰が想像しえたであろうか。

 本論では、急速に発展した携帯電話の普及過程、普及の原因、普及に伴う社会的反応、普及の影響などについて検討していく。なお本論では断りのない場合、自動車電話、携帯電話、PHSをあわせて携帯電話と表現する(図中では移動電話と表記する場合もある)。

2.普及過程と普及要因

 九五年以降の急激な普及

 我が国における携帯電話は一九七九年に自動車電話の形でスタートした。サービス地域は東京二三区内であった。新聞によると申し込み時加入希望者は二〇〇〇を越すとされた

 

 

       図1 移動電話(携帯電話・PHS)の加入数と普及率

            (普及率は住民基本台帳による各月の人口推定数より算出)

 

が、七九年度末の実際の加入者はわずか一六〇〇であった。その後サービスエリアは拡大したが、加入者はあまり伸びなかった。発足九年目の八七年に携帯可能ないわゆる「携帯電話」(商品名)ができるが、その年加入者はようやく一〇万人に達する(人口比普及率はわずか0.1%)。八九年からは毎年四〇万程度の加入者が増え、九三年には三一二万(普及率1.7%)となった。しかし図1を見ると分かるように、普及が急に勢いづいたのは九五年度である。この年に携帯電話は一〇〇〇万加入を突破し、人口比普及率も九.三%になる。その後は年に一〇〇〇万加入ずつ増加し、二〇〇〇年九月の段階で加入数六一六一万(うちPHSが五八七万)となり、人口比普及率も四八.六%になった。二〇世紀末には、赤ちゃんからお年寄りまでいれて、日本人の二人に一人が携帯電話を持つ時代となったのである。

 ちなみに日本の携帯電話普及率を世界と比較すると一四位に当たる(九九年の段階、郵政白書より)という。普及率が特に高いのはフィンランド、ノルウェー、アイスランド、スウェーデン、香港といった一人あたりのGDPが比較的高く、人口の少ない国々である。それに対してアメリカ、ドイツ、フランス、イギリス、カナダといった国々は日本よりも普及が遅れている。

 普及の要因

 では我が国ではなぜ九五年以降にこれほど急速に携帯電話が普及したのであろうか。結論から言えば、それは、九五年以降、携帯電話のコスト、なかでも利用開始時にかかる費用が急激に減少したからである。

 図2は一九九〇年以降の契約時必要費用と月額基本料の変化を示しているが、両料金が劇的に下がるのは九四年であった。中でも契約時必要費用の減少は著しい。NTTの場合、九三年一〇月の保証金廃止、九四年四月の新規加入料値下げの結果、一七万六千八百円だった契約時費用は三万六千円と1/5に激減した。一方月額基本料は一万三千円から八千

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 基本料は標準型 NTTは94年以降はデジタルの基本料

    図2契約時必要費用と月額基本料の変化

八百円と1/2となった。しかし実際の初期費用が急減するのは九五年のことであった。それは、九四年四月から端末機器が売り切り制になり、通信事業者に払う契約時費用は低下したものの、その時点では、まだ端末を高い価格で購入しなければならなかったからである。すなわち、九四年の段階では端末機器の定価は一〇万円程度で、大幅な値引きはなされていなかった。端末価格の値崩れが始まったのは九五年になってからのことであった。たとえば朝日新聞(九五年九月三〇日、大阪版)によると、大阪では、九五年一月頃から一〇〇円で端末を販売するところが現れたという。図3は九六年以降の人気機種の実売価格の変化を示しているが、これによると、値引きの起きにくい人気機種ですら、九七年以降は値崩れが進んでおり、さらに使用開始時の経済的負担が軽くなっていることが分かる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図3 携帯電話人気機種の実売価格(東京)日本経済新聞「人気商品価格情報」より作成

 

 端末の大幅な値引は、契約時に販売業者に通信業者から多額のペイバックがなされることで可能となっているが、通信業者は月額基本料金がある程度高かったので、値引き分を後で埋め合わせることができたのである。逆にいえば、毎月の支払いは多少高いものの、目先の安さにつられて多くの人が加入した、という傾向があったようである。

