テレビにおける暴力    −その実態と培養効果−                                                中村 功
一.はじめに           
 近年のテレビ番組では、殺人をはじめとする暴力関連情報が豊富に存在している。ドラマの暴力的シーンに限らず、報道と娯楽の融合化傾向が現れて以降、ワイドショーや週一回のニュースショーなどのノンフィクション系の番組でもこれらは顕著にみられる。テレビ離れといわれる今日においても、日本人は毎日三時間前後テレビを視聴しており、もし、これらの番組で描かれる世界が一般市民の生活とかけ離れた過度に暴力的な世界であったとしたら、我々の現実認識もその方向に歪められてしまうのではないだろうか。これが本論のテーマである。
 言うまでもなく、これはガーブナーらの文化指標プロジェクトが長年取り扱ってきた問題でもある。Gerbnerら(1976)によると、かつて宗教は儀式や神話を通して、社会とはどのようなものであるかの現実認識を提示してきた。しかし現代では、視聴の反復性や非選択性により、テレビが、社会において何が現実であるか、という共有された現実感覚を「培養」する。しかもテレビは既存の社会システムに組み込まれた存在であるために、既存の支配的な認識・信念・行動などを広め、維持する機能を持っている。彼らはこうした議論を実証するために、メッセージが形成される制度的過程を明らかにする「制度過程分析」、テレビで流されているメッセージ内容がいかに現実とは異なるかを分析する「メッセージ・システム分析」、そしてテレビが視聴者の社会的現実認識に与える影響を明らかにする「培養分析」の三つを設定した。そして特に後二者については大量の研究がなされてきた。
 わが国でもいくつかの実証的研究があるが、まだやり残された部分も大きい。たとえば、後述するように日本では暴力についての、一般サンプル(一般市民対象の無作為抽出によって得られた標本)を用いた実証的研究はいまだに行われていない。また暴力に関するメッセージ・システム分析の対象は主にドラマで、その他の番組についてはほとんどなされていない。
 そこで、本研究では、ワイドショーをはじめとする各番組において、殺人関連情報がどの程度流されているかを内容分析によってとらえ、その上でそれらの番組視聴が視聴者の現実認識にどのような影響を与えているかを検討する。なかでも本論に特徴的な研究課題として、@ドラマだけでなくワイドショーなどのノンフィクション系番組の暴力関連情報の量を明らかにすること、A一般サンプルを用いて暴力に関する培養仮説の検証を行うこと、B番組ジャンル別の培養効果を明らかにすること、がある。
 
