7.災害用伝言サービスの活用 −災害用伝言サービス利用者インタビューから−

中村功 関谷直也

1.はじめに

 災害後には安否確認の情報ニーズが高まるが、電話は輻輳して使えなくなってしまう。その対策として阪神大震災以降、災害用伝言ダイヤル(171)やiモード災害用伝言板などの災害用伝言サービスが開発された。その使い勝手や課題を探るために利用者へのインタビューを行った。毎月1日の試用サービスの時期をとらえて一般の人に使ってもらった後、感想を述べてもらう形式も考えられたが、本年度は大きな災害が頻発したので、中越地震時に実際に使った人にインタビューをすることにした。

 利用者インタビューは、グループインタビューの形式で1219日に長岡市内で行った。参加者募集はインターネットのマーケティングリサーチシステムを活用し、中越地方在住者の中からiモード災害用伝言板利用者を募った。その結果5人が応募したが、実際の参加者は長岡市三条市田上町在住の24才から37才までの女性3人であった。

 中越地震では、固定電話では通常時の50倍、携帯電話でも45倍の通話が発生し、大規模な通信規制が行われた。すなわちNTTでは固定電話、携帯電話ともに最大75%の規制となり、auでは90%の規制がかけられた。このため電話や携帯電話が大変通じにくくなってしまった。          

 固定電話では災害用伝言ダイヤル(171)が1998年3月から開始されたが、今回の新潟県中越地震では35万4千件の利用があった。一方携帯ウエッブの「災害用伝言板」は、NTTドコモが2004年1月から始めたが、中越地震において、登録10万6千件、再生14万5千件、あわせて25万3千件の利用があり、サービス開始以来、最大の利用数となった。災害用伝言ダイヤルにせよ、iモード災害用伝言板にせよ、いずれも10万件を越えるメッセージ登録が行われたことは、ある程度活発に利用されはじめたと評価することができる。問題は実際にそれらが役だったか、ということになる。  

 

3.安否の問い合わせが多かった

 そのポイントの1つが、被災者が自分の安否を登録し、それを他の人が確認するという情報の流れが、うまく機能したかということである。アンケート調査で被災地内の利用率を確認する必要があるが、利用者の多くが被災地外の人で、登録した内容も安否をたずねるものが多かったのではないかと考えている。というのは、インタビュー調査のために、被災地内で災害用伝言板の利用者を捜したが、見つけることが困難だったし、インタビューでも、利用者はまず家族や親戚の安否をたずねるために171や災害用伝言板を使っていたからである。

 

Aさん(田上町在住)

弟が上越に住んでいるので、そっちはどうなのだろうということで、上越だからたいしたことはないだろうと思ったけれども一応どんな状況か聞きたくて、まず電話をしました。しかし家電(イエデン)には通じないし、携帯をかけても通じない。(中略)それから災害用の伝言板のことがテレビでずっと流れているから、それを使ってみたらどうだということになりました。(中略)ガイダンスに従ってやっていきますが、そのときは「どうしよう」みたいな感じなのではっきりと覚えていませんが、「連絡下さい」みたいなメッセージを入れて、そのあと何度か確認するのですが応答が全然ありませんでした。(中略)171もやって、i-modeもやりました。i-modeは私ではなくて(同居している)弟が、もう1人の(上越にいる)弟に対してやっていました。

 

Bさん(長岡市在住)

親戚中に連絡を取ろうとしても取れなくて、次の日になって家の電話からはつながるのかと思ってやったのですが、避難所に行っていたりして家電(イエデン)同士だと電話は鳴るけれども応答がないということで、まず171をテレビでやっていたので、それでメッセージを残しているのではないかと思いました。親戚がみんな長岡に住んでいて、連絡が通じなかった親戚が一カ所だけあったのです。それでやったのですが、家電(イエデン)も通じないくらいなのでメッセージを残していてくれていませんでした。

 たまたまやることもないので携帯をいじっていたときにi-modeのページを開いたら、いちばん上に伝言板というのがありました。そういえばあそこの家のある1人だけ携帯番号を知っていたので、何か残っているかなと思って、そのときにその伝言板を使いましたが、結局、誰もメッセージがなかったということで、開いたものの使えない状態で終わったということでした。

Cさん(三条市在住)

まったく電話がつながらなかったので、携帯と家の電話を両方持って、(川口町の実家に)かけ続けにかけていましたが全然かからなかった。メールも、最初はまったく来なかったのでメールということに気がつきませんでした。(中略)171は(川口町の親に対して)連絡がつく前に使っていました。ずっと使っていて、ときどきかけるのですが親からの連絡は入らなくて、親戚だけは重なっていくという感じでした。171で親戚からの「大丈夫か」というのが重なっていって、私も途中で「K子ですけれども、いままだ連絡がつながりません」みたいな感じで録音を入れました。3回目くらいのときはつながった(電話で無事が確認されていた)ので「とりあえず無事だということはわかりました。ここに電話をかけてくださった人は安心してください」みたいなことを残しました。それがたぶん、メッセージの数としては9件目くらいの電話だったかと思います。

 i-modeのほうにはそのとき(翌日)気がついて、一応母親の電話番号に入れたのですがもちろん何も入っていませんでした。母親のところにつながっていないということは私のところにも電話してきているかと思って自分の電話番号も入れてみたのですが、誰もそういうメッセージは残していなくて、しょうがないから自分のを入れて「私は無事です」みたいなことを一応入れたのです。そのあとどうなったのか、1回くらい聞いたけれどもそれ以上何も入っていませんでした。

 

4.伝言サービスの効用と課題

 インタビューの例を見る限り、災害用伝言ダイヤルやiモード伝言板は、まだ想定どおりの成果を上げているとはいえないようである。その主な理由は、安否の問い合わせが多い一方、被災者本人の安否がなかなか入力されず、ミスマッチが発生していることにある。

 このミスマッチの原因は、第一に利用の絶対数がまだ少ないことがあるが、第二に被災者に利用のきっかけがなかったことがあげられる。インタビューによれば171の利用のきっかけはテレビやラジオの呼びかけであり、iモードは「たまたまいじっていたら」ということになる。iモード伝言板についてはマスコミの取り上げ方が少なかったということも問題だが、いずれにせよ、テレビも見ず、携帯をいじる余裕もない被災者は、利用のきっかけがなかったのである。(ただしこの点については、あらかじめ連絡先を登録したうえでメッセージを入れると、その旨がメールで送信される「登録通知メール送信機能」が2005年5月から開始され、若干改良された。)そして第三には、Cさんの例にみられるように、安否を知りたい人の欲求は深刻なのに、知らせるほうはそれほどでもないという、ギャップがある。これらの問題を解決するためには、「ぐらっときたら火の始末」ではないが、「災害にあったら安否をまず伝言」といった知識を常日頃から啓蒙して、とくに被災者の利用を促進することが重要であろう。

 しかし一方では、災害用伝言ダイヤルの意外な効用がみられた。Cさんの例がそれである。Cさんは川口町に住む実家の両親の安否を心配していたが、親類がかけた電話がたまたまつながり、両親の無事を知った。Cさんはその事実を実家の電話番号をキーにして災害用伝言ダイヤルに吹き込み、他の親戚たちはそれを聞いて両親の無事を確認できたという。被災者本人が登録しなくても、周りの誰かが無事を確認して登録すれば、多くの人々に安否を伝えられるのである。

 他方、システムの問題はどうだろうか。利用者によれば、伝言ダイヤルや、iモード伝言板がつながりにくかったという話はなく、システム的には機能していたようである。(ただしiモード伝言板については、翌日使った人ばかりであったため、当日の状況については不明である。)

 また使い勝手だか、携帯電話を駆使できる若い人にとってはおおむね問題はなかったようである。ただ、災害用伝言ダイヤルで再生に引き続いて録音できないかという声があり、災害用伝言板では多くの人の安否を確認する際に、登録があるかどうかだけでもすぐにわかるようにならないか、といった要望が聞かれた。

