テレビが視聴者の現実認識に与える影響
−ワイドショー等、番組タイプ別の培養分析−

中村 功

はじめに
最近テレビをみていると、殺人や暴力を扱ったセンセーショナルな番組がめだつ。ワイドショーや週1回のニュースショーでは連日のように殺人事件が取り上げられ、世間の注目を集めている。刑事ドラマやサスペンスものでは、毎回殺人が繰り広げられているし、番組改編期には「警察密着24時」などという番組が、実際に起こった大小の事件を報じている。「しょせんテレビの中のお話」と割り切ってしまえばそれまでだが、これらの番組に長い期間さらされ続けている視聴者は、知らず知らずのうちに、何らかの影響を受けているのではないだろうか。
例えば治安のよいと言われている日本では、現実にはそれほど暴力犯罪は発生していない。しかしテレビ(特に暴力犯罪のよく登場する番組)をよく見ている人は、現実もテレビの中と同様に暴力犯罪が頻発していると認識するようになるのではないだろうか。もしそうだとすれば、テレビの描く歪んだ現実像が視聴者の現実認識に影響を与え、それを歪めていることになる。現実認識が歪んでいれば、それに基づいてなされる判断や、意見も間違ったものになってしまう。これは大きな問題である。本論ではテレビが視聴者の現実認識に与える影響について、暴力犯罪の認知を例にとって、考えていきたい。
この問題の解明にあたっては、次のような課題を一つづつ明らかにしていく必要がある。すなわち、@テレビ番組では本当に暴力犯罪が多く描かれているのか。またどのような番組にそれは多いのか。Aテレビの描写は現実の社会と本当にずれているのか。現実の暴力犯罪はどうなっているのか。Bテレビ(とりわけ@で明らかになった暴力犯罪の多い番組)をよく見ている人ほど現実の暴力犯罪を過大視しているのか。
以上の枠組みはGerbnerらの文化指標研究(および培養分析)と共通のものである。本論ではこの枠組みを利用しながら、ワイドショーをはじめとするテレビ番組がいかに視聴者の現実認識に影響を与えているかを明らかにしてゆく。そのために具体的には次のような作業を行う。まず@を明らかにするために、1997年9月のある1週間に放送されたテレビ番組の内容分析を行う。ついでAのために犯罪統計の整理し、テレビの暴力描写が現実といかにずれているかを検討する。その後これまでの先行研究を整理し、これから行う調査の位置づけと方法論を検討する。最後に、Bを明らかにするために松山市民を対象に実施した、アンケート調査の結果を報告する。

1.テレビにおける暴力 −殺人に関する内容分析−

テレビでは殺人をはじめとする暴力が頻繁に描かれているように思えるが、では実際に暴力はどの程度登場するのであろうか、今回は暴力の中でも最も深刻かつ明白な、殺人にしぼって考える。ドラマに登場する暴力の頻度については先行研究があるが(後述)、その他の番組については実証的研究はほとんどない。そこで市民調査の直前の1週間に松山市で放送された番組について、番組の内容分析を行った。
分析対象は1997年9月16日から22日までの7日間、毎日午前6時から翌日午前1時までの19時間、松山市で視聴できる地上放送全番組である。松山で通常視聴可能なのはNHK(総合)のほか、南海放送(RNB)、伊予テレビ(ITV)、愛媛放送(EBC)、愛媛朝日放送(EAT)の民放4局である。なおNHK教育は視聴可能であるが今回は調査対象からはずした。
調査方法は全番組をビデオに録画し、番組タイプごとに番組数、殺人事件報道・シーンの数および放送時間(秒単位)などを計測した。ニュースやワイドショーなど報道系番組の分析単位は番組とそれを構成する各項目である。ドラマでは、番組および劇中の殺人シーン(明示的な殺人が行われるシーンの開始から終わりまで)を分析の単位とした。対象とした番組タイプは、ニュース、ワイドショー、週1ニュース、刑事・サスペンスドラマ、時代劇など、殺人事件が頻繁に出てくると思われる5つのジャンルである。ここで週1ニュースとは「関口宏のサンデーモーニング」や「ブロードキャスター」など週1回放送されるニュース番組をさす。ローカルニュースと全国ニュースは別々の番組名がついているものは別番組として数え、そうでないものは同一番組と見なした。
表1はジャンル別の番組数と殺人事件報道件数、シーン数を放送局別に表している。各局の合計数で見ると、ニュースでは317番組中66件の殺人事件報道があった。合計項目数を番組数で割った数字を仮に含有率とすると、ニュースでは20.8%になる。ワイドショーは日本テレビ系、フジテレビ系、テレビ朝日系にしかないが、合計30番組中18件の殺人事件報道があった(含有率は60.0%)。週1ニュースでは15番組中15件(含有率100%)であった。ノンフィクション系番組では、一般のニュースはそれほど殺人事件を頻繁に伝えていないが、ワイドショーや週1ニュースの殺人報道含有率が高くなっている。一方フィクション系番組では、刑事・サスペンスドラマは19本中殺人シーン数が69回(含有率363.2%)、時代劇では17本中65回(含有率382.4%)の殺人シーンが見られた。フィクションとノンフィクションの違いはあるので一概に比べられないが、刑事ドラマや時代劇では殺人シーンがきわめて頻繁に登場することがわかる。

表1 ジャンル別殺人報道・シーン数 (殺人報道・シーン数/番組数)97/9/16-22
ニュース ワイドショー 週1ニュース 刑事ドラマ 時代劇
NHK
RNB(日テレ系
ITV(TBS系)
EBC(フジ系)
EAT(テレ朝系
4/113
22/58
16/48
14/34
10/64
0/0
7/10
0/0
2/10
9/10
0/1
8/3
4/2
2/6
1/3
0/0
1/1
8/3
2/2
58/13
5/2
0/0
17/5
1/2
42/8
合計 66/317(20.8) 18/30(60.0) 15/15(100) 69/19(363.2) 65/17(382.4)

表2は殺人報道・シーンの放送時間を秒単位で表している。合計秒数で見ると、ニュースが3,297秒、ワイドショーが11,949秒、週1ニュースが1,689秒、刑事ドラマが1,037秒、時代劇が1,712秒となり、ワイドショーの放送時間が圧倒的に長いことがわかる。刑事ドラマや時代劇は殺人シーンの数は多いものの、一つ一つのシーンは短いために、放送合計時間は短い。それに対してワイドショーでは、事件の経過から被害者や犯人のプライバシー、捜査の状況、出演者のコメントなど、事件について事細かに伝えるために、件数に比べて放送時間が長くなる。これまでの研究では見逃されてきたことだが、この時間数を見る限り、テレビの暴力描写において、ワイドショーがきわめて重要なジャンルとなっていることがわかる。
そこで、ワイドショーにおける殺人報道について少し詳しく見てみよう。注意しなければならないのは、表2では確かに殺人事件の放送時間が長かったが、この内容分析の期間中、とくに注目を集める殺人事件が起きたわけではなかった点である。ここで取り上げられたのは「上智大学女子大生殺害事件」の続報や、「素足美人絞殺事件」、「2歳娘投げ捨て事件」な