二.放送内容の実態      
(1)メッセージ・システム分析の現状    
 ガーブナーらが「メッセージ・システム分析」で中心的に扱かったのはドラマの暴力シーンである。ここで暴力とは「自己あるいは他者に対する物理的な力の明白な表出であり、傷つけられるあるいは殺されるという苦痛を強要したり、実際に傷つけたり殺したりするもの」(Gerbner et al.,1976)と定義される。
 ガーブナーらは長年に渡って繰り返し内容分析をしているが、例えば一九六七年から七八年までの十二年間のアメリカのプライムタイムに放送されたドラマと、土日の午前八時から午後二時までに放送された子供向けドラマ合計一五四八本を分析している(Gerbner et al.,1979)。その結果、全番組の約八十%が暴力シーンを含んでおり、一番組あたりの暴力シーン数は平均で五.二回であった。また全登場人物の六四%が暴力に関与していた。このようにテレビの描く世界は暴力で満ちているのであった。しかし現実は、たとえば一九七三年の警察統計によると、犯罪の発生件数は人口百人あたり〇.四一件で、さらにそのうちで暴力的犯罪(殺人・傷害・暴行)が占める割合は一〇%にすぎなかった(Gerbner et al,1977)。そのほか登場人物の社会属性上の偏りについても分析が行なわれている(たとえばGerbner et al.,1986)。
 日本でも同様の研究が行われている。たとえばIwaoら(1981)は日本のテレビドラマ一三九本の内容分析を行っている。その結果、全番組の八一%に何らかの暴力が含まれており、1番組あたりの暴力行為数は四.五回、一時間あたりの暴力行為数は七回と、アメリカ並に暴力シーンが多いことがわかっている。あるいは牧田・松村(1985)は四五本のドラマについてその登場人物の特性を調べている。登場人物の男女比はやや男性が多く、年齢は女性では二十代、男性では三十代がもっとも多かった。また社会階層は「一般劇」では「中の上」がもっとも多かったという。
 このように、日米のテレビドラマにおいて、描かれる世界が現実より暴力にあふれており、登場人物も偏りがちであることが明らかになっている。しかし暴力描写に関してはこうしたドラマの内容分析だけでは不十分である。第一にテレビではドラマばかりが放送されているわけではない。たとえば一九九六年の一八時から二四時までの、NHK教育を除く六局の一日あたり平均放送分数は報道(五八五分)、芸能(四一一分)、スポーツ(二三〇分)、クイズ(一八〇分)、教養(一七五分)、実用(一五五分)、一般劇(一二三分)、スリラー(九三分)、マンガ(九一分)、音楽(八〇分)、映画(七〇分)時代劇(四五分)等となっており(電通総研,1998)、わが国でメインの時間帯に最も多く流されるのは報道番組である。第二に、ワイドショーなどドラマ以外にも暴力関連情報を大量に流している番組が存在している。したがって、ドラマ以外の番組の暴力情報が現実認識に影響を与える可能性は十分に考えられるのである。そこで、ドラマ以外の番組も含めて、テレビで暴力がどの程度描かれているのか、実際に調べることにした。
(2)殺人関連情報の内容分析
 テレビで描かれる暴力には様々なものがあり、先のガーブナーの定義ではそのすべてを測定することはできない。例えばニュースやワイドショーで殺人事件が扱われても、そこには明示的な暴力シーンは存在しない。そこで今回は、暴力の中でも最も深刻かつ明白な、殺人にしぼって考え、ドラマの殺人シーンとノンフィクション系番組の殺人に関する報道を殺人関連情報とし、その実態をとらえることにした(1)。
 後述する住民調査に先行する一週間(一九九七年九月十六日から二二日まで)に同調査地内で放送された番組について内容分析を行った。具体的には、毎日午前六時から翌日午前一時までの一九時間、松山市で放送された地上波(NHK教育を除く五波(2))の全番組をビデオに録画し、各ジャンルの番組数、番組放送時間(CMを除く)、殺人関連情報を含む番組数、殺人事件報道・シーンの数、殺人関連情報の放送時間(秒単位)などを計測した。対象とした番組タイプは、ニュース、ワイドショー、週一ニュース、刑事・サスペンスドラマ、時代劇など、殺人事件が頻繁に出てくると思われる五つのジャンルである。ここで週一ニュースとは「関口宏のサンデーモーニング」など週一回放送されるニュース番組を指し、通常ニュースの週末版は含まない。ニュースには朝のニュースショーを含み、ローカルニュースと全国ニュースは別々の番組名がついているものは別番組として数え、そうでないものは同一番組とみなした。ニュースやワイドショーなど報道系番組の分析単位は、番組とそれを構成する各項目である。ドラマでは、番組および劇中の殺人シーン(明示的な殺人が行われるシーンの開始から終わりまで)を分析の単位とした。また、殺人報道には、殺人の痕跡のある死体遺棄事件、テロ、殺人事件の公判などを含むが、殺人かどうか不明確の失踪事件や殺人事件後の銃器取り締まりは含まない。またドラマにおいて、峰打のみの殺陣シーンや、単なる死体の描写は殺人シーンから除いた。なお、計測は正確を期するために、著者を含む八人のコーダーによって三回くり返して行い、くい違いを調整した。
 
     表1 殺人関連情報の内容分析 1997年9/16-9/22  5局合計

 
番組数
 
殺人含む
 番組数(%)
殺人事件
  項目数
総放送時間
   (分)
殺人事件
放送時間(秒)
ニュース 341  65  19.1  98   8,396   4,604 
ワイドショー  30 15  50.0  22   2,783  14,146
週1ニュース  7 3  42.9  9   515  1,316 
刑事ドラマ  18 15  83.3  35   1,299    538
時代劇  19 13  68.4  32   920  1,446 






 
 
