第1章                              1999年福岡水害と災害情報の伝達

 

1.災害の概要

 1999年6月29日未明から、活動が活発化した梅雨前線の影響で、九州北部地方では激しい雨がふった。福岡市でも29日午前8時から9時までの一時間に77.0ミリの記録的な降雨となった(表1)。

表1.福岡水害における降雨量

観測場所

福岡市大濠(福岡管区気象台アメダス観測)

連続雨量

166.5mm(6月28日16時〜6月30日7時)

最大日雨量

160.0mm(6月28日16時〜6月29日16時)

最大時間雨量

77.0mm(6月29日8時〜6月29日9時)

 

福岡県内では28の河川で水があふれ、福岡市内では中心部を流れる御笠川が3カ所で溢水し、市内が浸水した。特に博多駅周辺では最大で1メートル程度の浸水となった。その結果、福岡市内で死者1名、床上浸水708棟、床上浸水703棟、半壊家屋2棟の被害が発生した。そのほか地下鉄やJRの運休、道路の通行不能、地下街やホテルの営業不能など、市民生活にも少なからぬ影響を与えた(表2)。


表2.福岡水害における主な被害(7月1日14時現在:福岡県消防防災課とりまとめ速報)

福岡市内

死者

1名

床上浸水家屋

708棟

床下浸水家屋

703棟

半壊家屋

2棟

その他福岡県内

負傷者

5名(重傷3名、軽傷2名)

一部損壊家屋

16棟

床上浸水家屋

354棟

床下浸水家屋

1802棟

非住家

7棟

 

この水害で特に問題となったのは、御笠川の溢水のために、市内博多駅近くのビルの地下階の飲食店で、逃げ遅れた従業員が水死したことである。水害により、地下空間にいた人に人的被害が発生するというのは、我が国災害史上初めての出来事であり、新たな都市型災害の問題点を浮き彫りにしたのである。
 ところでこの水害の発生メカニズムであるが、根本的原因には短時間の集中豪雨があった。28日16時に降り始めた雨は連続雨量としては166.5ミリ(30日7時まで)であるが、その半分近くが29日の朝8時からの1時間に降っているのである。最も降雨の激しかった1時間では時間雨量が79.5ミリとなり、これは6月の一時間降雨量としては気象台観測史上最大であった。
 報道では、この集中豪雨が市内の下水処理能力(最大で時間雨量52ミリ)を大幅に上回ったことが浸水の最大の原因であるとされている。しかし、専門家によれば降雨にともなって下水処理能力をオーバーしても、それは通常1時間以内におさまるという。降雨が激しかったのは午前9時までで、その後は小降りになってきた(9時から10時までの降雨量は15ミリ)。
 しかし、次に見るように被害をもたらした浸水は午前10時以降に発生したものであった。たとえば、死亡事故のあったビルの管理人は次のように述べている。
「私が出勤してきたときは9時でした。その時は前の道路はずっと川みたいになっていました。その時水は、高さ40センチの止水板すれすれにまで来ていました。そのころ道路はまだ車が通れていました。車が通ると波で水が止水板を越えるという状態でした。(中略)10時頃になると水がひいてきました。それでそろそろ止水板をあけようかと思ったら、また徐々に水が増えてきました。ちょうどそのころが川があふれた頃なんですね。(中略)そうしているうち次第に水が止水板を越えてくるようになりました。そしたら向こうの方からざーっという音が聞こえてきました。駐車場の換気窓から水が入ってきたんです。」
 証言によれば10時頃いったん水位が下がり、その後水位が再び上昇したという。そしてこの2回目の増水によって地下階の死亡事故が発生したのである。1回目の浸水は排水能力不足によるもので、雨が小降りになって1時間後の10時頃いったん引き始めた。しかしちょうどそのころ現場から数百メートル離れた御笠川で溢水し、その水が2回目の増水を招き、被害をもたらしてしまった。さらに次のような証言もある。
「朝、雨の状況がひどいというのを見たのが9時過ぎなんです。その時は外の道路には水はたまっていましたが、まだきれいな透明な水がたまっている状態でした。歩いている人はズボンをまくっておられました。水の深さはすね位でした。その時はすごい降ってるなと思ったくらいでした。勤務が10時に終わるので、10時半頃地下(2階)にロッカー室があるので、地下におりました。その時はもう地下に水が流れこんでいる状態でした。従業員用の非常階段には、その時はかなり濁った水が流れ込んでいました。」
 これは、地下階に閉じこめられそうになった博多駅前のホテル(博多都ホテル)従業員の証言である。ここで注目すべきは9時過ぎにたまっていた水は透明だったが、10時半過ぎに流れ込んできた水は濁っていた、という点である。9時過ぎの浸水は排水不良によってたまっていた水で、それ故に透明であった。しかし10時半過ぎの水は川からの氾濫水であったたために濁っていたと考えることができる。
 今回の水害の被害は、主に御笠川の氾濫によってもたらされたものであった。
 この水害について、特に地下階における避難行動と、そこにおける情報伝達の問題点を探るために、筆者らは以下の組織の方々に対して聞き取り調査を行った。まず、当時水害に見舞われた側としては、東福第二ビル管理人、博多ターミナルビル(デイトス)管理会社、博多駅地下街テナント(2件)、博多都ホテルフロント係、九州電力、地下鉄博多駅駅長など7カ所である。一方、情報を伝達する、あるいは救助を行う側としては、福岡県河川課、河川情報センター、福岡市消防局、福岡市市民課など4カ所である。

 