表2ジャンル別殺人報道・シーン放送時間 (秒) 97/9/16-22
ニュース ワイドショー 週1ニュース 刑事ドラマ 時代劇
NHK
RNB(日テレ系
ITV(TBS系)
EBC(フジ系)
EAT(テレ朝系
305
1,073
542
741
636
-
4,728
-
2,206
5,015
0
813
682
116
78
-
49
169
82
737
99
-
593
62
958
合計 3,297 11,949 1,689 1,037 1,712
1番組あたり 10.4 398.3 112.6 54.6 107.5

どであった。むしろこの時期は、8月末のダイアナ妃交通事故のあとの比較的平穏な時期であったのである。97年はこの時点までに注目を集める殺人事件が続発しており、その時期であればワイドショーの殺人事件報道量はこの程度ではすまなかったはずである。

表3 '97年ワイドショーで取り上げられた話題 ベスト10
総放送時間
1.神戸児童連続殺害事件 151時間 05分 59秒
2.ダイアナ元皇太子妃自動車事故 56時間 51分 32秒
3.奈良県中学2年生殺害事件 32時間 51分 41秒
4.福田和子被告、時効寸前に逮捕 29時間 50分 04秒
5.アメリカ美少女(ジョンベネ)殺人事件 25時間 58分 47秒
6.皇室それぞれの一年 23時間 30分 31秒
7.松田聖子離婚 21時間 07分 49秒
8.オウムサリン事件松本被告公判 20時間 18分 58秒
9.安室奈美恵結婚 17時間 06分 30秒
10.大阪バラバラ殺人事件 15時間 54分 47秒
(TBS『ブロードキャスター』資料より)
調査対象番組 日本テレビ「ルックルックこんにちは」「ザ・ワイド」
TBSテレビ「おとうさんのためのワイドショー講座」
フジテレビ「ナイスデー」「ビッグトゥデイ」
テレビ朝日「スーパーモーニング」「ワイド・スクランブル」

TBSの情報番組『ブロードキャスター』では毎日各局のワイドショーを録画し、取り上げられた話題の放送時間を計測している。表3は、1997年に民放4局のワイドショーで取り上げられた話題を総放送時間上位10位まで並べたものである。表側の●印は殺人事件を表しているが、有名な「神戸児童連続殺害時件」を筆頭にベスト10の中に6件も殺人事件が入っている(これらは全て9月末の市民調査の以前に発生している)。このほかにも、上に挙げたような、それほど注目を集めなかった殺人事件が数多く報道されており、ワイドショーでいかに殺人報道が充満しているかがわかる。
確かに1997年は目を引く殺人事件が多かった年といえるが、ワイドショーで殺人事件が扱われる傾向は、けっしてこの年限りのものではない。表4は、各年の年間ベスト10に入った話題に限っているが、過去5年間のワイドショーにおける殺人事件報道の件数と時間を、あらわしたものである。件数は97年ほどではないが、常に殺人事件はベスト10に入っており、その放送時間もかなり多い。もちろんこの年間ベスト10以外にも多くの殺人事件がワイドショーで報道されていることは言うまでもない(たとえば94年の「青物横丁医師射殺事件」(5時間38分11秒)など:村松,1995)。このように見てくると、ワイドショーでは継続的に大量の殺人事件が放送されているといえるだろう。

表4 過去5年間のワイドショーにおける殺人事件報道時間・件数(年間ベスト10中)

時間 件数 事件名
'93
'94
'95
'96
'97
37時間47分34秒
69時間49分59秒
1272時間19分05秒
89時間13分31秒
276時間00分16秒




甲府信金OL誘拐殺人事件
横浜港母子殺人事件
オウムサリン殺人事件
オウムサリン殺人事件
神戸児童連続殺人事件ほか
(TBS『ブロードキャスター』資料より作成)

3.暴力犯罪の現状

ワイドショーを中心にさかんに報道される殺人事件だが、実際、近年の状況はどうなっているのだろうか。図1は1950年以降の殺人事件認知件数の推移をグラフ化したものだが、これによると、1950年代には年間3000件程度あった殺人事件が1960年代以降次第に減少し、1990年代に入ると年間1200件程度になり、現在にいたるまで安定している。1980年代前半は毎年1700件程度のレベルであったから、ここ10年間を見ても殺人件数は3割程度減少している。戦後の貧しく精神的にも荒廃した世の中で殺人事件が比較的多かったのに対して、経済的に豊かになるにつれて人心も穏やかになり、殺人事件も減少してきたのであろう。殺人報道が盛んなわりには、近年日本では殺人事件が減少し、現実の世の中はますます平和になってきているのである。どうも現実とマスコミの描く世界の間には大きなギャップが存在しているようである。
同様の傾向は少年による殺人事件にもあてはまる。97年の神戸児童連続殺害時件以降、少年の凶悪犯罪が増えているという報道が盛んになされている(3)。しかし現実の少年による殺人事件は多くなく、しかも戦後の歴史をたどると急激に減少している。図2は殺人刑法犯少年検挙人数の推移である。1960年代前半までは年間300から400人程度の殺人を犯した少年がいたが、1970年には200人になり、75年以降は100人前後にまで減少し、その後も安定している。

図1 殺人事件認知件数の推移

警察庁『犯罪統計書』『警察白書』より
図2 殺人刑法犯少年検挙人数の推移 (単位百人)

鮎川(1997)より

このように現実とは異なり殺人事件があふれているテレビ(とくにワイドショー)をよく見ている人は、実際の世の中も殺人や暴力事件があふれているという、歪んだ世界像を抱くようになるのではないだろうか。これは実は、多くのマス・コミュニケーション研究者が「培養分析」の中で長年にわたって取り組んできたテーマでもある。そこで次に、今までにこの分野でどのような研究がなされてきたかを見ておこう。