 その結果、殺人を含む番組数や殺人項目数では、ニュースが最も多かった。これはニュースの番組数が桁違いに多いからである。割合としては、殺人を含む番組はニュースの二割に満たなかった。そして、具体的データはとらなかったが、夜より朝のニュースで殺人報道が多い傾向もあった。これは夜間に他のニュースが少ないせいであろう。一方、刑事ドラマ、時代劇、ワイドショー、週一ニュースは番組数が少ないので殺人情報を含む番組数は多くないが、殺人を含む番組の比率は高かった。とくに刑事ドラマは含有率が八三.三%、時代劇は六八.四%ときわめて高い。またワイドショーでは五〇%、週一ニュースでは四二.九%の番組で殺人が扱われていた。
 いっぽう殺人関連情報の放送時間では、ニュースが四六〇四秒、ワイドショーが一四一六四秒、週一ニュースが一三一六秒、刑事ドラマが五三八秒、時代劇が一四四六秒となり、ワイドショーの放送時間が圧倒的に長かった。刑事ドラマや時代劇は殺人シーンの数は多いものの、一つ一つのシーンが短いために、放送合計時間は短い。それに対してワイドショーでは、事件の経過から被害者や犯人のプライバシー、捜査の状況、ゲストのコメントなど、事件について事細かに伝えるために、項目数に比べて放送時間が長くなる。これまでの研究では見逃されてきたことだが、この時間数を見る限り、テレビの暴力描写において、ワイドショーがきわめて重要なジャンルとなっていることがわかる。
 そこで、ワイドショーにおける殺人報道について少し詳しく見てみよう。注意しなければならないのは、この内容分析の期間中、とくに注目を集める殺人事件が起きたわけではなかった点である。ここで取り上げられたのは、神戸児童殺人事件やアメリカ美少女殺人事件の続報、高校教師殺害事件、二歳娘投げ捨て事件などであった。むしろこの時期は、八月末のダイアナ妃交通事故のあとの比較的平穏な時期であったのである。九七年はこの時点までに注目を集める殺人事件が続発しており、その時期であればワイドショーの殺人事件報道量はこの程度ではすまなかったはずである。
 また、ワイドショーで取り扱う事件はニュースで扱われた事件と若干異なっている。この時期ニュースでは暴力団員の射殺事件や、爆弾テロなどが扱われたが、ワイドショーではよりドラマチックで人間の原始的関心に即した別の(しばしば過去の)事件が扱われた。
 
    表2 '97年ワイドショーで取り上げられた話題 ベスト10

  ●

  ●
  ●
  ●


  ●

  ●
   総放送時間
1.神戸児童連続殺害事件
2.ダイアナ元皇太子妃自動車事故
3.奈良県中学2年生殺害事件
4.福田和子被告、時効寸前に逮捕
5.アメリカ美少女(ジョンベネ)殺人事件
6.皇室それぞれの一年
7.松田聖子離婚
8.オウムサリン事件松本被告公判
9.安室奈美恵結婚
10.大阪バラバラ殺人事件
151時間 05分 59秒
 56時間 51分 32秒
 32時間 51分 41秒
 29時間 50分 04秒
 25時間 58分 47秒
 23時間 30分 31秒
 21時間 07分 49秒
 20時間 18分 58秒
 17時間 06分 30秒
 15時間 54分 47秒










 
               (TBS『ブロードキャスター』資料より)
 
 TBSの番組『ブロードキャスター』では毎日各局のワイドショーを録画し、各話題の放送時間を計測している。表2は、一九九七年に民放四局のワイドショーで取り上げられた話題を総放送時間上位十位まで並べたものである。表側の●印は殺人事件を表しているが、有名な「神戸児童連続殺害時件」を筆頭にベスト一〇の中に六件も殺人事件が入っている。このほかにもそれほど注目を集めなかった殺人事件が数多く報道されており、ワイドショーでいかに殺人報道が充満しているかがわかる。
 また表3は、各年の年間ベスト一〇に入った話題に限っているが、過去五年間のワイドショーにおける殺人事件報道の件数と時間をあらわしたものである。件数は九七年ほどではないが、常に殺人事件はベスト一〇に入っており、その放送時間もかなり多いことがわかる。ここから、ワイドショーで大量の殺人事件が放送されるのは、けっして九七年に限ったことではなく、ある程度継続的な現象であるといえる。
 
表3 過去5年間のワイドショーにおける殺人事件報道時間・件数(年間ベスト10中)





 
 年  時間 件数 事件名
'93
'94
'95
'96
'97
 37時間47分34秒
 69時間49分59秒
1272時間19分05秒
 89時間13分31秒
276時間00分16秒
 1
 1
 1
 1
 6
 甲府信金OL誘拐殺人事件
 横浜港母子殺人事件
 オウムサリン殺人事件
 オウムサリン殺人事件
 神戸児童連続殺人事件ほか





 
           (TBS『ブロードキャスター』資料より作成)
 
