安否情報伝達におけるメディアミックスの重要性

         The importance of media-mix in transmission of the information on people's safety

                                  中村 功 (Nakamura Isao)
1.安否情報の重要性
安否情報とは、災害の被害を受けている可能性が想定される個人または集団について、無事であるか否(怪我あるいは死亡)かに関する情報である。ここで、個人に関する安否情報を個人安否情報といい、学校や会社などの集団に関するものを集団安否情報という。しかし現実には安否に関してさまざまな種類の情報が流通している。たとえば廣井(1991,p92)はこれまで行われてきた安否放送の内容を、@個人の安否を放送する「個人情報」A学校・幼稚園など団体単位で行う「集団情報」B相手からの連絡を求める「連絡依頼」C自分の無事を知らせる「無事情報」D連絡依頼に対する「回答」の5つに分類している。あるいは山本(1996,p64)は安否情報のタイプとして@死者についての情報、A無事であることを伝えるための情報、そしてB「○○さん、□□に連絡してください」といった「伝言情報」の3つをあげている。広い意味では、安否情報にはこれらすべてが含まれる。
 災害時には様々な情報が伝達されなければならないが、被災者や、被災者の親類・知人にとって、自らの親類や友人が無事であるか否かを知ることは大変切実な問題である。
 災害の歴史をふりかえると安否情報の伝達にさまざまな取り組みがなされており、そこから安否情報伝達の重要性を知ることができる。たとえば死者行方不明者あわせて14万人あまりを出した未曾有の大災害である関東大震災においては、多くの人が生き別れとなり、どの避難所にも離ればなれになった家族を捜す人々の群が見られたという。あるいは日比谷公園の塀や上野公園の西郷像は尋ね人の張り紙でいっぱいになり、地震数日後から発行されはじめた新聞には家族からの連絡を尋ねる広告が満載されたという(廣井,1991,p67)。また、東京大学の末広厳太郎教授を先頭とする学生ボランティアグループが「東京罹災者情報局」を設立し、離ればなれになった被災者の安否情報を収集し提供した、という話も有名である(1)。
 一方、放送もラジオを中心に昔から安否情報の伝達にたずさわってきた。安否放送は、1959年の伊勢湾台風の時にその原初的形態が見られるが(2)、本格的に登場したのは1964年の新潟地震においてである。このときNHKでは地震の10時間後から「尋ね人放送」として安否放送を行った。局社の玄関に受付所を設置し市民からの放送依頼を受け付けたが、申し込みが殺到し、最後には原稿が間に合わず被災者自身がマイクの前に他って安否を呼びかけるほどであったという。このようにして結局NHKは3000件以上の放送を行ったという(3)。同様の安否放送は1978年の宮城県沖地震、1982年の長崎水害、1983年の日本海中部地震、1993年北海道南西沖地震、そして今回の阪神淡路大震災などで行われてきた。こうした経験から、人々の安否情報への欲求がいかに強いものであるかを感じることができる。
安否情報の重要性は被災者に対するアンケート調査からもわかる。たとえば筆者らが阪神淡路大震災の被災地である神戸市と西宮市の住民に対して行ったアンケート調査では、地震当日知りたかった情報として「家族や知人の安否」をあげた人は神戸市で47.8%、西宮市で46.8%に達した。これは「余震の今後の見通し」(神戸市63.1%、西宮市65.1%)についで多く、安否情報のニーズが大変強いことがわかる。この調査は被災地内の人に対するものであるが、被災地外に住み被災地に親類・知人のいる人の場合、安否確認の優先順位はさらに上がることであろう。 表1 地震当日の情報ニーズ 東京大学社会情報研究所調査
│       │ 神戸市  西宮市 │
│余震の今後の見通し      │ 63.1 65.1 │
│家族や知人の安否     │ 47.8 46.8 │
│地震の規模や発生場所  │ 37.1 28.1 │
│地震の被害 │ 34.0 31.9 │
│電気・ガス・水道などの復旧見通し │ 31.6 40.0 │
│自宅の安全性   │ 25.3 32.9 │
│火災の状況について   │ 23.6 8.0 │
│交通機関や道路の開通状況 │ 21.7 33.1 │
│どこに避難すればよいかといった情報│ 20.2 15.1 │
│食料や生活物資の状況 │ 19.9 25.5 │
│水・食料の配給場所 │ 16.2 26.5 │
│入浴に関する情報 │ 13.3 18.1 │
│開店している店の情報 │ 12.7 14.9 │
│危険な場所の情報 │ 12.7 13.5 │
│けが人の救急や病院の受け入れ │ 9.7 5.2 │
│公衆電話の設置場所 │ 9.6 6.6 │
│渋滞情報 │ 6.6 7.6 │
│職場・学校の情報 │ 5.7 12.0 │
│ガソリンスタンドの状況 │ 4.9 7.2 │
│銀行・金融機関の情報 │ 4.6 6.8 │
│公衆トイレの場所 │ 4.4 6.4 │
│流言に関する情報 │ 2.9 2.2 │
│医薬品に関する情報 │ 2.7 3.2 │
│保険の情報 │ 2.0 4.2 │
│宿泊施設に関する情報 │ 0.9 2.8 │
│その他 │ 2.4 2.6 │
2.電話と安否情報
 一方、災害時には救助の要請や、防災機関間の連絡などに重要な役割を担っている電話にとっても、安否情報は重要な意味を持っている。その理由として、第一に災害直後には多くの通話需要が発生するが、そのほとんどが安否の確認を目的としている事があげられる。郵政省通信総合研究所は、阪神淡路大震災時に電話がどのように利用されたかについて、被災者および被災地と関係の深い県外者に対する調査を行っている(4)が、本調査からまずこの点を確かめてみよう。
まず当日の電話利用状況だが、地震当日、被災地内では何の通信メディアも利用しなかった人が18.4%で、逆に80%を超える人が何らかの電話行動をかけた(つながったかどうかは別にして)ことになる。電話をかけた人は日が経つにつれ少しづつ減少し4日目には7割程度になる。一方、被災地にゆかりの深い県外者は98%以上と、ほとんどの人が電話をかけている。被災地内外とも普段に比べると電話利用が大変活発になっている。被災地外の人のうち87.2%はつながらないので何回もかける行動をしており、被災地外の人々からの通話圧力は特に強くなっている。これは被災地内では、被災で電話どころでは無い、という人もいるのに対して被災地外では自らの身は安全で心配だけが募るためであろう。
 表2 通信メディアを利用した人(%)被災地内 通信総研調査
  │   │ 17日 18日 20日 │
 │ 住宅電話 │ 49.5 46.4 44.2 │
│ 携帯電話 │ 7.6 5.6 4.5 │
│ 公衆・特設 │ 51.5 43.0 32.2 │
│ FAX │ 0.4 0.4 0.8 │
│ パソ通 │ 0 0.1 0.1 │
│ 利用せず │ 18.4 25.1 31.5 │
│ NA │ 0.1 0.3 1.2 │
     表3 当日の電話行動  被災地外(17日) 通信総研調査
│ つながらないので何度もかけ直した(5)            │ 87.2
│ │ 1度電話してつながらないので2時間以上待ってまた電話した │ 3.1 │
│ 1度電話してつながらないので完全にあきらめた │ 0.5 │
│ 1度電話してあきらめ、違う人に電話をした │ 2.7 │
│ 電話はすぐに通じた │ 4.8 │
