災害とブロードバンド その可能性と問題点

                              東洋大学 中村 功

              『日本災害情報学会 第五回研究発表大会予稿集』2003

1.はじめに 

 災害直後の住民の情報ニーズには、災害因や被害に関するもの、今後の被害に関するもの、安否に関するもの、救助要請に関するものなどがある。前者二者は主にマスコミ、後二者は主に電話などの通信メディアが伝達する。ところが災害直後には安否情報のニーズが急増して、電話・携帯電話・携帯メールなどが輻輳し、その通信障害がいつも問題となってきた。災害時に重要な通信メディアだが、ここに今、大きな変化が起きつつある。それが通信のブロードバンド化である。

 ブロードバンド化とは、通信がADSL、光ファイバー、ケーブルテレビ、など広帯域の回線を使って行われるようになり、それに伴って様々なサービスが展開していくこである。総務省によると、日本のブロードバンド加入者は2003年の5月には1000万を越え、その後も順調に伸びている。これまでブロードバンドでは主にメールやウエッブといったインターネットが利用されてきたが、そればかりでなくADSLをつかったIP電話が2002年に始まり、こちらも急速に利用者を伸ばしている。こうした通信のブロードバンド化は、災害情報の伝達にどのような影響を与えるのだろうか。本研究では、最近の災害事例、通信業者への聞き取りなどをもとに、その方向性を探っていく。

2.第三の波

 災害時の通信の歴史を振り返ってみると、これまで二つの大きな波があった。第一の波は災害通信に電話が投入されたことである。我が国では1950年代に公衆電話が一般化し、緊急通報の面で大きな進歩がみられた。また1960年代には一般の家庭に電話が普及し、これが安否確認の主役となっていく。しかしそれと同時に電話の輻輳現象が現れ、問題化する。たとえばすでに、1960年のチリ地震津波では、災害直後の電話輻輳が記録されている(松田,1960)

第二の波は、通信のモバイル化であった。携帯電話の普及に伴い、人々は固定電話にかわるもう一つの通信手段を手に入れた。携帯電話は輻輳する固定電話とは異なるシステムであることや、いざというときに手元にある携帯電話から救助が呼べる安心感などから、災害時の通信手段として期待された。1995年の阪神淡路大震災はこのモバイル期の初期に起きた災害であった。このころはまだ普及台数も限られていたために、携帯電話の疎通は固定電話より良好だったし(1)、また、がれきの下からの携帯電話通報で救助された人もいた。また1990年代後半には携帯メールが普及し、パケット通信やインターネットという技術的新しさから、緊急時の通信手段としての期待も高まった。しかしこれらの加入者が増大した2001年に発生した芸予地震では、疎通困難の諸問題が露呈してきた。

そして第三の波がブロードバンド化である。これまで第一の波、第二の波は固定電話に携帯電話が付け加わるという形で、重層的に展開してきた。(ただし、携帯電話の普及により公衆電話が減少したり、緊急通報の多くが携帯電話からの通報になるなど、いくつかの側面で代替の動きが見られた。)ブロードバンド化も、インターネットの高速化にとどまっている限りは重層的展開といえるが、IP電話の普及により、固定電話網の代替といった事態も考えられる。その意味で第三の波は、災害通信に、これまでにない大きなインパクトを与える可能性がある。

この第三の波の初頭に発生した災害が、2003年に宮城県であいついで発生した地震(「宮城県沖を震源とする地震」「宮城県北部を震源とする地震」)であった。本研究ではまず、芸予地震時の通信状況からモバイル期の問題を整理し、その上で、宮城で起きた地震時の状況をそれと比較しながら検討していく。

3.芸予地震時の状況

 2001年の芸予地震時もこれまでと同様に激しい電話輻輳が起きている。その影響は固定電話ばかりでなく、携帯電話、携帯メールにもおよんでいる。たとえば東京大学社会情報研究所の調査によると、地震直後に発信しようとして全て通じたのは、固定電話で5.4%、携帯電話の音声利用で4.5%、携帯メールで14.8%であった。逆に全くつながらなかった人は固定電話で55.2%、携帯電話音声利用が66.3%、そして携帯メールでは46.3%であった。なかでも、携帯電話の音声利用は最もつながりにくく、ついで固定電話となり、携帯メールは他の2者よりも若干つながりやすかった、ということになる。

図1 芸予地震時の疎通状況

 携帯電話がつながりにくかったのは、携帯電話が普及したことと、固定電話より手近な携帯電話をまず利用しようとした人が多かったためである。携帯メールもこの携帯電話の    

          図2 パソコン経由のインターネット疎通状況

通信規制に引きずられる形で、通信規制がかかったために利用しにくくなったのである(詳細は廣井、中村他,2002参照)