 ワイドショーを中心にさかんに報道される殺人事件だが、『犯罪白書』によると、一九五〇年代にはわが国で年間三〇〇〇件程度あった殺人事件が一九六〇年代以降次第に減少し、一九九〇年代に入ると年間一二〇〇件程度になり、現在にいたるまで安定している(九七年度は一二五八件)。一九八〇年代前半は毎年一七〇〇件程度のレベルであったから、ここ一〇年間を見ても殺人件数は三割程度減少している。また同様に少年による殺人事件も減少している。戦後から一九六〇年代前半までは年間三〇〇から四〇〇人の少年が殺人で検挙されていた。しかし「昭和四十年代後半から減少傾向を示し,五十年代に入ると百人を割り,その後はおおむね七十人台から九十人台で推移し,平成九年には七五人(前年比二二.七%減)となっている」(『平成十年版犯罪白書』)。殺人報道が盛んなわりには、日本では殺人事件が減少してきており、最近は低水準で安定している。現実の世の中では殺人は比較的少なく、殺人に関しては日本の治安は良好であるといえる(3)。どうも現実とマスコミの描く世界の間には大きなギャップが存在しているようである。
 
三.テレビ視聴の培養効果
(1)培養研究の現状        
 このように現実とはズレたテレビ内容が、視聴者の現実認識にどのような影響を与えるのか、を調べるのが培養分析である。ここでは通常アンケート調査を行い、テレビの高視聴者群と低視聴者群の間の現実認識の差を測定する。たとえばGerbnerら(1976)は、一日のテレビ視聴時間が二時間以下の低視聴者と四時間以上の高視聴者群とを比較する。現実認識を問うためには次のような質問をする。「ある一週間にあなたが何らかの暴力に関わるチャンスはどれくらいあると思いますか。それは一〇回に一回の割合でしょうか、それとも一〇〇回に一回の割合でしょうか」ここで一〇回に一回というのは世の中の危険度を過大評価しており、テレビの世界の危険度に近いために「テレビ寄りの回答」とされ、一〇〇回に一回はより現実に近い「現実寄りの回答」とされる。分析の結果、テレビ寄りの回答をした人は低視聴者群で三九%だったのに対し、高視聴者群では五二%にも達した。このように高視聴者群でテレビ寄りの回答が多いという結果は教育程度、年齢別、性別ごとに比較しても同様であった。ここから、彼らはテレビ視聴が高視聴者の現実認識を「培養し」、テレビ的現実に沿う形に歪めているとした。
 ガーブナーの培養分析に対しては多くの追試が試みられたが、同時に問題点も指摘されてきた。斉藤(1992)はその問題点を五つに整理しているが、その一つに非選択的視聴の問題がある。ガーブナーらは人々のテレビ視聴は習慣的なもので、視聴は時間帯で決定されているとして、視聴の非選択性を前提としている。それ故、培養効果はどのような番組を見るかということではなく、あくまでテレビ総視聴時間との関連で見るべきだという。ワイドショーなどの特定の番組タイプの影響を考えようとするとき、この点が問題になる。しかしWober & Gunter(1988)は視聴者が選択的にテレビを見ているという証拠が近年蓄積されつつあるとして、この非選択性の前提を批判している。さらに次のような理由から非選択性にこだわらない方がより論理的かつ生産的であると思われる。第一に番組タイプによって視聴者は異なっている。たとえばワイドショーを見るのは日中テレビを見る層に限られており、一定の視聴量の人でも見る人と見ない人ははっきり別れている。第二に番組タイプによって描く世界は異なっておりテレビは番組ごとに「多元的現実」を構成している(三上、1987)。第三に、実際に視聴する番組タイプが異なると培養効果も異なるという研究成果が出ている。たとえばHawkins & Pingree(1981)はジャンル別のテレビ視聴時間と暴力認知との関係を調べた。その結果、「ニュース」「ドキュメンタリー」「ドラマ」「音楽・バラエティー」「スポーツ」番組では関連がなかったが、「犯罪冒険もの」「ゲームショー」「マンガ」などの視聴時間は暴力認知に強く影響していることがわかっている。あるいはWeaver& Wakshlag(1986)が犯罪関連番組および非犯罪番組の視聴頻度と犯罪不安との関連を調べたところ、犯罪不安と相関が認められたのは前者のみであった。