│ 電話はかけなかった │ 0.8 │
│ 無回答 │ 0.9 │
 次に、期間中の呼(発信)のすべてを付図1の形式で記録したものを分析して、どのような目的で電話を利用しようとしたのかをみてみよう。まず被災地からの呼の目的だが、地震当日の17日午前では1,138の呼のうち93.2%と、ほとんどに安否の確認や伝達という目的が含まれていた。次いで多いのは生活状況(17.5%)や被害の把握(12.4%)という目的であるが、安否確認・伝達に比べるとずいぶん少ない。安否の確認・伝達の目的を含む呼はその日の午後には85.6%、18日には79.4%、19日には71.3%、20には64.0%と徐々に減ってはくるが、一貫して被災地からの通話目的の第一位である。一方時が経つにつれて増えてくるのは生活状況の把握である。17日午後には24.0%、18日は33.2%、19日は36.9%、20日には41.3%の呼がこの目的を含んでいる。やはり安否が確認できたら、今度は生活のようすかが気がかりになるのであろう。県外からの通話の目的もほぼ被災地と同様の傾向にあり、安否確認を目的とする呼が最も多い。だだ異なるのは県外からの呼のほうが、安否確認の減少のしかたが早く、生活状況把握の目的が早くから増大していることである。すなわち安否確認伝達目的の呼は18日には68.5%、20日には55.2%といずれも同時期の被災地の呼の目的より10%以上少なくなっている。これは第一に被災地では混乱によりなかなか安否の確認伝達ができなかったこと(これは地震当日に電話をかけなかった人が県外の対象者より少ないことに現れている)、第二に被災地内の人の方が安否を確認したり伝達すべき相手を多く持っていること(被災地内に重要な知り合いが多い)に原因があると考えられる。
 いずれにしても、被災地内外からに関わらず、通話目的で最も多いのはなんと言っても安否確認伝達であった。特に災害直後はほとんどの通話の目的が安否確認伝達であるといってもよい。
表4 呼(発信)の目的* (複数回答)および不完了呼の割合 通信総研調査
17日AM    17日PM    18日   19日    20日
被災地 県外 被災地 県外 被災地 県外 被災地 被災地 県外
安否確認伝達 93.2% 94.8 85.6 89.2 79.4 68.5 71.3 64.0  55.2
被害把握 12.4 31.8 12.7 31.8 10.3 26.3 10.0 10.1 21.8
生活状況把握 17.5 31.5 24.0 41.0 33.2 53.7 36.9 41.3 65.9
生活情報収集 5.5 8.3 6.8 7.9 11.6 12.8 15.0 18.3 17.6
救援医療手配 1.9 2.8 0.7 2.5 0.7 2.0 1.3 1.7 4.1
不完了呼の割合 85.9% 93.1 83.1 88.3 80.2 86.6 71.7 63.8 74.1
計 100%(実数) (1138) (2165) (724) (1762) (1139) (2525) (640) (656) (8037)
*時間および相手不明の呼を除く
 安否情報が電話にとって重要であることの第二の理由は、こうした安否確認のための大量の電話が激しい輻輳を引き起こし、電話を麻痺させてしまう点である。災害時には必ずこの輻輳が発生する。たとえば1983年の日本海中部地震の際には三多摩から秋田への呼が通常時の96倍、東京から秋田への呼が59倍に達した。あるいは91年の雲仙普賢岳噴火当日には全国から島原への通話が最高60倍に達し、93年の釧路沖地震では全国から釧路への通話が最高30倍にまで増加し、いずれも激しい輻輳を引き起こしている。今回の阪神淡路大震災の際にも神戸エリアに対して最高50倍の呼が全国から殺到し、17日から22日まで6日間にわたって激しい輻輳が発生した(図1)。(ただしここでの倍率は平日基準時(通常夜9時台)の通話量に対する短時間ピーク値である。)
 今回の輻輳の模様は通信総研の調査にも現れている。調査では実際に接続できたかどうかに関わらず、発信しようとした呼について尋ねており、それぞれについてつながったかどうかが記録されている。一般に輻輳や話し中でつながらない呼を不完了呼というが、この調査では被災地では17日午前は85.9%、午後で83.1%、18日は80.2%と8割以上の 
    図1 全国から神戸エリアへの通話発生状況
呼が不完了呼となっている(表4下段)。不完了呼は19日に71.7%、20日になっても63.8%とつながりにくい状態は続いた。また県外からの呼は、17日午前で93.1%、午後で88.3%、18日が86.6%、20日が74.1%が不完了呼となっており、被災地内からの電話よりさらにつながりにくくなっている。
 何とか安否を確認したいという人々はこのようにつながらない電話を前にして何度も電話をかけ直した。通信総研の県外者調査によると、地震当日にはじめの電話が通じず、10分以内に何度もかけ直した人は全体の62.3%であった。その人に何回かけ直したかをたずねたところ8回以上かけ直した人が35.4%と最も多く、ついで4−5回が30.5%、2−3回が20.5%、6−7回が10.5%となっており、つながらなかった人の再呼が激しかった様子がわかる。これは一方では安否確認の欲求がいかに強いかを示しているが、もう一方では輻輳に拍車をかけ、さらに電話がつながりにくくなるという悪循環を招くことになった。
 安否確認への強い欲求は電話を麻痺させるだけでなく、被災地への人間の過度の集中を促進する面もある。身内や知り合いの安否を確認したくても電話がつながらずにそれができない場合、とにかく現地に行って安否を確かめようとするであろう。これが道路の渋滞や公共交通機関の混雑に拍車をかけるのである。通信総研調査では最も安否を知りたかった相手との安否確認の手段と時期を尋ねている(表5)。ここでは直接会いに行ったという人は18日の60人を最高にそれほど多くなかった。ただこの数字は20日までの平日の数字なので、1月の21、22日といった土日には多くの人が安否確認のために被災地に直接会いに行ったと考えられる。というは、同一の人に対する別の質問によると、災害後「知り合いの安否確認のために直接会いに行った」とする人が全体の40.9%にも達していたからである(表6)。電話がつながらず、安否の確認がままならないために、被災地に直接会いに行った人がいかに多かったかがよくわかる。
ちなみに通信総研調査によると、安否確認の時期としては当日の午後が591人と最も多く、それと並んで当日午前中が533人と多かった。しかし翌日以降も371人、165人、123人と次第に減っては来るがかなりの人が安否を確認している。手段としては電話が最も多いが、こちらから電話したのとかかってきた数がほぼ等しいという特徴がある。これまで安否確認の電話といえば被災地外から被災地に集中する電話が目立っていたが、ほぼそれと同様の被災地からの発信が見られるのは少し意外であった。ただこの双方向性は、今回の利調査が被災地と関係の濃い人がもっとも親しい人とのあいだの安否確認について聞いたことに一因があるのかもしれない。次いで多いのは親戚知人から間接的に聞いたというものである。これは直接話すのとと若干遅れて当日の午後がピークになり、18日は直接電話と方を並べるほどの割合に達している。伝聞は直接聞いた人からのまた聞きなので、ピークが直接より若干の遅れるのである。アメリカなどでは中継方式の安否伝達が奨励されているが、日本でもこの方式が盛んになれば安否確認はよりスムーズに行われると考えられる。
表5 最も安否を知りたかった相手との安否確認の手段と時期 (通信総研被災地外調査)
N=1382 MA.