2.東福第二ビルの状況

 地下階水死事故の現場となったのは、博多駅筑紫口からほど近い博多区博多駅東2丁目にあるオフィスビル「東福第二ビル」である。付近一帯は現在でこそ完全なオフィス街になっているが、地元の人の話では、新幹線開業にともなって博多駅が現在の地に移転する前は、水はけの悪い低湿地であったという。現在でも駅周辺は窪地状になっており、激しい降雨の後は、排水不良によりしばしば浸水している。一方今回溢水した御笠川は数百メートルの距離にあるが、付近では氾濫による被害は近年経験していない(ただし上流部では昭和50年に溢水による被害があった)。
 東福第二ビルには、地下1階に駐車場と喫茶店・串揚げ屋の二軒の飲食店がある。被害を受けた従業員は事故当時、串揚げ屋で開店に備えた仕込みをしていた。ビル管理人の話によると、午前10時以降、ビル周辺の水位が再び上昇し、10時15分頃には水は40センチの止水板を越え、さらに駐車場の換気窓から勢いよく地下階に注ぎ込まれるようになった(図1)。その時管理人のAさんは、浸水してきたので店の車を移動するよう被害者に伝えたが、鍵がなく移動できなかった。Aさんによれば、その時被害者は全くあわてた様子もなく、ごく普通であったという。10時20分頃、隣接する喫茶店の経営者が外階段に土嚢を積んだ後で声をかけたときも、被害者は仕込み作業を普通に続けていた。その後10時半頃、Aさんが地下に降りると駐車場から水が入り、水深はくるぶしぐらいまで来ていたという。その後、急速に地下に水が入り、10時40分頃停電。喫茶店経営者は、その時内階段を伝わって地上に脱出したが、被害者が見あたらないと言っていた。被害者が水死したのは、ちょうどこの頃と考えられる。
 報道によると、被害者はこのとき串揚げ屋店主に「店に水が入ってきて逃げられないかもしれない」と救助を要請する電話をかけている。その後、「きゃー」という悲鳴がして電話が不通になったという(朝日新聞6月30日)。(報道によると店主は電話がかかってきた時間を10時半頃としているが、Aさんの話や駅周辺の浸水時刻を考えると40分に近いと考えられる。)その後、Aさんは、喫茶店経営者の話を聞いてすぐに119番通報をしたが、電話が不通だった。これはおそらく、停電のためビルの構内交換機が機能しなかったためであろう。しばらくして串揚げ屋の別の従業員がやってきて、携帯電話で店主に電話し、さらに店主から119番通報が行われた。福岡市消防局によると、店主からの電話があったのは11時15分であった。
 消防局では、これを受けて11時24分に現場に到着するが、捜索に手間どり、結局、12時34分になってようやく被害者を収容した。捜索に手間どったのは、潜水装備を備えた部隊の到着が遅れたことと、濁った水と複雑な建物の構造が捜索を阻んだためである。
しかしながら、この事故の最大の原因は、被害者及びその周辺に御笠川が溢水しているという情報が伝達されず、避難が遅れたということではなかろうか。この点について、先述のビル管理人Aさんは次のように証言している。
「車を出してくださいと言ったとき、Mさん(被害者)は仕込み中で、別にあわてた様子はなく、普通でした。また逃げてきた喫茶店の人と会ったときも動転している様子はありませんでした。私も全然危機感というものはありませんでした。というのはある程度のところで水が止まると思っていたんです。というのは、川があふれているという情報が入っていないでしょう。川の水が堤防を越えることは、ちょっと考えられんものですからね。水が増えてきたとき、堤防が切れたんじゃないか、と言う人はおりましたけどね。まさか、と思ったんですよ。 
 このビルは平成8年か9年に1回浸水したことがあるんです。その時は川があふれたわけではなく、雨でした。止水板と、砂嚢で防いだんです。だから今度も川があふれなければ、10時頃から水が引き初めて、何事もなかったはずなんです。だから私も膝まで水が入っていても、その時のようにまた水が引くと思っていたんです。そのとき川があふれている、という情報が消防署やテレビあたりから入っていたら、すぐ避難させています。マイクで。やっぱり情報不足というのが一番、こういう事態になったんだと思います。上に上がってテレビをつけたけど、テレビはなにもやっていませんでした。川が切れたのを知ったのは午後になってからです。」
 このように、東福第二ビルでは雨水による浸水を経験しており、今回も同様にすぐに水が引くと事態を軽く考えていたのである。その結果、ビル管理人もテナントの従業員にも危機感は最後までなかった。それはAさんも言うように、御笠川が溢水している情報が全くなく、周囲を覆っている水が川の氾濫水で、いつもと違う、という認識を持てなかったからである。情報不足が避難を遅らせ、今回の被害を招いたといえよう。

 