 ところで、わが国においても、培養分析についていくつかの実証的研究が行われている。たとえば三上ら(1989)は二回の学生調査を行い、テレビ視聴時間・ニュース視聴時間と日米における殺人件数推定との関係を調べた。その結果、アメリカの殺人件数については正の相関がみられたが、日本の殺人推定数とは不の相関が見られ、日本については培養仮説は立証できなかった。あるいは斉藤ら(1991)は首都圏の大学・短大生を対象に、テレビ視聴時間と日米の暴力に関する現実認識との関係を調べた。その結果、暴力への不安因子とは正の関連性が確認されたが、暴力犠牲者数の推定、対人不信感については一部の属性グループおいて確認されただけで、培養仮説は部分的にしか確認されなかった。さらに斉藤ら(1998)は首都圏在住者(割当法)に対して、ニュース、報道特別番組、ワイドショー、一般紙、スポーツ紙、雑誌などでのオウム関連情報への接触度と、事件に関連する信念や態度との関連を調べた。ここでは信念や態度についての影響、すなわち第二次培養効果についてのみ取り上げられ、たとえば雑誌記事に多く接触している人ほど「四月一五日に新宿で何かか起きる」という噂を信じる人が多かったなど、その一部で培養効果が認められた。そのほか川端(1993)は環境問題に関して培養分析を行い、環境問題関連ニュースの視聴量が多くなるにつれて、環境税導入に賛成する人が多くなる傾向を明らかにしている。
 以上の研究動向を見ると、@学生調査において、暴力に関する第一次培養効果はアメリカについては認められたが日本については立証されていない、A我が国における暴力についての培養分析はいまだ一般サンプルでは行われていない、といえる。
(2)調査データの培養分析    
 そこで筆者は、一般サンプルを用いて暴力に関する培養仮説の検証を行い、また番組ジャンル別の培養効果を明らかにするためにアンケート調査を行った。調査はM大学社会学科の社会調査実習の一環として以下の要領で行われた。すなわち、調査時期は一九九七年九月二三日から一〇月六日の二週間。調査地域は愛媛県松山市、調査対象は二〇歳から六九歳までの松山市民一〇〇〇人で、抽出方法は選挙人名簿をもとにした二段階確率比例抽出法である。調査の方法は学生調査員による訪問配布・訪問回収による自記式留置法を採用した。有効回収数は六五六票、回収率は六五.六%であった。
 培養分析はテレビ接触量と現実認識(態度)を測定し、両者の関係性を同定することからなっている。今回の調査ではテレビ接触量として、平日のテレビ視聴時間と各ジャンル別の番組視聴頻度をたずねた。一方現実認識としては、@松山市における暴力犯罪の推定A日本における年間殺人被害者数の推定B近年の殺人事件数の増減に関する推定の三通りの質問をした。@の質問はGerbnerがよく使った質問の改良版である。Gerbnerの質問では「あなたが」暴力犯罪に巻き込まれる可能性を聞いているが、個人の危険度ではなく現実世界の危険度一般を聞くため、斉藤(1991)にならって若干修正した。すなわち「ある一週間の間に、松山においておよそどのくらいの割合の人々が殺人、傷害、暴行などの事件に巻き込まれていると思いますか。次の中から当てはまるものに一つだけ○をつけてください」である。選択肢も斉藤に従い、「一〇人に一人、一〇〇人に一人、五〇〇人に一人、一〇〇〇人に一人」の四段階とした。ここで一〇〇〇人に一人という回答を現実的回答(現実世界はそれほど危険でない)とし、一〇人に一人から五〇〇人に一人までをテレビ的回答(現実も暴力であふれている)とした。その理由は、松山市の犯罪統計から凶悪犯および粗暴犯の発生確率を計算すると、一週間あたり一〇万人に一人以下であるからである(4)。 
 三問とも類似のことのことを聞いているはずだが、テレビ視聴とクロス集計すると回答傾向は同様ではなかった。@だけがテレビ視聴と関係性を示し、ABは有意な関連性を示さなかった。Aは三上ら(1989)の調査を参考に質問文を作ったが、三上らの調査でもテレビ視聴との関連はなかった。これはイメージが浮かびにくい質問であったためかもしれない。またBはほとんどの人(約九割)が「増えている」に偏っていたために有意差が生まれなかったのであろう。ABの結果はテレビ視聴の影響が弱いとことを示していると解釈できなくもないが、ここではむしろ質問文が不適切であった影響が強いのではないかと判断し、以降視聴者の現実認識としては@の質問についてのみ、分析を進めていく(5)。
 ガーブナーらが最も重視したのはテレビの総視聴時間と現実認識との関係であった。今回の調査では、テレビ視聴時間が三時間以内の低視聴者でテレビ的回答をした人が五二.八%であったのに対し、四時間以上の高視聴者では六三.五%にも達した(表4)。この
 