安否確認の方法   17日AM 17日PM  18日  19日  20日
 こちらから電話で本人に直接 223 194 102 39 27
 本人からから直接電話で 202 195 104 46 25
直接会いに行った 9 27 60 42 35
 親戚・知人から間接的に 93 171 100 37 31
 マスメディアを通して 6 4 5 1 5
 全体 533 591 371 165 123
  表6 県外者の直接行動 通信総研被災地外調査 N=1382
知り合いの安否確認のため直接会いに行った 40.9
 知り合いの手伝いや生活用品差し入れのため、直接会いに行った 45.6
 当面の落ち着き先として知り合いを受け入れた 18.1
 以上検討してきたように、第一に安否情報に対しては強い情報ニーズがあること、第二に重要な通信手段である電話を麻痺させること、第三に安否伝達の不全は被災地への人間の過集中を促す危険があること、等の点から安否情報をなんとか円滑に伝達する必要がある。安否の伝達はこれまでは電話に集中してきたが、これは決してスムーズに行われていない。そこで、他の様々なメディアを使ってうまく伝達を行う必要がある。そこで以下では、電話以外のメディアについて、第一に阪神淡路大震災の時安否伝達にどのように利用されたのか、そして第二に今後どのように展開していくのか、を検討しながら、円滑な安否情報伝達の可能性を探っていく。
3.ボイスメール
(1)民間ボランティアの試み
 阪神淡路大震災をきっかけにして通常の電話に代わる有力な安否情報伝達システムが登場した。それはボイスメールを使った安否伝達システムである。これは簡単に言うと、被災地外に音声を蓄積するコンピュータを設置し、電話番号を手がかりに、留守番電話のようなしくみで情報を伝達するシステムである。阪神淡路大震災の時に小規模ながらこの種のシステムが実際に運用されている。東京都町田市にある「イメージパートナー」というソフト製作会社がボランティアでこのシステムを作り、岩崎通信機などが回線を提供して、1月24日午後6時からサービスを始めたのである。このシステムでは安否や避難先を知らせたい被災者が比較的電話のかかりやすい東京のシステムに電話をかける。音声のガイダンスに従って、住んでいた自宅と現在の避難先の電話番号を登録し、5秒間のメッセージを吹き込んでおく。一方避難先や安否を知りたい親戚や知人も東京の同じ番号に電話をかけ自分の電話番号と探している人の元の電話番号を入力する。もし相手が登録されていれば相手の現在の電話番号とメッセージが流れてくる。このシステムには2ギガバイトのメモリーをもつ普通のパソコンが用いられ、これに約2万人分の電話番号とメッセージが登録できるという。この操作方法をシールにして各避難所に配ってまわったが、この番号の周知に苦労したという。サービス開始当初から16回線用意した電話回線はずっと混雑の状況で、こうしたシステムの需要がいかに多かったかがわかる。検索数は一日4000−5000件以上に達し、私が聞き取りに行った3月3日現在では1650件の登録があり(ただし記録は開始4日後からのもの)、そのうち登録と検索が合致したものが693件であった。小規模な実践であったが、この種のシステムの有効性が示されたといえる。
(2)NTTの「災害対策用全国利用型伝言ダイヤル」
 阪神淡路大震災という大災害を教訓にして、NTTもようやく本格的な輻輳対策に乗り出した。それが「災害対策用全国利用者型伝言ダイヤル」と呼ばれるボイスメール・サービスである。このシステムの最大の特徴は音声蓄積装置を全国50ヶ所(ほぼ各県に1つ)に分散することにより、被災地の輻輳を低減しようとした点にある。すなわち、これまでの災害時には、被災地に全国から安否確認の通話が集中するために激しい輻輳が起こり、電話システムが機能ダウンしてしまっていた。そこで音声蓄積装置を被災地外の全国に配置し、そこへ通話を分散させることによって、通信を確保しようというわけである。具体的には、被災地の加入電話番号の下3桁によって全国各地に音声の蓄積を分散させる。たとえば被災地が横浜の場合、被災地にある加入者の電話番号の下3桁が000から099の人に関する伝言は名古屋のセンターで蓄積し、100から199までは新潟のセンター、200から399までは大阪のセンター...などというように、全国に分散させて蓄積するのである。こうすれば被災地外からの通話は被災地とは関係なく行われるので被災地
図2 NTTの災害対策用全国利用型伝言ダイヤル
の輻輳には巻き込まれない。また現在の災害時でも被災地から被災地外への通話は比較的かかりやすいので、被災地からの伝言もある程度スムーズに送受できると考えられる。
第二の特徴はこのシステムが災害時専用に構築されることである。ガイダンスや音声の蓄積・再生といったハード面は従来のボイスメールと同じだが、設備を通常のボイスメールサービスとは別に設けることによって災害時でも従来のボイスメールに支障を与えることはない。このような災害時専用の全国分散的なボイスメール・システムは、おそらく世界でも初めての試みであろう。 
 当面、このシステム全体で蓄積できる伝言の量は、1メッセージあたり30秒として、800万メッセージである。この数が十分かどうかは、ひとえに災害の規模による。例えば先の阪神・淡路大震災の場合では、被災地の加入電話数は約150万であったから、全員が利用したとしても1加入あたり5回メッセージ程度は保存しておくことが可能である。
しかし巨大地震が首都圏であったらどうだろうか。東京都、神奈川県、埼玉県の世帯数は合計で約850万であるから、800万メッセージの蓄積が可能でも、1加入あたり1メッセージ程度しか保存できないことになる。こう考えるとこの数は必ずしも十分なものとは言えない。メッセージはコンピュータに電子的に蓄積されるので、メモリを増設すれば蓄積メッセージ数を増やすことは比較的容易である。今後必要に応じて蓄積能力をさら高めていく必要もあるかもしれない。
 このシステムの操作性であるが、現在考えられている具体的な利用方法は次の通りである。まず被災地の加入者が安否や避難先の情報を電話局に設置された音声蓄積装置に録音する。被災者はまず自宅や公衆電話から1△△(番号は未定)と1で始まる特殊番号にダイヤルし、災害用伝言ダイヤルセンターに接続する。すると「録音する場合は1、再生する場合は2」をダイヤルするように音声のガイダンスが流れる。ここで「1」をダイヤルすると次に「被災地の方は自宅の電話番号、または連絡を取りたい被災地の方の電話番号を、市外局番からダイヤルしてください。被災地外の方は連絡を取りたい被災地の方の電話番号を、市外局番からダイヤルしてください」とガイダンスが流れる。そこで被災者は自宅の電話番号をダイヤルすると、入力された電話番号が復唱され、プッシュ回線の場合はガイダンスにしたがって「1#」を押す。すると発信音の後に30秒(あるいは60秒)以内で話すようにとのアナウンスがある。ここで安否などのメッセージを録音し、電話を切れば録音が完了する。こうして録音されたメッセージは最大で3日間保存される。ただ1番号あたり一定数以上録音された場合には古い方から消去される。一方、被災者の安否を知りたい人は、録音時と同様に1△△をダイヤルしセンターに接続する。音声ガイダンスにしたがって今度は「2」をダイヤルしたあと、(プッシュ回線の場合は「1#」を押し)安否を知りたい相手の電話番号を市外局番からダイヤルする。すると録音されている伝言が再生され、その録音日時が伝えられる。
 このサービスを利用すれば、被災者からの伝言だけでなく、被災地外の人から被災者への伝言も伝えられ、被災者の電話番号を介して相互に伝言のやりとりをすることができる。
 このシステムはコンピュータ制御なので複雑な運用が可能であるが、NTTでは例えば次のような運営が考えられると言う。災害が起こると、災害対策本部ではまず震度分布などから被災地域および被災加入番号を確定する。それに従って、最大保存メッセージ数や最大録音時間を設定し、被災地外にある音声蓄積装置を利用する装置として指定する。いうまでもなく被災地域が狭く、被災加入者数が少なければ最大メッセージ数は多くなるし、最大録音時間も増やすことができる。以上の作業をすませてからサービスの開始となるが、災害から1時間後くらいをめどにサービス開始を開始したいとしている。
 以下の運用は災害規模によって異なっているが、市以上が被災した大規模災害時の運用例として次のような案がある。まず、災害発生から1−2時間は被災地からの録音専用に運用する。この間は被災地内のみでサービスの広報を行い、センターへの接続ができるのも上で局番指定した被災地内からの通話からだけに限定する。そしてある程度被災地内からの録音がたまったら今度は被災地外での広報を始め、被災後2時間以降から被災地外からの接続が解禁される。ここではじめて安否を知りたかった被災地外の人々は録音された被災者の肉声を聞くことができる。被災地外からの録音ができるようになるのはさらにその後で、災害6時間後からとなる(6)。このような3段階の運用が考えられた理由は2つある。第一に、まだ安否が入力されていない段階でセンターに被災地域外から再生希望者が殺到しても、被災者の安否を伝達することはできない。第二に保持できるメッセージが限られている中で、被災地外からの録音を受けつけると安否を尋ねるメッセージばかりが入ってしまい、肝心の安否を伝えるメッセージが伝えられない可能性がある。 