Q.171i-modeの使い勝手はどうでしたか。

A.171はガイダンスが流れて、それに従ってやっていけばいいので面倒くさくはなかったです。i-modeのほうは、弟も若いのでちゃっちゃかという感じでした。

Q.171も伝言板も、アクセスはすぐできたのですか。

A.アクセスはすぐにできました。そのときは、ほかの電話はつながりにくかったような気がします。

 

Q.使い勝手はどうでしたか。

B.音声メッセージやら画面の案内にしたがってやればいいというやり方はわかって、そのとおりにやれたので難しいことはなかったと思います。

 

C.171は、あのときは気が動転していたので、言われたとおりに押せば大丈夫でした。でもガイダンスに従って進んでいく途中で、戻せないのです。最後まで聞くと1回切らないと、もう一度最初からやって次は録音というふうにしなければいけなかったと思います。聞くだけ聞いて、そのあと重ねて録音するというのが確かできなかったと思います。1回聞いて切って、それで次にもう1回録音するというようにした気がします。間違っていたら申し訳ないですが、面倒くさいと思った気がします。

i-modeの伝言板のほうは、とにかく聞いてみないとわからないので入れるのですが、入っているかどうかというのは聞いてみないとわからないのです。友達のも1件やったのですが、友達も何も入れていなくて1回しか聞きませんでした。

 

5.携帯メール

 2004年からNTTドコモでは、パケット通信を音声とは別に制御するようになったので、音声が込み合っているときでも携帯メールは通じやすくなった。今回も携帯メールには通信規制をかけていないので、メールは通じやすかったはずである。

  三条市のCさんは7月の新潟福島水害の時にはメールが使えたので、今回も使ってみたが、相手の操作能力の問題からか返信がなかったという。

 利用者インタビューによると、今回、地震直後はメールは通じたものの、その後はメールもなぜかつながりにくくなったという。この点についてはアンケート調査などでさらなる確認が必要である。

 携帯メールはある程度有効に活用されたものの、なおつながりにくいこともあった、ということであろう。

C.メールも、最初はまったく来なかったのでメールということに気がつきませんでした。あとで、そうだ、メールは送れると思いました。水害のときにメールはつながったので、メールは送れると思ってメールを送ったのですが、母は読むことはできるけれども返してくることはできないのです。実際そのときは余裕もなかったみたいで、メールを開けるということもしていなかったみたいです。

 結局メールの返事も来ないから、生きているのか死んでいるのかもわからなくて、家に着いたのが6時過ぎくらいだったと思うのですが、それから10時半くらいまでずっと5時間くらい、かけ続けにかけていました。

 

B.そうしたら友達からメールが来たので、メールは使えるということで、もともと東京にいたので東京の友達からメールがいっぱい来るので、その返信で忙しかったです。

Q.「大丈夫?」みたいなことですね。車に乗っている最中に、直後にどんどんメールが来るのですか。

B.はい。メールは使えたのはそのときでした。自宅に着いたのが(午後)6時過ぎで、そのときもいろいろな人からメールが来たり、近くの知り合いにもメールをしていたので、メールが通じたのは7時くらいまででした。そのあとは携帯が通じないということでメールに殺到してしまって、メールを送信しても送れないという画面が出てきてしまって、メールもだめだと思いました。

 

C.長岡市内で、家電(イエデン)が通じないのです。実際には家から出て親戚の家に避難していたらしいので、通じるわけはなかったのです。そこの家は携帯もつながらなかったです。あのときは、電話も携帯もめったにつながらなかったのです。

Q.メールはしなかったのですか。

C.メールは、1日くらいほとんどつながりませんでした。

A.そうですね。

C.確か、そんな感じでした。送ろうとしても、混雑しているみたいな感じの画面が出るのです。

A.次の日の朝もだめでした。

C.確か、次の日もだめでした。送信できないというか、何か違うメッセージが出るのです。

B.機種によって違うのかも知れませんが、i-mode接続中という水色の画面が出ます。

C.それが全然出なくて、送信しようと思っても送信できなかった。

B.接続中でなく、いつも見ないような画面が出るようになっていました。たぶん地震が起きた当日の最初はそういう画面はなかったはずなのに、急きょつくられたのかわからないですが、地震が起きたばかりでメールがつながらなくなったときは「送信中」というのがずっと続いて「送信ができませんでした」というのが出たのですが、その夜から朝にかけては違う変な画面が出ましたよね。

 


資料 グルプインタビューの内容


 −−今回は、この間の中越地震のときにどんな情報伝達をしたか、特にi-modeの伝言板というのが新しくできましたが、それが使えたのか使えなかったのかというところを話していただきたいと思い、お集まりいただきました。

 最初に地震のとき、まずどこにいて、どんな感じだったのかということからお聞きしたいと思います。それではAさんから、地震のときにどこにいてどんな感じだったのかを、お願いします。

 A 私は白根市の会社にいました。

 −−白根市というと、もっと新潟市寄りですか。

 A 加茂の北寄りというか、田上町の信濃川をはさんで海側です。その日は会社で模様替えをするということで、3時半くらいから全デスクを新しいのに入れ替えて、パソコンを設置し直してみたいなことをやっていました。それで一段落ついて、そろそろ帰るかという話をしていたときにドンという音が聞こえたような感じで衝撃が来てグラグラっとなって、「地震だ、地震だ」ということになりました。

 突然で何もできなくて、机にしがみついて「何、何」という感じでした。いまの地震だったねということで、すぐにまた余震が来ました。それで非常ベルが鳴りっぱなしで、会社内の壁側の一部がどこか落ちたという話がありました。

 そのあと余震が収まったので、あまり長く居てもということで家に帰りました。その日はちょうど会社が終わってから車で東京に行こうと思っていましたが、家に帰ったら「大丈夫だったか」という感じで、「今日はどこにも出るな」と言われました。

 −−ご家族と一緒に住んでいたわけですね。ではBさん、お願いします。

 B その日の昼から家族3人で新潟市に買い物に出かけていて、自宅にはおじいちゃんと犬しかいませんでした。地震も起きると思わなかったですが、夕飯は家で食べようということで確か新潟を5時ちょっと前くらいに出ようという計画で、5時過ぎくらいに女池のインターに乗って車で走っていました。

 確か5時四十何分かに1回目の地震がありました。そのときは高速で普通に走っていたので気づかなくて、弟の電話で初めて地震が中越地区で起きたと言われたので、「えっ」と思ってカーナビのテレビをつけたらNSTの地震速報で地震が起きましたというのに変わっていて、それで初めて地震と気づきました。高速道路の伝言掲示板でも、地震が発生したので降りてくださいということでしたが、そのときは、三条を過ぎていたところでした。中越地区だから長岡インターがどういう状況になっているかわからないというのと、家は長岡駅寄りなので長岡インターで降りると橋を渡らないと家に帰れないのですが、橋が落ちている可能性があるということで、中ノ島インターで降りました。

 おじいちゃん、おばあちゃんと住んでいるのですが、もう一方のおじいちゃん、おばあちゃんが石打という地区に住んでいて、老人世帯なので心配なので見に行ったら、戸が開かない状態になっていたくらいで大丈夫でした。行く途中、コンビニの電気がついていなかったりする地域があったりして、そんなこんなで1回目の余震で初めて車がすごく揺れました。

 たぶん中越地区で、そのときは小千谷の震度がいちばん大きいと言っていたので自宅がどうなっているか心配なのと、おじいちゃんが1人でいたのでどうなっているかということで家に急いで帰ったら、家はひどいことになっていました。新築の家だったのですがボードが動いた関係で壁紙全部に線が入ってしまったのと、食器棚のロックが全部かかっていて、普通の飾り棚みたいなところのお皿とかは全部落ちて割れて、端にあった冷蔵庫がフローリングの真ん中に移動していました。幸いなことに机とかタンスの裏に傷がつかないように、たまたまフェルトを張っていたので滑って倒れないような状況だったのでまだよかったですが、すごい状態になっていました。