  表4 テレビ視聴時間と@松山の暴力犯罪発生確率推定  χ2:p<0.01


 
  現実的回答  TV的回答   
TV低視聴(-3h)
TV高視聴(4h-)
  47.1     52.8
  36.6     63.5


 
 
差はカイ二乗検定の結果でも一%水準で有意であった。すなわちガーブナーらの仮説通りに、テレビをよく見る人は現実世界も暴力があふれていると考える人が多かったのである。
 次にテレビ番組の各ジャンルをどの程度の頻度見ているかをたずね、それと現実認識と
 
    表5 テレビ的回答をした人の割合(%)** χ2 p<0.01 



 
視聴頻度毎日週数回週一回月数回月一回見ない
ワイドショー   **
刑事・サスペンスドラマ **
バラエティー   **
74.1
85.7
74.5
 56.8
 63.6
 66.5
 54.1
 53.6
 57.7
 44.9
 56.8
 49.3
 54.9
 54.6
 40.4
 52.4
 49.7
 41.8
 
の関連を見た(表5)。その結果、ワイドショーや刑事・サスペンスドラマ、バラエティー番組(6)の視聴頻度が高いほど、現実が実際よりも過度に暴力であふれているという認識を持っていることがわかった。先の内容分析ではワイドショーや刑事・サスペンスドラマで殺人報道情報が多いことが明らかになっている。ここから、これら番組の暴力関連情報が視聴者の現実認識を歪めている可能性が示唆される。いっぽうニュース、週一ニュース、時代劇、スポーツ番組の視聴頻度とテレビ的回答のあいだにはとくに関係は見られなかった。
 しかしHirsch(1980)の批判を持ち出すまでもなく、単純な分析だけで結論を出すのは早計で、社会属性による擬似的な相関を考慮する必要がある。今回の調査でも、たとえば女性のほうがテレビ視聴時間が長く、しかも危険認知レベルも高かったのである。そこで男女別に比較すると、はたしてその差は部分的なものであった。すなわちテレビ視聴時間では男女とも視聴時間の長い人の方がテレビ的回答をする人が多い傾向があったが、その差は有意なほどではなかった。各種番組別で有意差が出たものを見ると、女性のワイドショー高視聴群、そして男女のバラエティー番組高視聴群がテレビ的回答が多かった。
 
    表6 男女別に見たテレビ的回答者の割合
テレビ視聴  3時間以下 4時間以上χ2:p<

   47.0
   59.1
  56.8
  67.3
ns.
ns.


 
 
 
 
     表7 学歴別に見たテレビ的回答者の割合
学歴 中卒 高卒 短大卒 大卒χ2:p<
テレビ視聴時間(高の%)
テレビ的回答(%)
 54.8
 76.3
45.3
58.6
 27.0
 53.9
  24.2
  49.7
 0.01
 0.01


 
 
    表8 年齢別に見たテレビ的回答者の割合
年齢 20代 30代 40代 50代 60代χ2:p<
テレビ視聴時間(高の%)
テレビ的回答(%)
 35.0
 70.1
34.5
62.6
 29.9
 52.6
 43.4
 48.2
 54.6
 51.1
0.01
0.01


 
 
 同様の傾向は学歴でもある。すなわち、学歴が低い人ほどテレビ視聴時間が長く、同時にテレビ的回答者の割合も高かった。また高年齢になるほどテレビ視聴時間が長くなる一方、テレビ的回答は逆に少なくなる傾向も見られた。
 そこでこれらの変数を全てコントロールした上で、テレビ視聴の影響を見る必要がある。そのために今回は、単純なクロス集計で有意差の出た変数について、ロジスティック回帰分析を行った。すなわち、現実認知(テレビ的回答=1、否=2)を従属変数に、テレビ視聴状況(「視聴時間」または「ワイドショー視聴頻度」または「刑事・サスペンスドラマ視聴頻度」または「バラエティー視聴頻度」視聴頻度は多いほうから5、4、3、2、1)、性別(男=0女=1)、年齢(二〇代=1、三〇代=2、四〇代=3、五〇代=4、六〇代=5)、学歴(中卒=1、高卒=2、短大卒=3,大卒=4)を独立変数にして、それぞれロジスティック回帰分析にかけた(7)。
 その結果次のようなことがわかった。テレビの総視聴時間をテレビ視聴状況を表す変数として計算した場合、総視聴時間が長い人ほどテレビ的回答をする傾向が見られた。その影響の信頼性を示すp値は五%以下で、それほどはっきりしたものではないが、各変数を
コントロールした上でも総視聴時間の影響が検出された。先に男女別では有意差が見られなかった総視聴時間であったが、年齢、学歴の影響力を差し引くと有意差が生まれた。総
 