確かにこのような運用は安否の伝達という目的にとっては有効である。うまく機能すれば大規模災害時の輻輳期間の短縮も期待できるだろう。しかし被災直後の輻輳対策としては、必ずしも十分とは言えない。というのは、不安を感じた被災地外の人々にとっては災害後2時間の間は、依然として被災地に電話をかけ続ける以外に安否確認の方法がないからである。
(3)評価
 このシステムの利点は第一に電話という誰でも使える機械を使い、音声のガイダンスに従いながら音声で吹き込むので、誰でも簡単に使えること。第二に、従って誰かが名簿を作ったり入力したり、という手間がかからないこと。第三に、電話は被災地内のどこにでもあり、停電にも強いこと。第四に、被災地外にかけるこのシステムでは輻輳の影響を受けず比較的つながりやすいこと。第五に、パソコン通信などと異なり、長時間回線をふさぐことがないので、輻輳を激しくする危険が少ないこと、などがあげられる。しかし一方で、録音・再生を電話で行うため、被災地内の激しい輻輳が起きた場合はその影響を受けること、登録が被災者の自発性に任せられているために安否データの網羅性が少ないこと、3段階の活用では災害直後に殺到する通話ニーズには答えにくいこと、などの欠点も考えられる。
 このようなシステム上の評価とは別に、一般利用者がこのシステムをどれだけ受け入れるか、という問題もある。先に紹介した通信総研調査では、災害を体験した人々にボイスメールシステムに対する態度たずねた。それによると「つながりやすければ使ってみたい」と積極的な人が被災地内の住民の39.7%、被災地外で49.0%であった。まだこのシステムが本格運用されていないというハンディーもあるが、現在の段階では積極的に利用したいという人は多くはない。このシステムに消極的な理由だが、第一に「相手に伝わったかど
うかがわからないので、不安だ」とする人が被災地で26.8%、被災地外で42.0%いた。この不安は後で述べるパソコン通信よりも多くなっており、情報が伝わったかどうかの確認

 表7 ボイスメールシステムについての感想 MA. 通信総研調査
          被災地  被災地外
 つながりやすければ使ってみたい         39.7 49.0
 一方通行の伝言では満足できない      15.4 20.8
相手に伝わったかどうかわからないので、不安だ   26.8   42.0
留守番電話は苦手なので使いたくない 6.7  11.4
イメージが浮かばないので、答えられない 29.4   14.5
システムがボイスメールでも必要とされるのかもしれない。第二に「一方通行の伝言では満足できない」と、無事を会話によって確かめないことには気がおさまらない人も被災地で15.4%、被災地外で20.8%いた。
 それでは人々はどのような安否確認のコミュニケーションが必要であると考えているのであろうか。安否確認に最低限必要なコミュニケーションについて聞いてみた。本人に直接会って確かめないことには安心できないと言う人は被災地で9.9%、被災地外で3.5%と必ずしも多くない。しかし「伝言メッセージなど録音した声によって無事を確かめることで十分安心できる」とした人は被災地で2.8%、被災地外で3.8%とごくわずかで、ボイスメールだけでは安否確認の欲求を満たせない可能性がうかがえる。逆にもっとも多いのは被災地内外で80%に達した「電話など、本人と直接話をして無事を他とかめることで、十分安心できる」という人であった。電話は心理的に安心感を与えるという意味では安否確認の最も有効な手段であることがわかる。したがって「混乱を避けるために災害地には通話はしない」というモラルが一般化していない現状では、新システムが運用されてもやはり電話をする人は後を絶たないであろう。人々の間には、安否確認のためにはまず電話があり、それがうまくいかなかったときに他のメディアを試す、という電話の補完的位置づけをしがちな心理的傾向があるのである。こうした傾向がある以上、円滑な安否伝達と通

表8 安否確認に最低必要なコミュニケーション 通信総研調査
被災地 被災地外
報道などの名前のリストによって無事を確かめることで、
  十分安心できる。 2.5 3.4
FAXやパソコン通信など、本人からの文字による
  メッセージによって無事を確かめることで十分安心できる。 3.2 6.9
 伝言メッセージなど録音した声によって無事を確かめることで、
                   十分安心できる。 2.8 3.8
                   十分安心できる。 80.3 80.8  テレビ電話などで表情や姿によって無事を確かめないことには、
                    安心できない 0.8 1.0
 直接会って無事を確かめないことには、安心できない 9.9 3.5
NA  0.1 0.7
話の減少を図るには、新たなボイスメールシステムを完成させるだけでは十分ではない。被災地への通話の抑制や、新システムの利用促進などの広報活動もあわせて積極的に行う必要があるだろう。

このようにみると、たしかにボイスメールシステムは有望なメディアである。電話の輻輳で達成されなかった安否確認のある程度の部分がこれによって代替されるであろう。しかしこれが完成すれば安否情報伝達の問題がすべて解決する、というわけではなさそうである。
4.放送
(1)阪神淡路大震災時の安否放送
 はじめに述べたように、安否放送は新潟地震の時から数えてもすでに30年以上の歴史がある。今回の震災でもNHK、ラジオ関西、サンテレビなどで安否に関する放送が流された。ここではNHKを中心にその実態を見るが、そのまえにラジオ関西とサンテレビについて簡単に触れておく。
 ラジオ関西は局舎に大きな被害を受けたが、民放ラジオ局の中では最も積極的に安否放送を行っている。普段はリクエスト等に使う着信専用電話7台を利用して午前8時の段階から安否情報を受けつけはじめた。放送の内容は「私は無事です○○さんはご無事でしょうか。×××−××××に電話して下さい」というもので20日の午前3時まで断続的に続けた。17日の1時間の放送時間の内訳は正時からまず10分ニュースを行い、20-30分ラジオカーからの中継があったが、その他の20-30分間はこの安否情報にさかれた。18日からは安否情報の分が次第に生活情報になっていった。この安否放送の反響は大変なもので、受付の電話は常に鳴りっぱなしであったという。編成制作局長の山田健人氏によると、安否情報は初めは被害の少ないところからかかってきた。そして安否を問う先は主に長田区などの被害の大きい地域であった。だから電話を受けているうちにどこが被害のひどいところでどこが軽いところかが分かった、という。ラジオ関西では京都のKBS・和歌山放送・香川の西日本放送とILS回線で結び、それらの地域から安否を問う放送を生で流したこともあった。
 一方サンテレビでは個人の安否情報はいっさい行わなかった。しかし学校は生徒の消息を知りたがっていたので、学校に消息を知らせるようにという呼びかけ放送は行った。専門学校や幼稚園まで放送希望が殺到したので全て流したという。1日7時間を1週間、4時間を1週間、2時間を2月いっぱい、1時間を3月いっぱい、とこれにはかなりの時間をさいたという(7)。
 しかし今回の震災で最も安否放送に熱心に取り組んだのはNHKであった。NHKでは、FMラジオと教育テレビにおいて、大量の個人安否情報を放送した。今回のNHKの放送には次のような特徴がみられる。
 第一に今回これまでに例を見ないほど長時間にわたって大量の個人安否放送がなされたことがあげられる。FMラジオで放送を開始したのは地震当日の17日午前10時30分である。これは全国向けの放送で、23日午前1時まで7日間一部ニュースを除いてほぼ全時間を使って行われた。その後近畿ブロックのみで30日午後7時まで随時安否情報が流された。放送のべ時間は全国向けが126時間55分、近畿ブロックが35時間35分、合計162時間30分であった。一方教育テレビでは17日午後1時から24日午前1時まで、全時間を使って放送された。これは基本的には近畿ブロックのみの放送だが、18日と19日の午前0時から午前6時までは全国放送であった。その後は近畿ブロックのみで30日午後9時まで随時放送された。放送のべ時間は全国向け12時間、近畿ブロックが146時間45分で、合計158時間15分であった。ラジオとテレビを合計すると14日間にのべ320時間におよぶ安否情報が流された。これだけの時間にわたって安否情報を流し続けたのはNHKとしても初めてのことであった。