 料金低下の原因は基本的にはNTT以外の新規事業者が参入したことにあるが、八八年の新電電会社によるサービス開始で料金が急に下がったわけではなかった。たとえばNTTの場合、九〇年の段階で契約時必要費用は二〇万八千円、月額基本料も1万5千円と相変わらずの高水準であった。料金低下には、九二年にNTTドコモが独立したこと、九四年までにある程度の加入者を獲得し値下げの余力ができたこと、九四年から端末売り切り制度が発足し、さらに同年より四社の競合体制になったこと、など様々な原因がからみあっている。

 ところで、Pye(1993)は、ある国の携帯電話の普及率は@その国の国民所得水準とAサービス開始からの年数及びB料金水準によってほぼ決定されるという。九五年当時日本はバブル後の不況で国民所得の増加はなく、サービス開始年からの年数も急増したわけではなかった。そうなるとやはり料金低下が大きなファクターと考えざるを得ない。

 一方、普及研究では、新製品は普及率が一〇〜二五%を越えると、大量生産による価格低下や、周りの人が持つことによる普及圧力が生じ、爆発的に普及する、という考えがある。そして確かに、携帯電話の普及率は九五年に一〇%近くになっている。価格の低下は規制緩和によるところが大きいので、普及率とは余り関係がないが、周りの人に影響されて持つようになった人は普及率が上がるにつれて多くなっている。たとえば九五〜九六年の調査ではPHS利用者の二三.二%が利用開始のきっかけに「流行だから」をあげている(中村1997)が、九九年になると「まわりの人が持っているから」と答える人が三八.三%にまで達している(橋元他二〇〇〇)。

3.普及段階と社会的反応

 普及段階

 中村(一九九七b)は電話の発展を業務用が中心だった「第一次普及期」(一九六〇年代まで)家庭への普及が進んだ「第二次普及期」(一九八〇年頃まで)そしてコードレス電話、ファクシミリと利用が多様化していった「成熟期」(一九八〇年以降)の三つに分けている。これを業務期、パーソナル期、高度利用期と言いかえると、携帯電話の発展も同様な三段階に分類することができる。

 七九年から爆発的普及の始まる九五年まではもっぱら業務用に使われた時期である。会社幹部・専門職・職人などが中心的利用者層であった。たとえば七九年のサービス開始日の新聞には申込者のプロフィールが次のように紹介されている。「申込者の大半は都内に本社のある企業で、一社でまとめて一〇台から五〇台注文するところが多い。個人でも会社社長、サラ金業者、不動産業者、個人タクシー運転手、医者など百六十人が申し込んでいる。」(日本経済新聞七九年一二月三)九五年に行われた調査でも、携帯電話利用者の五五.五%が自営業主で、また業種では建設業者が二一.七%と最も多かった(中村一九九七a)。機器の特徴としては自動車電話やショルダーホンといった大型機器があげられる。車のトランク部に付けられたアンテナは携帯電話利用を象徴していた。当時は携帯電話にステータス・シンボルとしての役割があり、自動車電話用のアンテナにそっくりなカー・アクセサリー(静電気防止装置)すら売られていたほどである。

 第二のパーソナル期には、中年会社員の利用も多かったが、若者層が利用者としてとくに脚光を浴びた。利用の中心は私用電話となり、機器の特徴としては小型化と、ストラップや着メロなどアクセサリー化・ガジェット化が進んだ。また、公共の場での利用が迷惑だ、とする「悪者イメージ」が定着した時代でもある。

  九九年二月にNTTドコモがiモードサーヒスを開始して以来、携帯電話は高度利用期に入った。電子メールや各種ネットサービスが可能となり、携帯電話機がもはや音声の会話用の機器だけではなくなったのである。新サービスの利用は若者が中心だったが、携帯電話利用者自体は老若男女一般に広がっていった。その意味では大衆化の側面も持っている。そして携帯電話はIT革命の中心プレーヤとして経済界で騒がれるようになった。

 

              表1 携帯電話の発展段階と各時期の特徴

  発展段階

  期間

  利用者層

  機器の特徴

  イメージ

T.業務期

    

 79〜95年

 会社幹部 職人

  自動車電話

ステイタス・

    シンボル

U.パーソナル期

 95〜99年

 

  若者

  小型化

ストラップ 着メロ

   迷惑

V.高度利用期

  