4.Gerbnerらの培養分析

培養分析については、すでに三上(1987)、佐藤(1990)、水野(1991)、斉藤(1992)、児島(1992)らが詳しく紹介している。ここでは次にその要点を整理しておく。
周知のように、培養(涵養:Cultivation)分析はアメリカの研究者Gerbnerらによって提唱された研究であり、彼らの文化指標プロジェクト(Cultural Indicators Project)の一部を構成している。Gerbnerら(1976)によると、人間にとって重要な環境とは言葉や映像などのシンボルから構成される環境である。人々はそれを学習し、分有し、それに基づいて行動する。この象徴的世界の構成過程が文化の本質であり、そのもっとも古典的な仕組みが宗教である。ここでは共通の儀式と神話によりシンボルの社会化と制御が行われる。儀式や神話は社会の規範や価値をドラマ化することによって、社会がどのように動いているかを提示する。こうしたシステムは、物語の機能をともないながら、人々に何が真実で、正常で、正しいかを認識させる。そして現代では、こうした働きをテレビがするようになった。アメリカ人は毎日テレビを3時間以上も見ており、特にプライムタイム(午後8時−11時)ではどのような番組をやっていようが習慣的に見てしまう。こうしたテレビ視聴の反復性や非選択性により、テレビは社会において、何が現実であるか、という共有された現実感覚を「培養」していく。しかもテレビは既存の社会システムに組み込まれた存在であるために、既存の支配的な認識・信念・行動などを広め、維持する機能を持っている。テレビは標準化された役割や行動に人々を社会化させるメディアなのである。Gerbnerによればこの機能が「文化化」(Enculturation)ということになる。
このような考え方を実証的に明らかにしていこうとするのが文化指標プロジェクトであるが、これは3つの分野からなっている。第一はテレビのメッセージがどのような制度的過程を通じて選択、形成、伝達されるかを明らかにする「制度過程分析」である。ここではテレビ制作を巡る権力、役割、社会関係が対象となるが、この分野の研究はほとんど進んでいない。第二はテレビでどのようなメッセージ内容が流されているかを長期的・包括的に内容分析する「メッセージ・システム分析」である。ここでの目的はテレビで描かれる世界と現実の世界の間の相違を明らかにすることにある。そこで中心的に扱われたのが暴力に関する描写である。暴力とは「自己あるいは他者に対する物理的な力の明白な表出であり、傷つけられるあるいは殺されるという苦痛を強要したり、実際に傷つけたり殺したりするもの」(Gerbner et al.,1976)と定義される。その上で彼らは1967年から78年までの12年間のアメリカのプライムタイムに放送されたドラマと土日の午前8時から午後2時までに放送された子供向けドラマ合計1548本を分析している(Gerbner et al.,1979)。その結果、全番組の約80%が暴力シーンを含んでおり、1番組あたりの暴力シーン数は平均で5.2回であった。また全登場人物の64%が暴力に関与していた。このようにテレビの描く世界は暴力で満ちているのであった。しかし現実は、たとえば1970年のアメリカの国勢調査によると、暴力的犯罪者の占める割合は人口100人あたり0.32%にすぎない。また1973年の警察統計によると、犯罪の発生件数は人口100人あたり0.41件で、さらにそのうちで暴力的犯罪(殺人・傷害・暴行)が占める割合は10%にすぎなかった(Gerbner et al,1977)。かりに1件あたり1人が被害にあったとすると、1年間に暴力的犯罪の犠牲者になる確率はおよそ0.04%ということになる。いかに犯罪大国アメリカといえども、現実にはそう暴力があふれているというわけではなく、テレビの描写がいかに現実とずれているかがわかる。またGerbnerらは暴力シーン以外に、ドラマ登場人物の社会属性についても現実のずれを指摘している。すなわちテレビドラマの登場人物で現実より多いのは、性別では男性、年齢では20才代から40才代、職業では法務関係者(警官・弁護士)や専門職・サービス業・管理職、社会階層では中の中の人であった(Gerbner et al.,1986)。
そして、このように歪んだ世界を描写しているテレビが、視聴者の社会的現実認識にどのような影響を与えているのか、これを明らかにするのが第三の「培養分析」である。これには通常アンケート調査を行い、テレビの高視聴者群と低視聴者群の間の現実認識の差を測定する。Gerbnerら(1976)は1日のテレビ視聴時間が2時間以下の低視聴者と4時間以上の高視聴者群とを比較している。(Gerbnerらの研究の場合このように常に合計視聴時間で培養の効果を考えているところが一つのポイントである。)現実認識を問うためにはいくつかの質問があるが、もっとも典型的なのが次のような質問である。「ある一週間にあなたが何らかの暴力に関わるチャンスはどれくらいあると思いますか。それは10回に1回の割合でしょうか、それとも100回に1回の割合でしょうか。」ここで10回に1回というのは世の中の危険度を過大評価しており、テレビの世界の危険度に近いために「テレビ寄りの回答」とされ、100回に1回はより現実に近い「現実寄りの回答」とされた。分析の結果、テレビ寄りの回答をした人は低視聴者群で39%だったのに対し、高視聴者群では52%にも達した。このように高視聴者群でテレビ寄りの回答が多いという結果は教育程度、年齢穂別、性別ごとに比較しても同様であった。ここから、テレビ視聴が長時間視聴者の現実認識を「培養し」、テレビ的現実に沿う形に歪めているとした。培養効果を測定する質問としてはこのほかに、法執行に携わっている人の割合を訪ねるものや、「たいていの人は信じられるか」という質問で対人不信感などが測定され、同様の結果が得られている(Gerbner et al.,1976)。
テレビ視聴が培養する社会的現実認識にはさまざまなものがあるが、暴力に遭遇する確率や法執行者の割合などの知覚レベルの培養効果を「第一次培養効果」といい、対人不信感など信念や価値観のレベルのそれを「第二次培養効果」という(Gerbner et al.,1986)。筆者は第二次培養効果は現実認識というより態度レベルの効果であり、知覚レベルの効果に重点が移っている近年の効果論の傾向からすると、培養分析の神髄は第一次培養効果にあると考えているが、はたしてHawkins & Pingree(1990)などは一般に第一次培養効果のほうが大きく、他の変数の影響も受けにくいと言っている。
培養効果の現れ方として、単純な効果のほかに、Gerbnerらは「主流形成」と「共鳴効果」の二つの概念を考案している。「主流形成」(mainstreaming)とは低視聴者が多様な意見に分かれているような属性集団において、高視聴者の間で共通の意識が形成されることをさす。たとえば対人不信感が非白人では低視聴者がもっとも高く高視聴者で若干下がっている。一方白人層では低視聴者ではとても低く、高視聴群で非白人に迫るほど高くなる。このとき高視聴者群で白人と非白人の差が縮まり、主流が形成される(Gerbner et al.,1986)のである。また「共鳴効果」(resonance)は日常生活環境がテレビ内容と符合する場合に、培養効果が促進されることを意味する。たとえば、犯罪への恐怖感に関する培養効果が現実の犯罪も多い都市部の住民ほうが郊外の住民より強く現れる(Gerbner et al.,1980)、というのがこの効果である。