 第二の特徴は、これだけ長時間にわたって放送し続けたにも関わらず、受け付けたメッセージをすべて放送しきれなかったことである。メッセージは東京と大阪、各20台の臨時電話を使い受けつけた。専用の用紙に手書きで発信者と呼びかけ相手の氏名、メッセージなどを書き入れ、FAXで大阪に集め、そこから放送した。受けつけられた総数は54,612件であったが、放送できたのはこのうち31,896件であった。ラジオテレビあわせて300時間以上にわたって放送し続けたにもかかわらず、2万件以上の積み残しが出てしまったのである。新聞などと違って放送では大量の情報を一覧的に提示することができない。たとえば今回流された典型的な情報は「○○市××町の△△△さんの安否を●●市★★町の▲▲▲さんが気づかっています。連絡してあげてください。...」というメッセージだが、これを伝えるのに約20秒かかるといわれている(小田,1996)。テレビの場合はこの間一件分の手書きの用紙が大写しにされている。この調子では1分間に3件、1時間180件だから、1波をまる1日使っても4千件程度を伝えるのが精一杯である。実際の放送では様々な必要事項を伝えなくてはならないから現実の放送可能件数はさらに少なくなる。それに対して新聞では一度に多くの情報を提示できる。例えばある新聞では死亡者リストを掲載していたが、見開き2頁のスペースに約3500名の氏名、年齢、住所(市、町)の情報が掲載されているのである(朝日新聞1月20日朝刊)。廣井(1991,p68)は東京のような大都市が被災した場合、メディア特性から放送では大量の人の安否を伝えきれないのではないかと指摘していたが、今回その危惧が現実となったわけである。
 第三に、放送された内容のほとんどが、被災地外の人が被災者の安否を尋ねる問い合わせだったことである。逆に被災者自らが自分の安否を伝えるものは放送された31,896件のうちわずか1,027件に過ぎなかった。これだけ大量の時間と労力を費やした放送が、本当に被災者の安否伝達に役だったのか、という問題がここにある。しかし見方をかえると、この1:30の差は安否放送への人々のニーズの差ともいえる。すなわち、自分の安否を伝えたい人より、他人の安否を知りたい人のほうのニーズが圧倒的に強い、ということだ。電話がつながらずに自分の安否を伝えられない人が感じるのは「もどかしさ」であるが、親戚や知人の安全を確認できない人が感じるのは「不安」である。この不安が安否放送へのニーズにつながるのである。重要なのはこのような現象は他の安否情報システムでも起こりうるということだ。例えばNTTの災害時伝言ダイヤルでも安否を伝えるニーズより、問い合わせのニーズが大変高いだろうと予想されるのである。
 第四に、安否放送のニーズが高かったのは災害直後から4日後の21日くらいまでであった。NHKでははじめは被害報道が落ち着いた後で安否情報をやろうとしていたが、災害直後から全国からの電話が殺到し、被害報道と同時並行的にやらざるを得なくなったという。累計の受けつけ数でみると、18日に12,500件、19日22,700件、20日30,000件、21日44,000件、22日48,000件、23日50,750件、24日52,570件と推移している。このように21日までの期間は1日1万件前後の大量の依頼があったが、この期間はちょうど電話の輻輳していた時期に相当している。ここから安否放送が必要とされるのは、発災直後から4、5日までの電話輻輳の期間ということになる。
(2)今後の計画
@NHK
 NHKでは被害報道や生活情報などの放送を基本としながらも、これまでの実績と、強い視聴者のニーズから、大災害時においては、今後もよりよい個人安否情報を放送していく方針である。その柱となるのが安否情報のコンピュータ化である。現在NHKでは関連会社の営業用のテレマーケティングセンターにあるパソコンを使ったシステムを構築中である。テレマーケティングセンターは東京と大阪にあり、ここで視聴者からかかってきた電話を受け、そのままパソコンに入力する。これを放送局に専用回線で送り、放送原稿や画面に出したりするのである。このように情報を電子化することによって様々なメリットが生まれる。第一にこれまで何の脈絡もなく流されていた安否情報を、地域別や安否問い合わせ−発信別に整理して放送することが可能になる。こうすれば例えば「東灘区の情報は15分から西宮市の情報は30分から放送します。」などとできるわけで、視聴者も1日中聞いていなくてもよくなる。第二には画面が見やすくなる。手書きの文字が活字に変わるだけでなく、これまで1画面で一件だけだったのが1度に3件を表示できるようになる。第三にこの情報は他のメディアでも伝達することができる。現在考えられているのは文字放送での伝達である。文字放送には複数のチャンネルがあるので地域ごとにチャンネルを振り分けることもできるし、繰り返し見ることもできる。第四にこのシステムは視聴者からの安否情報だけでなく、避難所の避難者名簿など他の情報の処理にも活用できないか検討中である(8)。プライバシーの問題もあるが、避難者の状況が放送されれはこれも重要な安否情報になるであろう。
Aニッポン放送
 NTTやNHKが基本的に個人の安否情報をあつかおうとしているのに対し、在京ラジオ局のニッポン放送では学校や職場といった集団の安否情報の伝達に取り組んでいる。先に挙げたサンテレビでは、学校側が児童生徒の安否確認をたずねる形であったが、これは地震が早朝に起きたからである。もし地震が平日の昼間であったら今度は家庭の親の側が学校にいる子供の安否を気づかうことになる。そうなると今度は連絡先が多くて、とても各家庭に電話で連絡するわけにいかない。ここで集団の安否情報を放送するニーズが発生する。同様のことは出勤中の勤め人の安否に対しても発生する。平日昼間に東京都心で大地震が発生した場合、交通機関で通勤通学している人は帰宅が困難になり、いわゆる「帰宅難民」になる。ある試算によると自宅までの距離が20キロ以上の通勤通学者は285万人にもなるという(9)。そうなると集団安否情報に対してきわめて大きなニーズが発生すると考えられる。
 ニッポン放送の「お勤め先安否情報」では、ビル単位の安否情報を収集・伝達する。これは1980年に発足し、千代田区、中央区、新宿区(具体的には大手町・丸の内・有楽町・内幸町・新橋・虎ノ門・霞ヶ関・日本橋・八重洲・京橋・銀座・築地・新宿)の在館1000人以上のビルを対象に、災害時の状況を収集し放送する計画である。現在271のビルが登録し、55万人以上の通勤者の安否が収集できるという。ビルの管理者がビルの状況を指定の用紙に書き入れ、徒歩で局(新宿の場合は専用線と無線で結ばれた委託先)に持参する仕組みである。一方ビルで働く人々にはパンフレットとシールを配布して、大地震時には安否がニッポン放送で流れる旨の広報をしている。また、常にこの制度を活性化して災害時に備えるために毎年訓練をしているが、参加ビルは登録の2/3程度であるという。
 一方同局の「学校安否情報」は、東京都と神奈川県の私立中学高等学校協会と共同で、大地震時に学校ごとに児童生徒の安否情報を収集し放送するシステムで、1981年にスタートした。加盟校は都内と神奈川のすべての私立国立小中高校合計605校で(都内私立小中高校460校、国立付属小中高校23校、都内国立付属用語学校6校、神奈川県内私立小中高校133校)、約46万人の児童生徒の安否情報がカバーできるという。学校の防災責任者が安否情報をブロック幹事校(5−10校に1校)に伝え、幹事校が情報をとりまとめてニッポン放送に連絡するという仕組みである。この間の伝達はすべて災害時優先電話を利用する。一方児童生徒の家庭にはパンフレットとシールを配布し、広報につとめている。こちらも年1回訓練をして制度の風化を防いでいる(10)。
      図3 ニッポン放送の学校安否情報
(3)評価
 先に紹介した東京大学社会情報研究所のアンケート調査によると、NHKラジオ・NHKテレビ・ラジオ関西・サンテレビいずれかの安否情報を直接見たり聞いたりした人は神戸で全体の60.8%、西宮市で55.4%に達しており、半数以上の人が接触している。しかし実際に依頼した人は少数で、もっともメジャーなNHKでみても、自らの無事を伝えたり、他人の安否を尋ねる放送を依頼したのは神戸市でも20人と、全体の2.9%にすぎなかった。一方NHK放送文化研究所が仮設住宅在住者に対して行ったアンケート(11)では、安否放送を視聴した人は50%、放送していたことを知っている人は24%であった。このうち放送で自分の事が取り上げられたという人が10%いた。評価については「電話もかかりにくく肉親や知人の消息を知りたがっていた人がたくさんいたから、大変いいこと
だ」とする人が68%、逆に「避難所にいては放送を見たり聞いたりする機械が少なく、それほど効果があったとは思わない」という人は28%であった。こうした結果をみると、実際の効果は別として、安否放送そのものについては被災者の評判はよいといえる。
表9 安否放送への接触 東京大学調査
神戸市   西宮市
 NHKラジオ・NHKテレビ
 ラジオ関西・サンテレビいずれかを見聞きした 60.8 55.4
放送していたことは知っているが
 直接見たり聞いたりしなかった 21.5 24.5
 知らなかった 17.7 19.7
 無回答 − 0.4
合計 (N) 425 278
 しかし、大量の個人の安否を伝えきれないというメディア特性、安否を明らかにする情報より問い合わせの情報がほとんどであるという実態などを考えると、放送による個人安否情報の伝達には限界があると言わざるをえない。