 一方パソコンを使ったインターネットは固定電話・携帯電話・携帯メールなどよりは、通信状況がよかった。すなわち東京大学調査では地震直後に利用した人が14人しかいなかったが、「すぐにつながり問題なし」という人が35.7%、逆に「全く利用できなかった」という人は21.4%であった。しかし、6割以上の人がつながりにくさや、反応の遅さを感じており、万全とはいえない。  

4.宮城県沖を震源とする地震

2003年5月に起きた「宮城県沖を震源とする地震」は、ブロードバンド化の入り口で発生した災害である。サーベイリサーチセンターでは、この地震直後の5月28日と29日にオンライン・モニターを使ったインターネット調査を行い、直後の住民の通信行動について聞いている。(詳細は「サーベイリサーチセンター」報告書参照)。それによると、直後の各通信メディアのつながり具合は、パソコンのメール、パソコンのウエッブ検索で、「問題なく利用できた」人がともに7割を越え、これらが有効なメディアであったことがわかった。ついで有効だったのが公衆電話であった。一方他の数審メディアは芸予地震時同様につながりにくく、特に携帯電話・PHSで7割以上の利用者が何度も繰り返したが全くつながらない状態であった。また新たに始まったIP電話だが、固定電話同様のつな

  図3 地震直後の疎通状況(カッコ内は行為者数)   宮城県沖地震

がりにくさであった。IP電話そのものはシステム的に輻輳しにくい可能性があるにしても、現状では相手が固定電話か携帯電話なので、それらの輻輳に完全に巻き込まれたものと考えられる。

    図4 回線種類別疎通度(カッコ内は利用者数) 宮城県沖地震

 ここで注目されるのは芸予地震時よりもインターネットの疎通が良くなっている点である。これは接続回線がADSLをはじめとするブロードバンド化してきたためである。以前は固定電話のダイヤルアップはもちろんISDNですら、電話の輻輳の影響を受け、つながりにくくなっていたが、ADSL、光ファイバー、LAN、ケーブルテレビ(図注の「その他」)などは電話の輻輳から解放されている。すわち、ADSLは電話回線と同じメタリックケーブルを使うものの、周波数が異なるので、電話の交換機を経由しないし、その後の中継網も電話とは完全に異なる回線をつかっているのである。

 先の調査から、使用回線別の疎通度を見ると、光ファイバーではすべてが問題なく、ついで「その他」とADSLの疎通がよい。ただ「全く通じなかった」とする人も6−7%存在する。ここで「その他」はケーブルテレビ回線によるものと考えられる。一方LANは電話とは別回線なので、疎通がよいはずである。たしかに全くつながらない人は一人もおらず安定性があるが、なぜか前3者よりつながりにくい問題を経験した人が多くなっている。ウエッブ検索でアクセス集中を経験した人が多かったのかもしれない。一方ISDNやダイヤルアップ接続では全くつながらなかった人が相当数出ている。

 以下に述べるように、依然として克服しなければならない問題があるものの、新たなブロードバンド回線の利用が電話輻輳の影響を回避することは、災害時の安否連絡において大きな可能性を示すものである。

 

5.ブロードバンドの問題

 宮城県沖の地震では疎通のよかったブロードバンドのインターネットだが、そこには問題はないのだろうか。これまで新通信メディアが陥った問題点とブロードバンドに特有の問題について、いくつかのポイントが考えられる。そこで筆者がおこなったあるプロバイダー(A社)に対する聞き取りを参考にしながら、それらをチェックしていく。

 第一の課題は、輻輳である。携帯メールやISDNは電話の輻輳の影響を受けた。しか しすでに述べたように、ブロードバンドは固定電話とは完全に別系統のネットワークを持っているので、固定電話の輻輳の影響はないように思われる。ただしIP電話の場合は、電話をかける相手が固定電話や携帯電話の場合、当然その輻輳に巻き込まれてしまう。またA社の場合、宮城県沖地震の際IP電話網から一般の電話に接続する際の回線が込み合い一時能力をオーバーしてしまったという。(またフュージョンテレコムに代表されるようなブロードバンドを介さずに通話するIP電話の場合、県内は一般の電話網を通るので、その部分の輻輳に巻き込まれる。) 