5.培養分析の問題点

Gerbnerの培養分析については多くの追試が試みられたが、同時に問題点も指摘されてきた。なかでもHirschとGerbnerの論争(1)は有名であるが、斉藤(1992)は培養研究を再検討する中で、培養分析の問題点を次の5つに整理している。前2点は培養分析の理論的枠組みそのものに対する疑問で、後3点は論枠組みに対する部分的な問題提起である。それによると、第一にテレビ視聴と現実認識の間の因果関係がはっきりしない問題がある。たとえば刑事ドラマではたいていいつも正義が勝利する。元々社会に不安を抱いている人がこうした勧善懲悪の世界を見て安心しようとするなら、テレビ視聴は原因ではなく結果になる可能性もある(Zillmann & Wakshlah,1985)。この点について、Gerbnerも両者の間には双方向の因果関係が存在すると認めている。第二に視聴者のメッセージ解釈の問題がある。これはカルチュラル・スタディズからの批判だが、たとえばリビングストンは培養理論では受け手が番組を様々に解釈する主体的存在であることを無視していると批判する。これは上の例(暴力シーンを勧善懲悪ストーリーと解釈すること)でもいえることである。しかしこの点について斉藤は、ある番組の解釈が各人異なっていることはメッセージシステム全体としての解釈が異なっていることを意味しないし、また一次培養については知覚の問題なので、解釈はあまり問題にならないのではないか、としている。第三に非選択的視聴の問題がある。すでに述べたようにGerbnerらは人々のテレビ視聴は習慣的なもので、番組タイプではなく、時間帯で決定されているとして、視聴の非選択性を前提としている。それ故、培養効果はどのような番組を見るかということではなく、あくまでテレビ総視聴時間との関連で見るべきだという。しかしWober & Gunter(1988)は視聴者が選択的にテレビを見ているという証拠が近年蓄積されつつあり、視聴者がテレビから学ぶメッセージは視聴者によって異なるであろうとして、非選択性の前提を批判している。第四は随伴条件の問題である。ある条件を持った視聴者において培養効果が強まったり弱まったりするとき、それを随伴条件という。これまで社会属性やいくつかの心理特性について随伴条件が検討されてきたが、斉藤によれば、この点については今後さらに詳細な実証的研究の積み重ねが必要であるという。第五は心理的メカニズムの問題である。培養効果がどのような心理的過程を経て生じるのか、その説明が欠如しているという問題である。認知心理学のスクリプト概念を使った説明などが試みられてはいるが、未だに明快な説明は提出されていないという。
ワイドショーなどの特定の番組タイプの影響を考えようとするとき、この中で特に問題となるのが第三の問題である。Gerbnerらは培養分析では、テレビシステム全体としての長期的かつ一貫した影響を明らかにしようとしているために、現実認知と関連づける変数としてはあくまでテレビ総視聴時間が大切だという。しかし次のようなことを考えると、それにこだわらない方がより論理的かつ生産的であるように思われる。第一に番組タイプによって明らかに視聴者は異なっている。たとえばワイドショーを見るのは日中テレビを見る層に限られており、一定の視聴量の人でもそれを見る人と見ない人ははっきりわかれている。第二に番組タイプによって描く世界は異なっておりテレビは番組ごとに「多元的現実」を構成している(三上、1987)。たとえば番組によって暴力の含有量は明らかに異なっている。ドラマ中心のアメリカのテレビに対して、我が国ではゴールデンタイムでも情報番組、スポーツ、ニュース、音楽など、ドラマ(映画)以外の番組が豊富にあり、暴力含有量もまちまちである。第三に、実際に視聴する番組タイプが異なると培養効果も異なるという研究成果が出ている。
たとえばHawkins & Pingree(1981)ではオーストラリアのパースにある公立学校の生徒に対する調査で、ジャンル別のテレビ視聴時間と暴力認知との関係(偏相関係数)を調べている(2)。表5の数字は他の全ての内容タイプの総視聴時間を調整した偏相関係数で、各番組視聴独自の影響を表している。それによると犯罪冒険もの、ゲームショー、マンガなどの視聴時間が強く犯罪認知に寄与している一方で、ニュース、ドキュメンタリー、ドラマ、音楽・バラエティー、

表5 番組タイプ別視聴時間と暴力認知の関係 (偏相関係数)
ニュース ドキュメンタリー コメディー 犯罪冒険 ドラマ
-.03 .01 .06* .16*** -.01
音楽・バラエティー ゲームショー マンガ 子供向けショー スポーツ
-.02 .14*** .14*** .07* .02
*p<.05 ***p<.001 Hawkins & Pingree(1981)より

スポーツなどは関係性が見られないことがわかる。

あるいはWeaver& Wakshlag(1986)は犯罪関連番組および非犯罪番組の視聴頻度と犯罪不安との関連を調べている。彼らは1週間のプライムタイムの番組を5人のコーダーによって犯罪関連番組(19番組)と、非犯罪番組(46番組)に分け、それぞれをいくつ見たかをたずねた。一方犯罪不安に関する14の質問から因子分析により3つの因子(@仮説的状況下の個人的安全に関する不安A居住地域における犯罪被害に関する不安B将来被害者になる不安)を抽出し、各因子得点を合計して因子ごとに3つの不安を尺度化した。各番組と各不安とを性差を調整してそれぞれ偏相関係数を出して関連を調べた。その結果、犯罪番組

表6 番組タイプ別視聴頻度と各犯罪不安の関係 (偏相関係数)
状況的不安 環境的不安 個人的不安
犯罪番組視聴
非犯罪番組視
.23**
.15
.01
.06
.05
-.04
性差をコントロールした偏相関係数 **p<.01 Weaver & Wakshlag(1986)より

視聴と仮説的状況下の犯罪不安のみが有意な正の相関が見られた。その一方で非犯罪番組の視聴と犯罪不安はいずれの場合も関連は見られなかった(表6)。やはり犯罪番組を多く見ると犯罪に対する危険性をより認識するようになるのである。言われてみれば当たり前の結果であるが、ここでも視聴する番組の種類が培養効果と密接な関係を持つことがわかった。