図1.東福第二ビルの地下と氾濫水の浸水方向

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3.その他の地下階の状況

 今回の水害では、死亡事故にまでは至らなかったが、博多駅周辺の地下街やホテルの地下階などでも浸水している。そこではどのような状況だったのであろうか。

(1)博多都ホテル

 博多都ホテルでは、10時半頃には河川の氾濫水と思われる、濁った水により浸水が始まっていた。当時勤務していたフロント係Mさん(男性)の話では、水は主に駐車場の出入り口から入り、地下1階の駐車場を通って、従業員ロッカー室や倉庫、パン焼き工場などがある地下2階にたまりつつあった。その時地下のロッカー室に行こうとしていたMさんは当時の様子を次のように語っている。
「従業員用の非常階段には、その時はかなり濁った水が流れ込んでいました。土嚢は積んであったので、その隙間からの水が、さーっという感じで階段を流れていました。自分もズボンを膝までまくって降りていったんですが、別にそんなにひどくはないという感じでした。特に真剣になると言うような感じでもなくて。逆に「すごいなー」という感じで、降りていったんです。
 地下に降りたら、すでにスネぐらいまで水がたまっていました。ゴミとか空き瓶とかが流れてきていました。ロッカー室までたどり着いてドアを押して入ろうとしたんですが、開かなかったんです。水圧なのか何か引っかかって開かないのかわかりませんけど。そこで5分ぐらいドアを開けようとしていたんですけど、その間に水かさが膝下くらいまで上がってきていました。待っててもドアは開かないと思って、戻った方がよかろうということで、その階にいた人と戻ろうとしました。通路にリネン室で作業していた人がいて、その人を誘って。行こうとしたら防火シャッターが降りていたんです。来るときは降りてなかったんですが、スプリンクラーの水に連動して降りたんでしょうね。ベイカー(ホテルのパンを焼く人)の方2名が防火扉を押している状態だったんです。あと、もう1人地下の食材の関係で電話をしている人がいて、総勢5人が地下にいたんです。結構力をいれて押していました。数十秒ぐらい見ていると、ドアが開いて、反対側に人がいたんです。3人の力がうまく働いてたまたま開いたんだと思います。そこは少し低いところだったんで膝の上くらいまで水がありました。おそらく水圧で水が開かなかったんだろうと思います。そして非常階段を上って地上に上がりました。非常階段を登ってきているときに停電して暗くなりました。(後で聞いたらブレーカーをおろしたようです)非常灯はついているので真っ暗ではありませんでした。」
 このように、Mさんが地下に降りるとロッカー室のドアが開かず、しばらくして引き返そうとすると、今度は地上への出口が開かなくなっていて、一瞬地下に閉じこめられそうになった。外側から人が来て、運良く脱出できたが、少しでも遅れれば東福第二ビルのような惨事になるところであった。また地下階の浸水では、水圧や浮遊する障害物がドアを開かなくする危険性があることも、この証言から読みとれる。
 ところで、ここで注目すべきはやはり危機感の欠如ということであろう。それについてMさんは次のように言う。
「防火ドアが開かなかったときには恐怖感がありました。これはちょっとただごとじゃなくなってきたな、と。降りていってロッカー室のドアを開けてるときは、全然恐怖感はなかったです。非常階段を下りていくときにはこんなことになるとは全く考えていませんでした。防火シャッターのところで反対から人が来てくれなかったり、他の人がいなかったら、どうなったからわかんないですね。こういう経験が1回でもあれば違うんですけど、まさかそんなになるとは思わないですよね。」
 音をたてながら水が流れ込めば、逃げ場のない地下では大変危険な状態になるということは、想像可能なことである。しかし現場ではそのようなことは全くイメージされず、ぬきさしならない土壇場の状態に陥るまで、危機意識をもつことはなかった。

(2)博多ターミナルビル

 博多駅のターミナルビルでは、年に1回程度の割合でたまった雨水による水漏れがある。
地下1階から地上2階までに各種のテナントが入っている。ビル管理会社によると、当日は8時15分頃に一度水が入り、それを土嚢で押さえた。しかし、10時過ぎにはもも位の水深になり、10時半頃から地下に浸水し始めた。11時半に九州電力の送電が止り、停電したので全店が閉店している。一部の飲食店は朝8時から営業しているが、ほとんどは午前10時開店で、浸水時、ビル内に客はほとんどいなかったという。
 当日、朝8時から開店していた地下1階の喫茶店のウエイトレスBさんによると、店内は次のような状況であった。8時頃の水漏れは地下には来ていなかったが、9時過ぎから天井から水漏れがしてきた。そのころから客は少なくなってきたが、その一方で列車が動かないので時間つぶしの客も来た。理由はわからないが、10時頃通路を走って上に上がろうとする客がいた。そのあいだも店は営業を続けていたが、11時になると客はいなくなった。店員たちは11時になってランチの客が入ってくる時間なのにこないので、おかしいなと思っていた。そのころ、通路が騒然としてきた。客は通路を走っているし、館内放送もあるし、他の店の人は雨漏り防止の手伝いなどでみんなばたばたしていた。館内放送は何回かあって水漏れ防止の手伝いに来てくださいというようなことであった。彼女の話では、川が氾濫していることはおろか、地上一帯が水で覆われていることさえ知らなかったという。
 他方、駅ビルの自治会長をしている1階の寿司店店主の話によると、10時40分頃、水が押し寄せてきた。そのころ大半の店はまだ開いていなかった。他店の人と協力して、地下に行くエスカレーターの周りを段ボールなどで囲んで地下に水が入らないように試みた。しかし、結局は無駄なことであった。その時はまさか御笠川が氾濫しているとは思わなかった、という。
 このように見ると、浸水時、駅ビルでも御笠川の氾濫の情報は全くなく、また人々の危機感も欠如していたといえよう。

(3)福岡市営地下鉄博多駅

 次は、福岡市営地下鉄であるが、博多駅長Cさんの話によると、博多駅では10時42分から浸水した。浸水は全て筑紫口側からであり、隣接するホテルの入口から滝のように水が入ってきた。当駅には止水板はなく、土嚢を駅の入口に積んで防ごうとした。当日は他の部局から合計で117名の応援が来た。11時過ぎに、筑紫口の6カ所(うちビルの入口3カ所)に人をつけて出入りを禁止し、全ての出入りを博多口側(4カ所)だけに制限した。駅には、御笠側の水位などがある基準に達したとき防水作業に着手するというようなマニュアルはなく、防災対策はその時々の判断で実施するという。
 当日は、乗客に特段危険な状況はみられなかった。JRは停電したが、地下鉄は停電しなかったので当初は運行を続けていたが、博多駅で軌道上に20センチほど水がたまってきた12時5分、空港−中州川端間の運行を停止した。浸水時、乗客は普段の1/3程度と少なく、そのほとんどが地下鉄から外に出る客で、乗ろうとする客は少なかった。博多駅では4台設置されている排水ポンプで排水し、15時46分に運転が再開された。
 当時、道路は腰ぐらいまで水があり、浸水は激しかった。水の動きは川の流れと同じくらいに早かったという。筑紫口から御笠川までは直線距離で400メートルちょっとだが、浸水時は川が溢水したという意識は全くなかった。雨がやんだので水位は下がると思っていた、と駅長は言う。駅長が川の氾濫を知ったのはお昼過ぎの一段落ついたあとであった。
 このように、市営地下鉄の駅長のように災害情報が入りやすい立場の人ですら、腰まである水の原因が川の溢水であるとは分からなかったのである。
 以上、水害に見舞われた人々の状況を見てきたが、全ての場面で浸水の原因が御笠川の溢水だと知っていた人が全くいなかったことがわかった。そして、人々の危機意識もきわめて薄かった。では、なぜ溢水情報は伝えられなかったのであろうか。
 つぎに情報を伝達する側の状況をみてみよう。