 道路をはさんで同じ町内なのに、向かい側は電線が切れて停電が発生していました。こちら側は電気がついているので皆さん携帯の充電に来て、とりあえず連絡を取ろうということでしたが、やはり何も通じませんでした。

 −−停電はしなかったのですか。

 B その日の停電はなかったですし、水も止まっていましたが管の中に入っている分までは使えるので、夜中までは水も使えました。ガスだけが使えなかった状態で、水の買い置きもたくさんあったので、とりあえずは家にいました。

 −−Cさんは、そのときはどんな感じでしたか。

 C そのときは三条にいました。お店を出た途端にガツンと揺れて、自分が倒れるような感じがしました。いったい何が起こったのだというくらい、一瞬わかりませんでした。

 −−車に乗っていたのですか。

 C 車に乗ろうとした瞬間でした。隣の車が跳ねていて、何これ、地震だと思いました。かなりの揺れだったので怖くて、主人と子どもと3人で車の周りにしゃがみこみました。揺れが収まって、今のかなりでかかったよねという話になって、それこそ家の皿とかはどうなっているだろうと思いました。

 怖いからすぐに家に帰らないほうがいいかもという話になって、そのあと雑貨屋さんを覗きに行ったら、そこはものすごいことになっていました。とても怖いから家には入りたくないと言って、ジャスコに行こうと話したんです。ジャスコなら広いから何かあっても大丈夫そうだし、寒くありません。私がそのとき予定日でお腹が大きかったので、何かあっても建物の中のほうが安心なのではないかという話になって、子どももいたので一緒にジャスコに行きました。

 そうすると店内放送で小千谷のほうが震源地だと言われ、私の実家は川口町なので、「えっ」と思って、そのときに電話をかけたら、もう全然つながらなくなっていました。

 −−携帯からですか。

 C 携帯から電話をかけたのですが、もう全然つながらなくなっていました。「小千谷のほうを震源とする地震があったので、ここの建物は大丈夫ですが1回閉店させていただきます」ということで、ジャスコは追い出されたみたいなかたちになりました。外に出たのですが、そのあとも余震ががんがん来ていて、どうしようという感じでした。恐る恐る家に帰ったら、家の中は何ともありませんでしたが、自分の家のことより親のことのほうが心配で……。でも連絡が全然取れませんでした。

 その日は、本当は実家の川口町に行く予定だったんです。2人目なのでもう生まれると思ったのですが全然生まれそうになくて、陣痛が来ないと生まれないので、実家に帰って来れば産気づくかもよと言って帰ろうと思ったんです。しかしその日お医者さんに健診に行くと、「もう予定日なのだから下手に出て破水でもしたら大変だから止めなさいよ」と言われたので、止めて行かなかったんです。

 そうしたらそういうことになったので、気が動転しました。電話もつながらないし、携帯もつながらない。家の電話は、最初は呼び出し音は鳴り続けたのです。鳴り続けたけれども、その時点で親は家から飛び出していたので全然つながらなくて、携帯はいくらかけても「つながりません」でした。

 −−それは母親が持っているほうですか。

 C 母親が持っているのですがいくらかけても通じないので、もうだめだみたいな感じで、どうなったのかわからない感じでした。

 −−ご実家にはどなたが住んでいらっしゃるのですか。

 C うちの父と母と犬とで住んでいます。扱いは全壊になってしまったのですが、でも住めます。鉄骨だったせいで、潰れはしませんでした。

 −−では、怪我はなさらなかった。

 C あとで聞くと、うちの主人が助けに行ったときもすごいことになっていたそうです。炬燵の脇にソファがあって、たまたまその日は、母はその隙間で昼寝をしていて、最初の本震がガンと来て、自分の上にタオルケースにしていた家具がガンと倒れてきた。自分は炬燵とソファの隙間に寝ていてその上にガンとそれが降ってきて出られない状態にはなったけれども、その代わり上からいろいろなものが降ってきたのにはセーフだった。

 B 直撃はしなかった。

 C それで「助けて、お父さん」と叫んだのですが、当の父はいちばん玄関に近いところから逃げていたそうです。(笑)

 それで自分も本震が収まってはい出してみたら出られたので出てみると、自分のすぐ脇にそれこそ3メートル弱くらいのところにあったレンジが飛んで、ソファで一度ジャンプをして、炬燵の上に着地していて、それが自分の寝ていたすぐ脇に落ちていた。これが直撃していたら死んでいたなと思ったときに余震が来て、自分も逃げたと言っていました。

 −−Cさんから、その後に心配になって電話をしてという話になりました。今度は、その直後あたりに情報の面でどういう電話をしたとか、テレビを見たというあたりのことをお伺いしたいのですが、Aさんはどうでしたか。

 A 1回目の余震が収まってからすぐに家に帰ったので、特に家族と連絡を取り合うということもありませんでした。家は被害はありませんでしたが、そのあと家族は立ちっぱなしでした。家は5人家族で、祖母は体が悪いので週に何回かケアセンターみたいなところに行っていて、ちょうどそのときは運良くというか泊りがけで外出していたのでいませんでした。家族4人で座らずに家の中を立ってうろうろしながら部屋のあちこちのテレビをつけて、テレビを見ながらうろうろしている感じでした。

 そのあと、もう1人の弟が上越に住んでいるので、そっちはどうなのだろうということで、上越だからたいしたことはないだろうと思ったけれども一応どんな状況か聞きたくて、まず電話をしました。しかし家電(イエデン)には通じないし、携帯をかけても通じない。

 −−それはご自宅の電話から電話したのですか。

 A はい。自宅の電話から電話しました。さらに親が、携帯を使って電話をしましたが、でも全然つながらなかった。それから災害用の伝言板のことがテレビでずっと流れているから、それを使ってみたらどうだということになりました。

 −−どういう感じでしたか。

 A ガイダンスに従ってやっていきますが、そのときは「どうしよう」みたいな感じなのではっきりと覚えていませんが、「連絡下さい」みたいなメッセージを入れて、そのあと何度か確認するのですが応答が全然ありませんでした。そのあとでデイホームに行っている祖母のことも、家からほんの歩いて10分くらいのところなので家は被害がないから向こうも大丈夫だろうと思ったのですが、とりあえずそこに電話しました。その電話がつながったのは何時くらいだったか……。そんな感じでしたね。

 −−夜になって家からデイセンターに電話をしたんですね。

 A そうですね。7時、8時には、そこは通じたような気がします。弟のところは深夜になって、携帯か家電(イエデン)かわからないですが、連絡が取れました。県の林業の仕事をしているので、そちらのほうで自主的に見回りに行っていたので家に連絡を取るとか電話をするということを考えていなかったということでした。

 −−でも家のほうのことは心配してくれなかったのですかね。(笑)

 A そうですよね。

 −−考えもつかなかったです。それでも深夜になって電話が通じて、めでたしということですね。

 −−テレビはどの局を見ていたのですか。

 A ともかくこちらのテレビはどうだろうとか、ザッピングです。父親がいつもいる部屋と各部屋にテレビが置いてあるので父親は父親の部屋で、あとの残りの家族3人は居間でNHKを中心にして、あとはたまに民放という感じで、中継があると中継を見ようという感じでした。