以上のことを考えるとワイドショー、刑事ドラマなど番組タイプ別に視聴者の現実認知に対する影響を考察することは論理的にも、また現実的にも有効であると考えられる。

6.日本における研究

すでに20年以上の歴史を持つ文化指標プロジェクトであるが、日本における実証的研究例はそれほど多くはない。まずテレビのメッセージ・システム分析であるが、Iwaoら(1981)は日本のテレビドラマ139本の内容分析を行っている。その結果、全番組の81%に何らかの暴力が含まれており、1番組あたりの暴力行為数は4.5回、1時間あたりの暴力行為数は7回と、アメリカ並に暴力シーンが多いことがわかっている。あるいは牧田・松村(1985)は45本のドラマについてその登場人物の特性を調べている。登場人物の男女比はやや男性が多く、年齢は女性では20代、男性では30代がもっとも多かった。また社会階層は「一般劇」では「中の上」がもっとも多かったという。
他方培養分析では、たとえば三上(1989)は2回の学生調査を行い、テレビ視聴時間・ニュース視聴時間と日米における殺人件数の推定(1回目は実数回答、2回目はカテゴリー提示)との関係を調べている。その結果、日本については視聴時間が長い人ほど殺人件数を少なく推定するという、仮説とは反対の結果が見られた。またアメリカの殺人件数については視聴時間が長い人ほど多く推定したが、日米いずれにしても実数よりも過小評価しており、高視聴群でむしろ現実との差が縮まっていることを考えると、ここでも培養仮説が完全に証明されたとは言い難い。私見では、このようにうまくゆかなかった一因として、国全体の殺人件数を推定するという設問そのものが難かしすぎる点があるのではないかと思う。また1年以内に暴力に巻き込まれる不安との関連性では、高視聴群でむしろ不安が少ない傾向があり、ここでもGerbnerの仮説は立証できなかった。
一方斉藤ら(1991)は首都圏の大学・短大生458人を対象に、テレビ視聴時間と日米の暴力に関する現実認識を11項目にわたってたずねた。11項目は因子分析の結果「暴力への不安」「暴力犠牲者数の推定」「対人不信感」の3因子から構成されていた。各質問でテレビ寄りの回答に高得点を与え(4−1点)因子ごとに足し挙げてスケールを作成し、視聴時間との間で偏相関分析を行った。その結果、暴力への不安因子と正の関連性が確認されたが、その他は一部の属性グループについてのみ関連性があった。培養分析は部分的にしか支持されなかったのである。各質問の単純な培養格差を見るとアメリカついての現実認識は培養効果を示している傾向があるが、自分の周辺についての現実認識についてはほとんど効果が見られなかった(ただし対人不信感については弱い関連性あり)。したがってここでも、日本における暴力認知についての、第一次培養効果が立証されたとはいえないだろう。さらに斉藤ら(1998)は首都圏在住者(割当法)に対して、オウム事件に関する培養分析を試みている。ここでは、ニュース、報道特別番組、ワイドショー、一般紙、スポーツ紙、雑誌などでのオウム関連情報への接触度と人々の信念や態度との関連を調べている。その結果、雑誌記事に多く接触している人ほど「4月15日に新宿で何かか起きる」という噂を信じる人が多かった。またニュース番組と報道特番への接触と社会不安も正の有意な関連が見られた。またワイドショー高接触者には新興宗教一般に対するイメージが悪化した人が多かった。しかしその他のメディアや意見についてはメディア接触と態度の間には関連が見られなかった(いずれもサンプル全体の分析において)。この研究では信念や態度についての影響、すなわち第二次培養効果についてのみ取り上げられ、その一部で培養効果が認められた。またSaito(in press)は仙台市民に対する調査で、アメリカのイメージについての培養分析を行い、いくつかの項目で培養効果が明らかにされている。そのほか川端(1993)は環境問題に関して培養分析を行い、環境問題関連ニュースの視聴量が多くなるにつれて、環境税導入に賛成する人が多くなる傾向を明らかにしている。
以上の研究動向を見る限り、@学生調査において、暴力に関する第一次培養効果はアメリカについては認められたが日本については立証されていない、A我が国における暴力に関する培養分析はいまだ一般サンプルでは行われていない、といえるのではないだろうか。今回の調査は、日本の暴力に関する第一次培養効果を、一般サンプル調査を通じて明らかにしていく。これまでなされてこなかった部分を補うという意味で、培養分析にとっても一定の意義のある試みといえるだろう。

表7 日本における培養分析 実証的研究
三上(1989)
調査対象 大学生(235人)(359人)
結果 テレビ視聴時間 −日本の殺人推定件数× アメリカの殺人推定件数△
テレビニュース視聴時間−日本の殺人推定件数× 犯罪に巻き込まれる可能性×
斉藤・川端(1991)
調査対象 大学・短大生(458人)
結果(全体に対する培養格差・ガンマを用いた分析による)
テレビ視聴時間 −暴力への不安 日本× 米○○
−暴力犠牲者数の推定 日本× 米○
−対人不信感 ○××
斉藤・川端(1998)
調査対象 20歳以上の首都圏在住者(292人)割当法
結果* 噂を信じた 社会不安 新興宗教のイメージ悪化 捜査方法への賛意
ニュース
報道特番
ワイドショー
一般紙
スポーツ
雑誌記事
× ○ × ×
× ○ × ×
× × ○ ×
× ○ × ×
× × × ×
○ × × ×
*全サンプルを対象としたクロス集計による

7.培養分析

テレビを長時間見ている人、とりわけ殺人情報が氾濫している番組をよく見る人は、現実の社会も暴力犯罪があふれているという歪んだ現実認識をするのだろうか。今回こうしたテレビ視聴の影響を明らかにするために、培養分析を試みた。
調査はM大学社会学科の社会調査実習の一環として以下の要領で行われた。

調査時期 1997年9月23日から10月6日
調査地域 愛媛県松山市
調査対象 20歳から69歳間での松山市民1,000人
抽出法法 選挙人名簿をもとにした2段階確率比例抽出法
調査方法 学生調査員による訪問配布、訪問回収による自記式留置法
有効回収数(率) 656票(65.6%)

培養分析はテレビ接触量と現実認識(態度)を測定し、両者の関係性を同定することからなっている。今回の調査ではテレビ接触量をとして、平日のテレビ視聴時間と各ジャンル別のテレビ視聴頻度をたずねた。一方現実認識としては3通りの質問をした。@松山市における暴力犯罪の推定A日本における年間殺人被害者数の推定B近年の殺人事件数の増減をそれぞれたずねた。回答者の現実認識(態度)は具体的には次のような質問項目で測定した。()内は回答比率である。
@の質問はGerbnerがよく使った質問の改良版である。 Gerbnerの質問では「あなたが」暴力犯罪に巻き込まれる可能性を聞いているが、個人の危険度ではなく現実世界の危険度一般を聞くにはこのほうがよいと思われる。実際斉藤(1991)はこのようなワーディングをしており、今回の質問文は「東京」を「松山」に変えて使用している。選択肢も斉藤に従ったが、ここで1000人に1人という回答を現実的回答(現実世界はそれほど危険でない)とし、10人に1人から500人に1人までをテレビ的回答(現実も暴力であふれている)とした。その理由は松山市の犯罪統計から凶悪犯および粗暴犯の発生確率を計算すると1週間あたり10万人に1人以下であるからである(4)。なおAの質問は三上(1989)の質問を参考にした。