 

4.福岡市消防局の対応

 情報伝達の問題を考える前に、御笠川の溢水の実態を簡単に確認しておくと、御笠川の河川管理者である福岡県が福岡市北部の板付橋で溢水を確認したのは10時10分である。駅周辺の比恵橋での確認は遅れ、10時20分であるが、9時45分に付近の住民から川が危ないという通報があるので、おそらくここでも10時10分頃には溢水していたと考えられる。水死事故の発生が10時40分頃だとするとその間の時間は30分程度ということになる。
 水害時において、災害対策本部などが設置され、災害対策の中心となるのは福岡市消防局である。ここでは御笠川の溢水情報はどのように扱われたのだろうか。
 消防局への聞き取りによると、当日の状況は次のようであった。消防局では6時50分に大雨洪水警報の発令を受けて災害警戒本部を設置した。8時前になると、市内の道路や住宅の浸水情報が119番通報を通じて入ってくるようになった。消防局ではそれに対して消防団を出動させ、住民の安全確認や土嚢積みなどの対応に追われることになる。しかしこれら浸水の原因は川の溢水ではなく降雨による一時的な冠水ととらえていた。
 9時45分に、付近の堅粕小学校長の西丸光明氏から博多消防署に御笠川があふれそうだ、という電話連絡があった。しかし、当時博多署では全車が出動しており、対処ができなかっため、消防団堅粕分団に出動を要請した。これを受けて消防団は10時に出動し、10時10分、現地から消防局に応援要請の連絡をしている。ただし消防局が受けたのはなぜか応援要請のみで、溢水の情報は受け取っていない。そして、この要請に応え10時19分に消防隊が出動し、10時30分に現地に到着している。彼らは溢水を防ぐために土嚢を積むが、水量が多かったためにすぐにあきらめたという。
 福岡市消防局では、ちょうどこのころ10時半に福岡県の河川課に川の状況を問い合わせているが、そこで得られたのは御笠川が危ないという情報であった。なぜか、ここでも川が溢水しているというはっきりした情報は認知されていない。(ちなみに結局、県の河川課や市の下水道局側からは消防局に連絡はなかったという)
 消防局が御笠川の状況の深刻さを認知したのは、10時39分にヘリコプターを飛ばしてからだという。ここでも川が危ないという情報が入ったが、溢水しているという情報ではなかった。このように御笠川が危険な状態であるという認識は10時30分頃から消防局は持っていた。おそらく、このころ現場に行った消防隊から溢水の連絡もあったと思われるが、溢水情報をいつ得たかという点については曖昧である。しかしいずれにしても災害対策にあたる消防局が御笠川の溢水情報をかなり遅くまで入手していなかったことは間違いのないことである。
 結局、このような水害にも関わらず、福岡市消防局は、水防本部も災害対策本部も設置しなかった。これはのちに一部の報道機関から批判されることになるが、その原因の一つが御笠川の溢水情報の入手が遅れ、重大事態にいたるかもしれないという認識をもてなかったためではないだろうか。

 

5.福岡県の対応

  福岡市内には国の管理する一級河川はなく、溢水した御笠川をはじめとする河川は県が管理する二級河川である。では、今回の水害において、河川を管理する福岡県はどのような対応を行っていたのだろうか。

(1)福岡県の河川と管理体制

 まず、福岡の河川の状況と県の管理体制について簡単に触れておきたいと思う。
 前述のとおり、福岡市内には一級河川がなく、市内の主な河川は県の管理する二級河川で、福岡市の西側から、瑞梅寺川、十郎川、室見川、那珂川、御笠川、宇美川、多多良川などがある。これらの河川を管理するのは福岡県の土木部河川課である。河川の情報収集・伝達は、土木部の出先機関である県の土木事務所が中心となり、県本庁は、総括する役割を果たす。水害等の河川災害発生もしくは発生の恐れがある場合、県本庁に「水防(準備)本部」、土木事務所が「水防地方本部」となり、事務所長が水防地方本部長となる。そして、それぞれの河川に、福岡県が流域地域の市(区)町村を定めている。
 今回、溢水による被害が生じた御笠川は、福岡市博多区、太宰府市、春日市、大野城市が「流域」と定められ(人口:約43万5千人)、大野城市の那珂土木事務所と福岡市東区の福岡土木事務所が管轄している。
 御笠川は、水位監視所が、福岡土木事務所管内の比恵橋(福岡市博多区・博多駅の横)と那珂土木事務所管内の板付橋(福岡市博多区・福岡空港南側、大野城市に近い)の2ヶ所ある。ただし、常時観測を行っているのは板付橋のみで、比恵橋は必要に応じて土木事務所の職員が観測する臨時水位観測所である。したがって、通常、県知事が水防警報を発するのは板付橋の水位に基づくことになる。板付橋の水位観測人は、通常は、朝6時と夕方6時に水位観測をおこない、雨の状況においては定時以外の観測も行っている。
 水防活動は原則的に市が行い県はその支援にあたることになっており、比恵橋の情報は福岡市へ、板付橋の情報は福岡市博多区と大野城市に連絡することになっている。県の水防の目的は、「円滑な水防活動ができるよう情報伝達の体制をとる」ことである(図2)。

図2 御笠川の水位情報の流れ

 

 

 

 

 

 