 −−テレビでは、i-mode伝言板の話はしていましたか。

 A どうでしょうか。171はしていました。171はけっこう流れていました。

 −−Aさんがやったのは171ですか。

 A 171もやって、i-modeもやりました。i-modeは私ではなくて弟が、もう1人の弟に対してやっていました。

 −−弟さんは何人ですか。

 A 弟は2人いて、外に出ている弟に実家にいる弟がそういう連絡をしました。

 −−ではAさん自身がやったのは、171が基本ですね。

 A はい。結局そういうのは、自分たちがやっていても受け取る側がそれを見なければどうしようもないので、携帯も持ち歩かずに出ていたようなので、結局は無駄でした。

 −−171と伝言板の話はまたあとで詳しくお聞きしますが、次にBさんの話をお願いします。

 B 先ほども言いましたが最初に電話が来たのは、弟から電話が来て地震だということを知りましたが、それから大慌てで、ちょうどそのとき乗っていたのが私と父親と母親で、家にはおじいちゃんがいました。おばあちゃんも同じく住んでいるのですが、ちょうど民謡の大会で東京の武道館に行っていたので連絡の取りようがありません。とりあえず家に連絡を取ろうということと、あとは先ほど言ったおじいちゃんとおばあちゃんが住んでいる家に、父親は運転していたので母親と私が携帯で連絡を取ろうということで何度も電話したのですが、やはりもう「混み合っています」ということで携帯は使えない状態でした。

 −−それはアナウンスが出たのですか。

 B 耳で流れたり最初からつながらないとか、何度もかけているとプルルと鳴ったと思いきや「混み合っているので」とかでつながらない状態でした。たまたま近所に母親の勤めている先の従業員の人が住んでいて、たまたま携帯で電話をしたら、その人にだけはなぜかつながったので「おじいちゃんの様子を見てきてくれないか」と言ったら、「見て来たよ」ということで安否だけは確認ができたのでよかったということでした。

 そうしたら友達からメールが来たので、メールは使えるということで、もともと東京にいたので東京の友達からメールがいっぱい来るので、その返信で忙しかったです。

 −−「大丈夫」みたいなことですね。車に乗っている最中に、直後にどんどんメールが来るのですか。

 B はい。メールは使えたのはそのときでした。自宅に着いたのが6時過ぎで、そのときもいろいろな人からメールが来たり、近くの知り合いにもメールをしていたので、メールが通じたのは7時くらいまででした。そのあとは携帯が通じないということでメールに殺到してしまって、メールを送信しても送れないという画面が出てきてしまって、メールもだめだと思いました。

 −−それは何時ころですか。

 B 確かテレビは7時くらいでした。テレビも特別番組なので時刻がいま何時なのかわかりませんでした。家はケーブルテレビを使っていたので、自宅のテレビは見られませんでした。それで車のエンジンをつけてカーナビのテレビを、近所の人もそれを見に来たりして近所中みんな外に出ていました。

 とりあえず車が安全だということでみんな車にいて、カーナビのテレビでいまどこがどうなっているとか、地震速報でいまは震度が何だったかという情報を手に入れていました。

 −−7時ころに送ってみようと思ったけれども、送れなかった。

 B 送れずに、たまに問い合わせでメールが来ていないかやると、けっこう前に誰かが送ったやつがまとめて受信というかたちで、誰々さんからメールが来たという感じで情報としては取っていました。

 −−それでも送れないのですか。問い合わせでメールは受けても送れないのですか。

 B たまたまつながれば送れるのですが、回線に乗らないとだめなのかと思いました。そのあとは親戚中に連絡を取ろうとしても取れなくて、次の日になって家の電話からはつながるのかと思ってやったのですが、避難所に行っていたりして家電(イエデン)同士だと電話は鳴るけれども応答がないということで、まず171をテレビでやっていたので、それでメッセージを残しているのではないかと思いました。親戚がみんな長岡に住んでいて、連絡が通じなかった親戚が一カ所だけあったのです。それでやったのですが、家電(イエデン)も通じないくらいなのでメッセージを残していてくれていませんでした。

 たまたまやることもないので携帯をいじっていたときにi-modeのページを開いたら、いちばん上に伝言板というのがありました。そういえばあそこの家のある1人だけ携帯番号を知っていたので、何か残っているかなと思って、そのときにその伝言板を使いましたが、結局、誰もメッセージがなかったということで、開いたものの使えない状態で終わったということでした。

 −−それはメッセージが入っているかと思って見たのですね。

 B はい。その人が何か残しているのではないか、ということで開きました。

 −−では、そのページまでは開いたということですか。

 B 一応ページは開いてやることはやったのですが、でも何も該当なしみたいな感じでした。どういったあれだったかよく覚えていませんが、連絡は取れませんでした。

 −−では、171とi-modeの両方をやってみましたか。

 B はい。

 −−わかりました。ではその話をあとで詳しく聞きます。Cさんはどんな状態でしたか。

 C 同じです。まったく電話がつながらなかったので、携帯と家の電話を両方持って、かけ続けにかけていましたが全然かからなかった。メールも、最初はまったく来なかったのでメールということに気がつきませんでした。あとで、そうだ、メールは送れると思いました。水害のときにメールはつながったので、メールは送れると思ってメールを送ったのですが、母は読むことはできるけれども返してくることはできないのです。実際そのときは余裕もなかったみたいで、メールを開けるということもしていなかったみたいです。

 結局メールの返事も来ないから、生きているのか死んでいるのかもわからなくて、家に着いたのが6時過ぎくらいだったと思うのですが、それから10時半くらいまでずっと5時間くらい、かけ続けにかけていました。そうしたら親戚のおばさんが、家の実家に電話をしてもつながらないと心配して、「私もずっとかけているけれどもつながらない」と言ったら「家の母の番号を教えてくれ」と言うので、私がこれだけかけているのにつながるわけがないと思いながら一応教えたのです。

 そうしたら、それから30分しないうちの11時前くらいだったと思うのですが「かかったよ。久美ちゃん」とおばさんが電話くれて、「とりあえずお父さんもお母さんも無事で怪我もしていないけれども、いま車の中にいるということはわかった。けれども充電が切れそうだから、とりあえず子どもたちにそれだけ伝えてくれだけ言われて切ったから、とにかく安心して」ということでした。とにかく私もお腹が大きい状態だったので、「今日はとにかくゆっくり休んだほうがいいよ」みたいに言われました。

 私は妹が2人いるのですが、1人はちょうどそのとき新婚旅行に行っていていませんでしたので、真ん中の妹と、連絡はついたかという電話をずっとしていたのです。家のほうにもかかりづらいと言っていたのですが、まるっきりの被災地ではないので時々はつながるという感じで妹と電話をして、まだつながらないとやっていたのです。

 とりあえずつながったという連絡が来たから、「大丈夫だよ」と妹に電話をかけたら妹は「私はもう少しかけてみる」ということでしたので私もかけました。私は1時過ぎくらいまでかけたけれどもつながりませんでしたが、妹は1時過ぎに1回かかって、とにかく親の元気な声を聞いたからとりあえずは安心したということでした。でも充電が切れそうだし父も興奮しているから「俺は無事だ。お母さんも無事だ。お前たちも頑張れ。じゃあな」みたいな感じで切られて、「なんだ、それは。なんにもわからないじゃない」みたいな感じでした。(笑)

 その次の朝も電話をかけまくっていて、そのころやっと171がどうのこうのというのに気がついたと思いますがi-mode何とかというのにも気がつきました。親が無事だということはわかっていたのですが、そのあとの状況がまったくわからないので、まず171のほうにかけてみました。当然ですが、向こうは電気も何もないので、親がどうしているかということもわからなかったのです。でも親戚の人が「大丈夫ですか」という感じで……。

 ごめんなさい。前後しますが、171のほうにはもっと早く気がついていて、連絡がつく前に使っていました。ずっと使っていて、ときどきかけるのですが親からの連絡は入らなくて、親戚だけは重なっていくという感じでした。171で親戚からの「大丈夫か」というのが重なっていって、私も途中で「久美子ですけれども、いままだ連絡がつながりません」みたいな感じで録音を入れました。3回目くらいのときはつながったので「とりあえず無事だということはわかりました。ここに電話をかけてくださった人は安心してください」みたいなことを残しました。それがたぶん、メッセージの数としては9件目くらいの電話だったかと思います。

 i-modeのほうにはそのとき気がついて、一応母親の電話番号に入れたのですがもちろん何も入っていませんでした。母親のところにつながっていないということは私のところにも電話してきているかと思って自分の電話番号も入れてみたのですが、誰もそういうメッセージは残していなくて、しょうがないから自分のを入れて「私は無事です」みたいなことを一応入れたのです。そのあとどうなったのか、1回くらい聞いたけれどもそれ以上何も入っていませんでした。