@ある1週間の間に、松山においておよそどのくらいの割合の人々が殺人、傷害、暴行などの事件に巻き込まれていると思いますか。次の中から当てはまるものに一つだけ○をつけてください。

1. 10人に1人 2. 100人に1人 3. 500人に1人 4.1000人に1人
(9.0) (24.8) (21.0) (41.3) NA.(3.8)
A日本国内で、1年間に次のことで死ぬ人は毎年だいたい何人ぐらいだと思いますか。それぞれについてあなたが近いと思うもの1つだけに○をつけてください。
1.500人 2.1,00人 3.5,00人 4.10,000人 5.20,000人
(38.6) (34.0) (13.3) (5.3) (3.8) NA.(5.0)
B次の各文について、あなたが正しいと思う番号にそれぞれ1つだけ○をつけてください。
殺人事件の数は(1.減っている 2.横ばいである 3.増えている)と思う。
(1.5) いいえ(9.3) (87.2) NA.(2.0)

3問とも類似のことのことを聞いているはずだが、テレビ視聴とクロス集計すると回答傾向は同様ではなかった。@だけがテレビ視聴と関係性を示し、ABは有意な関連性を示さなかった(表9、表10)。Aは三上(1989)の調査でもテレビ視聴とは関連がみられなかったが、やはり質問に対するイメージが浮かびにくかったのであろう。Bはほとんどの人(約9割)が「増えている」に偏っているために差が生まれなかったのであろう。ABの結果はテレビ視聴の影響が弱いとことを示していると解釈できなくもないが、ここではむしろ質問文が不適切であった影響が強いのではないかと判断し、以降視聴者の現実認識としては@の質問についてのみ、分析を進めていく。

Gerbnerらが最も重視したのはテレビの総視聴時間と現実認識との関係であった。今回の調査では、テレビ視聴時間が3時間以内の低視聴者でテレビ的回答をした人が52.8%であったのに対し、4時間以上の高視聴者では63.5%にも達した(表8)。この差はカイ二

表8 テレビ視聴時間と@松山の暴力犯罪発生確率推定 χ2:p<0.01
現実的回答 TV的回答
TV低視聴(-3h)
TV高視聴(4h-)
47.1
36.6
52.8
63.5

表9 テレビ視聴時間とA全国の殺人被害者数推定数 χ2:n.s.
500 1,000 5,000 10,000 20,000
TV低視聴(-3h)
TV高視聴(4h-)
41.2
39.8
36.8
34.2
13.1
15.6
4.1
7.8
4.6
2.6

表10 テレビ視聴時間とB殺人事件の増減推定 χ2:n.s

殺人は減っている 殺人は横ばい 殺人は増えている
TV低視聴(-3h)
TV高視聴(4h-)
2.3
0.4
10.3
8.3
87.4
91.3

乗検定の結果でも1%水準で有意であった。すなわちGerbnerらの仮説通りに、テレビをよく見る人は現実世界も暴力があふれていると考える人が多かったのである。こうしたシンプルな結果は日本では珍しい。

次にテレビ番組の各ジャンルをどの程度の頻度見ているかをたずね、それと現実認識との関連を見た(表11)。その結果、ワイドショーや刑事・サスペンスドラマ、バラエティー番組の視聴頻度が高いほど、現実が実際よりも過度に暴力であふれているという認識を持っていることがわかった。先の内容分析ではワイドショーや刑事・サスペンスドラマで殺人報道情報が多いことが明らかになっている。この結果はこれら番組の暴力情報が人の現実認識を歪めている可能性を示唆している。いっぽうニュース番組、週一回ニュース番組、時代劇、スポーツ番組の視聴頻度とテレビ的回答のあいだにはとくに関係は見られなかった。

表11 テレビ的回答をした人の割合(%)** χ2 p<0.01 * p<0.05
視聴頻度 毎日 週数回 週一回 月数回 月一回 ない
ワイドショー **
刑事・サスペンスドラマ **
バラエティー **
74.1
85.7
74.5
56.8
63.6
66.5
54.1
53.6
57.7
44.9
56.8
49.3
54.9
54.6
40.4
52.4
49.7
41.8

しかしHirschの批判を持ち出すまでもなく、単純な分析だけで結論を出すのは早計である。すなわち、たとえば女性のほうがテレビ視聴時間が長く、しかも危険認知レベルも高かったのである。社会属性による擬似的な相関を考慮する必要がある。そこで男女別に比較すると、はたしてその差は部分的なものであった。すなわちテレビ視聴時間では男女とも視聴時間の長い人の方がテレビ的回答をする人が多い傾向があったが、その差は有意なほどではなかった。各種番組別で有意差が出たものを見ると、女性のワイドショー高視聴群、そして男女のバラエティー番組高視聴群がテレビ的回答が多かったのである。

表12 男女別に見たテレビ的回答者の割合
テレビ視聴 3時間以下 4時間以上 χ2:p<

47.0
59.1
56.8
67.3
ns.
ns.
ワイドショー 毎日 週数回 週1回 月数回 月1回 見ない χ2:p<

66.7
76.5
48.0
61.0
52.8
55.3
49.1
39.5
45.2
70.0
48.3
62.2
ns.
0.01
刑事・サスペンス 毎日 週数回 週1回 月数回 月1回 見ない χ2:p<

88.9
84.2
57.2
69.2
51.6
54.7
50.8
62.3
48.0
60.3
41.2
59.7
ns.
ns.
バラエティー 毎日 週数回 週1回 月数回 月1回 見ない χ2:p<

70.6
76.5
57.4
75.7
53.5
61.9
49.2
49.4
24.0
53.2
35.3
48.5
0.05
0.01

また性別と同様の傾向は学歴や年齢でもある。すなわち、学歴が低い人ほどテレビ視聴時間が長く、同時にテレビ的回答者の割合も高い(表13)。また高年齢になるほどテレビ視聴時間が長く、テレビ的回答も多くなる(表14)。

表13 学歴別に見たテレビ的回答者の割合
学歴 中卒 高卒 短大卒 大卒 χ2:p<
テレビ視聴時間(高の%)
テレビ的回答(%)
54.8
76.3
45.3
58.6
27.0
53.9
24.2
49.7
0.01
0.01