 表9 テレビ視聴の現実認識への影響(ロジスティック回帰分析)
独立変数 標準化偏回帰係数 χ2:p< 
テレビ視聴時間
性別
年齢
学歴
   0.103
   0.102
   -0.229
   -0.181
 0.032
 0.030 
 0.001
 0.001
AIC=819.5
Concordant=64.1%
-2LL=809.5
Chi-Sq=41.8(p=.0001)
独立変数 標準化偏回帰係数 χ2:p< 
ワイドショー視聴頻度
性別
年齢
学歴
    0.136
   0.059
   -0.245
   -0.181
 0.007
 0.236
 0.001
 0.001
AIC=806.4
Concordant=64.5%
-2LL=796.4
Chi-Sq=42.0(p=.0001)
独立変数 標準化偏回帰係数 χ2:p< 
刑事サスペンスドラマ視聴頻度
性別
年齢
学歴
   0.147
   0.105
  -0.243
  -0.165
 0.004
 0.027
 0.001
 0.002
AIC=807.4
Concordant=64.8%
-2LL=797.4
Chi-Sq=45.4(p=.0001)
独立変数 標準化偏回帰係数 χ2:p< 
バラエティー視聴頻度
性別
年齢
学歴
   0.205
   0.118
  -0.170
  -0.163
 0.001   0.014 
 0.002   0.002 
AIC=791.7
Concordant=66.7%
-2LL=781.7
Chi-Sq=53.9(p=.0001)



















 
  従属変数=暴力犯罪発生率推定(テレビ的回答=1,現実的回答=2)
 
視聴時間に関しては弱いながらもガーブナーらの仮説が今回立証されたことになる。
 一方テレビ視聴状況として、ワイドショー、刑事サスペンスドラマ、バラエティー番組の視聴頻度をそれぞれ投入した場合は、よりはっきりと影響が確認された。すなわち一%以下の有意水準で、ワイドショーや刑事・サスペンスドラマやバラエティー番組をよく見る人ほど、現実も暴力があふれていると認識していることがわかったのである。ワイドショーや刑事ドラマは今回行った内容分析でも殺人情報が多く含まれているジャンルであった。こうした番組を頻繁に見ている人が歪んだ現実認識を持っているということは、十分納得できることで、ワイドショーと刑事ドラマに関しては培養仮説が証明されたといえる。特にバラエティー番組の影響は〇.一%水準で有意であり、よりはっきりと出ている。また影響の強さを示す標準化偏回帰係数をみると、バラエティー番組の場合は、視聴頻度が他の社会属性よりも強く効いていることがわかる。
 このように、総視聴時間の効果に対して個々の番組の影響がより明確に見られ、また各ジャンルで培養効果のあらわれかたが異なっているという結果は、重要な意味を持っている。この結果はHawkins & Pingree(1981)等の研究とも一致し(8)、ジャンル別の培養分析が有効性を持っていることを示している。
 