 −−171では、周りの人が相当心配してご実家の電話番号宛に「大丈夫か」と8件入れてあったんですね。

 C そうですね。そのうちの2件はたぶん私で、真ん中の妹が1件か2件入れて、親戚の人があとの残りで「大丈夫ですか。心配しています。電話してください」みたいな感じで入っていました。

 −−「とりあえず大丈夫みたいです」と入れた。

 C 家の電話番号と妹の電話番号を自分たちで言っておいたので、3番目の妹が結婚したばかりでそのご主人の親御さんからも「電話番号を聞いたので」ということで「お父さん、お母さんは大丈夫ですか」という電話が家にかかってきたりしました。そのあとも「とりあえずいまはまだ連絡はつながらないですけど」とか「連絡はつながって、とりあえず無事なのはわかったけれども、無事だということしかわからないので家のほうがどうなっているかわからない」ということは言いました。

 あのときは心理的にものすごく心配だったので、それで連絡がつけられるということがわかっただけでも気持ち的には安心しました。

 −−連絡がつけられるというのはなんですか。

 C 親戚1軒、1軒に電話をかけようにもかけていられないので、そこに1回かければみんなにつながるのだということがわかって、そういうのはすごく安心しました。やはり親戚は年がいっている人が多いので、利用してくれなければわからないと思いました。

 −−親戚の方が入れてくれるから……。

 C 入れてくれるから、わかったというのがあります。実際、被災地では、本当はいちばん知りたいのは被災地の状況ですが、テレビもつながっていないし何もないから、親たちはそこに入れることもできなかったのです。実際に、携帯の充電がすぐに切れてしまったそうです。ですから、本当にそのあとどうなっているかわからなかったです。携帯の充電が車の充電でできるということをどこからか聞いて、誰かに頼んでやってもらうまでの丸1日くらいは全然わからなくて心配でした。

 −−でも171はとりあえずいろいろと活用した。

 C そうですね。使いました。

 −−ちなみに、妹さんはどちらにお住まいですか。

 C 東京です。

 −−11時ころに初めて携帯に電話して通じたという話が来た親戚は、どちらですか。

 C 県内の西蒲原郡という新潟寄りのあたりの人がかけてくれました。

 −−それは親戚の方ですか。

 C 母の兄弟のいちばん上のお兄さんです。

 −−それが第一報ということですね。

 C そうですね。それまでは何もわからなかったです。

 −−その後もやはり実際に、生の声を聞きたいと思って何回かかけましたか。

 C そうです。結局私がつながったのは次の日の朝で、元気だということだけは伝えました。

 −−そのときは、充電が切れてしまうということだったのですね。

 C 「切れちゃうから、ごめん、しゃべれないから」みたいな感じで、そのあとは、携帯の充電ができるまでの1日くらいだったでしょうか。携帯の充電器が被災地の川口に届くのに、1日半だか2日だかかかったのです。それがあることも町の中の人たちは知らなくて、充電ができないと言って「困った。困った。連絡が取れない」と言っていました。

 あのときはまるで陸の孤島になっていて、全部道路が寸断されていて、出られなかったのです。外部と連絡を取る手段もないから、町の中の様子もちょっと違う地区の人たちがどうなっているかもわかりません。ですから充電器が来ていることも知らないみたいな感じでした。

 −−その充電器は、車から充電できるものですか。

 C 車載用のものがあるらしくて、それをたまたま知り合いの人が持っていて、そこまで歩いて行って、充電してくれたのでということでした。つながらないと思っていたけれども気休めみたいな感じで気まぐれに電話番号を押したらプルルと鳴って、え、なんでつながるのという感じでした。いま預かって充電しに行って来たということでした。

 −−その充電器は、その人がもともと持っていたのですか。

 C もともと、たまたま持っていたそうです。ですから皆で、あとで買わなければと言っていたのですが、買っていません。

 −−ではAさんに戻ります。171は自分でやってみたそうですが、そのときはどんな状態でしたか。上越市に住んでいる弟さんの電話番号で。

 A そうです。そのときは普通につながって、こちらは何とか何とかです、何とかしてくださいということでした。

 −−そのときは、聞こうと思ったのですか。

 A 録音しようと思いました。「とりあえず連絡ください」ということで切って、それから10分置きくらいに、何か入っているかなという感じです。

 −−何回もアクセスしましたか。

 A はい。いま思い出したのですが、そういえばそのとき恥ずかしい話ですが携帯の料金を滞納していて携帯を止められていたのです。それで母親と私で家電(イエデン)を使って、上の弟が自分の携帯を使って、弟が携帯をかちゃかちゃやっているうちにi-modeに気づいたみたいで、やってみろということで親子3人で輪になって、とりあえず連絡できる手段はないかということでやっていました。

 −−覗きこみながら、i-modeのやつをやってみた感じですか。

 A はい。

 −−171とi-modeの使い勝手はどうでしたか。

 A 171はガイダンスが流れて、それに従ってやっていけばいいので面倒くさくはなかったです。i-modeのほうは、弟も若いのでちゃっちゃかという感じでした。

 −−弟さんはおいくつですか。

 A 若くないですね、三十です。(笑)

 −−それもスムーズに、連絡をくださいというのを入れたのですか。

 A そうですね。やはり自分たちがそういうのを知っていても、受け取る側がそういうシステムを知っていなければどうしようもないのです。結局うちの場合も「伝言板に入れたんだよ」と言っても「ふうん」で終わってしまって、そのあとで確認していたのかどうなのかもよくわからないです。

 −−受ける側がその気にならなければということですか。

 A そうですね。若い人ならそういうことにすぐ気がつくこともあるけれども、これが年寄りならば絶対にわからないです。

 −−171も伝言板も、アクセスはすぐできたのですか。

 A アクセスはすぐにできました。そのときは、ほかの電話はつながりにくかったような気がします。

 −−ほかのはつながりにくかったけれども、171とか伝言板は通じましたか。

 A はい。記憶が曖昧ですが、県内の親戚は地理がわかるので田上だったらうちが大丈夫だから大丈夫だろうということがわかるのですが、遠い親戚とかがけっこう電話をくれたりしました。田上はわりと電話がすぐつながったと思います。でもi-modeをやっていたときは、やはりつながらないからそういうのに頼るわけで、それは普通にすぐにつながったと思います。

 −−弟さんにメールは送らなかったのですか。

 A 弟が送っていたと思います。

 −−でも、それも返信がなかったんですか。

 A はい。パソコンのほうは普通にメールが届いていたみたいなので、あとからパソコンから送ればよかったかと思いました。

 −−弟さんは、i-modeの災害用伝言板はもともと知っていたのですか。

 A 上の弟ですか。

 −−はい。

 A 知らないと思います。

 −−そのときにいじっていたら、出てきたということですね。

 A はい。171はテレビでいっぱい放送していたのでそういうので、たぶんいろいろ方法はあるのかと見ていたのではないかと思います。

 −−171は何回くらいかけましたか。10分置きとおっしゃいましたが。

 A 3、4回くらいかけました。私はそのあと自分の部屋に引っ込みました。自分よりも親が心配していたので、そのあと何回かかけていたみたいです。

 −−何回かかけても、結局最初に入れたやつしか入っていないので、だめだということになり、それでメッセージは聞かずに、そのままということですか。

 A 伝言を聞くのと並行して、普通に電話を直接かけていました。

 −−Bさん、i-modeの伝言板はどうですか。

 B 結局1件だけ、次の日になってほかの人に電話が通じるようになってから電話しても連絡がつながらない状態でした。そこでまずテレビでやっていた171をやっても何も残っていなくて、たまたまi-modeを開いたときに伝言掲示板というのがあったので、そういえばドコモの携帯だったということでやったのですが、連絡は残っていませんでした。