 99年〜

 

 若者・中年

 老人・児童

 メール iモード

 IT革命

 社会的反応

 朝日新聞の報道を中心に各時期の社会的反応を見ると表2のようになる。業務期の携帯電話は当然ながら第一に仕事のためのものだった。たとえば雑誌WEEKSの九〇年六月号によると、携帯電話は「ビジネスに欠かせない武器になる」(二四頁)という。そこでは、利用者の約九割がビジネスユースであるとされ、二人の利用者の声が紹介されている。一人は外回りが多い自動車販売業者で、携帯電話で連絡がいつでも取れるので客を他社に奪われなくなった、と言っている。もう一人は建設会社社員で「飛び回る現場が郊外のため、ポケベルで呼び出されても公衆電話を探すのが大変なんです。その点、携帯電話だと何の心配もいりません」という。図4は九〇年当時の電話会社(NTT)のパンフレットだが、大きな蒲鉾型の端末が、ビジネス・イメージの中で使われている様子が見られる。第二に、

 

 

 

 

 

     図4 90年当時のNTT中央移動通信のパンフレット

当時は携帯電話はステータスシンボルでもあった。同記事によると『実際に携帯電話を持って利用してみると、「おっ、コイツはスゴイ奴だ」といっているかのような周囲の視線がひしひしと伝わってくる』というような状態であった。第三にビジネス以外の利用状況としては、携帯電話を利用した薬物の密売や売春斡旋等の犯罪が時々報道されている。こ

          表2 年表−携帯電話の発展と社会的反応(朝日新聞を中心に) 

 79

 85

 87

 88

 89

 90

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 93

 94

 

 95

 

 

 96

 

 97

 

 98

 99

 00

自動車電話開始

NTT民営化  ショルダーホン発売

携帯電話登場(640g)

IDO参入(関西セルラー89年)

日米電気通信交渉決着  マイクロタック発売(350g)

携帯電話でシンナー・トルエン密売、売春斡旋で逮捕

バブル崩壊         NTTムーバ発売(220g)

ドコモ分離

ドコモ保証金廃止  欧米で電波健康問題(→98年)

端末売り切り制導入 デジタルホン/ツーカーセルラー参入

各地で通信鉄塔建設反対運動(→98年)

端末値崩れ PHS開始    ポケベル加入数ピーク

函館空港ハイジャック時に活躍       119番不通が問題化

苦情投稿急増 医療機器誤動作問題化、電車内マナーキャンペーン

高校入試でポケベル禁止  病院内使用禁止の動き    デジタルムーバP101(155g)

公衆電話減少開始        運転中の使用問題化

大学入試センター試験でスイッチオフの呼びかけ  携帯電話落とし物急増

文字メッセージブーム(開始は95年)携帯Eメール開始  ポケットボード発売

成人式・高校入試発表での通話が話題に 119番可能

iモード登場  番号11桁化   プリペイド式登場  運転中の利用が法的に禁止

電車内電源切りキャンペーン   海難用118番通報開始   通信不通トラブル多発

iモード1千万突破 各種サービスを携帯電話で提供

れは、ポケットベルの時にも見られた現象だが、犯罪組織は常に先進的に新たな通信メディアを取り入れていく傾向がある。

 パーソナル期の反応としては、第一に様々な問題が顕在化してきたことがあげられる。たとえば、朝日新聞では九三,四年頃から現れ九七、八年頃にピークになるのだが、電磁波の健康被害に関する懸念と、各地の通信鉄塔反対運動がある。後者は電波の健康に対する懸念の他、景観維持や転倒に対する心配などが重なって、特に地方で問題化した。あるいは公共の場でのマナーに関する苦情や、啓蒙キャンペーンについての記事も九五年以降急増する。また携帯電話から一一九番に通話できない(この点については中村,1997cを参照)、医療器具が誤動作する、運転中の自動車事故が増える、などの問題もよく報じられるようになってきた。ここから携帯電話の悪者イメージが読みとれる。利用者が増え、同時にその利用が仕事ではなく私用である点から、携帯電話の問題を不愉快に感じることが多くなったのであろう。第二に、その一方で、ハイジャックされた機内から携帯電話で情報が送られ、解決に寄与したとか、遭難時に携帯電話が活躍したなど、プラス面も若干は報道されている。第三に九五年をピークにポケットベルの契約が減少したり、九六年から公衆電話が減少するなど、携帯電話利用が一般化するにつれ、既存メディアの衰退という副次的な影響も始まった。第四に、九八年ごろになると若者への普及が進み、成人式や、高校入試発表時の携帯電話利用が話題になった。