 一方ニッポン放送のシステムはまだ実際に運用されたことはないが、注目すべき安否伝達手段と言える。第一にこうした領域の集団安否情報には強いニーズが存在すると考えられる。とくに離れた学校に通う子供の安否については大きなニーズがあるだろう。第二にこのシステムは電話が輻輳で機能しない事態を前提としている。子供の安否が気になっても電話での連絡がつかないために放送の役割が重要になる。だから、勤め先からは徒歩と専用回線や無線、学校からは災害時優先電話で情報を収集し、ラジオ電波で伝達するという、このシステムが一般の電話に依存しない点は特に重要である。第三に個人ではなく集団の安否情報を扱うことは放送メディアの特質にあっていると考えられる。個人の安否情報では、放送時間に限度があるため伝達しきれないことがあるが、集団の安否では1度に多くの人の安否を伝達することができ、効率がよいからである。
 しかしその一方でいくつかの課題もある。第一に情報は多段階で収集されるので収集に時間がかかることである。第二に実際の災害時にビル管理者や学校側が情報の報告を忘れないかという問題もある。第三に学校は災害時優先電話で伝達することになっているが、その番号を隠し番号にしておかないと、殺到する問い合わせ着信で電話の発信ができなくなってしまうことが考えられる。そして第四に受け手の家庭側が放送を聴取する必要があり、そのための広報活動も重要となる。
 また、こうした課題を乗り越えうまく機能したとしても、安否情報全体から見るとこうした試みには集団安否情報特有の限界がある。すなわち、第一にそもそも学校や大きなビルに居る人しか対象としていないこと、第二に地域的にも現在のところ東京と神奈川に限られていること、第三に時間的には午前9時から午後3時頃までの、在校時間中に発生する災害にしか対応できないこと、といった限界があるのである。
 とはいっても安否情報に対する人々の強いニーズがある以上、安否放送は今後もさらに充実していく必要がある。そして実際、コンピュータ化や集団安否情報の試みなどから安否放送はより高度になっていくだろう。しかし以上検討したように安否放送には様々な限界がある。従って安否放送は安否情報伝達のあくまで一部分を担うものである、と位置づけることができるだろう。
  5.インターネット
(1)阪神淡路大震災とインターネット
 阪神淡路大震災は災害時の災害情報の伝達に初めてインターネットが登場し、注目されたた災害でもあった。インターネットは基幹部分は専用線を使っているために電話の輻輳の影響を受けないこと、情報がコンピュータで処理されているので検索などの情報加工がしやすいこと、などから安否情報の伝達にも大きな可能性を持つメディアである。
では、阪神淡路大震災の時、電話に代わるもう一つのネットワークであるインターネットは実際にはどのような働きをし、どのような問題点があったのだろうか。
 電話も輻輳の他に設備面の被害があったが、インターネットも被災地では設備面の被害を受けた。たとえば三宮にあった関西ネットワーク相互接続協会の神戸NOCは被災のため機能を失った。またSINETで兵庫県の中核的役割を担っていた神戸大学は地震センサーによる電力停止で翌日まで機能を停止し、さらに大阪大学との高速デジタル回線が切断されたためやはり翌日まで利用できなかったという(樽磨ほか1996)。このようにインターネットは電話施設と比べてハード的に特に災害に強いというわけではない。さらに電話による輻輳に似たアクセスの集中によるシステムダウンも各地で起こっている。例えば地震情報を提供していた奈良先端技術大学院大学のサーバは震災翌日には過負荷によるダウンをしている。また死亡者名簿をいち早く掲載したNTTのサーバは地震情報を公開した直後から頻繁にダウンを繰り返した。そこで教育関係は東京大学に、行政関係は理化学研究所に、その他はITJへいくつかのミラーサイトを作り、自動的にリダイレクトするようなシステム変更を迫られた。(「大規模災害とインターネット」1、2『INTERNT MAGAZINE95/5,95/6』より)このようにインターネットはハード的に災害時に一般公衆電話回線と比べてそれほど強いとは言えないのが実態である。また今回は神戸というインターネットの構成上、末端的な部分での災害であったためにそれほど被害が拡大しなかったが、インターネットの接続トポロジーが過度に集中している東京で同様の災害が起きたら、日本の多くの部分のインターネットが機能不全を起こすという可能性も否定できないのである。
 ではインターネットではどのような内容の情報が流されたのであろうか。震災関係で最もよくアクセスされたNTTのホームページでは、インターネットで得られる情報のインデックスを作っている。それによると被害者の安否、被災地の状況(画像情報を含む)、交通情報、生活情報、被災者のための相談窓口、被災者の支援、科学技術、政府企業団体等、インターネットパソコン通信、等についての情報が流されたことがわかる。この中で安否情報に関しては具体的には次のようなリンクの情報が含まれていた。すなわち、@死亡者の問い合わせ先(全国の警察本部)A海外からの安否に関する問い合わせ先(警察庁)B死亡者名簿(NHK:情報提供は日本文字放送)C死亡判明者(筑波大学:情報提供は朝日新聞)D兵庫県南部地震亡くなった人たち(東海インターネット協議会:情報提供は中日新聞)E死亡者名簿(奈良先端技術大学院大学)F犠牲者名簿(国立ガンセンター:情報提供は毎日新聞)G神戸大学留学生の安否(NTT:情報提供神戸大学蛯名)である。こうしたWWWによる情報提供の他には、ネットニュース(インターネット上の電子掲示板のようなもの)やIRC(Internet Relay Chat)や電子メールによる情報交換が行われた。
 しかしこのようなインターネットの情報伝達が現実に役に立ったか、ということになると、それは大いに疑問である。いくつかの被災者調査によると、被災者にとってコンピュータ通信は全く役に立たなかったといえる。例えばNHK放送文化研究所が被災者に対して行った調査では、「災害時に役に立った情報の入手先」としてパソコン通信をあげた人は、「最も役に立った」とした人が0で、「まあ役に立った」とした人がわずか0.4%にすぎなかった(『放送研究と調査』1995.5,pp.44-49)。また新聞協会研究所の調査でも、災害一週間の間の情報の入手先としてパソコン通信をあげた人はわずか0.1%に過ぎなかった(『新聞研究』1995.6,No.527,pp.60-67)。また三上(1997)は阪神淡路大震災時に活動した主要な情報ボランティア活動を紹介しているが、「被災地内外でインターネットを通じて情報ボランティアに携わった人たちの評価をみても、インターネットが被災者救援に大活躍したという評価はあまり聞かれない」としている。
 このようにインターネットが役に立たなかった原因は大きく言って2つある。第一はそもそも被災地ではコンピュータ通信が利用できる状況でなかったという面だ。それは第一に停電、電話回線の輻輳、被災による屋内の混乱、避難所にパソコンがないといった物理的問題がある。第二に避難者のパソコンを扱う能力の問題がある。金子(1996)によると政府は200カ所の避難所にメーカー提供のパソコンを設置したが、セットアップされず放置されていたという。そして第三にパソコンによる情報伝達にさける人的資源の問題がある。現地のボランティアは避難所の運営、物資の分配などやるべき事が多く、インターネットどころではなかったという。たとえば金子(1996)には「1、2月の段階は、ともかく現場がたいへんでパソ通なんかやってられないという状況でした。」という現地の声を紹介している。
 もう一つの側面はインターネットで流通している情報内容の質の問題がある。安否情報を例に見てみると、NTTのホームページで見るように、安否情報のほとんどはすでにマスコミに発表されている死亡者リストである。ここで情報ボランティアは新聞に載った情報を電子的情報に打ち直したり、文字放送をコンピュータに取り込んだりする作業をしているのである。IAAの第一回目の報告書は次のように述べている。「インターネットでは生存者情報や被災状況などが世界中に公開され、一躍注目を浴びることになりました。しかし、(中略)阪神・淡路大震災の後に行われた利用は、単に他のメディアによる情報をインターネットで流したということにすぎませんでした。」すでに述べたように被災地からの情報の入力や発信がままならない状況では、このようになることも当然のことといえる。第二に安否情報の質の問題がある。震災当時アメリカにいた西宮出身の篠田(1996)は親戚に連絡を取ろうと苦労しているとき、「数日たつとインターネット経由で死亡者の名簿がアクセスできるようになったが、(中略)ネガティブな情報を運ぶだけのネットワークに憤りをおぼえた」と記している。被災地外の人にとって知りたいのは安否情報の「否」の面ではなく「安(安全)」情報なのである。このようにインターネット上の情報の質が低いのは、川上(1995,p45)らも指摘するように、情報発信者行為が組織としての活動ではなく、組織内の有志によって自発的になされることが多い、という点に原因があるのかもしれない。
 一方ネットニュースでも安否情報が扱われたが、代表的なfj.misc.earthquake.peopleは主に人の安否を尋ねるニュースグループであり、これも被災地でのパソコン利用がままならない中で関係者のニーズをどれだけ満たせたのか疑問である。
 なお、パソコン通信については、福田(1996)らがニフティーサーブの掲示板を内容分析した研究がある。それによると掲載情報としては安否関連情報が最も多いが、被災地域外からの安否照会が主であったという。ここから、パソコン通信も実際にどれだけの安否を伝達できたのか疑問である。