表14 年齢別に見たテレビ的回答者の割合
年齢 20代 30代 40代 50代 60代 χ2:p<
テレビ視聴時間(高の%)
テレビ的回答(%)
35.0
70.1
34.5
62.6
29.9
52.6
43.4
48.2
54.6
51.1
0.01
0.01

そこでこれらの変数を全てコントロールした上で、テレビ視聴の影響を見る必要がある。そのために今回は、単純なクロス集計で有意差の出た変数について、ロジスティック回帰分析を行った。すなわち、現実認知(テレビ的回答=1、否=2)を従属変数に、テレビ視聴状況(視聴時間orワイドショー視聴頻度or刑事・サスペンスドラマ視聴頻度orバラエティー視聴頻度/視聴頻度は多いほうから5,4,3,2,1)、性別(男=1女=2)、年齢(20代=1,30代=2,40代=3,50代=4,60代=5)、学歴(中卒=1,高卒=2,、短大卒=3,大卒=4)を独立変数にして、それぞれロジスティック回帰分析にかけた。
その結果次のようなことがわかった。テレビの総視聴時間をテレビ視聴状況を表す変数として計算した場合、総視聴時間が長い人ほどテレビ的回答をする傾向が見られた。その影響の信頼性を示すp値は5%以下で、それほどはっきりしたものではないが、各編数をコントロールした上でも総視聴時間の影響が検出された。先に男女別では有意差が見られなかった総視聴時間であったが、年齢、学歴の影響力を差し引くと有意差が生まれた。総視聴時間に関しては弱いながらもGerbnerらの仮説が今回立証されたことになる。
一方ワイドショー、刑事サスペンスドラマ、バラエティー番組の視聴頻度をそれぞれ投入した場合は、よりはっきりした影響が確認された。すなわち1%以下の有意水準で、ワイドショーや刑事・サスペンスドラマやバラエティー番組をよく見る人ほど、現実も暴力があふれていると認識していることがわかったのである。ワイドショーや刑事ドラマは今回行った内容分析でも殺人情報が多く含まれているジャンルであった。こうした番組を頻繁に見ている人が歪んだ現実認識を持っているということは、十分納得できることで、ワイドショーと刑事ドラマに関しては当初の仮説が証明されたといえる。特にバラエティー番組の影響は0.1%水準で有意であり、よりはっきりと出ている。
総視聴時間の効果が弱い一方、個々の番組の影響がより明確に見られ、また各ジャンルで培養効果が異なっているという結果は、重要な意味を持っている。この結果はHawkins & Pingree(1981)などの研究とも一致し、ジャンル別の培養分析が有効性を持っていることを示している。

表15 テレビ視聴の現実認識への影響(ロジスティック回帰分析)
独立変数 回帰係数(標準化) χ2:p<
テレビ視聴時間
性別
年齢
学歴
0.103
0.102
-0.229
-0.181
0.032
0.030
0.001
0.001
AIC=819.5

Concordant=64.1%
独立変数 回帰係数(標準化) χ2:p<
ワイドショー視聴頻度
性別
年齢
学歴
0.136
0.059
-0.245
-0.181
0.007
0.236
0.001
0.001
AIC=806.4

Concordant=64.5%
独立変数 回帰係数(標準化) χ2:p<
刑事サスペンスドラマ視聴頻度
性別
年齢
学歴
0.147
0.105
-0.243
-0.165
0.004
0.027
0.001
0.002
AIC=807.4

Concordant=64.8%
独立変数 回帰係数(標準化) χ2:p<
バラエティー視聴頻度
性別
年齢
学歴
0.205
0.118
-0.170
-0.163
0.001
0.014
0.002
0.002
AIC=791.7

Concordant=66.7%
従属変数=暴力犯罪発生率推定(テレビ的回答=1,現実的回答=2)

考察

本論でわかったことをまとめると次のようになる。第一に内容分析の結果、ワイドショーを中心にテレビでは殺人情報があふれていた。ワイドショーでは平穏な週でも週3時間以上の殺人報道がなされていた。第二に、しかし統計を見ると現実の殺人事件は減少しており、日本の治安はますますよくなっていた。結果としてテレビは現実とはズレた情報を送っていることになる。第三にテレビ、とくにワイドショーや刑事ドラマをよく見ている人は現実の世界も暴力犯罪があふれていると認識する傾向があった。これは、これらの番組に多い殺人情報が、世の中を過度に危険と見なす方向で、人々の現実認識に影響を及ぼしていると解釈できる。そして第四に、培養分析においてジャンル別の視聴頻度を説明変数にすることが有効であった。
しかしその一方で、考えなければならない問題もある。第一になぜニュース、週1ニュース、時代劇などで培養効果が見られなかったのかという問題がある。内容分析では、とくに回数面では、時代劇における殺人シーン数は多かった。これについては、シーン数・報道回数よりは、放送時間のほうが現実認識に影響しているのではないかという解釈ができる。しかしそれでは、刑事ドラマでなぜ培養効果が現れたのか、ということになる。これについては確かに刑事ドラマでは殺人シーンの露出時間は短いが、殺人の方法や犯人像や動機などについて話題にする時間は多い。したがってワイドショーに即してカウントすればドラマ全体が殺人情報とも考えられる。それ故に培養効果をもたらしたのかもしれない。この点については今後の研究課題である。
第二に、なぜバラエティー番組で培養効果が強く見られたのか、という点がある。Hawkins & Pingree(1981)の研究でもゲームショーで培養効果が見られたが、これはそれに共通するような意外な結果である。これにはバラエティー番組の放送内容について考える必要がある。今回、バラエティーについては内容分析をしていないが、おそらく殺人シーンはほとんどないと考えられる。したがって殺人以外の何か別の内容が問題なのであろう。たとえばバラエティー番組ではよくお笑いタレントがゲームをし、負けたほうが罰則を受けるシーンがある。最近では罰則だけではなくゲームそのものが精神的・肉体的苦痛を強いられ、それを見て楽しむ趣向の番組も少なくない。あるいはタレントが無一文で海外旅行をさせられたり、裸で監禁生活を強いられたりする番組もある。最近のバラエティー番組にはこうした出演者に対する理不尽な社会的暴力が番組を支配しているものが多いようだ。こうした番組内容が視聴者の現実認識に影響を与えているのかもしれない。この点についても今後の研究課題である。
最後に、本研究がどのような現実的問題と関わっているかを考えておこう。第一に殺人や暴力に関する情報を大量に流す番組が人々の対人不信感を過度に助長し、ぎすぎすした社会へと導くのではないか、という問題がある。今回は対人不信感を取り上げていないが、これまでの培養分析ではテレビの高視聴者は対人不信感が強い傾向が報告されている。新聞報道によれば(朝日新聞1998年8月27日)、日本の子供は見知らぬ人を援助行動をしない傾向があると報告されている。こうした現象をテレビが助長しているのかもしれない。
第二に、暴力犯罪に対する間違った現状認識は、人々の犯罪に対する意見を間違った方向に導く可能性がある。たとえば少年による殺人事件は減少傾向にあるのに、集中砲火的なテレビ報道が少年殺人が氾濫しているように思わせ、厳罰を望むといった傾向である。今回少年犯罪に対する罰則強化に対する賛意をたずねたが、幸いなことにテレビ視聴とは関連が見られなかった(5)。しかし今後もこのような作用については十分な注意が必要であろう。
第三にバラエティー番組の問題がある。従来培養分析ではドラマの暴力シーンを中心にその影響を問題としてきたが、今回バラエティー番組の影響が強く出た。従来から日本では親が見せたくない「俗悪番組」にバラエティー番組が挙がることが多かった。今回のような結果が続くようなら、バラエティー番組の影響は強く、親たちの心配はあながち不当ではなかったということになる。とくにいじめを促進する効果については今後真剣な研究が必要であろう。その際注目すべき点には、バラエティー番組のいじめ的要素が、@テレビ放送の中でどのくらい一般化しているかAいじめ的行為が一般的な行為であるという認識を培養していないかB現実のいじめに具体的模倣材料を提供しているのではないか、などがあるだろう。そして、もし以上のことが立証されるようなら、バラエティー番組の内容について修正が要求されることになるだろう。
第四に日本でも導入が検討されているVチップの問題がある。従来の議論では、Vチップによってドラマや映画の性・暴力描写から子供を遠ざけようとしてきた。しかし今回の内容分析では露出時間としてはワイドショーの殺人報道のほうが刑事・サスペンスドラマより多いことがわかった。また培養効果ではワイドショーやバラエティー番組の影響が確認された。このような結果を見ると、対象番組の選択が意外と難しいことがわかる。本研究は、Vチップ導入にあたっては、番組内容やその影響の分析が重要であることを示唆している。
第五に今後の課題として、逆−培養効果(cultivation in reverse)とでもいうべき問題がある。今回は暴力犯罪の過剰露出が現実認識を歪めている面を問題にしたが、ある現象が過度にテレビに反映されないために、現実認識を歪める場合も考えられる。たとえば日本では年間20,000人もの自殺による死者があるが、これはあまり報道されない。あるいは1995年に話題になったいじめによる自殺だが、それ以降はあまり話題にならない。もちろんいじめ問題は沈静化してきたわけではないが、報道が少ないと沈静化しているような印象を人々に与えるのではないか。この問題はマスコミの議題設定機能とも関わるが、マスメディアが人々の現実認識に与える影響は今後も様々な側面(6)から研究する必要があるだろう。