 九九年以降の高度利用期にはいると、携帯電話に対する社会的評価は善悪拮抗してくる。たとえば朝日新聞九九年五月八日号で、携帯電話についての読者の意見を特集しているが、『片時も携帯電話を話さない風潮に対する厳しい批判の声と「時代が生んだ文明の利器」と便利さを強調するお便りとがほぼ半々でした』と編集者は結んでいる。自分でも利用する人が増えたために、社会全体の評価も変化してきたのであろう。一方、九七年頃から若者の間では文字通信が流行していたが、九九年以降はiモードのブームとなった。電子メールばかりでなく、ショッピングから行政情報まで様々なサービスが携帯電話で行われるようになり、電話は話すだけの機器ではなくなっていった。

 

4.影響 

 社会的意味を考える上で、携帯電話がどのような影響を与えるかを考えないわけにはゆかない。ここでは音声に限定してその影響を簡単にまとめておく(詳しくは中村(2001)を、携帯メールについては中村(2000)を参照)。携帯電話の人間関係および日常生活への影響は、影響レベルと影響のメカニズムによって整理することができる(表3)。すなわち、影響レベルとしては意識面、行動面、関係性、規範の各レベルがある。メカニズムでは、簡便化(手近にあるため簡単に電話ができる)、直接性(直接本人と話せる)、常態化(いつでも電話ができる)、そしてその他の特徴(時計機能、メモリー機能、発信番号表示機能、着信音の多様性、加入・解約の容易さ)があげられる。両者の組み合わせから様々な影響が想定できるが、それらが実際に起こっているかはデータによって明らかにする必要がある。

 そこで、ここでは一九九九年二月に東京三〇キロ圏内に住む一五から四〇才までの住民八〇六人を対象に行ったアンケート調査を主に紹介する。この調査では、携帯電話の利用率は六三.八%で、話される内容としては、待ち合わせの約束(六七.九%)、居場所の確認(五四.三%)、帰宅の連絡(五一.九%)、遊びの誘い(四七.三%)、仕事関係(三八.一%)など道具的な内容が多く、特に用件のないおしゃべりをよくする人は二一.〇%であった。

           表3  携帯電話の人間関係・日常生活への影響

影響

  レベル

            影響メカニズム

 簡便化    −  直接化            常態化       その他

意識面

              直接意識   連帯意識         電話のファッション化

                  場所不明感覚      ストレスの増減     (着メロ、ストラップ)

                                    束縛感 自由感

                                    連絡可能安心感

行動面

 通話増大            通話・交際の深夜化       手帳・時計の代替

             会合増大        行動の効率化

固定電話の減少               計画の直前決定    

                   仕事プライベートの境界曖昧化

カエルコールの促進     小さな用件でも連絡                         

関係性

          P友       フルタイム・インティメート・コミュニティー  携帯伝言ダイヤル

        家族の個別化       家族結束強化    通信相手の選別

                               リモートマザリング  

規範

                  電話挨拶の省略     利用場所制限  番号公開の積極化

                  番号公開の制限                

         下線は4割以上 文字囲は5割以上の回答率(詳細は中村、2001を参照)

  まず意識レベルの影響だが、直接化の影響では、「携帯電話・PHSを持っている人には直接本人に連絡できるので、相手の家族や職場を気にしなくてよくなった」(六七%)「携帯電話・PHSでは自分の居場所が知られないので、便利なときがある」(四二.四%)などの感覚が見られる。常態化では「いつでも連絡がとれるという安心感がもてるようになった」(八一.九%)といった安心感や、「よく携帯電話・PHSで話す相手とは、いつでもつながりあっているという安心感がある」(五一.四%)などの連帯意識、「連絡がつかずいらいらすることが少なくなった」とったストレスの減少等を引き起こしている。その他のメカニズムでは、ファッション化、ガジェット化があげられる。「電話機に自分の好きなストラップやシールをつけている」(四七.三%)や、「着信音を自分の好きなものに変えている」(四八.二%)などの行為がこれを象徴している。