(2)水害時の対応

 この水害における県の対応を見ていくことにする。
 6月28日16時10分、福岡管区気象台が福岡県全域に大雨注意報を発表した。同時に福岡県は、県内全ての河川を対象に水防準備本部を設置(第一配備)した。職員勤務の定時終業時間は17時15分であるが、定時以降、県庁本庁河川課4人、道路維持課・砂防課などを含め本庁内に総勢8人、福岡土木事務所に5人を待機させた。大野城市の那珂土木事務所は注意報の段階では待機はゼロである。
 翌29日6時50分、福岡管区気象台が福岡県全域に大雨警報発表し、同時に福岡県の非常体制が第二配備となり、第一配備(水防準備本部)の倍の人数が警戒にあたることとなった。
 さて、29日、御笠川では、主に3ヶ所で溢水した。上流から、大野城市の筒井橋付近(大野城市役所付近)、福岡市博多区の板付橋付近(福岡空港南西側、大野城市に近い)、福岡市博多区の比恵橋付近(博多駅付近)である。この3ヶ所の状況を、県がどのように把握し、情報を伝えたのかについて見ていきたい。
 まず、筒井橋付近の情報は、県土木部河川課の記録によると、9時40分に、筒井橋で溢水したとの連絡が管轄の那珂土木事務所に入っている。この筒井橋は水位観測点ではないため観測人もおらず、溢水は、事務所の職員の目撃によりわかったものだった。那珂土木事務所は、すぐに大野城市へ連絡し、9時45分には、大野城市が自発的に福岡市に連絡したという。その後、10時30分には、筒井橋左岸の溢水が止まり、10時50分には筒井橋右岸の溢水が止まった。
 次に、板付橋付近の情報であるが、県土木部河川課の記録によれば、板付橋の監視職員が、6時と7時に御笠川の水位を観測し、9時にその水位を那珂工事事務所に報告している。ヒアリングによると、御笠川の水位は通常、概ね20cm程度であるが、6時には80cm、7時には1mまで水位が上がっていたという。そして、9時、1.3mの水位が観測された。御笠川の警戒水位は1.4mであるが、異常水位が観測された場合には流域の役所に連絡することが那珂土木事務所の水防計画によりあらかじめ決められており、9時の水位「1.3m」の情報を、9時30分に那珂土木事務所から大野城市役所に、9時40分に福岡市博多区役所に電話連絡し、水防管理団体(市町村)に「警戒水位1.4mに対し、現在1.3m。あぶないですので様子を見に行って下さい」という出動要請を行っている。この時、「水防警報」という言葉を用いたかどうかは不明であるが、内容としては、事実上の「水防警報」だったという。警戒水位に達する恐れがある時は「水防警報」を出すことになっているのである。水防警報は水位によって、第1段階、第2段階、第3段階・・・・となり、この時の要請は第1段階に当たるという。
 この要請について、県側は博多区役所に連絡したとしている。那珂土木事務所は、博多区役所の代表に電話をしたが、当日は応対が忙しく、誰が受けたのか確認ができず、後日、博多区役所に照会したがわからないという。通常は「FAXをして電話確認」が原則だが、水害当日は、電話もFAXもつながりにくく、電話のみで行われた。結局、この情報は、災害対策を行う福岡市消防局には伝わらず、途中でうやむやになった。
 その後、板付橋付近では、9時50分に警戒水位に達し、10時には危険水位1.8mを越えて水位2mに達した。そして、10時10分には「御笠川が溢水した」との連絡が那珂土木事務所に入った。この溢水情報は、那珂土木事務所職員が直接大野城市役所に連絡した。この情報は、10時20分には県本庁にも届いている。ところが、博多区役所には、10時10分の溢水に関する情報を連絡していない。その理由は、すでに出動要請をしていたことから、あらためて連絡をしなかったということである。しかし、出動要請が既に出ていたとしても、溢水が起こった以上、博多区役所にも連絡する必要があったのではないだろうか、という疑問が残る。なお、10時10分の溢水により板付橋の観測人は、危険なため退去させられている。
 そして、比恵橋付近の情報である。県土木部河川課の話によれば、比恵橋に水位観測人がいないため職員が出向いて水位を観測することになり、9時に福岡市東区箱崎にある福岡工事事務所を職員が出発している。福岡土木事務所から比恵橋まで車で10分程度であるが、この日、比恵橋に職員が到着したのは10時20分であった。しかし、比恵橋に到着した時点で、すでに水が比恵橋の上まで来ており、職員が福岡土木事務所に、「水位が比恵橋の上まで上昇して、上流の両岸から溢水して周辺の地域への浸水が始まっている」と電話(ヒアリングによれば携帯電話と考えられる)で連絡したという。
 なぜ、職員の到着が遅れたのか。県土木部河川課によれば、その事情を次のように説明している。
 福岡工事事務所は、福岡市内だけでなく西は前原市(福岡市の西側・佐賀県境)から東は古賀市あたりまで広い範囲を管轄しており、雷山川、室見川、多多良川など複数の河川を管理している。そのため、御笠川だけではなく、事務所が管理している河川の何ヶ所かの水位を測りながら廻ることにっており、御笠川の前に、東区の宇美川など3ヶ所へ状況を見に行っていた。御笠川の溢水により博多駅や周辺で浸水し、しかも死者が出たため、御笠川が大きく取り上げられたり注目が集まっているが、福岡市と周辺では、8時ぐらいから各所で出水の報告や土砂災害も生じており、いくつかの河川で溢水等による浸水などが起きていた。雨域は西から東へ広がっていったので、はじめは、前原市の雷山川が危険との情報が入っており、8時45分に雷山川水位が1.8mに達しているとの情報(危険水位1.7m)、9時50分には、福岡市東区の宇美川で出水報告があり、実際のところ浸水被害でということでは、御笠川よりも宇美川の方が大きかった。そのようなことから、すぐに御笠川に向かわなかった。加えて、職員が土木事務所を出発した頃には、市内の各地で浸水がすでに始まっていたため、交通渋滞などにより時間がかかってしまった。
 このように、県のとっていた体制や対応の背後には、非常事態における速やかな状況把握や情報収集が難しいという問題があったといえよう。
 そして、10時20分、比恵橋付近の溢水情報を受けた福岡土木事務所は、用地課長から福岡市の河川管理課に連絡したという。福岡土木事務所は福岡市全ての区、すなわち福岡全市に関わっているため、福岡市役所の河川管理課に連絡することになっている。ただし、比恵橋付近溢水の情報は、市の消防局等には連絡が入らなかった。
 水位観測以外で、溢水による被害を予測するものとして雨量がある。御笠川沿いの太宰府市に福岡県の大宰府(雨量)観測所がある。この観測所の雨量計(自記式)が9時−10時に77.5mmの雨量を観測している。しかし、この雨量計の記録は自動的に情報が入るものではなく、自記式のため速報されず、記録を後で確認して雨量がわかるようになっているため、この時の雨量も夕方になってわかったという。そして、太宰府観測所の雨量については、すぐには河川増水の危険などの判断材料にはせず後からの分析に使うようになっていた。したがって、県の雨量観測のデータは、今回の水害対策には役立てられなかった。