 −−そのときは、見るだけですか。

 B 見るだけのほうを使いました。もう1回くらい171をやったところで、「所在がわかった」ということでほかの親戚が連絡をくれたので、それ以降、伝言板は一切使っていません。これで全員の安否がわかったから、皆で1階ですぐに逃げられるようにしておこうという感じでした。

 −−最後までわからなかった1人というのは、親戚の方ですか。

 B つながらなかったのが、長岡の大島に住んでいる親戚でしたが、携帯の充電がなくて体育館に避難していたのでどうしようもなかったようです。その家族は伝言板のことを知らなかったので何も伝言を残さないで、ずっと避難所にいたということだったようです。

 −−携帯を持っている方は若い人ですか。

 B 年としては40前半くらいの方です。

 −−携帯電話も、普通に電話しても通じなかったですか。

 B はい。電池がなかったので、つながらなかったみたいで、電波がないとかそういうのではなく、本当に電池が切れて使えない状態だったようでした。

 −−電波の届かないところにおられるかどうかは、電話したときにわかりませんか。

 B 「電波が届かないところか、電源が入っていない」ということでしたので、たぶん電波の届かないところにいるからなのかということで、もしかすると何か残っているかなと思って何回も使ったということでした。

 −−結局は役に立たなかったということですか。

 B そうですね。

 −−連絡くださいと吹き込んだりはしなかったのですか。

 B 自分も入れればよかったのですが、ほかの人には連絡が取れていたし、その人が残していないかと思って使っただけなので、特には使いませんでした。

 −−171は何回くらい聞かれましたか。

 B 171は結局2回で、i-modeはたまたまそのとき1回やっただけで、私はあまり使いませんでした。

 −−使い勝手はどうでしたか。

 B 音声メッセージやら画面の案内にしたがってやればいいというやり方はわかって、そのとおりにやれたので難しいことはなかったと思います。

 −−両方とも大丈夫でしたか。

 B はい。

 −−Cさん、使い勝手はどのように感じられましたか。

 C 171は、あのときは気が動転していたので、言われたとおりに押せば大丈夫でした。でもガイダンスに従って進んでいく途中で、戻せないのです。最後まで聞くと1回切らないと、もう一度最初からやって次は録音といううふうにしなければいけなかったと思います。

 −−とりあえず再生したのですか。

 C 聞くだけ聞いて、そのあと重ねて録音するというのが確かできなかったと思います。1回聞いて切って、それで次にもう1回録音するというようにした気がします。間違っていたら申し訳ないですが、面倒くさいと思った気がします。

 i-modeの伝言板のほうは、とにかく聞いてみないとわからないので入れるのですが、入っているかどうかというのは聞いてみないとわからないのです。友達のも1件やったのですが、友達も何も入れていなくて1回しか聞きませんでした。

 −−聞くというのはi-modeの伝言板ですか。

 C i-modeの伝言板で友達の電話番号を入れたのですが、「登録ありませんでした」と出たので、だめだと思って、ここもつながらないので、どうなっているかわからないと思いました。それで、その友達のも1回しかやりませんでしたが、入っているというのがわかるシステムがあれば、もっと便利だと思ったのは覚えています。

 −−入っているかどうかを確かめるまでに、ステップが結構たくさんありますか。

 C そうですね。実際にはそんなにないのですが、特にああいうときは気が動転しているから、もし何か入っていればと思って見るのですが、実際には何も入っていません。たとえばそういう番号が入っていて、登録しておいたらその番号に入っていることがわかるというのがあればいいのにと思いました。

 実際、友達とか親戚が結構いるから本当は1軒、1軒全部尋ねたいところですが、自分の親がいちばん大事でしたので、それどころではなくて……。落ち着いて三日目くらいに、そういえばあそこの家はどうなったのだろうみたいな感じで1軒、1軒やってみたけれどもだめだったから、やっぱりこれはだめだなと思って1軒だけしかやりませんでした。

 −−Cさん自身は、自分の安否は入れましたか。

 C 入れました。自分の番号を入れて「C久美子です。うちのほうは大丈夫です。うちの親は大丈夫だから心配しないでくれ」と入れました。主人の実家も長岡なので「主人の実家も大丈夫です」ということも一応入れました。

 −−それは171のほうですか。

 C i-modeの伝言板です。

 −−けっこう長く書いたのですか。

 C そうですね。でも結局、誰も見てくれていない。

 −−見たよという話は聞いていないですか。

 C 聞いていないです。落ち着いてからはまるっきり普通に家電(イエデン)で電話していたので、それを見たとか見ないという反応は一つもありませんでした。実際に誰かが見てくれたかどうかは、わからないです。

 −−自分で確認したりしませんでしたか。

 C しませんでしたね。1回、何かで該当ありませんと出たから、ではいいやと思ってそれだけです。

 −−i-modeに一度入れて、本当に入っているかどうかは確かめましたか。

 C しませんでした。

 −−「登録できました」で、それでいいということですか。

 C それで終わりでした。

 −−171のほうに、「自分は大丈夫だよ」という録音をしましたか。

 C 自分の電話番号は入れていないと思います。うちの親のほうの電話番号に重ねて何件か入れただけで、あとは入れていないです。

 −−自分の安否などは吹き込みましたか。

 C 入れておきました。

 −−私は大丈夫だということは。

 C 友達とか親戚はみんな私が臨月だということをわかっているので、とりあえず元気だし、親もとりあえず大丈夫だということは入れました。あれは1番から順番に再生していくと残っていますし、その時点でそれ以上の変化はありませんでしたので自分の何とかは入れませんでした。

 −−多くの親戚の人が、そこに書き込んでいたのですか。

 C 結局、3件です。父のほうの一番上のお姉さんがそういうのをまとめて聞いて父の兄弟とかに連絡したりしてくれていたので、そこに入れて聞くだけは聞いてみたいなことでした。そうでなければ直接私やそのお姉さんとで連絡を取り合って、とりあえず家は建っているみたいだしとか、車は突っ込んだみたいだけどという話はしていました。

 −−i-modeは親御さんと友人の方と自分の電話番号と、ご主人の実家の分ですか。

 C 主人の実家の分は入れませんでしたので3軒です。

 −−確認されたのは親御さんと。

 C 全部1回ずつですね。親はそれどころではなかったし、わかっていなかったようなので、これはだめだと思ってやめました。同じ年の友達のも、この人がわかっていないからだめだと思ってほかの友達の分はしませんでした。

 −−それは近くに住んでいる方ですか。

 C 長岡市内で、家電(イエデン)が通じないのです。実際には家から出て親戚の家に避難していたらしいので、通じるわけはなかったのです。そこの家は携帯もつながらなかったです。あのときは、電話も携帯もめったにつながらなかったのです。

 −−メールはしなかったのですか。

 C メールは、1日くらいほとんどつながりませんでした。

 A そうですね。

 C 確か、そんな感じでした。送ろうとしても、混雑しているみたいな感じの画面が出るのです。

 A 次の日の朝もだめでした。

 C 確か、次の日もだめでした。送信できないというか、何か違うメッセージが出るのです。

 B 機種によって違うのかも知れませんが、i-mode接続中という水色の画面が出ます。

 C それが全然出なくて、送信しようと思っても送信できなかった。

 −−接続中がずっと流れているのではないですか。

 B 接続中でなく、いつも見ないような画面が出るようになっていました。たぶん地震が起きた当日の最初はそういう画面はなかったはずなのに、急きょつくられたのかわからないですが、地震が起きたばかりでメールがつながらなくなったときは「送信中」というのがずっと続いて「送信ができませんでした」というのが出たのですが、その夜から朝にかけては違う変な画面が出ましたよね。