四.結論と課題         
 本論でわかったことをまとめると次のようになる。第一に内容分析の結果、ワイドショーを中心にテレビでは殺人情報があふれていた。ワイドショーでは平穏な週でも週四時間近くの殺人報道がなされていた。しかし統計を見ると現実の殺人事件は低い水準で安定しており、殺人に関しては日本の治安は良好である。結果としてテレビは現実とはズレた情報を送っていることになる。第二に、一般サンプルを使ったアンケート調査の結果、テレビの高視聴者群で現実の世界も暴力犯罪があふれていると認識する傾向があり、日本においてもガーブナーの仮説が立証された。第三にジャンル別の培養分析を行ったところ、とくにワイドショーや刑事ドラマをよく見ている人で明確な培養効果が見いだされた。これは、これらの番組に多い殺人情報が、世の中を過度に危険と見なす方向で、人々の現実認識に影響を及ぼしていると解釈できる。そして第四に、培養分析においてジャンル別の視聴頻度を説明変数にすることが有効であった。
 しかし同時に本研究にはいくつかの限界や課題が残されている。第一に今回行ったメッセージ・システム分析の限界がある。今回はアンケート調査直前の1週間のみを分析したが、培養効果は長期的な効果であり、より長期にわたる分析が必要である。特に報道系番組の殺人情報はその時々の事件に大きく左右されるために、今回のデータの安易な普遍化は慎まなくてはならない。第二に番組別の培養分析の結果には、予想外の結果がいくつか見られた。すなわち、メッセージ・システム分析で多くの殺人情報が確認された、週一ニュースおよび時代劇の視聴頻度と暴力認知との間にはっきりした相関がみられなかった点と、逆に殺人情報がほとんどないと考えられるバラエティー番組の視聴頻度と暴力認知との間に明確な関係があった点である。前者については情報件数よりも放送時間の影響が大きいのではないかという仮説が成り立ち、後者についてはバラエティー番組の殺人以外の暴力的要素が影響していことが考えられる。しかし、バラエティー番組につていては予想外であったために今回は内容分析を行っていないし、また分析対象を殺人に絞ったことの限界性も感じられる。これら課題の検討、および本研究の限界克服のためには、さらなる調査研究が必要である。
(1)このように対象を殺人に絞ることは操作上の利点がある反面、殺人以外の暴力が排除されるため、暴力認識との関係を見る上で限界も生じる。
(2)五波の内訳は、NHK総合、南海放送(日テレビ系)、伊予テレビ(TBS系)、愛媛放送(フジ系)、愛媛朝日(テレビ朝日系)である。
(3)ただし、本研究の結果とは直接の関係は持たないが、調査以後の九八年には殺人件数が一三八八、殺人による少年検挙数は一一五と若干増えている。しかし単年度のこの程度の変化では長期的な安定傾向を否定することは困難であろう。九七年以降少年の凶悪犯が増加していると言われるのは、主に強盗が増えたためである。少年による殺人検挙数は神戸の事件があった九七年には前年よりむしろ減少している。
(4)たとえば平成六年度の松山市の凶悪犯罪(殺人、強盗、婦女暴行)発生件数は三一件で、粗暴犯(傷害・暴行・脅迫)は一四五件、合計一七六件であった(松山市,1996)。松山市の人口は四六万人なので176/46万/52週=0.0000073となり、一〇万分の一以下になる。
(5)なお現実認識の対象として松山という一地域を選んだことの妥当性だが、重要なのはあくまで調査地域で放送された内容と被調査者の身の回りにある現実世界との関係であるので、放送内容が調査地域と地理的に離れていても問題はない。そもそも培養分析はドラマという地理的場所の同定が困難な番組について分析してきたのである。長期的効果を考える培養分析にとって、むしろ考えなければならないのは、福田和子事件といった当該地域で起きた事件の短期的影響についてである。しかし当事件については調査直前の内容分析期間中は一度も放送がなく、しかも事件そのものが一五年も前のことであるから、当地域に偏重した効果は一定レベルにとどまっているものと考えられる。
(6)バラエティー番組とは、歌・踊り・コント・ゲーム・企画ものなど多様な内容をもつ芸能番組で、「電波少年」や「さんまのからくりTV」などの番組を指す。
(7)互いに相関の高い変数を説明変数として投入すると多重共線関係が成立してしまう。各変数間の相関をみると(表一〇)、一部で相関関係が認められるが、相関係数はいずれも0.5未満で、多重共線関係が成立するほどではなかった。
 
      表10 説明変数間の相関係数







 
  テレビ視聴 ワイドショー視聴サスペンス視聴バラエティー視聴
性別
年齢
学歴
  .14
   .12
   -.22
   .34
   .16
  -.18
  .09
  .23
  -.31
  .01
  -.25
  -.09
テレビ視聴
ワイドショー視聴
サスペンス視聴
バラエティー視聴
   −
   .25
   .24
   .18
   −
   −
   .29
   .17
  −
  −
  −
  .21
  −
  −
  −
  −







 
                        pearsonの相関係数
なお分析にはSAS(6.12)を使用した。
(8)さらに日本のバラエティー番組が「ゲームショー」の要素を多く持つこと考えると、暴力認識に関連する番組内容にも類似性がみられる。
 
参考文献
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