 

6.福岡市の対応

 4.で福岡市消防局の対応について触れたが、ここでは福岡市全体の災害対策担当部局の対応について述べておきたい。
 福岡市の場合、市庁舎内のいわゆる災害対策担当部局は市民局地域振興部となる。ただし、市民局地域振興部は災害対策を専門にした部局ではなく、「防災に関する総合調整担当」という災害対策のとりまとめを行う担当者を数人置いている状態である。「防災に関する総合調整担当」は、総務課長を兼任している課長をはじめ5人であるが、内、課長は通常は総務課におり、また2人が消防局防災係を兼務し通常は消防局に勤務している。したがって、実際、「防災に関する総合調整担当」専任は2人という状態である(そのうち1人は下水道局河川部技術管理課主査を兼務)。そして、この市民局地域振興部の「防災に関する総合調整担当」は、先述のとおり災害対策のとりまとめを行うことが主な役割であり、実際の災害対策は市消防局に任せている形になり、つまりは市民局地域振興部は、市消防局をはじめ市の関連部署・出先機関からの報告を受けて状況を把握することが主たる業務となり、実際の指示等は市消防局等で行うことになる。
 さらに、市消防局の職員は、市民局と兼務している形になっていることから、市の認識としては、消防職員が活動することは市の市民局が活動していることも意味するという認識になっているようだ。
 6月29日6時50分、福岡県に大雨洪水警報が発表されると同時に、福岡市消防局に災害警戒本部が立ち上がり、職員が、一斉伝達システム(「おつたえくん」)により一斉呼び出しされた。また、気象庁のFネットによる同報FAXで、市民局や交通局等の各部局に情報が伝えられた。その後の主な対応は市消防局によるものとなる。
 市民局地域振興部の話によれば、市民局では、当日3人が、午後まで3台の電話の応対に追われ情報の集約等を行うことはできなかった。また、当日、雨のピークは午前中で昼前には晴れ間も見えたことから、御笠川溢水による被害について想像することができず、市民局が博多駅付近の被害を認識したのは、昼以降のテレビニュースだったという。
 さて、市の情報の流れを具体的にみていくことにすると、5.の県の対応で述べたように、御笠川板付橋の情報をはじめとする那珂土木事務所の情報は、那珂土木事務所より福岡市の出先機関である博多区役所に伝えることになっており、県土木部河川課によれば、29日午前9時40分に御笠川の状況について那珂土木事務所から博多区役所へ連絡をしている。しかし、実際の災害対策を行う消防局にはこの情報は伝えられていない。また、御笠川比恵橋の情報をはじめとする福岡土木事務所の情報は、福岡市の河川管理課に伝えられてはいるが、その後、市消防局には、この情報について連絡が入っていない。また、先述のとおり、29日9時45分には、御笠川筒井橋の溢水に関する情報が大野城市より福岡市河川管理課に伝えられているが、この情報も福岡市の他部署に正式に伝えられてはいない。
 このように、福岡市のいくつかの部署・出先機関に、御笠川の情報が伝えられていたものの、その情報が、実際の災害対策を行う消防局や、とりまとめを行う市民局には伝えられず、御笠川の情報の集約等ができず速やかな対応ができなかったのである。
 また、福岡市には「世話人制度」という制度がある。これは、福岡市が、一般の住民に市の広報や情報収集等について委嘱しているもので、福岡市内の公民館単位で144の世話人がいる。災害時や災害が発生しそうな時には、この世話人が、その状況について、あらかじめ決められた「町世話区災害緊急連絡要領」にしたがって、各区役所の総務課への連絡するか、119番もしくは公民館に備えてある防災無線で通報することになっている。つまり、一般住民の覚知した災害情報を市に伝える仕組みができていたのである。この御笠川の災害において、世話人からの情報が、どの程度、区に伝えられたのかわからないが、市の市民局や消防局に、「町世話区災害緊急連絡要領」による世話人からの情報は伝わっていなかったようである。

 