 C 確かそうだったと思います。つながらなかったです。

 −−翌日くらいからですか。

 B 当日の夜くらいからです。最初は「送信できませんでした」くらいでしたが、そのあとはいつも見かけない画面でした。

 C あれはいつからなのか、記憶が曖昧です。

 −−送信と押すと出てくるのですか。

 B 送信するといつもだと送信中みたいなのが出るのですが出ないで、混み合っているというようなメッセージが押した時点で出てしまって、まだ混んでいるのかと思いました。

 −−そのときは、i-modeも開けないのですか。

 C i-modeもだめだったように思います。とにかくメールがつながらないので、メールも送れないと思ったのは確かです。

 B 私は何で伝言板を知ったかというと、まずiボタンを押すと、一覧表が出てきて、それでやったら何かできたのです。iボタンを押すときは、まだi-modeを受信していない状態であの画面が出るので、こういうのがあるということでその情報を知ったわけです。

 特にテレビなどで、i-modeでそういうサービスをやっていると言っているのは知らなくて、テレビでは171の存在を知りました。そしてたまたまiボタンを押したら、伝言板の地震災害伝言板というのがあるのを知りました。

 −−それはいつころですか。

 B 次の日で、当日ではありません。i-modeの伝言板は地震発生の次の日です。

 −−そのころは、メールも送れたり送れなかったりだったかもしれないですね。

 B 当日の発生1時間くらいはメールは通じて、そのあとはつながらない状態がけっこう続いていました。次の日も、つながらないけれどもたまたま送れるみたいな人はいて、そんなときにiボタンを押したら、伝言板の存在がありました。

 ドコモの明細は自分に請求が来ないので、そういうサービスがあるということももしかすると書いてあったのかもしれませんが、私は明細自体を直接見ないし、マンスリー何とかああいうのも見たことがありません。

 −−Cさんはそれを何で知ったのですか。

 C 三条の水害のときに、1回使ったような気がします。実際、全然連絡がつかなくて、でもそのときも誰もそれを聞いたとかそういう反応もなかったです。それがあることは確か知っていたけれども、それを使おうとは最初は思わなかったです。やはり同じような感じで携帯がつながらないと思いながら、でも心配だから開くのです。それで開いて、何かのときに災害用伝言板どうとかいうメッセージが出たので、そういえばこういうのがあったと思って、まず自分の親のを入れてみてだめで、自分の家のをとりあえず吹き込んで入れておきました。

 −−やはりいじっているうちに、iボタンを押したのでしょうね。

 C そういう感じだと思います。開いて、こんなのあったんだっけという、そんな感じでした。

 −−Aさんも、i-mode伝言板を知ったのはそういう感じですか。

 A そうです。偶然というか、ともかく何かしようということでした。携帯を開いて、なぜi-modeにしたのか、そのへんは本人ではないのでよくわかりませんが、こういうのがある、やってみろという感じです。

 −−Aさんは、自分の安否などを何かに吹き込んだりしましたか。

 A そういうのはないです。

 −−弟さんのことだけを考えて。

 A そうですね。うちはお二方と違って被災地に近いとか親戚がいたりということではなく、ある程度離れたところでしたので、そんなに被害はひどくないだろうけれども、どんな感じだったかを知りたかったんです。それから171の場合はテレビでやっていたのでそれを見て、電話もつながらないのでちょっとやってみようという感じでした。i-modeにしても、こういうのがあるなら171をやっても連絡もないからこちらもやってみればいいという感じでした。7時にはなっていなかったと思いますが。

 C 意外と早く気がついたのですね。

 A うちのほうは余裕があったのです。とりあえず家の中がめちゃめちゃということでもなかったし、テレビ、ラジオも普通についていましたので、とりあえずテレビを見て、携帯は使えるかとか、そのあとでパソコンとかを使いました。私の安否は、どちらかというと私は携帯よりもパソコンのメールが主流なので友達もパソコンのほうに来ていたし、こちらからもパソコンから送信して「こちらは大丈夫だから」ということでした。

 −−パソコンで自分の安否は伝えたということですね。Bさんは自分の安否は?

 B メールを来た人に返すことしか思いつかなくて、伝言板には1回も残していませんでした。だいたいの人は連絡が取れたということと、東京の知り合いからはメールが来た人にしか返事はしていませんでした。仲間のグループとかがあるので、「皆にもよろしく言っておいて」というかたちで、その人づてで連絡してもらったりしていました。だいたいはメールでしたね。

 −−自分の安否は、来たメールに返す。Cさんは自分の安否を入れたようですが、なかなか自分の安否を伝えるという余裕はないものですか。

 C 手持ち無沙汰だったということもあるかもしれませんが、ほかに情報が何も入ってこないし、自分も人から見れば心配されているかもしれないと思って入れてみましたけれども、たぶん誰も見ていない。

 −−171に入れたのは当日ですか。

 C 当日、テレビで見て、これならつながるかもと思ってやりました。結局、被災地ではテレビも何もなかったので、それをあそこの人たちが知ったのがかなりあとだったようです。実際、どのようになっていたのかというのはわからなくて、周りで右往左往しているだけでした。

 −−171については、皆さんはテレビを見てですか。

 B そうですね。地震が起きた時点で近所の人たちはみんな外に出てしまっていました。町内会長さんのところにマニュアルがあるのかわからないですが、とりあえず町内の安否を確認して、ここは千手小学校に避難してくださいという話をしていましたが、だいたいの人は小学校に行きました。

 うちのブロックの人たちは体育館なんて行きたくないし、電気もついているから1階で寝ようかということで、とりあえず外に出ていました。ほかの家はどうかわかりませんが、うちはカーナビがあったので171がわかったのです。うちのブロックはケーブルテレビを使っていたのですが、ケーブルテレビは次の日もつかない状態でした。たまたま誰かが入院したときの小さなアンテナ付のテレビがあったので、それを取って来て、家ではそのテレビで情報を見ていました。

 −−ケーブルテレビというのは、停電になっていなくてもだめなのですか。電気がついていてもケーブルテレビは使えない。

 B たぶん本局が長岡でしかも悠久山の近くで、悠久山は山古志の隣なので被害がすごかったのだと思います。それできっと線が切れたのだと思います。

 −−設備がだめになった。

 B そこまでは何も連絡がなかったのですが、たぶんそれで隣もテレビはつかないし、うちだけではないという確認をしました。全部の家庭がだめだから、たぶん本部のほうがだめだったのだろうということで、こういうときにテレビがつかないのは困るという話でした。

 −−新幹線の近くですか。

 B 新幹線の駅からまっすぐ山のほうに行くところに、ケーブルテレビの建物があるのですが、うちは長生橋というところのふもとで、川に近いので地盤が悪い地域なんです。

 C 長生橋もすごく揺れたと言っていましたよ。

 B 長生橋で向陵高校のある学生が、1回目の地震のときは渡らないで、大丈夫だろうと思って渡っていたら余震が来ました。「橋は蛇のようで、自分は自転車に乗って浮いたという話で、車の人にお前いま何やっているのかと言われて帰った」という新聞の記事が載っていました。

 C 新聞でしたか。

 B 新聞か何かの記事に載っていて、あの橋はよく落ちなかったということでした。

 −−有名な話になっているのですか。

 C 私もその話は聞きました。本震のときは渡らないで止まっていたけれども、まさか余震であんなに大きいのが来ると思わないから渡り始めたら、長いので途中ですごい怖い目に遭いました。

 B 普段でもバスが通ると揺れている感じで、結構古いのであの橋は落ちたのではないかと言われていたのですが、そのたもとに家があるのです。確かにその時間車は全然通っていなかったのは、通行止めだったからです。

 −−Cさんがi-modeを使われたのは、次の日くらいですか。

 C i-modeを使ったのは次の日だったと思います。171は早かったですが。

 −−電話関係はそういう感じでしょうか。違う話ですが、Bさんは被災地になりますが、インターネットのホームページなど市のお知らせなどは役に立ちましたか。

 B 最初は家の中に入っていなくて、2階にパソコンがあるのですがずっと1階にいたので、パソコンの存在が。次の日に片付けをしていて1回開いたのですが、特にそういったのは開いていないです。