 他方、ブロードバンド網内の輻輳はどうだろうか。阪神大震災の時もNTTや気象庁のホームページにアクセスが集中してつながりにくくなった。これにはミラーサーバー設置などの対策があるが、同一ウエッブサイトへのアクセス集中による問題は今後もありうるだろう。一方メールだが、そもそもメールセンターは全国一元管理をしている場合が多いので、一部地域で災害が起きても対処能力は高い。またメールサーバーの能力はスパムメールなどに備えるために相当の余裕があるという。一方大量の利用者が発生したときに利用者の認証に時間がかかり、パソコン側のタイムアウトが起きる可能性は考えられる。(これについては、認証はメーラー起動時に一度すれば後は常時接続状態となって必要ないので、パソコンを立ち上げつないだままの人が多ければ問題ない、という考え方もある。)また通信量の問題だが、メールやウエッブ検索などは一人平均すると10kbps程度がせいぜいで、動画伝送を前提にしたネットワークでは問題にならないと考えられる。他方、IP電話内だが、IP電話同士の通話が急増した場合でも、ソフトスイッチなどのIP電話の技術特性から、これまでの電話よりも交換時の輻輳が起きにくいと考えられる。しかしまだ実際そのような経験をしていないので、今後、輻輳の有無を慎重に点検する必要がある。

 次に問題となりやすいのがネットワークの冗長性である。電話では十勝沖地震をきっかけに複数ルート化が進められ、どこかが障害を起こしてもネットワーク全体が機能停止しないようにしてきた。インターネットは「ネット」とい言うくらいなので、回線が網目状につながっていると考えられやすいが、我が国では必ずしもそうではない。ダイアルアップ接続等に使われる従来のインターネットバックボーンは比較的に網目状をとっているが、ブロードバンド用となると、全国各地から東京に集中するスター状の回線構成をとることが多い。これはコストの安さ、ネットワークの管理のしやすさ(ブロードバンドでは通信品質の管理が難しい)、そして画像を送る際に中心があった方がやりやすいこと、などが原因している。したがって現状では東京が大災害を受けるとブロードバンドは全国的に大きな被害を受ける可能性がある。

 第三の問題は電源対策である。固定電話では電気は電話局から送られるので、停電しても通話ができるし、電話局も2重3重のバックアップ対策をとってきた。ブロードバンドで特に問題となるのは家庭における停電問題である。デスクトップパソコンは停電すると使えなくなるし、ノートパソコンもバッテリーではせいぜい数時間しか駆動しない。また一般にモデムには補助電源がなく停電時には使えなくなることが多い。停電はブロードバンド最大の弱点といえるかもしれない。

 第四の問題は、障害の予見および発見・修復の難しさである。これはブロードバンドが多くの事業者にまたがって行われていることによる。これまでも新電電を経由すると災害時優先機能がなくなるとか、ポケベルによる職員参集システムが固定電話の問題でうまくいかないなど、複数事業者をまたがる事による問題があった。しかしブロードバンド事業はソフト・ハードともに数限りない業者が参加しており、どこで問題が発生しているかわからない状態になりやすい。

 たとえばADSLの場合を考えると我々はNTT、ADSL接続業者、プロバイダーなどと契約する。しかしADSL業者(アッカやイーアクセス等)は設備としてはNTT加入回線等を通じてサービスを行い、プロバイダーはインターネットバックボーンを運営する業者(NTT-PC,NTT-COM,KDDI)や、インターネットバックボーン間を接続するインターネット・エクスチェンジ業者(JPIXNSPIX)などを利用しながら通信を行っている。さらに各業者は、専用線業者からの回線借用あるいはリセール(又貸し)により運営している。電話のように設備とサービス業者が一体ではなく、さらは設備も他社請けに他社請けを重ねるという状態である。こうしたことは通信自由化による、いわゆる「アンバンドリング」の産物である。

 このほか、考えなくてはならない問題点としては、IP電話から119番や110番通報ができない点、コンピュータ機器の振動に対する問題、あるいはインターネットを利用しない人の問題などがある。

 先にみたように、災害時の通信においてブロードバンドは一定の可能性を持っている。しかし様々な問題も考えられるので、今後、災害時のブロードバンドの頑健性について、慎重に点検してゆく必要があるだろう。

 

(1)ただし相手の多くが携帯を持たなかったので、実際には携帯から固定電話にかけて輻輳に巻き込まれることが多かった。

参考文献

サーベイリサーチセンター『5月26日「宮城県沖の地震」に関するアンケート調査調査     報告書』2003年6月

廣井脩、田中淳、中村功、中森弘道、宇田川真之、関谷直也「2001年芸予地震における 住民の対応と災害情報の伝達」『東京大学社会情報研究所調査研究紀要』18, 2002, pp195-278

松田孝造「チリ地震津波三陸沿岸を襲う」『電信電話業務研究』124,1960年5月p88