7.まとめと提言

 まず、いままで述べてきたことを復習しておこう。
 99年6月29日、西日本一帯を梅雨前線豪雨が襲い、福岡市ではJR博多駅近くのビルの地階にいた飲食店の女性従業員が水死してしまった。これは、午前8時頃から9時頃にかけて襲った大雨による水害でなく、博多駅付近を流れる御笠川が10時頃から護岸を越えて溢水し、低地になっている博多駅周辺を水没させたのが原因だった。女性が死亡したと推定される10時30分頃には、雨は小降りになっていた。にもかかわらず水かさはますます増えていき、周囲の人は何が原因かまったく理解できなかった。御笠川の溢水情報は、博多駅周辺には伝えられなかったのである。溢水情報を一般市民に伝える体制も情報メデイアも存在しなかったことが、その大きな理由であった。災害情報の重要性を教える典型的なケースである。
 今回災害が発生した博多駅ばかりでなく、現代都市の繁華街には、地下鉄、地下街、あるいはビルの地下階が数多く存在している。こうした地下空間が水害に襲われた例は少なくないし、被害のパターンも多様である。1982年の長崎水害、93年の鹿児島水害、98年の新潟水害などでは、ビルの地下にある店舗、駐車場、電気設備、電話施設などが水没し都市型水害として注目された。今回の福岡水害では、とうとう死者まで出てしまったが、表3にみるように、1998年だけみても、43個所もの地下街・地下階で水害が発生している。

表3のようなデータをみると、現代都市において、地下街・地下階などの地下空間の水害対策は非常に重要であり、かつ急務であることがわかる。しかし、その割には地下空間の水害対策は進んでいるとはいえない。
 たとえば、建設省では、地下空間を水害から守る対策として
@
水を地下に入れない対策(地下入口の嵩上げ、防水板(止水板)・防護壁の設置、土嚢の準備、換気口の嵩上げ、換気口の周囲に壁を設置)
A
地下に水が入っても利用しているフロアを冠水させない対策(地下貯留施設の設置)
B
地下に入った水を伝播させない対策(防水扉による止水)
などをすすめている。  
 一方、一部の地下鉄や地下街には過去の水害経験などから独自の対策をしているところもあるが、一般に地下空間の水害対策は遅れており、水が出たとき地下への流入を食い止める止水板や土嚢さえ用意していないビルが少なくないという。
 福岡水害の後、建設省九州地方建設局や福岡県などが実施した調査によれば、博多駅周辺の109のビルのうち、「排水ポンプ(浸水排水用)を設置していた」ビルが24、「排水ポンプ(浸水排水用以外)を設置していた」ビルが3、「建物の出入り口に止水板・土嚢を設置できるようにしていた」ビルが17、建物の出入り口の高さを高くしていた」ビルが2、「その他」が6となっており、「なにもしていなかった」ビルが57と過半数に上っていた。また、天神地区周辺のビルでは49のうち、「排水ポンプ(浸水排水用)を設置していた」ビルが2、「排水ポンプ(浸水排水用以外)を設置していた」ビルが1だけで、残りの46のビルは何の対策もしていなかったのである(河川情報センター提供資料)。地下水害の問題は、単に個別ビル