 −−FMなどは聞きましたか。

 B ラジオは少し聞きましたが、だいたいテレビがついていました。

 −−テレビがメインですか。

 B はい。

 −−テレビはNHKですか。

 B フジテレビ系列のNSTです。

 −−Cさんの三条にはコミュニティーFMがありますが、聞いていましたか。

 C 実は自分の家のFMが設定できなくて、聞いていませんでしたが、周りの人たちはけっこう聞いていて、温泉の人たちが迎えに来てくれるとかそういう話を聞いて一緒に温泉に行ったりということで、聞いていたようです。

 A FMは詳細情報を流していませんでしたか。

 C 自分は全然聞いていません。

 −−Aさんは聞いていましたか。

 A 地震のときではないのですが、水害のときはものすごい細かい情報でした。たとえば、どこどこの地区は何々小学校に避難しますとか、どこどこの小学校は何日まで休みですとか、給水車がどこに来ますとか、ここの健康ランドは無料でお風呂に入らせてくれますとか、無料のバスが出ますとか、お風呂情報とかガス情報とか全部です。

 −−車か何かのラジオで聞いたのですか。

 A 水害のときは会社の事務室に三条のFMを流していたので、災害情報で何時何分にこういうことがありましたということをずっと流していました。地震のときは思いつかなかったのですが、本当に地元の情報しか流さないので、FMは結構役に立つかなという感じでした。

 −−役に立つかというと、171とかi-modeは今回は役に立ちましたか。

 A 実際、役には立ちませんでした。皆が知っていれば役に立つのだろうけれども、災害のときにしかこういうのがあるというのがわかりません。171はその少し前にこういうのがあるということを何かの番組でやっていたので、当日のテレビを見る前から知っていました。普段からコマーシャルとかでやっていたり、もし何かあったときにはどうだとか、NTTが災害時にはここにというシールを配ってくれたりというのがあればいいと思いました。

 −−Bさん、どうですか。171とかi-modeの伝言板は役に立ちましたか。

 B たまたまそのときに親戚に連絡が取れないということで、どうしよう、どうしようと言って情報を知ったくらいで、とりあえず電話、携帯電話、メールくらいしか思いつきませんでした。もしもっと早く知っていて、もう少し内容がよくなれば、電話がつながらないときでも使えたので、もっと何かルールみたいのが変わればいちばん役に立つのではないかと思います。

 −−ルールというのはなんですか。

 B i-modeで言えば、それを全員が知らないと意味がないので、いつでもここにあることを知っていれば。全員が災害時には171という掲示板を使うという頭にならないと、連絡を取らなければということで携帯とかメールになってしまって、それだとつながるということで混み合って、結局つながらない状況に陥ってしまいます。

 ドコモにそういうときでも携帯が使えるような回線があればいちばんいいのでしょうが、それは無理な話ならば、伝言板の活用をもっと促すような活動をしないとあまり意味がないという感じがしています。

 −−メールを使われていたようですが、それを考えると災害用伝言板というのはどうですか。

 B ツールとしてはメールと同じようなことをするので、やり方として簡単と言えば簡単で、メールを使う人なら、どの人も使える品です。特に東京とかにいる人や被災地ではない人がもっとそういうのを使ってくれればと思います。結局あれで混み合ってしまったのは、被災地でも連絡を取っていたのにプラスして周りから来たのが多くなったからだと思います。本当は被災地同士で情報をやり取りしたいのに、周りの人が心配してということで余計に回線が混んでしまって本当にいま連絡取りたい人と連絡が取れないという状況に陥ってしまっていたので、そういう伝言板を全員が知っていれば、どうしても電話を使わなくてはいけない人がつながったのではないかと思いました。

 −−Cさんの評価はどうですか。

 C 自分としては、周りの人たちと連絡を取り合う手段としては171のほうはかなり有効だったと思います。私はNHKばかり見ていたのですが、NHKでは171に電話してくださいということをかなり早い時期から出していました。

 −−テロップですか。

 C テロップでずっと、171でというのをやっていました。そういえばそういうのがあったということで、実際に親戚の人たちとも、それである程度のやり取りができたりしましたので、そういう点では有効だと思いました。

 先ほどのBさんがおっしゃるように、本当に必要な人たちがその回線を使えない。今回、自分も本当に必要な人たちの部類に入ったと思うのですが、まったくつながりませんでした。周りの人たちはそちらにかけるとか、回線が用意できるのなら別回線という感じにできればいいと思いました。

 村上の友達も、電話が全然つながらなかったそうです。県北の村上の友達が、「都内からかかってきた電話もつながらないので、それこそ村上あたりもだめだと東京の人たちは思っていた」という話をあとで聞いて、新潟はそんなに狭くないよと言って笑いました。

 それくらい、極端なところにも電話がつながらないくらいだったので、そういうのをより分けるような感じにできれば、もっと有効に使えると思いました。i-modeのほうは、知らな過ぎると思いました。それこそ何か書いてあれば便利かもしれません。

 −−書いてあればというのは?

 C 最初にパカッと開けたときに、災害のときはここに電話してi-mode伝言板を使ってね、というのがCMみたいな感じで出てくるとか、そういうことでしょっちゅう目にしていれば、あっと思い浮かぶかもしれませんが、たまたま開けたときにそれが出ていたから、あっと思っただけです。

 B あれは普段は出ていないのですか。

 −−普段は出ていないです。

 C いまも出ていないです。

 B では、災害が発生した時点でポコッと出るのですか。

 −−そうです。普段から告知があればいいです。

 C CMみたいな感じで出ていれば、「そういえば」ともっと思い出すかもしれないですが。

 B 慌てていると、頭にないです。

 C とんじゃっています。

 −−いまもしまた災害が起きたら、使いますか。

 B 使うと思います。今度は知っているので、171とそういう線があるという頭になれば、積極的に使いたいと思います。

 −−i-modeでもですか。

 B はい。あとは報道がひどいところばかりを映すことで心配して、新潟ということだけで村上のほうにも電話がいったということですが、新潟県のこういうことで何があってということも言わなければいけないのですが、それを過剰に言っています。うちは同じ長岡ですが、火災現場が映ったりして長岡地区が火の海になっているのではないかとか、現地にいないでそのテレビを見ている人はそう思ってしまうと、やはり電話をしなければと思わせてしまう。報道でも、携帯に電話をしないでくださいと言っていましたが、もっと何か言ってくれればと思いました。

 −−報道で不満に思ったことは何かありますか。

 C うちは川口でしたので、とにかく全然連絡がつながりません。最初に小千谷市が震源で震度6.5で、川口はその隣です。震度が出ないというのは、震度計が壊れたということではないかと思いました。それは震源だからではないか。ということは、もっとひどいことになっているのではないかと思いました。実際、かなりひどいことにはなっていましたが、そういうのはまったく報道がありませんでした。

 小千谷ばかりに行っていて、もっとひどいことになっているけれども向こうには報道も来ないし、自衛隊とか救助とか救援物資を運んで来たのも四日目くらいになってからで、三日目はまだ何も来ていないと思います。そういうのは、皆さん命がけで行ってくれているわけですからしょうがないのですが、もっといろいろ報道してくれれば、もっと違っただろうと思いました。

 B あれを見ると、テレビでは小千谷市がいちばんやばいみたいな感じでした。山古志村も、あとからわかったということで、長岡市で震度を測っているところは地盤がいいところなので、本当の震度ではないのです。長岡市役所に震度計があるのですが、あそこは地盤がいいのです。本当に川の近くに住んでいたり山の近くに住んでいる人は、絶対にそんな震度ではないという話でしたので、あまり役に立たないというか……。川口町も壊れていたりしました。

 C 震度計がないのかと思いました。

 −−貴重な話を、どうもありがとうございました。