 つぎに行動面の影響だが、簡便化の影響としては「電話をかける回数が増える」(四七.三%)「一般加入電話を使う回数が減った」(四七.三%)などがある。直接化の影響では「携帯電話を深夜家族に迷惑をかけずに連絡を取るために使う」(三四.六%)「深夜・夜間に人と連絡を取り合うことが増えた」(四一.一1%)「小さな用件でも連絡することが多くなった」(五七.二%)などの影響が見られる。さらに常態化では、「時間が有効に使えるようになった」(五七.八%)「遊びの予定などを直前に決定する」(四八.六%)などという人が多くなっている。その他のメカニズムによる行動面の影響では、「ダイヤル登録(メモリ)をアドレス帳代わりにしている」(六八.七%)人が多い。また著者の勤務する大学でたずねたところ、「移動電話をアドレス帳代わりにしているので、アドレス帳は持ち歩かない」とか「移動電話を時計代わりにしているので、腕時計は持ち歩かない」という人も相当数居るようであった。

 第三に関係性への影響だが、様々な議論があるわりにはこの分野で強い影響あまり確認されていない。たとえば、「親しい人とだけつきあいがちになった」(一七.七%)、「家族のコミュニケーションが増えた」(二二.六%)、「家族が個別化してきたような気がする」(一一.一%)などとする人は少なかった。さらに「携帯電話・PHSでやりとりする相手との親近感が増した」、とする人は三五.八%で、「携帯電話・PHSでやりとりしない人とのつきあいが少し疎遠になった」のは一三.四%であった。また、四六時中べたべたとつながりあう関係(「フルタイム・インティメイト・コミュニティー」吉井ら(1999))にしても、勤務先の大学で調べたところ、「移動電話を持つようになって、よく会う友達と1日中連絡をとりあうようになった」としたのは利用者の一八.五%にすぎなかった。

 第四に社会規範の形成だが、ここでもっとも問題となっているのが、公共の場における利用制限である。一九九九年に、我々が別の調査(中村ほか一九九九)で調べたところ、この時点でも、全体的に言えば、マナーを守る行動が、かなり浸透していた。たとえば、劇場や映画館にいるときに通常モードにしている人はわずか二.七%で、五九.六%はスイッチを切り、三六.六%はバイブレーションモードにしていた。病院や会議中などでも電源を切る人がそれぞれ七五.〇%と四五.〇%おり、公共交通機関の中は二八.八%が電源を切り、五四.五%がバイブレーションにしている。運営側の努力や法律などによって、携帯電話利用の規範が形成されてきた。それを守らない人への厳しい視線は、規範が形成されてきたことを裏づけている。

 携帯電話は以上のような様々な影響を伴いながら、我々の社会生活に定着してきたのである。

文献

中村功「急変する通信メディア」東京大学社会情報研究所編『日本人の情報行動一九九五』 二五三−二六五頁 東京大学出版会、一九九七a

中村功「生活状況と通信メディアの利用」水野博介・中村功・是永論・清原慶子著『情報 生活とメディア』北樹出版、一九九七b 

中村功、廣井脩「携帯電話と一一九番通報」『東京大学社会情報研究所調査研究紀要』  九号、pp.87-104、一九九七c

中村功・三上俊治・吉井博明 『電子ネットワーク時代における情報通信マナーに関す る 調査研究』 財団法人マルチメディア振興センター  一九九九

中村功「携帯電話を利用した若者の言語行動と仲間意識」『日本語学』一〇月号、二〇〇 〇

中村功「携帯電話と変容するネットワーク」川上善郎編『情報行動の社会心理学』北大路 書房、二〇〇一 

橋元良明、石井健一、中村功、是永論、辻大介、森康俊「携帯電話を中心とする通信メデ ィア利用に関する調査研究」『東京大学社会情報研究所調査研究紀要』一四号八三−一 九二頁、二〇〇〇

Pye,Roger,"Monopolies and mobile:thin evidence in Finland" Telecommunications Po licy, Vol.17 Iss.6 1993 p470