(2)今後の計画
@IAAシステム
 インターネット技術の研究組織であるWIDE(代表村井純)はインターネットを使って個人の安否(とくに生存者)情報を伝達するIAA(I am alive)というシステムを構築中である。これは阪神淡路大震災時のインターネット情報が死亡者名簿で、役に立たなかったことを教訓にしている。具体的には、電子メールやWWWなどを通じてサーバにアクセスした人々が、自分や他人の生存者情報(氏名、年齢、性別、郵便番号、確認手段、状況、状況提供者名など)を入力すると、それが自動的にデータベース化される。そして他の人が同様に電子メールやWWWを通じて検索すると、結果を電子メールで伝達される、というシステムである。96年1月17日18日に行われた第一回の実験では、データベースは北陸先端科学技術大学院大学、奈良科学技術大学院大学、WIDE京都NOC、慶應義塾大学湘南校舎に同じものが形成され、利用者からアクセスは能力の余裕のある最寄りのセンターに自動的に振り分けられるようになっていた。こうすることによってアクセスの集中によるシステムダウンを防げるし、1つのセンターが機能を失っても全体としてカバーすることができる。また97年1月の第二回目の実験時には4つのセンターが衛星経由によるバック
図4 IAAシステム
      篠田他(1996)より アップ回線でつながれ、実際に有線回線を遮断してバックアップが機能するかの実験も行われた。第一回の実験時には6000人もの人が参加し生存情報の入力・検索が行われた。一部のプログラム上の欠陥があったものの、42時間連続でシステムは稼働したという。
 このプロジェクトがうまく機能すれば確かに様々な利点がある。第一に生存者情報という最も知りたい情報の中身が整備される。第二にインターネット利用者自身が個人情報を入力するので入力要員が不足するという問題を回避できる。第三にデータベースが分散されているので阪神淡路大震災時のNTTのホームページで起きたようなシステムダウンを回避できる。第四に神戸大と大坂大で起きたような回線の切断に対しても衛星バックアップで対応できる。そして第五にネットワークを通したコンピュータによる検索機能は安否確認を大変効率的にする。しかしまだいくつかの問題がある。第一にインターネットの内部では電話輻輳の影響を受けないが、自宅から公衆回線でプロバイダーに接続している一般のインターネット利用者はやはり輻輳の影響を受けアクセスできない。このシステムを利用できるのはLAN等の専用回線でインターネットにアクセスできる人に限られる。第二に基本的には各自で情報を入力するので、インターネット利用能力のある人しか利用できない。他人が入力してあげるとなるとどうしてもボランティア的な人に依存することになるが、阪神淡路大震災時にみれるように災害直後にはボランティアには他にやることが山積し、結局誰が入力をするのか、という問題が出てくる。そして第三にコンピュータを利用した安否確認が一般の人々に受け入れられるか、という問題がある。さきに紹介した通信総研調査では、パソコン通信による安否確認について聞いている。それによると、「つながりやすければ使ってみたい」とする意欲を持つ人は被災地で31.2%、被災地外で47.3%
にとどまった。またかりにインターネットで無事が確認できたとしても「FAXやパソコン通信など、本人からの文字によるメッセージによって無事を確かめることで十分安心できる」とする人は被災地内で3.2%、被災地外で6.9%に過ぎない。インターネットによる安否確認だけでは心理的には不十分であるといえる。このように考えると、インターネッ
表10 パソコン通信を使った安否確認についての感想 MA. 通信総研調査
          被災地  被災地外
 つながりやすければ使ってみたい         31.2 47.3
 文字だけの安否確認では満足できない       7.0 9.8
相手に伝わったかどうかわからないので、不安だ   12.5   19.2
パソコンは苦手なので使いたくない 20.0  13.0
イメージが浮かばないので、答えられない 35.9   14.4
トを利用したIAAのようなシステムはこれだけで十分というものではなく、現状ではLAN利用のインターネット利用者という一部の人を対象とした電話の補完的役割を果たすシステムである、と位置づけられるだろう。
A横浜市の「被災地情報ネットワークシステム」
 一方、横浜市はNTTと共同して、避難所の運営を支援するための「被災地情報ネットワークシステム」と呼ばれるものを開発中である。これは横浜市の災害対策本部、市内各区の災害対策本部そして避難所となる市内の小中学校との間で、パソコンを使って各種情報交換を行うためのシステムである。横浜市では災害時の避難所となる小中学校が市内に445あり、それを18の区役所が運営することになっている。現在中学校には全校、小学校では4割の学校に教育用のパソコンが整備されており、これらを活用して避難所、区役所、市役所の間の情報伝達を円滑に行おうととしているのである。
 ここで伝達される情報は個人安否情報を含む、次の6種類である。第一は参集職員の登録情報である。これは職員の参集状況や、各職員がどの避難時、部署で働いているかに関する情報である。第二に避難所情報がある。これは男女別の避難者の概数を各避難所ことに集計したデータである。第三は被災地の画像情報で、デジタルカメラで被災地状況を撮影し、救援・支援のための情報を提供する。第四が被災者の安否情報である。ここでは避難者の氏名、電話番号、けがの有無、看護の要不要、連絡先などが登録され、氏名や電話番号を鍵に避難者の検索がきる。そしてこの情報は本人の承諾を前提としてインターネット上でも公開される。第五は避難物資の要求や配送に関する情報である。そして第六は生活関連情報である。銭湯や商店の営業情報など住民からの情報を掲示板的にやりとりすることが考えられている。今回開発されたのは、こうした情報の入出力と処理の部分と、コンピュータ間の接続のためのソフトである。
 災害時にこうしたシステムが有効に働けば、安否確認のニーズはかなり満たされ、同時に避難所の運営もずいぶんスムーズになるはずである。とくに重要なのは情報をこのようにネットワーク上でコンピュータ処理できるようになれば、膨大な個人情報を素早く検索できることである。本来、膨大な個人安否情報にとってはコンピュータネットワークはもっとも適したメディアであるといえるだろう。これが有効に機能するかは第一に災害時のシステムのハード面の強さにかかっている。
 ネットワークは市の災害対策室におかれたサーバを中心に各区役所と避難所のパソコンによって相互に接続されている(図5)。しかし現実には現在のところ各パソコンから一
般電話回線を使って、直接またはインターネットを経由して市役所のサーバにアクセスするようになっている。このようにネットワークが一般電話回線に依存していると、災害後の激しい電話の輻輳に巻き込まれてしまい、電話がつながるまで(大災害ではおそらく数
図5 横浜市の「被災地情報ネットワークシステム
日間は)システムは十分に機能できなくなってしまう。ここにハード上の大きな弱点がある。やはり専用線など輻輳に強い手段を用いることによって災害時の通信の安定性を確保すべきであろう。避難場所が落ち着き、名簿が整うのは現実には被災数日たってからのことになるかもしれない。そのときには輻輳も一段落しており、輻輳は現実には問題にならなくなる。しかし、そのような運用では電話に代わる安否情報システムではなく、避難者名簿システムといった色彩が強くなる。  しかし専用線にする必要性は輻輳問題だけに起因するわけではない。避難場所となる小中学校には引かれている電話線の数はふつうせいぜい数本である。そこに場合によっては何百もの人々が避難するのである。そもそも学校という避難場所には回線数が絶対的に不足しているのである。その貴重な回線を時間がかかるコンピュータ通信が占有してしまうのはやはり問題である。
 第三に安否や生活情報についてはインターネットに接続し、一般に公開するとのことであるが、サーバが一カ所だけでは、阪神淡路大震災時のNTTのホームページと同様のことが起きるだろう。すなわち大量のアクセスが集中してサーバがダウンしてしまうのである。日本各地にミラーサーバを設けてアクセスを分散させる必要があるだろう。
 一方運用上の課題もある。安否情報に限ると、第一に安否情報の入手や、その入力・更新を誰が行うのかという問題がある。避難所の設定、物資の運搬分配など災害当初の仕事は山ほどある。そうなると情報の入手や入力はボランティアに頼らざるを得ないだろう。そうなるとボランティアの組織化や訓練、わかりやすい操作マニュアルの準備などが必要になるだろう。
 第二に検索する際のパソコン操作能力の問題がある。現時点においてインターネットなどから情報を自由に検索できる能力を持った人はまだ一部であり、そうした能力のない多くの人に対するサービスが必要になるだろう。
(3)評価