(1)Hirsch(1980,1981)はGerbnerらと同じデータを再分析し、次のような激しい批判を展開した。@非視聴者と超視聴者を加えた視聴レベルと再コード化をすると、恐怖感や疎外感の点で、非視聴者は低視聴者よりテレビ的回答をし、超視聴者は高視聴者より非テレビ的回答をしている。AGerbnerらが取り上げなかった項目で培養効果とは反対の結果を示すものがある。B同時に複数の変数をコントロールするとテレビ視聴による培養効果はほとんど消えてしまう。C黒人、女性、高齢者など暴力 を受けやすい人の態度はテレビ視聴と無関係であった。D主流形成や共鳴現象という概念はデータの矛盾を覆い隠すために事後的に作られたものだ。E培養分析はその包括的な性格の故に科学的な仮説検証の対象とは成り得ないFテレビ視聴とともにラジオ聴取や健康状態といった非属性的変数も人々の現実認識にとって重要である。G培養分析は因果関係が不明瞭である。テレビ視聴は原因ではなく結果であることもある。これに対してGerbnerら(1981a,b)は次のように反論している。@について、非視聴者や超視聴者は全体の10%にすぎず、残りの90%については培養効果が認められている。Bについて、確かにサンプル全体で複数の変数をコントロールするとテレビの効果は消失するが、特定のサブグループ内では擬似的でない影響が認められる。Cについて、信念、態度レベルの効果は副次的なもので培養分析の主眼は現実世界の認知にあるので、このレベルをとらえて仮説そのものを否定するのは適切ではない。Dについて、この2つの概念は研究当初から主張されてきた。
(2)ジャンル別のテレビ視聴時間は4日間の日記式で測定された。暴力認知の測定は「ある一週間で、あなたが何らかの暴力に巻き込まれる可能性はどのくらいありますか」「オーストラリア人の何パーセントが警察官または検事だと思いますか」「たいていの殺人犯は犠牲者の知り合いでしょうかそれとも他人でしょうか」「犯罪の何パーセントが殺人、婦女暴行、強盗、暴行などの暴力を含んでいるでしょうか」という各質問で、テレビ寄りの回答をたしあげ暴力指標を作成した。
(3)統計上、少年の凶悪犯(殺人、強盗、婦女暴行)が増えているのは主に強盗が増えているためで、その背景には「カツアゲ」や「おやじ狩り」など軽い気持ちで行われる犯行が増えていることがあげられる。
(4)たとえば平成6年度の松山市の凶悪犯罪(殺人、強盗、婦女暴行)発生件数は31件で、粗暴犯(傷害・暴行・脅迫)は145件、合計176件であった(松山市,1996)。松山市の人口は46万人なので176/46万/52週=0.0000073となり、10万分の1以下になる。
(5)罰則強化賛成者(%)
テレビ視聴時間 高 82.7 低 83.8 n.s.

番組視聴頻度 毎日 数回 週1回 月数回 月1回 見ない χ2:p
ニュース
ワイドショー
週1ニュース
刑事ドラマ
時代劇
バラエティー
スポーツ
82.6
86.7
89.1
85.2
85.0
76.5
83.3
87.5
80.6
80.0
83.6
88.7
87.6
83.3
75.0
89.2
85.1
88.5
77.5
81.0
79.6
100
85.9
79.0
79.0
87.0
86.8
80.4
100
73.1
82.9
84.1
85.1
73.7
83.7
50.0
80.8
83.9
80.7
80.7
79.1
86.4
n.s.
n.s.
n.s.
n.s
n.s.
n.s.
n.s.
(6)例えば水野他(1989)はテレビメディア・バイアス効果として以下のような仮説を作り、実証を試みている。@表層現象化(負のアジェンダセッティング効果)A変化バイアス(加速視)B特異現象化(カルガモ効果)C普遍現象化(過大視効果)D中心化(認知的再編Aタイプ)E脱中心化(認知的再編Bタイプ)Fステレオタイプ補強G行動刺激効果

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