表3.平成10年の水害における地下室被害の主なもの(水害統計調査等より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だけの問題にとどまらない。現代の地下空間はビルの地下階と地下鉄・地下街が複雑に連結しており、たとえ地下鉄や地下街が十分な水害対策をとっていても、個別のビルが対策をしていなければ、連結した空間から水が入り込んでしまう。だからこそ、地下水害対策は地下鉄・地下街・連結ビルが有機的に連携した総合的な対策が必要である。現状では、それがこころもとない。福岡の悲劇を繰り返さないために、総合的な地下水害対策を急がなければならない。
 次は、情報システムである。
 繰り返し述べてきたように、今回の福岡水害において不幸にして死者が出てしまった原因の一つは、博多駅周辺の浸水が御笠川の溢水によるものだという情報が、市民に伝達されなかったことであった。聞き取り調査では、午前中に溢水情報を受け取った市民は誰もいなかったのである。
 その理由は、実際に災害対策に当たる当局、つまり福岡市消防局でさえ、この溢水情報をつかんでいなかったことにある。当局が知らなければ市民にも情報が伝わらず、報道機関の対応も遅れるのは当然である。そして、なぜ消防本部に溢水情報が伝わらなかったのかといえば、その原因はいくつかある。
 まず第一に、河川管理者の福岡県からの御笠川溢水という情報が、博多区役所や福岡市河川管理課には伝わったのに、そこから消防局に伝わらなかったことである。福岡県からの情報は通常はFAXして電話確認となっていたが、災害対策の多忙さにまぎれて電話だけで行ったこと、受ける側も対策に追われて情報処理に問題があったことなどの事情はあるが、情報が生死を分けるかもしれないという意識が欠如していたといわれても弁解はできないだろう。問題は、個人ではなくシステムにあるのではないか。
 もちろん、情報伝達は必ずFAXで行う、情報を伝えた側と受けた側の職名・個人名を確認しあう(これは、責任の所在を明らかにするためにも、後で確認や問い合わせを行うためにも必要である)などというのは基本だが、もう一つ、情報伝達ルートの問題がある。1983年5月26日に発生した日本海中部地震では、東北地方日本海沿岸に発表された津波警報が、東北管区気象台秋田地方気象台秋田県県下市町村という伝達経路を通るうちに、下部組織に伝えられなくなってしまった。原因は、秋田県が地震後の火災注意などの情報伝達に終われ、県下市町村に津波警報を伝えなかったからである。同じようなケースは、1991年雲仙普賢岳噴火のときにも発生している。このときは、6月3日の大火砕流が発生する直前に、雲仙測候所の職員が発した「山がおかしい」という情報が、測候所長崎県の出先機関島原市消防団という流れの中でどこかに消えてしまったのである。つまり、ここでいいたいのは、御笠川の溢水のような緊急情報の伝達が今回のように多段階で行われると時間がかかるばかりか、途中で伝達されなくなることも多いということなのである。重要な緊急情報は、できるだけ災害対策の現場にダイレクトに伝わる仕組みを作る必要があろう。もちろん、これはいままでの「福岡土木事務所福岡市役所・河川管理課福岡市消防局」あるいは「那珂土木事務所博多区役所博多消防署」というルートをなくせというのではなく、こうした公式ルートに加えて「福岡土木事務所福岡市消防局」のような緊急情報伝達ルートを作ったらどうか、ということである。災害情報ルートはできるだけ多様なほうが望ましいのである。
 第二に、福岡県の河川課自体も溢水情報をつかむことに手間どった。水があふれて監視人が川に近づけないという危険なときこそ、河川情報が大事になるのに、そういう緊急時に危険なため情報把握が遅れるというのは、どうしたものだろうか。できれば、テレメーターの設置などにより、自動的に水位情報をキャッチできるような仕組みを導入する必要があろう。また、今回の水害でも、付近の小学校長から博多消防署に御笠川があふれそうだという電話連絡があったが、流域に多くの人が住んでいる都市河川では、河川情報に関する住民の通報システム(防災モニター)をつくっておくことも重要である。すでに、1996年2月に豊浜トンネルで大事故を経験した国道229号線には、岩盤崩落の兆しをみつけたドライバーや地域住民にその情報を北海道開発局に通報してもらう仕組みを整えている。もちろん、そういう仕組みはただ単に存在するというだけでなく、有効に機能することが重要である。前述のように、福岡市には「世話人制度」があって、災害時や災害が発生しそうな時は、世話人が行政機関に通報する仕組みであった。しかし、今回の水害ではどうも有効に機能しなかったようである。こういうケースもあるから、通報制度はいったんつくったのち、防災訓練などを通じて、常に確認と充実をはからなければならない。
 ほかにも、県の土木事務所は板付橋付近の溢水情報を福岡市に伝えなかったが、すでに水防警報を出しているといっても、肝心の溢水情報はやはり伝えるべきではなかったかとか、福岡市消防局では溢水による水害という災害イメージがなく、119番通報への対処におわれてしまったが、消防団などを動員して御笠川の水位情報を収集すべきではなかったかとかいう問題もあった。 しかし、ここでは、市から住民への情報伝達も重要だということを、最後に述べておきたい。
 今回の水害では、御笠川が溢水したという情報を受けた福岡市役所・河川管理課や博多区役所は、地形的な事情から水は博多駅近辺に集中する、そこにいる人(とくに地下空間にいる人)にこの情報をどのように知らせたらいいのかと考えなかっただろうか。そして、もし考えたとしたら、どのような情報メデイアを使ってこれを市民に伝えようとしただろうか。おそらく、そのようなメデイア段を思いつかなかったにちがいない。
 一般に、都市水害時の情報伝達を考えると、@「情報を収集する」(降雨情報、河川の水位情報をいかにして収集するか)、A「情報を伝達する」(収集した降雨情報、水位情報をいかにして伝えるか)の二つの側面がある。また、Aはさらに、A@「組織間および組織内部での情報伝達」とAA「一般市民への情報伝達」に分けられる。いままで述べてきたのは、このうち@A@であり、AAについては触れてこなかった。しかし、防災ということを考えるとき、この問題はきわめて重要である。
 いままで地下空間にいる人にどうやって緊急情報を伝えるかという問題はほとんど考えられてこなかった。もっとも、地下空間における災害が注目されるようになったのは最近のことであるから、当然といえば当然ではあるが。しかし、今後地下空間の防災対策を真剣に考えるとしたら、ハード面での防災対策とならんで、情報伝達と避難誘導が大きな柱になるにちがいない。
 では、地下空間にいる人に緊急情報を伝えるとしたらどのような方法があるだろうか。6月29日の博多水害とそれに続く7月21日の東京水害でそれぞれ人的被害が生じたということもあって、その後、建設省は8月30日、「地下空間における緊急的な浸水対策の実施について」という文書を発表した。ここには、「洪水情報等の地下空間管理者への伝達」という項目があり、「地下空間の管理者が洪水時に適切な対応をとることが必要である。このため、河川管理者は、洪水情報を地下鉄の管理者に対して直接伝達する。地下街等その他の地下空間の管理者に対しては、水防管理者(市町村長等)が河川管理者からの洪水情報や市民からの通報等に基づき必要と認められる時、避難のための立ち退きの指示を防災無線の活用や自治会などの協力等の方策により行うことを検討する。マスメディア等を通じた情報伝達についても充実させる。」と書かれている。つまり、地下鉄には河川管理者が河川情報を直接伝えるから、地下鉄から利用者に伝えてほしい。それ以外の地下空間については、河川管理者はまず市町村長に伝える、そして市町村長地下空間管理者利用者という方法をとってほしい、ということである。
 地下鉄にはしっかりした放送設備もあり、利用者の対応に慣れているから、情報伝達の面にかぎっていえばさほど支障はないだろう。問題は、河川管理者市町村長地下空間管理者利用者というルートである。またしても、伝達のチェーンである。いつどこでこの伝達の鎖が切れ、情報がとぎれるかわからない。
 しかし、ここで先の文書の末尾に「マスメディア等を通じた情報伝達についても充実させる」とある。このルート、とくにNHKをはじめとする放送ルートを活用することはきわめて重要だと筆者は考えている。今回の福岡水害では、御笠川の溢水情報をマスメデイアがどのように知ったかといえば、それはいわば事件として知ったのであって、行政機関から通知されたのではなかった。もし、気象台から同報装置で必ず送られてくる大雨洪水警報や暴風警報のように、河川の溢水情報が管理者から直接マスメデイアに伝えられ、これを受けたマスメデイアがラジオ・テレビなどを通じてこの情報を視聴者に伝える、地下空間の管理者もそのことを承知していて、大雨が降ったり、台風が近づいているときは必ず放送のスイッチを入れている、というような形になっていればいちはやく情報が地下空間の利用者に伝えられるのではないだろうか。もちろん、こういう方法が実現するためには関係者のあいだで話し合いを積み重ねばならないだろうし、あるいはもっといいマイナーチェンジがあるかもしれない。けれども、このマスメデイアの活用こそ、地下空間における効率的な緊急情報伝達を可能にするものと筆者には思えるが、どんなものであろうか。