 以上のようにみると全体としては次のようなことが言えるだろう。すなわちインターネットを使った安否確認には大きな可能性があるが、ハード面の脆弱性、機器操作能力、入出力のためのマンパワーの欠如など克服しなければならない課題も多い。災害時のインターネット利用は始まったばかりで、まだ赤子の段階といえる。ただデータベース機能は他のメディアに抜きんでている。今後はその点に特化した発展を期待した方がよいかもしれない。例えば災害直後の安否確認は電源問題、入力問題、など様々な問題があるが、数日後以降の身元確認には威力を発揮するかもしれない。すでに1986年の伊豆大島噴火の際には住民の避難先の問い合わせにパソコンを使ったシステムが運用され成果を上げたという(廣井1991,p94)。たとえばそのような使い方である。あるいは他の様々な安否確認手段の情報の統合化といった機能がパソコン及びインターネットに期待できるのではないだろうか。
5.まとめ
 これまで各メディアによる安否情報の現実と将来像についてみてきた。全体として言えるのはどのメディアも一長一短があり、これ一つで十分というものがないということである。電話は操作が容易で電話番号を知っていれば相手の様子を知ることができ(検索性)、相手に電話があれば安否を尋ねられ(網羅性)、即時に遠距離の相手の安否を知ることができる優れたメディアだが、なんと言っても輻輳が激しくシステム的に災害時には弱い。ボイスメールは全国にセンターを分散し、ある程度輻輳を避けられるが、電話の輻輳が激しいとつながらない可能性もある。操作は比較的容易で電話と同様の検索性もある。しかし相手が自分の安否を録音しなければ安否が伝達できないという点で網羅性にかける。また3段階の運用をしたとすると安否伝達には2時間以上のタイムラグができる。一方遠距
   各メディアの安否情報伝達における適性
         ビラ  電話  ボイスメール  放送  インターネット
 システムの強さ ◎ × △   ◎ △
 操作の容易さ  ◎ ◎ ○   ◎ ×
 検索性 × ○ ○    ×    ◎
情報の網羅性   × ○ △ △ ×
 即時性  △ ◎ △ △  ○
 距離到達性   × ◎ ◎ ◎ ◎
離の安否も知ることができ距離到達性はある。放送はシステムの強さ、操作の容易さ、距離到達性などで有利だが、検索性が無く、安否の呼びかけばかりで安否そのものの情報は少なく、データの網羅性に欠ける。インターネットは検索性、距離到達性で有利だが、一般人にとっての操作性は低く、それゆえに情報を入力する人も限られており、情報の網羅性が少ない。システムは基幹部分はかなり強いが、末端部分は停電や、電話回線の輻輳などで弱い部分がある。
 またこれまで取り上げてこなかったが最も原始的な安否伝達手段としては紙のビラがある。実際今回の震災でもよく使われていた。図6右は実際に大量に印刷、配布されたビラである(手帳サイズとA3サイズの2種類がある)。そして図6左はそれが実際に神戸市役所入り口に貼られていた様子である(1月29日)。ビラは自宅の焼け跡や避難所入り口に貼られ、安否を気づかって訪れた人に無事と避難先を伝達する。災害時には強く、操作性も簡単だが、検索性、網羅性、距離到達性がない。
図6 阪神淡路大震災で安否伝達に使われたビラ
 ではどうしたらよいのか。一つ一つが完全でないなら、廣井(1991,p92)も言うように利用可能なあらゆるメディアを使うしかない。それぞれの短所を補いながら、ミックスして利用するのである。そのためにはいくつかの方法がある。たとえば廣井(1996,p29)が提唱する「安否情報センター」の構想がある。これは行政、マスコミ、通信事業者が協力して、被災地の外に安否情報センターを作る。そこに電話などで安否情報を集中させ、それを放送や、新聞が流すというものである。これは情報を1極に集中させるという点で関東大震災時の「東京罹災者情報局」の発想に近いものがある。あるいは被災地の内外に、例えば市役所、電話局、放送局、避難所などに多くの「情報ステーション」を設けることも考えられるだろう。情報ステーションにはボイスメールの説明パネルとともに多くの電話がおかれボイスメールシステムが利用できる。また文字放送受信機がおかれ文字放送の安否情報が得られる。さらに専用線でインターネットに接続されたパソコンがありIAAや市役所が入力した安否情報が検索できる。そして掲示板にはビラも貼られる。安否を知りたい人はそこに来れば様々なメディアを次々にトライすることができる。あるいは将来的には様々に集められた安否情報をデータベースに転換し、インターネットなどで一元的に管理する道もあるだろう。
 いずれにしても、安否情報を伝達する様々なメディアがようやく動き出したばかりである。担当者は自らのメディアの自らのシステムをうまく機能させるために努力している。しかし今後は他のシステム、他のメディアとの連携を考えて、お互いの弱点をカバーするように協力していくことが必要である。そのためには、場合によっては国などがイニシアチブをとって各メディアを積極的に調整していくことも考えるべきであろう。

(1)東京罹災者情報局の仕事は@消失家屋調査A倒壊家屋調査B死傷者調査C迷子調査D立ち退き先調査をもとに、罹災者名簿をつくり、全国からの郵便による安否の照会要請に答えることであった。(廣井1987,pp59-65)
(2)柳田(1978,p143)によるとNHKは伊勢湾台風の時「罹災者だより」として罹災者の安否を伝えている。当時の放送関係者は次のように語っている。「初日に水没地帯に出掛けたときに、一家が屋根の上に上がったり、二階に避難したりして、とにかく家族一同無事であるということを、自分の親戚なり縁者なりに知らせてほしいということを誰からも要望された。そこで二日目からは放送要員に伝言用紙をもたせてやったんですが、いやもうたくさんの伝言を受け手帰りまして、それを早速『罹災者だより』として出したところ、(中略)、非常に喜ばれました」『放送文化』1959年11月号
(3)柳田(1978,p150)によると新潟地震の際の安否放送は民法の新潟放送も行っており、10日間の放送件数はNHKと民放あわせて1万件にのぼったという。
(4)被災地内調査は神戸市東灘区、芦屋市の一般住宅および仮設住宅の住人1014人を対象にし、留め置き調査を行った。被災地外調査は被災地と関係のある兵庫県外在住者(日本全国)を有意抽出した。すなわち兵庫県人会、御影高等学校、葺合高等学校、兵庫高等学校の卒業者名簿から県外在住者を選び、郵送調査を行った。こちらの回答者数は1380人(内訳は京阪神地域364、震度3以上の隣接地域403、首都圏352、その他地域261)である。調査では災害初日から4日目までの電話行動について質問形式と日記式で記録してもらった。本調査は通信総合研究所の委託により三菱総合研究所が行ったが、筆者らもプレ調査や調査票づくりの段階でこの調査に参加した。
(5)「とても心配なので、通じるまで何度でもあきらめず、続けて電話をかけ直した」「何度かけ直してもつながらないので、とりあえずあきらめて2時間以上待ってから、またかけ直した」「何度かけてもつながらないので完全にあきらめた」「何度かけ直してもつながらないので、つがう人に電話するなど他の手段をとった」を合計した数
(6)現在の案では、町以下の範囲が被災した小規模災害の場合は、被災地、被災地外とも録音再生を一時間後から可能となる。
(7)以上はサンテレビ報道部宮田英和氏への聞き取りによる
(8)以上NHKについては編成局大屋泰男氏への聞き取りによる。
(9)1990年の国勢調査をもとに都立大学の中林一樹氏が試算(朝日新聞1995年3月12日による。)
(10)以上はニッポン放送編成局中村信郎氏への聞き取りによる。
(11)詳細は『放送研究と調査』1996年3月号
付図1 日記式の発信呼記録用紙
文献
福田充「阪神大震災におけるパソコン通信利用〜ニフティーサーブの「地震情報」掲示板おける震災情報の内容分析」『平成7年度情報通信学会年報』pp46-57
 金子郁容・VCOM編集チーム編著『つながりの大研究:電子ネットワーカーたちの阪神淡路大震災』日本放送出版協会、1996年
 川上善郎、田村和人、田畑暁生、福田充「阪神大震災とコンピュータネットワーク〜インターネット、ニフティーサーブ等における震災情報の内容と構造〜」『文教大学情報学部情報研究』第16号、1995年、pp29-54
樽磨和幸、蛯名邦禎、大月一弘、田中克己「神戸大学からの報告」『電子情報通信学会誌』1996年1月15-19
 篠田陽一、宇夫陽次朗「『普段使っていないシステムが緊急時に使えるわけがない』第一回インターネット防災訓練の裏側」INTERNET magazine 1996年4月号pp210-213
 三上俊治「災害とインターネット−阪神淡路大震災と情報メディアの役割−」『東洋大学情報センター・情報科学論集』28号、pp.13-24,1997年
 廣井脩他『都市災害の情報問題 その1』東京大学新聞研究所報告書、1987年
 廣井脩『災害情報論』恒星社厚生閣、1991年
 廣井脩「災害放送の歴史的展開」『放送学研究』46号、1996年
 小田貞夫「災害放送の伝達と放送メディアの役割」『放送学研究』40号、1996年
 WIDEプロジェクト「第一回インターネット災害訓練報告」http:/www.iaa.wide.ad.jp/report96
多田信彦、馬場始三「WIDEスナップショット『第一回インターネット防災訓練』報告−1−『UNIX magazine』1996年3月号
 山本康正「災害時の取材・放送活動」『放送学研究』46号、1996年
 柳田邦男『災害情報を考える』NHKブックス、1978年